粉河ハイランドパーク2016年09月11日 22時39分55秒

毎日新聞の「風景を歩く」が先週は和泉葛城山のブナ林のことでしたので、粉河ハイランドパークに登って来ました。

和泉葛城山のピークには二つの神社があります。

今日は手前の物販店のある5本松近くの駐車場に車をとめて、和泉葛城山山頂への片道3kmを往復しました。

歩き始めてすぐに目に留まった石碑です。

粉河ハイランドパーク 和泉葛城山

キャンプ場や野外ステージがありますが・・

粉河ハイランドパーク 和泉葛城山

ほとんど使われていないことがわかる荒れようでした。

粉河ハイランドパーク 和泉葛城山

道の途中でこんな巨大なキノコがありました。

粉河ハイランドパーク 和泉葛城山

粉河ハイランドパーク 和泉葛城山

粉河ハイランドパーク 和泉葛城山

葛城山まであと1km。
オフロードバイクがよく走っていました。この辺りはいいダートがあるのです。
私も走りに来ました。

粉河ハイランドパーク 和泉葛城山

道の途中に落ちていたナンバー。

粉河ハイランドパーク 和泉葛城山

粉河ハイランドパーク 和泉葛城山

展望塔。落書きがいっぱい。ここでもカギをくっつけるのが流行りだしたようで、手すりにいくつかぶら下がっていました。

粉河ハイランドパーク 和泉葛城山

鳥の鳴き声がするので回ってみるとスピーカーからの音で、鳥を呼ぶためのものでした。

粉河ハイランドパーク 和泉葛城山

そしてこの方が巨大な白レンズを構えていました。
カメラはキャノンEOS 1D。
撮っている鳥は、燕でした。この燕を狙って鷹が来るはずですが、燕を連射していました。
かなり粘っていましたので、真の狙いは鷹かもしれません。
EOS 1Dはいい音を立てていました。

ショウもない落書きがいっぱいありましたが、どうせ書くならもっとセンスのあるのを書いてほしいですね。

粉河ハイランドパーク 和泉葛城山

夕暮れが迫り、大阪湾は夕日を反射し、きれいに光っていました。
ズイコー40-150㎜いっぱいの焦点距離です。

粉河ハイランドパーク 和泉葛城山

40-150mmの100㎜くらいかな。

粉河ハイランドパーク 和泉葛城山

お日様の上は青空が広がっていました。これはLUMIX12-32mmのワイドいっぱいです。

粉河ハイランドパーク 和泉葛城山

展望台反対側は、遠くに龍門山が見えます。

粉河ハイランドパーク 和泉葛城山

展望台。あまりいいデザインではないですね。
もう一工夫してほしかったです。

粉河ハイランドパーク 和泉葛城山


八大竜王神社。

粉河ハイランドパーク 和泉葛城山

300年くらいたったと思われるブナの大木。

粉河ハイランドパーク 和泉葛城山

葛城神社。ここはもう大阪です。

粉河ハイランドパーク 和泉葛城山

そしていつものように暗くなっての歩き終わり。
山道ならまたヘッドランプが必要です

粉河ハイランドパーク 和泉葛城山

またまた厄介なことが2016年09月12日 21時57分23秒

東京都の築地市場の移転先が大変なことになっています。
スタートの時から何となく胡散臭く、そこへもって化学物質の汚染地域ということで、大丈夫かなとおもっていたら、ヤッパリね、という感じです。

ああいう大きな工事にはいつも何らかの不透明なところがあって、そのたびに税金の無駄遣いをされます。

今回の情報隠しの罪は大きいと思うのですが、オリンピックの建設工事の時のようにうやむやになるのでしょうか。
我々の知らないところで、誰かが大きなポケットを用意してたのでしょうか?

時代劇でよくありますね。

「越後屋、おぬしも悪よのう」
「めっそうもない、お代官様」

いやですね。

都民はうやむやにしないように声を上げるべきです。

築地市場も移転せずに、新しいところは何か商業施設にすればいいと思います。

今日は雨が降ると思って車で行きましたが降りませんでした。
傘を持っていなかったので降らなくて助かりましたが・・。

写真はいつもの駅で少し待ち時間があったのでカシャ!

