今日は国宝巡り2021年03月10日 20時47分32秒

朝は8度あった。
だいぶ暖かくなってきた。風が強かったが暖かさのおかげでそれほど寒くはなかった。


ミカンにイソヒヨ君が来た。


風が強いのでヒヨドリさんの服が乱れている。
今日はスズメ君が顔を出してくれたが、逃げられては困るのでリモコンコードをつけて撮った。狙っていたところに来ず、顔だけになった。


暖かくなってきたので、寺社巡りを再開した。和歌山にもいい寺院がたくさんあるのでまず国宝や重要文化財を見て回ることにした。

善福院

善福院は健保2年(1214)栄西禅師によって創設されたといわれる。
広福寺五ヶ院の一つという。
広福禅寺は古くは七堂伽藍を備えていたが、大旦那の加茂氏の没落にともない荒廃したという。
その後、高野山に頼り真言宗に転宗し伽藍を修復し、更に紀州藩となってからは天台宗に転宗した。
現在は善福院だけとなっていて釈迦堂の本尊釈迦如来坐像の胎内の修理銘に嘉暦2年(1327)とあることからこの頃の再建とされている。

桁行三間梁間三間、一重裳階附き寄棟造り、本瓦葺の二重仏殿で、木割(材木の長さに対する太さ)が太くがっしりした感を与えている。また、床は瓦を敷いていた。
本瓦葺寄棟造、平行垂木など禅宗様式定着前の様式がよくあらわれている。

鎌倉時代後期の禅宗様式の典型的な建築として国宝に指定されており、鎌倉円覚寺舎利殿、山口功山寺仏殿などと共に有名だという。

住所は、海南市下津町梅田271番地である。

善福院

禅寺だったので、軒丸瓦は「禅福寺」となっている。

この善福院には、裳階がある。
裳階(もこし)は、仏堂、塔、天守等で、軒下壁面に付いた庇状構造物で、元来は風雨から構造物を保護するために付けられたもの。
構造は本屋より簡素であり、建物を実際より多層に見せることで外観の優美さを際立たせる効果があるため、特に寺院建築で好んで利用されたという。
代表的な建築物としては、法隆寺(金堂、五重塔)、 薬師寺(金堂、大講堂、東塔、西塔) 東大寺(大仏殿)などがある。

善福院


床は瓦敷である。


三郷八幡神社は、浜中村、大崎村、塩津村と、加茂村の一部の総氏神として、近衛天皇の久安年間(1145~1151)浜中の莊、上村大森の地から元山の西尾へ移され、更に、後土御門天皇の文明年間(1469~1487)現在地に遷座したという。
春祭は、大投餅、秋の例大祭は、子供神輿渡御、浦安舞奉納、神火祭を行い、大いに賑わうそうである。

国指定重要文化財の本殿は、様式的には、室町末期の特徴をよく残し、蟇股や木鼻の浮立彫刻には、桃山前期様式の前駆がみられる。

現存の棟札によれば、安永年間及び文政年間の2回比較的大規模な修理を受けていることが分る。

最古の棟札には「永祿二季戌未六月吉日及び釿始六月十一日假殿御立六月七日外遷宮六月九日柱立六月二十七日」の記がある。
其の他、宝永・慶応の棟札が国指定重要文化財に指定されている。

八幡宮の額は、裏に「奉寄附八幡宮領掛、紀州海士郡三ケ村神前也、元祿十二己卯年九月朔日、從五位下水野志摩守 源重孟 敬白」と刻されている。
縁起書2巻は、元祿9年紀州藩主の代参として、從五位下水野志摩守が長保寺参詣の折、乗馬がいなないて急に進まなくなったので、不思議に思い、下馬して馬が向いた方角の山腹を見ると八幡神社があったので、神威のあらたかなのを感じ、寄付されたものという。

住所は、海南市下津町黒田269番地である。

三郷八幡神社

この杖を見て少しびびったが、それほどでもなかった。

三郷八幡神社

本殿。小さいが重厚。

三郷八幡神社

彩色がいい。

三郷八幡神社

三郷八幡神社

ここは桜の名所であるという。

三郷八幡神社

風が強かったので鳥居も揺れている。

三郷八幡神社

所々に偉人の言葉を書いた紙があった。これはスティーブ ジョブズのもの。