即位のパレードを見ながら思った。2019年11月11日 14時04分03秒

天皇陛下即位パレードを録画で見た。

威厳があって、車もバイクもよかった。
あのサイドカーほしいね。
あれで街中を走ったら目立つだろうね。
センチュリーの改造車もよかった。あれって幌はあるのだろうか。
座席を見ているとなさそうだがうまいこと出てくるのかわからない。

パレードを見ていていずれ愛子さんが天皇になったらおもしろいなと、思った。

確かに天皇家は女性ばかりになってきたけれど、イギリスなども女王としていい仕事をしている。

日本もそうなってもいいのではないかと思う。
NHKの調査でも74%が賛成している。

確かに愛子様が民間人と結婚した場合、名字の問題が出てくるが、今の世の中特に問題はないと思う。
これだけ皇族が少なくなっているとき何らかの措置を講じる必要があるのではないか。

宮内庁のおえら方は頭の固そうな人たちばかりだから。
権威や格式を大事にしたいのだろうけどね。

パレードをみた会社の同僚が、
「おい雅子さんってきれいやね」
と言ってきた。

同感。

写真は、山田ダムのごみがダム排水溝に行かないためのフロートだがそのどれもに草が生え茂っている。
なかなか面白くてカシャ!
粋な景色になっている。

落書きアート2019年11月12日 12時55分15秒

家で購読しているる新聞の新聞小説のカットが落書きアートである。
毎日場所が変わっているが写真に撮ってカットにしている。
物語と関係ないので、少し邪道かなとは思うがいろいろあって面白い。

私もいい落書きがあればその都度撮っているが、普通のどこにでもある落書きは意味不明のが多い。
中にはこれは素晴らしいというのもあるがそういうのはまれである。
都会ではこんなところにどんなにして書いたのだろうか、というのがある。
普通の態勢ではまず描きに行けないところにきっちり書いている。
そういう難しいところに描くのも楽しみの一つなんだろうか。

なんとなく落書きアーチストのネットワークがあり、難しいところに書いたり、閉店したお店などの情報を交換しているのではないかと思ってしまう。

パチンコ屋など閉店したら格好の餌食であっという間に落書きだらけとなる。

写真は通勤ルートにある落書きである。
文字はなんて書いてあるかわからないし、絵も単純である。
文字だけのわけもわからないものよりは悪くはない。

私はシャッター通りになっている商店街など自由に描かせたら、ラッカーを塗る手間が省けていいのではないかと思う。
描けと言われれば委縮してしまいそうだが、グレードの高いものを描いてくれたら落書きアート商店街として有名になるのではないかと思う。

これから今まで以上に落書きアートに注目して街を歩きたくなった。




お月さまが撮れなかった2019年11月13日 22時24分26秒

1978年10月天王寺動物園
香港がますます大変になっている。
日本でも何十年か前にあった。

あの混乱状態というのは、なにかもっと衝撃的なことが起きるか、もしくはどちらかが折れるかしないと収まらない。
もっと整然とデモがやれていたらよかったがそうはいかないのが世の常で、今のままだと行くところまでいきそう。

どちらもハイになってしまっているから収まらないだろうな。
しかしあの至近距離で実弾を発砲するとは、ちょっと信じられないけどね。何とか着地点を見つけて収まってほしいね。

今夜歯医者に行って帰るときいい月が出ていた。
これは撮らねばと食事の後一息ついてカメラをセットしたが、持ち出したとたんに雨が降ってきた。
月のある所は申し訳のように明るくなっているが、あれだけこうこうと輝いていた月はもう見えなかった。
300㎜にテレプラスを付けて構えたのだが空振りに終わった。
残念。

