雨ばっかり2017年10月18日 23時18分15秒

秋の長雨、こんなに降り続くといやになります。
アメリカの山火事に持って行きたいですね。

今日はカメラ雑誌の発売日です。
久しぶりに買ってみましたがあまり変わり映えしなくて昔のようなわくわく感がないですね。

記事にニコンD850のインプレがありましたが、カメラもここまで来たかというところまで発達してきましたね。

4575メガピクセルと気の遠くなるような画素数です。
その昔初めて買ったデジカメが103万画素でした。
それでも35万画素より写りがよくてうれしかったのですが、その当時から比べるとすごい進歩です。

会社の近くにキャノンのショールームがあり時々見に行くのですが、EOS6Dなどはずしりと重くてそれに明るい大きいレンズをつけて撮ってみると、やはりミラーレスにはない安心感があります。

今度のD850もいいでしょうね。

でもいったん軽いミラーレスを使い出すと、軽い方ばかりを使ってしまいます。

ニコンで言えば、DFを、ミラーレス並みに小型軽量にして作ってほしいなと思います。

ま、問題はそれらができたとして、先立つものがないので指をくわえて、「見てるだけ」、ということになることです。

写真はニコンのページから借りてきました。
かっこいいですね。

寂光院2017年10月15日 16時17分46秒

昨日三千院の後参詣した寂光院。

寂光院の本尊は六万体地蔵尊菩薩で鎌倉時代造立の地蔵菩薩立像(重要文化財)でしたが平成12年5月9日未明、放火により、本尊は大きく焼けてしまったということです。これはニュースでも大きく取り上げられたので記憶していました。

新たに小野寺久幸仏師によって、形・大きさともに元通りに復元され、鎌倉時代の制作当時そのままの美しい彩色で新造されたものが、安置されていました。
平成17年(2005年)6月再建されましたが、本尊と同時に徳子と阿波内侍の像も新しく作られ本尊の左右に安置されていました。

地蔵菩薩の本願は、抜苦与楽ということで、それは慈悲の心を表わし、人間の苦しみや辛さ、思い通りにならない現実を救い抜け出させて頂き、願いを叶えて頂ける諸願成就のご利益があるということである、ということですが・・・。


高倉天皇と徳子の稜墓。

寂光院

寂光院の入り口の扉。


三門。

寂光院

秀吉が送った灯籠。

寂光院

「祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。」

平家物語と関わりが深いのがこの寂光院です。

六万体地蔵尊菩薩

寂光院

諸行無常の鐘。つくなと書いていました。

寂光院

三門から入り口を見たところ。

寂光院

茶室入り口の東屋の屋根のコケと落ち葉。
紅葉の頃はきれいな葉がもっと落ちているでしょう。

寂光院

寂光院を出て近くの漬物屋さんの前にあった漬物蓋と石。
石には日付が書いてありました。

寂光院

漬物屋さんの前にはスイス人観光客がたくさん。
売り子のおばさんも英語で何か言っていました。

寂光院

僕はおしっこ。

寂光院

寂光院を出て道を山手に行くと、石段がありそこを登ると墓石がありました。



徳子でしょうか。
かわいい顔をしています。

寂光院

たくさんの石塔がありました。平家一族のお墓でしょうか。

寂光院

寂光院

今日は朝から雨。
少し晴れたら釣りにと思いましたがだめでした。
今日みたいな日の方が釣れるのですけどね。
釣り師は雨でも行かなければいけないのですが・・・

古いネガをスキャンして一日が過ぎました。

三千院・寂光院2017年10月14日 23時13分36秒

京都二日目は三千院。

1974年頃に来て以来で、ほとんど忘れていました。

パンフレットによると、三千院は延暦年間(782‐806)に伝教大師最澄が比叡山東塔南谷(とうとうみなみだに)の山梨の大木の下に一宇を構えたことに始まったそうです。
その後、慈覚大師円仁に引き継がれ、平安後期以降、皇子皇族が住持する宮門跡となり、寺地は時代の流れの中で、比叡山内から近江坂本、そして洛中を幾度か移転し、その都度、寺名も円融房、梨本坊、梨本門跡、梶井宮と変わったようです。

明治4年、法親王還俗にともない、梶井御殿内の持仏堂に掲げられていた霊元天皇御宸筆の勅額により、三千院と称されたということです。
明治維新後、現在の地大原に移り「三千院」として1200年の歴史をつないでいる、ということですが、三千院という名前が明治以降につけられたとは知りませんでした。