野球のことなど2016年09月13日 23時00分26秒

野球を見るのもするのも好きです。
面白いです。
するほうは、サードからピッチャーまで投げると2,3回バウンドするほどにまで落ち込み、バッティングも素晴らしいボールを投げてくれているのに打てなくなっています。

見ることが楽しみですね。

最近では、イチローが記録をどこまで延ばすかが楽しみです。
そして大谷君ですね。

163km/hのスピードボールすごいですね。

私は金田さんなら全盛期にどのくらい出ていたのだろうかと、いつも思います。
金田さんはピンチヒッターで出るくらい打撃もよかったですね。

金田さん本人は、160kmくらいは出ていた、といっていましたが、それくらい出ていたでしょうね。

400勝という勝利数はすごいですものね。

大谷君は二刀流なのでそこまで記録は無理かもしれませんが、感じとしては故障しにくいタイプのようですのでこれから楽しみです。

野球だけではなく、パラリンピックの競技選手はすごいですね。

これからサポートする器具などもハイテク化してくるでしょうし、どこまで進歩するかそれも楽しみです。

こちらも負けないように、体を鍛えなければいけないのですが、あちこち痛い・・・

写真は1973年に、上が潮岬で、下が下里で写したスバル360です。
ネガの中にありました。

懐かしいです。

スバル360

スバル360


バイク買い換えました2016年09月14日 22時34分46秒

CB400SS
いろいろ悩んでいましたが、KLE400を手放すことに決めました。

もう16年。よく走ってくれました。
最初からいろいろと小さなトラブルはありましたが、何とかこれまで無事に乗ってきました。

立ちごけ4回以外は無事に私を運んでくれました。

先日のブログでも書きましたが、体力などを考え、結局は軽いホンダのCB400SSにしました。

このバイクは2008年にすでに絶版になっているので中古しかありませんが、その中でも一番新しい2008年製をあちこち探し、見つけて手を打ちました。

現物を見ていないので何とも言えませんが、写真で見る限りはきれいです。

パーツが思ったより少ないのでどうなるかわかりませんが、主要部品はまだあるはずですので、できるだけ長く乗りたいと思います。

バイクより先に乗り手にガタが来て大型バイクに乗れなくなる恐れがありますが、その時は110ccのクロスカブに乗ろうかな。

こんどのCB400SSは空冷でシングルなので156kgしかなく、ネイキッド(裸)タイプバイクなので、エンジンなどのメンテナンスも楽だと思います。

乗っているシーンをいろいろイメージしているところです。
リアケースを付けなければいけないので、リアキャリアを今探しています。
よく売れるのかパーツカタログにはあるのですが品切れ状態のショップが多いのでもうしばらく探さなければなりません。

スクリーンもほしいし、フェンダーエンブレムを付けても面白いなとカスタマイズを考えています。

今度はKLE400のようにスピードやダートではなく、乗る雰囲気を楽しむバイクにしたいですね。

彼岸花が咲きだしました2016年09月15日 23時46分40秒

KLE400
今朝駅まで車を走らせていて、初めて彼岸花が咲いているのに気が付きました。

最近は咲くのが遅くてどうなるのだろうとやきもきする年ばかりでしたが、今年は少し早く咲いてくれました。

黄色くなりつつある稲をバックにきれいに咲いています。
この花を見ると暑かった夏のことなど忘れてしまいます。

これからいい季節ですね。
とはいっても台湾にも灯台をぶっ潰すような台風が上陸したり、今も日本に台風がやってきています。

北朝鮮では大洪水ということで、自然の猛威があちこちで吹き荒れています。

気を付けなくてはいけません。

KLE400を手放すことになりましたが少し心残りがあります。
でも新しいバイクでまた思い出を作ることにします。

写真は2001年7月21日、堺のカワサキディーラーから家まで乗ってきたばかりのKLE400です。

当然のことながらピカピカ!

インテックス大阪2016年09月16日 23時34分28秒

仕事で、久しぶりにインテックス大阪のイベントに行きました。

いつものようにマルチビジョンは何やら放映していましたが、もう画面がへたってきて暗く、写真にも写りません。

今時こういうスクリーンは必要ないですね。
前にも一度書いたと思いますが、こうしたみすぼらしい施設は撤去すべきです。

外国の方が来たとき、写りの悪いディスプレイを見ると施設を維持しかねているのではないか、と思うのではないでしょうか。

これは早く撤去か更改すべきですね。

景色もよくなります。
これではぶち壊しです。

それでなくても大阪は東京に置いて行かれている感じなので、こうした施設をきちんと維持していく必要がありますが、どうも寒い感じです。

いろいろ思いながらニュートラムに乗りましたが、これも二駅で地下鉄に乗り換えです。

せめてインテックスまで地下鉄にすべきだったですね。

中途半端。

せっかくの3連休ですが台風がやってきています。
何とかストレス解消のために遊べる天気にしてほしいですね。

今日の紀ノ川2016年09月17日 21時04分59秒

朝、メダカにえさをやりに行ったあと和室の網戸を見ると何やら枯れ枝のようなものがついていました。
朝顔が枯れてしまったのかとみると、動きました。
ナナフシだったのです。

見るのは久しぶりです。
めずらしかったので、E-M5にマイクロニッコール50㎜を着けてカシャ!

