快晴のお正月。そして誕生日。 ― 2024年01月01日 19時28分09秒
快晴の正月。
元旦である。初日の出を見ることはなかった。
誕生日の初日の出を撮ろうかと思ったがやめた。
今日夕べの紅白歌合戦のダイジェストを見たけど、ダンス競技会場みたいだった。
出てくる歌手ほとんどがユニットで歌って踊っている。
そしてそれがSNS等で見られているらしい。
昔のように本当に合戦らしく、歌で見せ歌で締めくくってほしいね。
こんなことを思っている今年の誕生日。
昨年の正月は3499kmで今年が3747kmだから、カブちゃんは248kmしか乗っていない。もっと乗ってやらないといけない。
RAV4は昨年136103kmで今年は142126kmだから16023km。
貴志川へ2回ほど行ったのでこんなものかな。
こちらに来たときは前の小学校の周りの木々も緑だったけれど今は葉がない。
いつもながら夕焼けは綺麗だが、あるのは豆腐のような団地だけ。
乗り捨てられた自転車。
団地に居着いているニャンコ。私が腹をさすってやろうとしても寄ってこないが、この女性には猫自らおなかをさしだした。
スーパーで休憩していると地震がゆった。
大分長く揺れた。これの震源地は被害が多いぞとおもっていたらその後の放送は地震一色だった。
やはり電柱が倒れている。
Kさんも変な施策より、災害時のための無電柱化とか上下水道の2重化、そして孤立の無いよう災害時にはWIFIに切り替わるネットワーク作りを指示すればいいように思うけどね。
それの方が、あとあと名が残るしいい施策だった、と国民に喜ばれる気がする。
ミサイルよりそれの方がずっといい。
このまま行けばやはり日本は潰れる。
暖かな正月だが日本海側の人は悪夢だね。 ― 2024年01月02日 19時51分20秒
今日は暖かだったが日本海側の、特に能登半島周辺の人々はおとそ気分も吹っ飛んでしまっただろう。
朝になって被害が大きくなって来た。
今までわからなかったのが段々分かってきた。
昨日は津波のことを余り言わなかったが、朝ニュースで船がひっくり返っているのを見てやはり津波もきていたのかという思いであった。
そして今日は羽田で飛行機が燃えた。
どうしようもない。
今日はスーパーに買い物に行ったが、その近くに古墳と神社がある。
少し歩き足りないので足を延ばした。
「高御堂古墳」はスーパー近くにあり周辺が公園になっていた。
落ち葉があつく積もり歩きにくかった。
春日井市内唯一の前方後方墳で、墳長は約63mであるが盗掘を避けるためにコンクリで蓋をしていた。
年代は、壺型埴輪から4世紀前葉と推定され、市内では最も古い古墳の一つらしい。、川原石を多用して構築した特異な構造が確認されていて、石槨内部は未調査のため、副葬品等は不明ということである。
夕陽が綺麗であった。
そこから程なく「神明神社」がある。
「神明神社」は堀ノ内町の氏神様として古くからここに鎮座しているようである。
ここは堀ノ内町で、創建は不明。
祭神は天照大御神といわれ境内社には津島神社、天王社、牛頭天王 、須佐之男命、稲荷社、御嶽大神、廿二夜塔、山神などがあるがどれがどれかわからない。
本殿右には立派な鞘殿がある。
この神社の立地は北に内津川、南に庄内川が流れ、その間に神社が豊かな土壌を生かし古くから人が居住していたことは疑いない。
田畑が広がる農村地帯であったが、今は田畑は減少し周囲は住宅地に変貌。
よくよく考えれば、初詣である。
本殿右には立派な鞘殿がある。とにかく日が落ちてしまって、暗く、どの写真もブレていた。
車に帰ったときには真っ暗だった。
羽田の事故は、能登へ救援物資を届けようとする海保機とJAL機が接触したというが、双方に死人やけが人が出ているという。
やはり日本は潰れるかな。
曇りの朝。駐車場が濡れていた。 ― 2024年01月03日 22時56分57秒
今日はいい天気で暖かかった。 ― 2024年01月04日 20時03分15秒
今日は比較的暖かかった。
日本海側の家をなくした人には気の毒だがぬくぬくだった。
しかし災害国日本だから明日は我が身。
自分をどうして守るか普段からシミュレーションをしておかなければと思う。
ニュースを見る限りではやはり水と電気、そして食料が不足する。
これにどう対処するかを日頃から考えておかなくてはいけない。
車に最低限のものを積んでおくとか水を用意するとか方法はいろいろ考えられる。
連絡用のスマホも予備のバッテリがほしい。
食料も3日分くらいは確保しておかねばならない。
さてさて。
団地の正月の花。
これも別の棟の花。奴凧がいる。なかなかのセンス。
この左右の棟はエレベーターがない。道も坂道になっている。
ここを買いものをし、それをリュックに詰めたりカートをついいたり引っ張ったり歩いている。
テクテクをし長い距離歩いた後は、この坂が急に思う。
40年以上前の建物で当時は住んでいる人も若かったが高齢者が増えて来て私のようにヨチヨチ歩いている人が多い。
この坂を歩くのはつらいと思う。
そして5階に自分の足で上らなければいけない。これはこの団地だけではない。
考えなければいけない。
幸い、我が棟はエレベーターがある。
都会の夕暮れである。色気がない。鳥も虫もいない。
今日も暖かだった。小春日和。 ― 2024年01月05日 20時53分05秒
今日も朝は肌寒いが日が高くなるにつれ気温が上がってきた。
今日もバイクに乗らなかった。
カブちゃんは、まだ今年の初乗りはしていない。早く乗ってほしいとカバーがバタバタしている。明日は乗ってやろうかな。
古い写真を見ているとそのときの胸のときめきが伝わってくる。
以外と当時目にとまらなかった写真が出しゃばりいい味を出している。
そうか撮影者はシャッターを押しながらそんなことを考えていたのか(撮影者は私しかいないが・・・)と思えてくる。
特に白黒フィルムの時代は、つぎの月例はこう組もうと決めてシャターを押しているが、今もう一度見ると出品した作品以外にもいろいろ撮っていることが多い。
昔の写真を見ていると、当時目にとまらなかった写真の味の微妙なことを改めて知ることになる。だから写真をやめられない原因にもなるのかな?
