今朝は8度あった。2021年03月01日 21時10分14秒

今朝は8度あった。
しめしめこれはカブちゃんに乗れると思ったが、風が強くパスした。

それでも鳥が呼んでいるような気がして、走った。
いつもの河原に行こうと思ったが、もう一度粉河ハイランドパークに行きたくなり、山を登った。
この道は結構高いので往復に時間がかかり道もくねくねと曲がっているので走りにくいのである。下から私と同じカブCC110が登っていった。
この道は、車がドリフト走行をしているらしく、道路のアスファルトはタイヤ痕がいっぱいあり、看板で「ドリフト走行は危険です」とか書いて注意を促している。

そんな道である。

葛城山下に行くと、今日も一人カメラを構えていた。
しかしこの前のよう鳥は賑やかに飛び回っていなかった。
その人は私が着いて間もなく、引き上げていった。

カブのお兄さんが先に着いて神社かどこかを散策に行ったのかいなかった。
かなり部品を追加していたのでカシャ!
ベトナムキャリアはかなり有効そうである。


色は違うが同じバイクである。ベトナムキャリアとアンダーガードのパイプをつけているところが違う。私がカブできていたら黄色と緑のカブがそろい踏みしていたのにと少し残念。今度は私もカブで来よう。


今日は先日と違い割と遠くまで見渡せたので、展望台に登った。


関空連絡橋がよく見えた。


あべのハルカスも見えた。


これは和歌山の方か。


そして鳥君達だが、この鳥は何というのかわからないが図鑑で見る限り、ミソサザイに似ている。



これはヤマガラ。ドングリやヒマワリを食べるとき、両足で挟んでくちばしで割って食べるそうである。秋になると木の実を樹皮や土の中に埋め、冬の間に食料にとって置く「貯食」という習性もあるらしい。人に良くなれるので昔は飼い鳥として人気があったという。


今朝は12度もあったが、雨のせいで寒かった。2021年03月02日 19時16分54秒

今朝は12度だった。
めちゃ暖かいが、それは寒暖計の気温であって体感温度はまだ冬である。

雨が降っていた。

それにしてもこれが文明国の政府かという事態が続く。
Y広報官が病気入院するのはなんとなくわかっていた感じで、任命責任はAさんから引き続きだからいやになる。
せっかく女性のキャリアを上げる大事な人なのに残念だが、テレビの報道を見てもこれまでの悪しき慣習の枠を超えていないところが今回のドタバタ劇に繋がったのだろうね。

季節は春が近いが、某国は冬のままだね。
庭や野山はもう春の花が咲き出した。


桜の木の皮を剥ぐとカメムシがいた。紀ノ川の下で冬を越したのだろうか。


山でとってきた草花も綺麗な花を咲かせた。


これは植えていた花だが庭一面に咲いている。


庭のラッパ水仙も咲き出した。晴れた日にじっくり撮ってやろう。 


モモのつぼみはまだ堅い。


タンポポは綺麗に咲きだした。

今日は一日風が強かった2021年03月03日 20時57分23秒

今朝は気温は6度と結構高かったが、風が強かった。
メジロ君達も来ないかなと思ったがやってきた。

それでもこの風、東の方ではいろいろ被害があったようである。
そういえば今日はひな祭りの日である。
段数の多いおひな様を飾った記憶がないので、なんともいえないが今日は淡嶋神社でヒナ流しが行われたようである。
毎年たくさんのおひな様が焼かれるが、

  雛の間にとられてくらきほとけかな
         暁台「暁台句集」

何部屋もあった昔の家で仏様そっちのけで、おひな様が飾られている景色が目に浮かぶが、最近はそういう余裕もない家が多いね。
ましてこのコロナの時代おひな様どころじゃないだろう。

もう今の子供は(私も含めて)おひな様の並ぶ順番も知らないだろうね。
しかし今の時代知らなくてもいい、ググればすぐ出てくる。
私もやってみたがすぐに出た。
これはすごい。
頭の中が空っぽでもネットワークで情報を探すことができる。
それでもそうして得た情報はすぐ消えてしまいそうである。
軽い。