ナナフシ

羽がないようにあっても、ちゃんと羽が出てきてきちんと、飛びました。

ナナフシ

かわいい目がありました。

ナナフシ

昼から紀ノ川にカヌーを出しました。
土手には彼岸花が咲いていました。

紀ノ川バス釣りカヌー

バスも雷魚も坊主。
ブルーギルと当歳物の小さなバスが一匹ずつかかりましたが、遊んでいるとばれました。

昨年の今頃はもっと釣れていた気がするのですが。

いずれにしろこれから10月にかけてですね。
我慢我慢。

今日は川岸で昼ごはんしました。
ちょうどラジコンヘリの超絶技巧をやっていましたので、それを見ながら食べました。
何度見てもすごい飛ばし方をします。

紀ノ川バス釣りカヌー

この縦の光芒は単にレンズに水がかかり、手でふくと光芒が写りました。

紀ノ川バス釣りカヌー

紀ノ川バス釣りカヌー

漕ぎ終わり。陽がだいぶ傾いていました。

台風が来ているので連休で漕げるのは今日だけかな、と思いつつ車に積んだカヌーは降ろさずにいます。

おっ!こんなところも撮っている2016年09月18日 20時11分52秒

最近は空いた時間で昔のネガをスキャンし続けていますが、昔の写真はストレートで自分が撮った写真ながらいいなあと思います。

昔の写真のほうが魅力あるというのは困ったものですが、やはり当時は私のものの見方と時代がうまーくマッチしていたのかもしれません。

これは私だけではなく、プロの方の写真を見ても同じで、いろんなプロの古い写真がよくカメラ雑誌に載りますが、昔の写真のほうが面白くまた力がありますね。

私の個人的な感想ですが、「ライフ」が廃刊になったころから、写真がドキュメンタリーからアートに変貌していったのではないかと思っています。

メディアの側も、動く映像が重視され、写真は二の次にしてしまった感があります。
人々もグラフ雑誌をあまり見なくなって、「ライフ」をはじめとし、日本では「アサヒグラフ」やいろんなグラフ雑誌が消えていきました。

そしてカメラがデジタル化し、だれでもいつでも写真が撮れるようになり、力のあるルポルタージュが少なくなっているのが現状です。
今では誰もが、たくさんの人に見せるためにペットを撮ったり食べた料理を撮って(私も時々やりますが)います。

そしてあまりにもたくさんの映像があふれかえっているので、注視しなければいけない現実が薄められてしまっているような気がします。

テクニック的な面でいえば、スマホで撮った素人写真が、妙なリアリティがあり説得力を持っているのも現実ですね。
スマホをかざして「これみて」と見せていただく写真に素晴らしいのがあります。

私は、今も写真は昔と変わらないつもりで撮っていますが、どこか違うんです。
それに昔は初対面の方でも気軽に写真を撮らせてくれましたが、最近は肖像権やらでこちらも顔が入ったものは意識して撮りません。でも表情がないとつまらない写真になってしまう場合があります。

スマホで撮る場合撮る側も撮られる側も飾らないで写真におさまるので、表情が生き生きして、いいカメラで構えて撮った写真より、よりリアリティのある写真になっているのでしょうね。

古いネガのいい写真のもとは、今のスマホ気分で素朴に純粋に何でも撮ってやろうという気持ちが、結果的にいい写真になっている気がします。

古いネガのデジタル起こしの写真をみながら、原点に立ち返る必要を感じています。

下の写真は1973年から1980年の写真です。


泉南の団地。この景色は今も変わっていないと思います。


加太淡島神社。


川湯温泉。河原の湯舟。このときはプロカメラマンの中村由信先生とご一緒して熊野を撮りました。
その時写した何枚かのうちのものです。このときの写真はあちこち使っています。
コンテストにも入選しました。

中村先生は、自著のなかでこのとき撮った写真を挿入しています。

今はこんなおおらかな写真は撮れないですね。


那智勝浦町色川。
ビクターの看板犬をゲージの中の犬がうらやましそうに見つめています。
以前どこかでアップしたかわかりませんが、今日スキャンした中にあったので載せました。

はじめてのマイバイク2016年09月19日 21時53分47秒

確か高校1年生の2月、16歳になってすぐに免許をとりました。
そして酒屋のアルバイトに行って、このトーハツ125を、もらいました。
普段のお酒などの配達はお店の、ホンダベンリ―C90 125CCに乗っていました。