三千院のことは、あまりに語り尽くされているので私がとやかく言うこともないのですが、やはり名刹ですね。

たくさんの人が参拝していました。
半数近くが外国の人でしたが・・

三千院

定番のアングル。

三千院

この前で庭を鑑賞している人たちは全員が各国の方たちでした。
この庭を楽しんでくれていました。
いいですね。

三千院

三千院

さりげなくある国宝がうれしいですね。
写真に撮れないのが残念。

三千院

境内の真ん中あたりにあった弁天さん。

三千院

わらべ地蔵があちこちにありました。

三千院

こけに覆われています。

三千院

これは鎌倉時代の地蔵さん。

三千院

楽しげな地蔵さん。

三千院

観音堂。
中にまつられている観音様は作りが何となくシャープでなく、ファイバーっぽい感じでした。
ま、いいか。

三千院

この小さな地蔵さんが観音堂の横に一万体以上並べられていました。

三千院

梅茶やシソ茶を売っていましたが、この方たち英語できちんとやりとりしてました。
立派!

三千院

三山院の後は寂光院に参詣しましたが、また明日にします。

とにかく天気予報では雨だったので、時々薄日も差しまずまずの天気でしたのでラッキー!という感じの一日でした。

般若寺そして京都国立博物館2017年10月13日 23時39分59秒

今日は休みをもらって京都国立博物館の国宝展を見に行きました。
京奈和道路を走り奈良を抜け途中にある般若寺に立ち寄りました。
ここのコスモスや冬の水仙は結構有名です。
ちょうど今頃がいいだろう、と立ち寄りました。

ベストシーズンでした。

薄黄色いコスモスのバックに本堂が見えます。

般若寺

巨大な13重の塔。

般若寺

釈迦如来の石像もコスモスに囲まれています。

般若寺

本堂をバックに不動明王。

般若寺

般若寺

般若寺

般若寺

般若寺

そして京都での国宝展。
見応えありました。
素晴らしい一品ばかりでした。

京都国立博物館

今日は8時まで開館していたので見終わって出てきたときは夜でした。
旧館がライトアップされてきれいでした。

京都国立博物館

京都タワーもきれいにライトアップされていました。

京都国立博物館

10月の後半から展示品の入れ替えがあるのでまた来たいと思いました。

夏の名残2017年10月11日 21時34分40秒

朝家から出かけるときに、我が家の門に小さな朝顔が咲いているのに気がつきました。
小さな朝顔です。

もう10月なのに咲いています。
通勤の途中の土佐堀川べりにかなり大きな朝顔が咲いていました。

いつもは朝日が朝顔をきれいに光らしているのですが、今朝は少し時間が早かったので光が当たっていませんでした。

写真の面白さはここにあるのですね。
いいシーンはその時間その瞬間しかないと言うことです。
その時間を逃すとだめですからね。

というわけで大阪の朝顔は平凡なものになってしまいました。

あさがお

都会の花と思えない感じで楚々と咲いています。
ピンクとブルーがあります。

あさがお

そしてもうひとつ今日の帰りの道。

我がCB400SSは、20,000kmになりました。

キリ番を写真に撮ろうと家までの道で、メーターに気をつけていました。
しかしローガンがあるためメーターの数字が見にくく、100m単位の数字が少し上がってしまいました。
走っている途中で20,000kmになったので歩道に駐めてカシャ!

ともかく20,000km。

次は22,222kmのぞろ目を楽しみに、安全に走りたいと思います。

CB400SS

大台ヶ原2017年10月09日 22時47分55秒

3連休の最後の日。
ウンドーをしていないので体がなんとなくシャキッとしないので、手軽にいける大台ヶ原に登りました。

まずシオカラダニを目指しました。
いままでは日出が岳からいくのですが、今日は反対側から登り始めました。

このコースは最初が下りが続きこのシオカラダニからは延々と登りが続きます。

大台ヶ原

ともかく下り終わり昼ご飯。
ここでモンベルの浄水器でコーヒー用の水を確保。
そのまま飲んでも大丈夫だと思いますが、とりあえずウイルスまでカットするというこの浄水器でこしてコーヒーを沸かしました。

コーヒーはなんとなくおいしく感じました(^^)