風が強くてメジロ君の服もめくれあがった。
「オーモーレツ」というコマシャルを思い出した。



ヒヨドリさんの服もめくれあがった。





何年か前に撮った淡嶋神社の棄てられた人形。
俳句ではかなり妖艶な句もあるが、なかなか色気のある人形である。


今朝は天気予報通り4度だった。2021年03月04日 18時35分25秒

朝から暖かかった。
それでも気温は4度だった。
気温そのものは低いのだが、なんとなく暖かく感じる。
もう春がはじまって感じである。

この頃は鳥を撮らないと胸のモヤモヤが晴れない。
このモヤモヤ感は、写真をしたものにとってはよくわかると思う。
魚釣ができないのと同じである。
とにかく行かなくてはおさまらなくなってきた。


ムクドリかな。仲良く並んでいた。繁殖の準備をしているのだろうか。
この鳥は繁殖が終わる6月頃から「夏ねぐら」という最大で数万羽にもなる大規模なねぐらを作る。最近は街中にねぐらを作るので、鳴き声やフンが問題になっている。
このムクドリの寝床の下に車を置くと、悲劇が待っている。


ツグミ君。ほんの5mほどの所まで来てくれた。



ハクセキレイ。この鳥はじっとしていないので撮りにくい。


団地の集会所のヒカンザクラである。満開。



昼からはノスリやミサゴを待ったが来なかった。
相変わらずツグミが多い。キジも飛んでいたがカメラをセットしていず写真に撮れなかった。




草木もだいぶ緑になってきている。ホウジロ君だね。


この鳥は結構見る。
これからよくさえずり出すと思う。
ホウジロは、「一筆啓上仕り候」や「源平ツツジ白ツツジ」「札幌ラーメン味噌ラーメン」などとさえずるらしい。
今年は注意して聞くことにする。

朝から雨。でも暖かくなってきた。2021年03月05日 19時22分39秒

今朝は雨。気温は10度だった。
一雨ごとに春が深くなる。
庭の花も綺麗に咲きだした。

大根の使った後の首を瓶に入れておくとぐんぐん伸びて花が咲いた。
菜の花の黄色もいいが大根の花の白もいい。
庭の花も咲き出して賑やかになってきた。
今日はレンズテストを兼ねて花を少し。





そして夕方ウォーキングの時、行きしなにウグイスが鳴いていた。
近くの薬屋に立ち寄り、再び貴志川の土手を歩いたが、ウグイスはまださえずっていた。
このウグイスを撮りたかった。
それで水路にある階段に腰掛け、コーヒーを飲み待つことにした。
飲み終わらないうちに、ウグイスが目の前で鳴き出した。
これはこれはと思いカシャカシャ!
ウグイスは数年前から狙っていたが昨年鳴くウグイスをなんとか押さえたが、そのときの経験から待っていると回ってくるという確信があった。
そしてウグイスは目の前に来た。
特にキレイという鳥ではないが、あの小さな体で繁殖期には「ホーホケキョ」と鳴くのである。
普段は藪の中でいるのでなかなか写真には撮れないが今日はラッキーであった。


ウグイス

ウグイス

ウグイス

ウグイス

台風並みの風が吹いて寒かった2021年03月06日 21時33分45秒

今朝は10度を少し超していた。
結構暖かい朝であった。
ところが風が強くなってきてそれとともに寒さも増してきた。
ちょっとした台風並みの風であった。
曇っていたのでなおさらに寒さを感じた。
今日は歩きに行かなかったしどこにも行かなかった。
おかげでまた写真が少し整理できた。

写真の整理をしていて思うのだが、昔の白黒のほうがリアリティがある気がしてきた。
デジタルにはない味があるがこの味は何だろうと思った。
それは不要な情報がないということである。
デジタル写真は白黒でも写りすぎてしまうが、銀塩写真は暗いところは潰れてしまっている。このつぶれというのが味が出る元かなと、思った。

トーンの潰れ具合でレンズの善し悪しを議論したが、今のレンズは写りすぎる。
またOEM製品が多いのでどのレンズも似たような描写をする。
世の中進んでいいのか悪いのか。

まだフィルムが残っているので銀塩カメラで撮ってみようかな。


今日も風が強かったがメジロ君達は来てくれた。


この甘い方のミカンにヒヨドリさんもメジロ君も好きらしく、こちらを食べた。
この箱の中は野鳥の餌なのだが誰もやってこない。


食べているところばかりでは面白くないので少しアップにしてみた。なんか憂えている感じが出ているだろうか。
それにしても来るのはメスばかりでオスがなかなか来ない。
何年か前にはオスばかりが来たのだが・・


