すっきりしない天気だった。2020年11月13日 19時33分42秒

朝から定期検診に行ってきた。
途中雨がぱらついたがすぐやんだ。
病院はいつもながら満員であった。無論マスクはしている。

先日参拝した名手八幡神社である。ここは何度がきたことがあるのだが熊野古道のコンテンツとして追加したいのでもう一度見たいと思い、見に行った。

名手八幡神社は、丹生津比売大神が降臨し聖地であり古来から産土神として御奉斎されているという。

神功皇后が三韓征伐(新羅、高麗、百済の三国)の後、筑紫(現、福岡県)より御顗旋の途中、ここを訪れ、筑紫の蚊田(現、福岡県糟屋郡宇見町)で授けられた後の第十五代応神天皇の生誕を報告したとある。

その縁で誉牟田別命(第十五代応神天皇)を主祭神としてしている。

大鳥居の扁額に「八幡神社」と有るが、この額は慶安元年(1648年)子年紀州徳川家初代藩候徳川頼宣侯より奉納されたものであるという。

当神社は皇族方が熊野詣等御行幸啓の折、神功皇后がここに宿泊した古事に依り、御旅所として定められ、第七十七代後白河法皇、第八十二代後鳥羽上皇、第九十六代後醍醐天皇の行幸が有ったという。

熊野古道の旅の途中で宿泊したのである。
南北朝時代後醍醐天皇(1316~1339)が吉野(奈良県)に朝廷を開かれた折も行幸した。

今は絶へて久しいが、祭礼6月晦日には能の奉納が有り、役者は和州天の川(現、奈良県吉野郡天川)より来たり、8月15日には流鏑馬が有り馬数は大抵百騎であったと伝へられている。

流鏑馬にたくさんの馬がきていたと言うが見てみたかった。
今は中学校になっているが、当時は100頭で流鏑馬ができるほどの広さがあったのだ。またお能がかかったりしたと言うが文化度は昔の方が高かった気がする。

調べれば調べるほど和歌山は面白いところである。

名手八幡神社

名手八幡神社

徳川頼宣が書いたという扁額。

名手八幡神社

名手八幡神社

名手八幡神社

名手八幡神社

残念なことに檜皮葺きの屋根を守るためだと思うが、神殿の上に屋根があることで点数がだいぶ下がってしまう。

名手八幡神社

名手八幡神社

安高稲荷大明神とある。

名手八幡神社

歴史ある証に木々が大きい。

名手八幡神社

ここの灯籠は元の石の上を木の火屋を作っている。

名手八幡神社

本来の参道だろうがここを歩いて参拝するのは少し危険な気がする。

名手八幡神社

龍王神社もある。