大台ヶ原

25センチほどのイワナが獲物を待っていました。
大中小のサイズのイワナが入れ替わり立ち替わり、行ったり来たりしていました。
かなりの数のイワナが泳いでいました。

フライを流したら楽しい思いができるのではないかと思いますが・・・・

大台ヶ原

今日はたくさんのひと人が行き来していました。

大台ヶ原

大台ヶ原

食事が終わった頃からガスがかかりだし、近くの景色しか見えなくなりました。

大台ヶ原

牛石が原も霧の中。

大台ヶ原

神武天皇も霧の中。
手をかざしてもだめでしょう。

大台ヶ原

昨年ここに登りましたが紅葉は遅くてがっかりでしたが、今日はもう2,3日早い感じで、まだすべてが紅葉していませんでした。

これだけ暑い日が続くと紅葉はかなり遅れるのではないかと思います。

大台ヶ原

大台ヶ原

大台ヶ原

大台ヶ原

作業用のモノレールが作られていました。
これを観光用に走らせると面白いですね。
それほど自然を壊しませんものね。
エンジンではなく電動式にするとなおいいですね。

大台ヶ原

昆虫があまりいない大台ヶ原ですが、この木でなにやら毛むくじゃらな幼虫がうごめいていました。

大台ヶ原

大台ヶ原

戻ってきた駐車場も真っ白でした。
帰りの道もガスってフォグランプをつけて走りました。

ガスの中鹿に合わないかなと思いましたが、駐車場で鳴き声を聞いただけでした。

紀ノ川バス釣り・・久しぶりの青年バス2017年10月08日 18時18分25秒

秋の深まりとともに庭に来る虫が多くなりました。
カマキリを始め、トンボ、バッタが多くなりました。
今朝もトンボが何匹かやってきました。

トンボ

黄コスモスもよく咲いています。


そして紀ノ川。
ここもトンボが何種類か飛び交っていました。


モズが高い木の上で大きな声で鳴いていました。

モズ

川にでて数投目にやってきました。
これまで子バスばかりだったのですが、やっと少しましなバスが来ました。
今度はばらさないように何度か当てたので、がっちりかかりました。

少しましな手応えのあるバスは本当に久しぶりです。

ゲーリーヤマモトで釣れなかったので、必殺ラパラに変えた途端来ました。

バス

蝶々もいろいろ飛んでいました。


場所を変えましたがそこは水深が極端に浅くなり、水も澄んでいてそこが丸見えで泳いでいるのがよく見えました。
鮒が多いのですが、ブルーギルもいました。
メップスのブラックフューリーを打つとよくかかりました。

このルアーもよく釣れます。


コーヒータイム。
川の底が見えています。


夕暮れが迫ってきました。
今日は釣れたので少しるんるん。


次はランカーサイズが来てほしいなと思いながら帰途につきました。

秋を探しに行ったのですが・・2017年10月07日 23時50分25秒

今日は朝少し早く起きてバイクのバックに細工をしました。
トップケースの上のバッグにフックを取り付けました。
これでバックにバックを掛けられるようになり、ツーリングの時など収容力が増します。

それからお医者へ。
普段の薬をもらい、先日のドックで引っかかったところを見てもらいました。
なんともなければいいのですが。

帰りはCBちゃんで少し流して秋を探したのですが、まだ本格的ではなくてコスモスなどもイメージ通りのところはなかったですね。
もう終わりなのかな。
まだこれからかな。

CB400SS

稲穂がきれいに色づきもう収穫できるようになっていました。
曇っていた空がこのとき急に晴れました。

CB400SS

またまたカマキリがうろうろしていたのでカシャ!

カマキリ

CBちゃんでもっと走りたかったのですがなんとなくふらつき、ぼけたのかなと思いながら帰り、体温を測ると7度5分ありました。

建部神社2017年10月05日 22時25分46秒

先日東近江にいった折に建部神社に立ち寄りました。

ホテルで東近江の観光地図を見て立ち寄りました。

境内であちこち見ていると宮司さんがおいでて、おうちのなかに招き入れてくれました。
お言葉に甘えて部屋に上がらせていただき中学校の先生をしていたという宮司さんにいろいろお話を聞きました。

パンフレットもいろいろいただきました。

「建部神社は、十二代景行天皇が御子日本大和武尊の功名を録えるため、武部(後の建部)を定め、大和武尊死去三年後(景行四十六年) 御子稲依別王命(建部君、犬上君の始祖)が神勅により、母君の生国近淡海国神前郡建部郷千草嶽(現在の箕作山)中腹宮立と称する所に父君の霊を祀り、建部大明神と崇め給ふたのが起源である。
その後560年を経て、天武天皇白凰四年に至り、神裔建部安麻呂公が国司の命を奉じ栗太郡瀬田に奉遷し、近江一円の守護神即ち国社としてから約90年後、神護景雲2年再び同地の下の森(現在の場所)に新宮を建て、建部大明神、聖真宮を勧進し四柱の祭神を奉祀し、建部郷十七ケ村の総氏神となる。
かかる縁故を以って古代より毎年瀬田建部大社の春季大祭には当社より、鮎献上の神事が行はれ世界大戦中まで連綿として続けられたのである。
社頭を距てる南五丁の山の神古墳は、祭神稲依別王命の墳墓と伝えられる。
 。              
囚に稲依別王命の母君布多遅比売命(ふたちひめ)は近談海安之国造意富多牟和気王(おふたむわけ)の出で、尊死去後建部郷を賜はり居住して稲依別王命を育てらる。
依てこの地は大和武尊の御名代地と伝えらる。
後裔の建部君、犬上君の両族共に栄え建部大明神の神威も大いに輝き、神埼郡の名も神前のここより出でたりと説がある。
大化の改新により国府が瀬田に置かるやや、所在地に国社奉斎必要上社格高き当社を選び奉遷して近江一の宮とされた所以である。
 当社は新宮とは云えかかる光輝ある古い由緒を有しながら、箕作、建部合戦等屡次の兵災により荒廃し、古文書構築物等凡て烏有に帰し本殿、神輿、燈罷等何れも江戸中期以降の建造に属し之を証するに由なき次第である。
 但し右の事実は瀬田建部大社の古文書等に拠り厳然と証明され、宛も昭和50年を以て奉遷1300年相当の機会に元建部犬明神鎮座趾宮立に石標を建設し之が記念と神威顕彰に資したのである。」