歯医者では1時間半くらい椅子の上だった。
自分の人生の中でいくつかの反省があるが、歯のケアが悪かったこともその一つである。

写真は1978年天王寺公園でのスナップ。
本当は今夜のお月様をアップしたかった。

車がまた新しい時代を迎える?2019年11月14日 22時29分50秒

1000ccでターボチャージャーを積んだ車が欲しいと思っていた。
スズキのクロスビーしかなかったが、今度トヨタからライズというのが出た。
これなかなかいいなー。
久しぶりに乗りたい車が出てきた。
ついこの間出たRAV4もいいのはいいのだが大きすぎる。
ライズがちょうどいいかなと思う。
フロントマスクも迫力があっていい。
ホイールベースも結構長い。乗り心地はよさそうである。
荷室も結構広い。
この車は売れるだろうね。
1000ccターボというところがいい。
加速もよさそうである。

私が初めて整備したのがトヨタパブリカだった。
エンジンは水平対向の空冷2気筒だった。
軽くて整備のしやすいエンジンで、一人で簡単に下ろせた。
しかし雨には弱く(当時はどの車もそうだったが)
ハンドルシミのある車が多かった。
このとき18だったから、もう50年以上たった。
50年たって自動運転やら電気自動車やらやたら機能が増え、そしてとうとう空を飛ぶ時代になってきた。

昨日は雨が降ってきて撮れなかったお月さんを撮った。
こうこうと輝いていたが少し影が出てきている。
明日は晴れるだろう。

寒さが増してきた2019年11月15日 22時21分12秒

寒さが身に染みる時期になってきた。

コートを着ている人も増えてきた。
しかしまだ本格的に寒くなっていないので、私はまだコートは着ない。

電車でマスクをしている人も増えてきた。
私はくしゃみと鼻水でこの2,3日つらかった。
熱もなく頭も正常なので風邪ではないと思うのだが、ほかに思い当たることもない。
花粉症かもしれないが心当たりもない。

巷では今年もすでにインフルエンザが流行りだしたというが、あまりはやらないでほしいね。

アマゾンの密林がだいぶ焼けたが、その後どうなったのだろうか。
また妙な病原菌が飛び出してこないか、心配である。

写真は1978年11月の宇久井海岸。
2匹の牛を散歩に連れ出したのはいいが、主は寝てしまっている。牛二頭は自由に遊んでいる。
当時のこんなユルクてのんびりした風景が好きだなー。
なんとなく豊かな気分になる。

久しぶりのCB400SS2019年11月16日 21時27分08秒

休みだというのに歯医者がよい。
今日は久しぶりにCB400SSで走った。

歯医者の椅子の上で2時間近くいろいろいじってもらった。
まな板の上の鯉ではないが、なすがままである。
治療の間、バイクの話をした。
先生もバイク大好き人間なので、話が弾んだ。
「今度クロスカブを買いました。黄色のです」
「ほう、あれはわしも欲しかったんや。今2サイクルで昔のモペットみたいなのが出てるけどあれもええな」
「自転車にエンジンがついたみたいなのですか?」
「そうやペダルを踏んでエンジンをかけたやつや。20kmしか出ないけど足代わりにええ」
などといろいろ話をしながら治療を受けた。

早く終われば釣りに行こうと思いフルセットを積んできたが、治療に時間がかかりすぎた。

しかし予定していた通りに、とりあえず田井ノ瀬のサッカーグラウンドの東に乗り込み、コーヒータイムをした。
湯の沸く間に一応ルアーをセットし、投げてみたが魚の気配が全くなし。
今頃は雑魚やアユが泳いでいるがそれも全然なし。
カンパンをかじりながらコーヒーをすすりつつ川面を眺めていたが、やはり魚の気配はなかった。
コーヒータイムを終えた後、ちょっと投げて納竿。
反対側の岸辺では、ヘラ釣りの人が並んで釣っていた。

