忘れがたい映像のことなど2016年09月01日 22時04分20秒

これまでいろいろ役にも立たないような写真を撮り続けてきましたが、他の人の写真で記憶に残り、それが自分自身の考え方やモノの見方に強い影響を与えた写真がいくつかあります。

私の場合は、いわゆる決定的瞬間と、人が生きているのをとらえた写真に記憶に残るものが多いですね。

前者は、ブレッソンの「サンラザール駅裏」や「ムフタール街」など彼独特のエスプリとユーモアとそしてアイロニーが表現されていて何度見てもいいし、それらはいまだに脳裏に焼き付いています。

後者は、ユージンスミスの「水俣」の写真や土門拳の「筑豊の子供たち」などがあります。

写真を撮る眼は優しいのですが、訴えかけるものは人の心に差し込んできます。

タブーや差別の構造をあいまいに隠蔽するのではなく、明確に可視化し、白日の下にさらすという、ある種の賭けをする写真が、当時多かったですね。

その代表が、ユージンスミスであったり土門拳だったと思います。

少し時代が下って、星野道夫の動物写真と達者な文章はいまだに心に残り、時々本を開いてみます。

それらの人たちの写真がなぜ心に残るのかと振り返ると、私には到底撮れないものだからその潜在意識が心にとどめようとしているのではないかとも思っています。

最近のはユルイ写真が多くなってきたので、技術の良さはわかりますが、それが何十年経っても心に残っているかというと、疑問です。

プロもだれでも撮れそうな写真を提供してくれるので、スマホ写真であったりするのかもしれません。

それに時折見せられるスマホの写真に素晴らしいショットのものがあったりする時代ですから、結局はいいも悪いも、映像そのものがあふれかえって、感動の置き場所がない時代になってきているのかもしれません。

写真は1973年故郷串本の農家の牛です。
最近はトラクターにとって代わりましたが、串本でも当時のコメ農家は牛を飼っていました。

私の写真は、こうしたユルイ、けど忘れたくないのが多いのです。
撮った本人以外にはドッテことのない写真ばかりで、少し寂しい気もしますが・・。

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