ということでした。
少し難しいですね。


おもしろかったのは、この神社の近くに飛行場があり、記念式典の際に投げ落としたという書筒があったことです。


建部神社武運長久の賓剱守護札もいただきました。
中に入っていた説明書きには、

「建部神社武運長久の賓剱守護札は、昭和9年から昭和20年まで、沐俗斎戒した若手氏子が調整し、久瀋宮家・八日市飛行隊軍人及び帝国軍人に4.600余体配付された。
慎之、莫怠也(慎みて、な怠りそ)……倭延命の教え

『日本書紀』には、日本武尊が西征で熊襲建(クマソタケル)を撃ち、その後、さらに東征をする前に立ち寄った伊勢神宮において、伯母の倭姫命(ヤマトヒメノミコト)から草薙剣とともに授かった教え。

慎之、莫怠也(慎みて、な怠りそ)
『日本書紀巻第七大足彦忍代別天皇(荒行天皇)』という言葉が記録されている。
原文】景行天皇40年(庚戌110)冬十月壬子朔契丑(二目)。日本武尊発路之。
同月十月戊午(七日)戊午。
柱道拝伊勢神宮。イ乃辞于倭姫命日。今被天皇之命。而東征将誅諸叛者。故辞之。於是倭姫命取草薙剣。授日本武尊目。慎之莫怠也。
【文意】岩波文庫「日本書紀(二)」94頁より(西国制覇から帰還し十二年後)の十月二日、日本武尊は東十二道制覇の旅に出立。十月七日、伊勢神宮に参拝し倭姫命に言うには「今般、天皇の命で、東征し諸々の反逆者を誅します」と。別れに際し倭姫命は草薙剣を取り出し、日本武尊に授け、慎重に油断することなきようという。
「物事を謙虚に受け止めて奢らず、身を慎めば心が清らかになり、自分の為すべきことが見えて来る。そのときは勇気をもって誠実に、怠ることなく精進を重ねて為すべきことをやり遂げなさい。」

ということが書かれていました。

建部神社

建部神社

建部神社

建部神社

日本武尊の肖像画が飾られていました。

建部神社

建部神社

建部神社

建部神社

建部神社

頂いた神符。

建部神社

建部神社

稲依別王命の墓ではないかと伝わる古墳

建部神社

栗の実が供えてありました。

建部神社


季節は秋につるべ落とし・・中秋の名月2017年10月04日 22時21分38秒

今朝は16℃でした。
バイクに乗るにはちょうどいい気温になりました。

少し早くに出たので普段から面白いと思っている水利池の鴨君たちを撮りました。
この鴨君たちは、手前の田んぼに上がり稲の穂を食べたり結構面白いシーンがあります。
今日も手前の土手に鴨とサギが等間隔で並んで面白かったのですが、カメラをかまえると散らばってしまいました。

ちょうどいい大きさの池なので、水鳥たちがよく羽を休めています。
休みなどにいいのを撮りたいなと思って構えて行くと、思ったシーンがないですね。


刈田の藁を立てている田が少なくなりましたが、このあたりには何枚かの田が昔ながらの景色を見せてくれます。

なんとなく癒される景色です。


今夜は中秋の名月です。


家からの名月。

帰ってからオリンパスにタムロン500mmレフレックスを着けて、何の芸もなくストレートに撮りました。

時間があればススキでもあしらえばよかったのですが・・・

中秋の名月

大阪は、帰りの肥後橋手前からの名月。

中秋の名月

和歌山は、桃山橋からの名月。

これは橋の真ん中から撮りましたが、次々車が走ってくるのでじっくり構えられませんでした(^^)
街灯がナトリウム灯ですのでオレンジにかぶりました。
早くLEDにしてくれるとLEDは太陽光と同じですのできれいに写ると思います。

中秋の名月

帰りの気温は14℃。
秋本番ですね。