CB400SS

並木の銀杏も少し色づいてきている。

CB400SS

この朝顔?は一年中咲く。

CB400SS

本町駐車場をつぶしているが、そこに書かれている落書き。

CB400SS

天気が良かったのでバイクもきれいに見える。

CB400SS

コーヒータイム。

CB400SS

楊柳山から転軸山へ2019年11月17日 21時43分27秒

先々週に引き続き高野三山のうちの楊柳山から転軸山をトレッキングすることにした。

奥の院の前の駐車場に車を置き(今日は比較的早く着いたのでまだ駐車場は空いていた)10時30分に歩き出した。

前回磨尼山から降りてきた三本杉から、今日は登った。

11時に登りを開始した。
11時30分に最初の休憩をとった。
長々と続く山坂道を登った。

距離はそれほど遠くないのだが急坂で、時間がかかった。
12時ジャストに楊柳山への道についた。
そこから摩尼山のほうに200mほど戻ったところに、楊柳山はある。
案内板には200mと書いていたが実際に歩くと200m以上あったような、気がする。
歩きにくい登りの道が続いたから結構きつかったからかもしれない。

12時15分に楊柳山頂上に到着した。

中年を少し過ぎた夫婦連れが頂上にいた。

「わあよかった人に出会えた」
「誰も登ってこなかったですか?」
「あなた方が今日初めて出会う登山者です」
「先々週は6人に出会いました。そのうち4人は外人さんでしたが」
「あまり人に出会わないと道が間違っているのではないかと思います」
「ですよね」
「昼食を食べられるような広いところはありますか?」
「ハイもう少し行くと子継峠があります」

それを聞くと二人連れは立ち去った。

昼食をとり、再び歩きだしたのは12時50分だった。
同じ道を引き返したが登りがきつい坂道は下りもきつい。

子継峠には50分かかって13時40分についた。
ここは黒河道と合流するところである。
黒河道は世界遺産の道である。
そこから40分ほどで転軸山登り口についた。
ここも結構きつい坂道が続き、案内板の距離より長く感じた。

転軸山頂上を15時7分に森林公園に向けて出発した。
森林公園に15時30分に着き公園のトイレでトイレ休憩した。

公園を15時40分に出た。
そこから奥の院参道までの道が定かでないので、3人ほどに行く道を聞きながら歩いた。参道までの道は昔アイススケートをしに来たスキー場を通り抜ける。

途中由緒正しい感じの石塔のある前を通り抜け、奥の院参道に着いたのは16時であった。

そこから駐車場はほど近く、16時5分に無事到着した。
結構長いアップダウンがあり、山はそんなに高くはないが、きつい歩きであった。
日ごろの運動不足もあるかもしれない。

高野山 楊柳山、転軸山登山

ライダージャケットもバイクも黄色のおじさん。
私のクロスカブも黄色で統一しようと思っている。

高野山 楊柳山、転軸山登山

記念撮影している横のいた外人さん。

高野山 楊柳山、転軸山登山

高野山 楊柳山、転軸山登山

今日はここから登り始めた。

高野山 楊柳山、転軸山登山

高野山 楊柳山、転軸山登山

楊柳山頂の三角点。

高野山 楊柳山、転軸山登山

楊柳山の頂上にあった祠。

高野山 楊柳山、転軸山登山

高野山 楊柳山、転軸山登山

子継峠が見えてきた。

高野山 楊柳山、転軸山登山

黒河道は世界遺産である。

高野山 楊柳山、転軸山登山

高野山 楊柳山、転軸山登山

高野山 楊柳山、転軸山登山

高野山 楊柳山、転軸山登山

木の切り株に根を下ろしている杉。

高野山 楊柳山、転軸山登山

転軸山入口。

高野山 楊柳山、転軸山登山

木の根っこが飛び出している。

高野山 楊柳山、転軸山登山

山頂の祠。

高野山 楊柳山、転軸山登山

森林公園。

高野山 楊柳山、転軸山登山

カモがいた。

高野山 楊柳山、転軸山登山

高野山 楊柳山、転軸山登山

途中にあった5輪の塔

高野山 楊柳山、転軸山登山

高野山 楊柳山、転軸山登山

今日もなかなかキノコには出会えなかった。

川について2019年11月18日 21時59分49秒

紀の川と貴志川の合流点で何やら工事をしている。
もう長いことやっているが、まだ終わりそうにない。
毎朝ダンプの何台ものコンボイと一緒になる。

流れを修正しているのだろうか?
深いところと浅いところを平らにならしているのだろうか?
だとしたら一雨きついのが来て大水が出ると、元の木阿弥である。

役人の皆さんは川で遊んだことのない人たちが多いと聞くが、川のいいところを知らずに、コンクリートで囲っていないだろうか。

今年の度重なる水害も人災だと聞く。
治水ダムの効果も大したことはないと口をそろえて言っている。
川の危険を知らないままに宅地化し、遊水地をつぶして、支流の流れ込みをせき止めれば洪水になるのは理の当然である。