トーハツの乗り手がいなくなったので、私が頂きました。
かなり古いバイクでしたが、うれしかったですね。

このバイク、トコトコとよく走りました。
2サイクル混合ガソリンで、最高速度は90km/hくらいしか出せなかった気がします。

当時は免許取り立てであまりスピードは出しませんでした。
故障もあまりせずタフでした。

お店で乗るC90は当時2サイクルばかりの時代に4サイクルで静かに走り、故障もほとんどありませんでした。
今でもビジネス用では名車の部類にはいると思います。

このトーハツ125を皮切りに、カブ50、125ccスパースポーツのC93、CD90、CB72、CL90、シャリー70、CL125、カブ90、リード90、ヤマハSRX250、スズキRG250、カブ90、シャリー70、KLE400と乗り継いできました。他にも短期でいろいろ乗りました。

シャリー70とKLE400は現役です。

排気量の違いはあれ、ずっと切らさずに乗ってきました。
その最初の車が、このトーハツ125でした。

当時は大手以外に、ブリジストンもバイクを作っていて180ccの180TA1を友人が乗っているのを見てほしくてかなわなかったですね。

ヤマハの250DT-1やスズキのハスラーTS250でわいわい言っているときに、ホンダがCB750を出してきて仰天しましたね。

そのころはCB72を乗っていましたのですごいのが出てきたなと思いました。

当時はバイクの駐輪禁止などということもなく、おおらかな走りを楽しめました。
おおらかに走りすぎて、3週間連続してスピード違反をやってしまい、30日の免停を食らいました。

これからあと何年乗れるかわかりませんが、高速の入り口を間違えて逆走しないように脳のトレーニングをしていかなくてはと思っています。

1973年4月2016年09月20日 12時36分01秒

よくもまあこんなに空に水滴がたまってられるものだと、感心するくらいにたくさんの雨が降ります。
毎回毎回、記録的大雨、という言葉が言われます。
来年はどうなることでしょう。

雨が降ったせいでどこにも行けず、仕方なく机周辺を片づけたり、オークションに出品したりで、休みでどこにも行けなくても結構忙しい3連休でした。

昨日まで1973年のネガをスキャンしました。
新宮の奥の村々がすきで時々車を走らせました。

そのころ撮った写真ですが、もうこれらの景色は見ることが出来ません。
でもそのころの景色の方が癒されますね。

牛による田カキも、当時はどこでもやっていましたが、今はほとんどないですね。
古座の奥では、牛による田カキの競争イベントがありました。

十津川村1973年

さりげなくスバル360を撮っていました。

かわいらしいですね。

いまこのスタイルをリファインして新しい車を出して欲しいですね。
フォルクスワーゲンはカブトムシを出して結構な存在感があります。

コガネムシとして出す企業の余裕はないのでしょうか?
モーターショーではプロトタイプが出ていて楽しみにしていたのですけどね。
技術者は作りたいでしょう。

道は舗装されてなく、スバルで走るダートは面白かったです。
リアを滑らしながらカウンターステアでカーブを曲がる快感。
とにかく楽しかったです。

十津川村1973年

当時は道も少なくあってもこういう吊り橋が多く、それに続く道も細く危ないところばかりでした。

この吊り橋も途中で床が割れ、穴が開いています。向こうに続く道も狭く危険ですね。
吊っているワイヤも何となく頼りないです。

十津川村1973年

ある集落。

川原には渡し船が見えます。
橋がないので、渡し船で川の対岸に渡りました。
私が働きはじめた頃は、渡し船があちこちにあり、電話機や電話線を担いで対岸から、

「おーい、渡して欲しいなー」

と叫ぶと、

「よっしゃ待っててなー」

といいながら船を寄せてくれました。
橋がたくさん架かった今は渡し船は、もうありません。

このころお客様の家に仕事に行き、

「**さん宅はどちらですか?」

と聞くと、

「うん、隣だから、この道をちょこっと行ったとこや」

といわれて、歩くと5,6分で着くと思っていたおうちが、30分ほどかかったりすることがしばしばで、隣のおうちに行くまで一山越える必要がありました。

十津川村1973年

ここも今はアスファルト舗装の道が出来ていると思います。

このころは猪や鹿はかなりの数棲息していたはずですが、今ほどの被害は出てませんでした。
やっぱり山にそうした動物を育むための力があったのでしょうね。

今はそれがなくなり、動物たちも手軽に餌が食べられる里山に降りてくるのだと思います。

何か大事なものをなくしてしまい、バランスを崩しているような気がしてなりません。