この頃思うこと2019年07月22日 21時27分14秒

最近地震のことが気になりだした。

磯田さんの古文書の読み解きの本を見ていて余計そう思うようになってきた。
何かどこかで起こりそうな気がしてならない。
東南海地震も周期的に見て起こってもおかしくない。
我が家の近くの紀ノ川右岸には中央構造体の断層が走る。
ここもいつ揺ってもおかしくない。

磯田さんの本では自分の身は自分で守ろう、ということがいわれている。
まさにその通りで、いかに生き延びるか、どうすれば生き残れるかをシミュレーションしておかなければと思う。

先の九州地方の大雨の際も、警報を出したいが住民の逃げ場がないという自治体が多いことが問題にされていた。
地震の時は広域になるのでもっと大変だと思う。
最近の雨は50年に一度とか経験のしたことのない雨だとかが続いている。
具体的なガイドラインも出さずお金も少ししか出さず、すべてを自治体任せにしていないかどうか、もう一度防災について考えてほしいね。
高齢社会になってきて、素早く逃げられる人も減ってくるから、なおさら真剣に取り組んでほしい。
選挙の開票結果を見ながらそんなことを思っていた。

写真は白黒が1971年、カラーが1975年。

上浦海岸

潮岬

このミニ函館のような街に、専門家は3分で10mの津波が来るといっている。
実際に来ればひとたまりもないが、幸い沖の大島が天然の防波堤になっているので、
波もじわりとくる。
南海地震の際には我が家も津波に襲われたらしいが、波はじわっときて鴨居まで水没したようである。

串本の街



コメント

_ 零水クシー9 ― 2019年09月08日 00時59分09秒

この前、串本小学校「水泳の歌」と「串本小学校校歌」の歌詞を投稿したものです。つまり今回は二回目の投稿になります。今年の盆に串本へ帰省しましたが、あいにくと台風の襲来で盆踊りは見られませんでした。(きくところによると盆踊りは無量寺の建物の中の座敷で決行されたもようで、それなりに盛況であったとか)座敷で盆踊りというのも乙な感じがして写真に収めておけばよかったと思いましたが、あとの祭りでした。その串本無量寺の盆踊りの歌の歌詞ですが、われわれは子供時分から毎年聞いていても、ヤートセー・ヨーイヤナーと、アー・コレワイナーとアーコリャコリャと、この三種類の囃子(はやし)の部分だけが耳に残っていて、これは矢倉の下に座っている婆さんらが担当するわけですが、ハッチョモー米屋の大将の中村氏が矢倉の上で歌っている本歌の部分の歌詞は少しもわかりませんでしたし、ヨーヨーや輪投げや型抜き飴の夜店のほうが気になって、盆踊り歌の歌詞などわからなくてもすこしも気になりませんでしたが、数年前、米屋の大将が歌手引退とのことで、その折りに回ってきた手書きの歌詞を見て驚きました。以下のものがそれです。
無量寺 由来記(盆踊り歌 歌詞)
1.紀州熊野の袋のみなと 艫綱(ともずな)取って庵(いおり)たたずむ
2.今は昔のお江戸の頃よ、富士のお山の宝永山(ほうえいざん)が
3.起こす津波に、さて流される。忘れしゃんすな宝永津波、
4.錦江山の沖合ふかく、安まりたまえ、鎮(しず)もりたまえ
5.数えきれない腕の上に、木立ちそびえて、いらかが光る。
6.聞いておくれよ荷物にゃならぬ愚海和尚の残した記録
7.先の住職 松山和尚、この地に移して仮屋を構え
8.寝食忘れて再建はかる。集め給いし施物(せもつ)を元に
9.数珠に願いを幾星霜 見上げるみそらに朝日が射して
10.銀の甍(いらか)がそりゃまぶしくて、ついに再建、大願成就
11.晴れて無量寺この地に建って、田舎なれども、いと誇らしや。
12.時は移りて打ちくる風に、さすがの本堂、傷痕深し
13.夜に至れど風なお止まず、如何に暴風、恨みは深し
14.愚海和尚は膝打ち震い、皆に相談持ちかけたれば
15.もとより貧しき村ではあるが檀越大小(だんえつだいしょう)力を合わせ
16.呼応する声、湧きあがりたり、十と一年、仰ぎて涙
17.京の都の円山(まるやま)様が、快挙、快挙と芦雪(ろせつ)を遣(や)り
18.水は山越し一雨(いちぶり)の谷、筆は変幻、妖しく走る。
19.ここに護法の守りは固く、寺の礎(いしずえ)永久(とわ)にと願う。
20.夏とはいえども霜雪(しもゆき)やまず、天保の飢饉も乗り越え候。
21.されど南崖(なんがい)、雨風荒く、時に阿修羅の狂うがごとく
22.頃はあけぼの、幕末近く、瓦礫(がれき)数えてひれ伏すばかり
23..村の住職 陽冥(ようめい)和尚、徳望篤くて人よく慕う。
24.檀家一同、膝寄せ合って、またも本堂を引き起こしたり
25.時は近代、明治に至り、法灯絶えず、人よく慕う。
26.のちに山門、石垣成って、衆知を集め心は和む。
27.ときの棟梁、風対策に、五寸押さえて知恵しぼる。
28.晴れて菩提寺、朝日を受けて、田舎なれども、いと誇らしや
29.安め給いし御仏(みほとけ)様よ。安め給いしご先祖様よ。-----終わり

ということで、まったくの防災伝承の歌詞ですね。これを知った時は小生も驚きました。無量寺はふるくは高富のあたりにあって、それが袋に移転し、これが津波で壊滅し、現在の位置に定まったとのこと。ただし、南海トラフの大地震、大津波が来れば、今の位置でも無事とは言えますまい。
その時には生き残った人々の手で、この盆踊り歌の三十番の歌詞が作られるのでしょうか? ではまた、ご健勝を祈ります。

_ KIKUO ― 2019年09月08日 21時52分19秒

零水クシー9さんカキコありがとうございます。
盆踊りの歌の歌詞は私も全くわかりませんでしたが、これではっきりしました。ありがとうございます。
寺を津波で流され今の位置に建立したのは知っていましたが、それからも台風やら災害に遭ったことがよくわかりました。
「田舎なれどもいと誇らしや」というところは涙ですね。
30番は作られてほしくないですね。
無量寺もいろいろもめていましたが、やっと落ち着いたようです。
私の同級生たちが頑張ったようです。

まだ熊野の古い写真が出てきますので是非またおいでください。
ありがとうございました。
歌詞をわたしのホームページの無量寺のページに入れたいと思います。
http://www.asahi-net.or.jp/~pf8k-mtmt/kodoh/kodoh/ooheji/ooheji/oheji20.html

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