ブログでも何回も書いているが、日本の川の土手はコンクリートになってしまいますます生き物の住みにくい川になる。

紀の川ももうこれ以上壊されたくないのだが、今回の工事でどうなるか工事が完了したら見てみたい。

写真は1978年11月天王寺動物園のヒツジクン。
哲学者みたいな顔をしてこちらを覗いている。

ディパックのことなど2019年11月19日 23時10分08秒

ふた昔ほど前、出張にディパックを持って出かけたが、一緒に行った同僚にカバンが悪いとなじられた。
「山に行くんと違うデー」
その時は、
「そーかなー」
とは思ったが両手の空く便利さのほうが先に立ってそのまま背負い続けた。
時代は変わって、今、通勤でディパックを背負ったビジネスマンが増えた。
10人いたら7人くらいはディパックである。

スタイルもいろいろ出てきて、いかにもリュックサックというのではなく、高級感のあるのもよく背負っている。
人の担いでいるのを見て今度はあんなのにしようかなと思ったりしている。

12年間大阪に通ってもう6つほどつぶしたり、不便だったりで、とっかえひっかえした。

中にパソコンやカメラを入れる関係で、結構重くなり、ハードな使い方となる。
やわいものだとすぐ背負いベルトが切れてきた。
メーカーによって強さに差がある。

今担いでいるのは、オークションで買ったが、新品でめちゃ安だった。

ところが使い始めて気が付いたのだが、バックルが逆についている。
これはどうやら製造工程でつけ間違え、それをもったいないので売りにだした感じである。
ふつうは背負いベルトを締めるとき下に引くが私のは上に引っ張らないとしまらない。
下げるのに特段不便はないので使っているが、ベルトがすぐ緩んでくる。

それやこれやでまたまたオークションでいいのを探しているこの頃である。

写真は1974年の通勤電車の中であるが、今ならこのうちのほぼ全員がスマホをいじっている。

本格的に寒くなってきた2019年11月20日 18時07分46秒

今日会議の後昼食をしたが、上司が若いころ串本にいたということで話が弾んだ。

魚がいくらでも捕れたことや竿で魚を釣らず、ヤス(串本ではチョッキといった)で突い
たり、タコやクエなどを釣った話をした。
私の中学生から高校の間に串本に来ていたということで、串本のいい時代の最後にいたのかもしれない。
そのころ道ですれ違ったかわからないねと言って笑いあった。

そういえば最近は魚もいい話がない。

ただし、今日、ラインで日高の沖で130㎝のクエを釣ったと書き込みがあった。
これを一人で上げたとなるとすごい。130㎝のクエだとかなり格闘したのではないかと思う。

友人は周参見の港でクエらしきものをかけたのだが、竿が見事に折れてしまい逃がしたという。それから病みつきになってかなり通ったといっていた。

それほどに紀南の海は楽しいところだったのだが、今は「魚が減った」というさみしい話ばかりである。

ダムができ、埋め立てがあちこちやられて、生態系が変わりおかしくなった気がする。
話の中で震災で津波が来た東北の海岸で、高い堤防を延々と築いている話にも及んだが、もしそんな堤防を串本に作られたら耐えられないだろうと思う。

昨日も書いたが、自然を知らない人が防災構想を考えるとろくなことがない。
串本も埋め立てをしてからろくなことがない。

写真は1990年11月の大島街角である。
ゆるい空気が何とも言えずいい。

大島

大島

大島


大島