おっ!こんなところも撮っている2016年09月18日 20時11分52秒

最近は空いた時間で昔のネガをスキャンし続けていますが、昔の写真はストレートで自分が撮った写真ながらいいなあと思います。

昔の写真のほうが魅力あるというのは困ったものですが、やはり当時は私のものの見方と時代がうまーくマッチしていたのかもしれません。

これは私だけではなく、プロの方の写真を見ても同じで、いろんなプロの古い写真がよくカメラ雑誌に載りますが、昔の写真のほうが面白くまた力がありますね。

私の個人的な感想ですが、「ライフ」が廃刊になったころから、写真がドキュメンタリーからアートに変貌していったのではないかと思っています。

メディアの側も、動く映像が重視され、写真は二の次にしてしまった感があります。
人々もグラフ雑誌をあまり見なくなって、「ライフ」をはじめとし、日本では「アサヒグラフ」やいろんなグラフ雑誌が消えていきました。

そしてカメラがデジタル化し、だれでもいつでも写真が撮れるようになり、力のあるルポルタージュが少なくなっているのが現状です。
今では誰もが、たくさんの人に見せるためにペットを撮ったり食べた料理を撮って(私も時々やりますが)います。

そしてあまりにもたくさんの映像があふれかえっているので、注視しなければいけない現実が薄められてしまっているような気がします。

テクニック的な面でいえば、スマホで撮った素人写真が、妙なリアリティがあり説得力を持っているのも現実ですね。
スマホをかざして「これみて」と見せていただく写真に素晴らしいのがあります。

私は、今も写真は昔と変わらないつもりで撮っていますが、どこか違うんです。
それに昔は初対面の方でも気軽に写真を撮らせてくれましたが、最近は肖像権やらでこちらも顔が入ったものは意識して撮りません。でも表情がないとつまらない写真になってしまう場合があります。

スマホで撮る場合撮る側も撮られる側も飾らないで写真におさまるので、表情が生き生きして、いいカメラで構えて撮った写真より、よりリアリティのある写真になっているのでしょうね。

古いネガのいい写真のもとは、今のスマホ気分で素朴に純粋に何でも撮ってやろうという気持ちが、結果的にいい写真になっている気がします。

古いネガのデジタル起こしの写真をみながら、原点に立ち返る必要を感じています。

下の写真は1973年から1980年の写真です。


泉南の団地。この景色は今も変わっていないと思います。


加太淡島神社。


川湯温泉。河原の湯舟。このときはプロカメラマンの中村由信先生とご一緒して熊野を撮りました。
その時写した何枚かのうちのものです。このときの写真はあちこち使っています。
コンテストにも入選しました。

中村先生は、自著のなかでこのとき撮った写真を挿入しています。

今はこんなおおらかな写真は撮れないですね。


那智勝浦町色川。
ビクターの看板犬をゲージの中の犬がうらやましそうに見つめています。
以前どこかでアップしたかわかりませんが、今日スキャンした中にあったので載せました。