朝はそれほど暑くなかったが・・2022年06月27日 20時42分13秒

京都は車が多かった。26日は電車ばかりだった。
また京都国立近代美術館へも地下鉄を使った。
地下鉄で動くのも初めてなので乗り換えがどうかと地名とが合わなかった。
駅案内所で聞いてもすぐ忘れてしまい苦労する。
しかし何とか迷わずにいけたが地下鉄駅から目的地まで歩いたが、やっぱり歩くのは新しい発見があっていい。
歩き始めてすぐに三谷稲荷があった。
ネットで見ると創祀、由緒等は不明とう言うことであるが、燈明立てに猪目(ハート)が入り、隠れた恋愛スポットになっているとか。
それを知っていればもっと詳しく見るべきだった。

稲荷からすぐに竹中精麦所があった。
これはウキペディアで書いていた。

「この水路は琵琶湖疏水が明治23年に完成し、同年に水車用水使用申請第2号として明治24年に第1号・2号同時に許可された水路である。 1917年(大正6年)、竹中精麦所の竹中亀吉が4代目の所有者となり、精麦所の直径5m近い大水車を回すために用いられた。三条通からも臨めた水車の巨大さに、通称「水車の竹中」と呼ばれ親しまれていたという。商標は「司麦」を用いていた。琵琶湖疏水と白川の分水点下流近くに位置しているが、水の取り入れは白川ではなく琵琶湖疏水から直接行われている。

稼働していた当時は水量もあり、その水車動力を用いて精麦、精白の臼を24時間稼働でついていた。麦は精麦後俵詰めされ、卸す問屋も営んでおり、脚気予防に注目した陸軍省等も顧客としていた。工場からの積み出しは、初期には荷馬車、後期は三輪トラックが用いられた。

食料管理令の強化等を理由として1940年(昭和15年)に工場は閉鎖された。

往事、周辺の岡崎、夷川一帯には、同様の疎水を利用した水車及び水路は数多くあったが、ほぼ全て暗渠となり、原型をとどめる水車水路としては唯一のものとなっている。町工場による疏水の水力利用の歴史を伝えるものとして、産業遺跡としての保存運動が行われている。」

ということらしい。



釣りの仕掛けを作っていた人がいた。足元のたまりでジャコかフナが釣れるのだろうね。


いかにも京都らしい風景。お寿司屋さんと地蔵さんが同居している。


そして都市としての京都。地下鉄が思った以上に延びていた。
乗ってみないとわからない。


京都駅ビルは、東大卒の原広司さんの設計で、国際文化観光都市・京都の玄関口として、駅、ホテル、商業施設、文化施設、駐車場、広場を備えたターミナルビルとなっている。
京都駅ビルは「京都は歴史への門である」という設計主旨から、平安京の都市の特徴である条坊制(碁盤の目)を取り入れ、玄関口としての象徴である「門」を烏丸通と室町通に配している。
また、中央コンコースを谷に見立てた段丘を東西に延ばし、中央部はガラスと金属でカバーされたアトリウム。空を映し出した壮大な内部空間と空に溶け込む外観を作り出している。
かなり大きい建物だが人が一杯であった。大阪とは違う賑やかさがある。



そして京都タワー。これが出来て大分経つね。


今日はMLBの放送は朝早くからだったので、少し眠かったが5時にそのままテレビを見ていたがはじまってすぐ乱闘があった。
オオタニサンがどうするだろうかとみていたが、一応輪の中にはいっていた手手はださなかったし,手出しも来なかった。
ノーヒットだったが試合は勝った。

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