はっきりしない一日だった。2021年03月07日 20時18分52秒

今朝も6度を超していたが、まだ風が強く、日が気持ちよくささなかったので気温はそれほど上がらなかった。

メジロ君達は元気に松本食堂(レストランにしていたけどどう見てもレストランに見えないというクレームがあり「食堂」にした)に立ち寄ってくれる。
しかしそのほかの鳥はなかなか来てくれない。
この箱の中には雑穀があり結構美味しいと思うのだが、やってこない。
しかしこの頃は「鳥目」になってきて小さな動きも見逃さなくなった。
先に鳥君達を見つければ写真が撮れる。
とは言っても写真に撮れるのは1割あればいい方でほとんどが逃げられる。
こうして食堂を開店している間来てくれて写真を撮らせてくれるというのはありがたい。

メジロ君

この木の箱の中には雑穀があるのが、ほかの鳥はなかなか来てくれない。
コロナで自粛しているのかな。当食堂は開いて待っているけどね。

メジロ君

メジロ君


イソヒヨ君。今は巣作りのための婚活をしているので忙しいかも。



この写真の中に5羽の小鳥君がいるのだがわかるだろうか。家に帰って調べたらカシラダカという鳥だった。こういうのを見つける「鳥目」が少しは発達しているかもしれない。



土手も少しずつ春めいてきた。

朝から雨だった。2021年03月08日 20時15分48秒

今朝は8度あった。
雨が降っていて昼からはやんでいたが、気温は昨日と同じくあまり上がらなかった。
メジロ君もあまり来なかった。

ネットでyahooの記事を見ていたら小沢氏が「自民党のスローガン『国民のために働く』。この上に『一握りの』をつけ加えないと正しくない」と投稿したとある。
「総理や自民党政権と親しい、ほんの一握りの国民だけが利益を得る国へ。そんな国になってしまった。五輪前に世界中に恥を晒している。全ては選挙の結果。国民は選挙で未来を選べる」と選挙で投票することの重要性を訴えた。

私もポスターのキャッチコピーで『国民のために働く』というコピーにはずっと違和感を抱いていた。全然やってくれないじゃん、と思っていた。
小沢氏のいうとおり、今のままではほんの一握りのものしか恩恵を得られず、またややこしい話がいろいろ議論されている。
私が願うのは、国のトップは国民に選ばせてほしいということである。
今のままでは依然として、なあなあ忖度の枠を超えない。
官僚の在任中の悪さを糾弾しないで「もう退任したから呼べない」とは何事か。
国民を馬鹿にしている。国会答弁を見ていても野党の質問を真剣に聞いていないね。

平池

写真は平池。寒いのかほとんどの鴨君達は首を羽の中に入れていた。

平池

平池

平池

平池

平池

グー。パー。

平池

平池

クロちゃんはパンをもらっていた。まだほしそうに私の方に歩いてきた。


平池

咲いていた花。


おじさんには意味不明の柱。

一気に暖かくなってきた。2021年03月09日 22時33分25秒

今朝は4度だった。
しかし感じとしてはもっと暖かかった。
気温もぐんぐん上がり昼には15度を超えていた。
今日昼前少しウォーキングをしたがダウンのコートを脱いだ。
それほどの暖かさだった。

鳥もどんどん出てきてモデルになってくれた。
特にうれしかったのはノスリの写真が撮れたことである。
ミサゴやノスリはどうしても撮りたい鳥であったが今日、きちんと撮ることができた。
羽ばたきが違うなと思っていたら鳥を待っていたところの柱に止まってくれた。
しばしお見合い。
それでも逃げなかった。
カシャカシャ!

昼からかつらぎ町の笠田公民館佐野分館に佐野寺の展覧会に行ってきた。
佐野寺は「さのじ」とばかり思っていたが、「さやじ」というのを初めて知ったがそのいわれも知った。
展示室の隣で、瓦などの拓本をとる研修をしていたので私は軒丸瓦を写した。
学芸員さんが「難しいですよ」というので優しい方を出してくれたが、こういうことは得意なので難しい方を選んだ。
まずまずのできではなかったかと思う。


