串本という町2015年06月08日 22時43分48秒

私が串本で住んでいた家から10分ほどのところに潮崎本の宮という神社があります。ここは祭神として表筒男命・中筒男命・底筒男命の三神をまつっています。

ここで10月14日から盛大に祭りが行われ、私も青年会の会長をやり、獅子舞をやったりといろいろ思い出深いところです。
高校の時にはのろい釘を打つ人がいると言うことで、期末試験の勉強もそこそこに夜中に皆で見に行ったりしたところです。


歴史的には、神功皇后が大島のとなりの小さな島「通夜島」に船で来て停泊し、その折りに櫛と衣服をくれたそうです。以来この神社はこれを宝物として持っていたのですが、大阪の住吉神社からこれを借りに来て、それをとうとう戻してもらえなかったそうです。
そのことが明治維新の際、住吉大社はその宝物のおかげで官弊神社で潮崎本の宮は村社にされてしまったとか。

もしその宝物が手元にあれば、もっと栄えていたのではないかと残念に思います。

串本人はそんなお人好しなところが、大いにあるのです。
ただ住吉神社も、潮崎本の宮を立てて、境内に、潮崎本の宮神社と標柱のある神殿があるとか。

今度行った折りにはチェックしなければと思います。

通夜島という名の由来は、皇后軍が露営をした島という意味らしいです。
私が子供の頃にそういう言い伝えをよく聞かされましたが、よくわかりませんでした。
通夜島はムカデが多いので近寄るなとも言われました。

いずれにしろ紀南地方は新宮や勝浦は神武天皇が上陸したところだし、いろいろ面白い話があります。
ちなみに潮崎本の宮は応神天皇が創建したと古文書にあります。

正月の成人の日には、おまと(弓を射る)行事があり、10月には町を挙げての祭礼があります。
私の子供の頃は露店商が一杯出てそれはそれはにぎわったものです。(と昔話風に)


この2枚の白黒写真は、1975年の橋杭岩周辺の風景です。

橋杭 1975年


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