篠山紀信さんが亡くなったが本も何冊か持っていたけど女性の写真が多かったね。
また一つの時代が終わったことを告げている。
写真は年代が少しづつ違うが、正月に撮ったものである。
朝から昼はいい天気だったけど昼から曇りがちに ― 2024年01月06日 20時43分42秒
雨のつもりだったがいい天気。風が強かった。 ― 2024年01月07日 19時36分22秒
今日は朝から雨が降ると思っていたら一日たいして降らなかった。
車のガラスに水滴がたまっていたが、濡れるほどは降らなかった。
よかった。
しかし風が強かった。
今日はお寺巡りを仕掛けたが、3か所ほど回っただけである。
どうしても行きたかったお寺がここ高蔵寺である。
駅名にもなっているが高蔵寺。
昔はこのあたり一帯が高蔵寺の境内だったことがわかる。
実はこの日(1月7日)は「高蔵福徳神大祭」があり、ここではおしるこの接待があった。
10の寺社が七福神と三徳神をまつりそれを巡拝するとスタンプを押してくれ粗品がもらえるというものだったが回れなかった。
お菓子はおでんの接待もあったがどちらかといえば子供をターゲットにしていた。
ここは薬師如来や毘沙門天をお祀りしている。
「知、仁、勇の福徳が授かります」だって。
他のお寺はまた別の日に。
朝雪が積もっていた。寒かった。 ― 2024年01月08日 18時48分22秒
朝から冬という感じのひであった。
雪が降って積もっていた。朝早くに車を出す必要のある人は解凍に困っていた。
そんな朝の始まりであった。
私の車の置くところは朝日が射し、もうフロントガラスの氷は溶けていた。
建物の陰になっている車が難儀していた。
雪が積もったのはこの冬2回目である。
3時過ぎにテクテクをしたがそのときは冬の青空が広がっていたが寒かった。
花が一杯咲いていたが、桜のようであった。
歩道橋からしたのみちを見たところだが6車線ある。
いつもここを通り行き来している。
テクテクから帰ったとき団地の前で男の人が倒れていた。
はじめは水道管が壊れたのかと思ったが、その男性はそこに倒れているのである。
同じ団地の同じフロアの男の人が救急車を呼ぼうとしたがらちがあかず、そうこうしているうちに、転けた男性が正気に戻り、動き出したので立つのをサポートしてあげた。
私自身も転びそうになるので心配だったが、スムーズに立ち上がらせることができた。
不思議なことにそのときはすっとサポートできたのである。
その男性は何度もお礼を言いながら自力で歩いて帰っていった。
帽子を拾ってあげ、そのとき「今度は杖をつきましょう」と声をかけたがそれには応えず「強い風が吹いたので転けた」といっていた。
買い物をした後らしくスーパーの大きな袋を下げていた。
今日も雪の朝 ― 2024年01月09日 22時40分35秒
雨が降ると思って傘を持っていったが・・ ― 2024年01月10日 20時09分45秒
雨が降ると思って重い傘を持って行ったが雨はちょっとしか降らなかった。
傘はたたんだままだった。
シンカンセンで帰ってきたが米原近くはまだ雪が積もっており、伊吹山も雪だった。
能登も雪と言うことで住むところの確保もインフラもままならないのが歯がゆい。
なんとかしてほしいね。
そういえば今日定期検診で友人にであった。お互いマスクをしているのでわからないが名前を呼んでいたので分かった。
7時前に帰ってきたが、ここの駅にはピアノがある。
いわゆる駅ピアノである。和歌山駅のように紐は張っていない。誰でも自由に弾ける。
男性2人が連弾していた。
歌手の八代亜紀さんが亡くなった。
あの歌声のファンだったので寂しい。
私より一つだけ若い。
最近同年代が続けてなくなっている。寂しい限りである。
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