相も変わらずミカンを食べに来たヒヨドリさん。


これはムクドリ君。


ケリ君。


ツグミ君。


ホウジロ君。


感じとしてカワアイサ君かな。


そしてノスリ君。





イソヒヨ君。


キジバト君のカップルかな。


佐野寺の発掘調査で出た軒丸瓦。


発掘された須恵器。


そして私が写した軒丸瓦。
もらってきた。
佐野寺についてはもう少し調べてホームページにしたいと思う。

今日は国宝巡り2021年03月10日 20時47分32秒

朝は8度あった。
だいぶ暖かくなってきた。風が強かったが暖かさのおかげでそれほど寒くはなかった。


ミカンにイソヒヨ君が来た。


風が強いのでヒヨドリさんの服が乱れている。
今日はスズメ君が顔を出してくれたが、逃げられては困るのでリモコンコードをつけて撮った。狙っていたところに来ず、顔だけになった。


暖かくなってきたので、寺社巡りを再開した。和歌山にもいい寺院がたくさんあるのでまず国宝や重要文化財を見て回ることにした。

善福院

善福院は健保2年(1214)栄西禅師によって創設されたといわれる。
広福寺五ヶ院の一つという。
広福禅寺は古くは七堂伽藍を備えていたが、大旦那の加茂氏の没落にともない荒廃したという。
その後、高野山に頼り真言宗に転宗し伽藍を修復し、更に紀州藩となってからは天台宗に転宗した。
現在は善福院だけとなっていて釈迦堂の本尊釈迦如来坐像の胎内の修理銘に嘉暦2年(1327)とあることからこの頃の再建とされている。

桁行三間梁間三間、一重裳階附き寄棟造り、本瓦葺の二重仏殿で、木割(材木の長さに対する太さ)が太くがっしりした感を与えている。また、床は瓦を敷いていた。
本瓦葺寄棟造、平行垂木など禅宗様式定着前の様式がよくあらわれている。

鎌倉時代後期の禅宗様式の典型的な建築として国宝に指定されており、鎌倉円覚寺舎利殿、山口功山寺仏殿などと共に有名だという。

住所は、海南市下津町梅田271番地である。

善福院

禅寺だったので、軒丸瓦は「禅福寺」となっている。

この善福院には、裳階がある。
裳階(もこし)は、仏堂、塔、天守等で、軒下壁面に付いた庇状構造物で、元来は風雨から構造物を保護するために付けられたもの。
構造は本屋より簡素であり、建物を実際より多層に見せることで外観の優美さを際立たせる効果があるため、特に寺院建築で好んで利用されたという。
代表的な建築物としては、法隆寺(金堂、五重塔)、 薬師寺(金堂、大講堂、東塔、西塔) 東大寺(大仏殿)などがある。

善福院


床は瓦敷である。


三郷八幡神社は、浜中村、大崎村、塩津村と、加茂村の一部の総氏神として、近衛天皇の久安年間(1145~1151)浜中の莊、上村大森の地から元山の西尾へ移され、更に、後土御門天皇の文明年間(1469~1487)現在地に遷座したという。
春祭は、大投餅、秋の例大祭は、子供神輿渡御、浦安舞奉納、神火祭を行い、大いに賑わうそうである。

国指定重要文化財の本殿は、様式的には、室町末期の特徴をよく残し、蟇股や木鼻の浮立彫刻には、桃山前期様式の前駆がみられる。

現存の棟札によれば、安永年間及び文政年間の2回比較的大規模な修理を受けていることが分る。

最古の棟札には「永祿二季戌未六月吉日及び釿始六月十一日假殿御立六月七日外遷宮六月九日柱立六月二十七日」の記がある。
其の他、宝永・慶応の棟札が国指定重要文化財に指定されている。

八幡宮の額は、裏に「奉寄附八幡宮領掛、紀州海士郡三ケ村神前也、元祿十二己卯年九月朔日、從五位下水野志摩守 源重孟 敬白」と刻されている。
縁起書2巻は、元祿9年紀州藩主の代参として、從五位下水野志摩守が長保寺参詣の折、乗馬がいなないて急に進まなくなったので、不思議に思い、下馬して馬が向いた方角の山腹を見ると八幡神社があったので、神威のあらたかなのを感じ、寄付されたものという。

住所は、海南市下津町黒田269番地である。

三郷八幡神社

この杖を見て少しびびったが、それほどでもなかった。

三郷八幡神社

本殿。小さいが重厚。

三郷八幡神社

彩色がいい。

三郷八幡神社

三郷八幡神社

ここは桜の名所であるという。

三郷八幡神社

風が強かったので鳥居も揺れている。

三郷八幡神社

所々に偉人の言葉を書いた紙があった。これはスティーブ ジョブズのもの。