行者環岳でであった昆虫たち2017年06月05日 22時05分54秒

イギリスでまたテロがありました。
大変な時代です。
日本もうかうかしていると危ないですね。

気をつけなくてはいけません。

もっと統一感のある国になってほしいと思います。

写真は先日登った行者環岳でであった虫たちです。

行者還岳の虫たち

今何故この蝉の抜け殻が。
昨年のものにしてはきれいすぎるし、今年出たのであれば少し早すぎる感じがします。

行者還岳の虫たち

行者還岳の虫たち

やっぱりセンチコガネがいました。

行者還岳の虫たち

テントウムシもいました。

行者還岳の虫たち

蝶も時々見かけましたが、撮れませんでした。
これから夏に向け、虫もだんだん増えてくるでしょうね。

行者還岳2017年06月03日 23時07分29秒

長いこと山に登っていなかったので、急遽行者環岳に登ることにしました。
少し風がありましたが天気がよかったので助かりました。

行者還岳

巨木も変わらず元気でした。

行者環岳

タイタンもヒーローのままでした。

行者還岳

もう6月ですので緑も濃くなっています。

行者還岳

国道309号線の90番から直登ルートを歩いたのですが、所々わかりにくいところにテープをくくりながら歩きました。

特に以前降り口を見失い遭難しかけたところはきちんとくくりつけました。

行者還岳

じつは行者還岳に登った理由の一つにこのゴヨウツツジ(シロヤシオ)を見たかったからです。

登り口から出会いまでの道筋は、すでに落花していていささか残念に思いつつ登りました。

やはり気温の微妙な違いからか、尾根筋に行くと所々満開でした。

行者還岳

行者還岳

一緒に降りた登山者が、

「今年は少ないとしかわかりません。例年ならゴヨウツツジのトンネルができて、それはきれいですよ」

ということでした。
いずれにしろ満開は先週だったようです。
この花のトンネルができていれば、それはきれいな登山道でしょうね。

行者還岳

休日でもあり、行者還トンネルの周辺は登山者の車でいっぱいでした。
たくさんに人と出会いいろいろ話をしました。
結構お年寄りの登山者にたくさんあいました。

行者還岳

一見サイかカバに見える倒木。
こういう似たものを探すのも面白いですね。

行者還岳

いろんな形をした木や倒木が林の中にたくさんありますが、それらを見るのも楽しいです。

いろんな昆虫にも合いましたが、また別の日にアップします。

本格的な暑さが2017年05月30日 22時38分31秒

暑くなってきました。
今年の夏は暑そうですね。

お隣の国が連続してミサイルを撃ち込んでいます。
なんとかしないといけませんね。

これが誤射でもして我が国に飛んできたらどうなるのでしょうね。

日本に飛んできてもいろいろ”検討”するのでしょうか?
今のままでは、そんな状況に出会ってもレスポンスが悪そうな感じのするのは私だけでしょうか?

現に震災の時の原発事故の対応を見てもわかりますね。

そしてその中身の肝心なところについては国民に知らされることがないような気がします。

写真は先日行った高取町土佐町でコーヒーを飲みに入った喫茶店です。
JAの倉庫を改造したというなかなか面白い喫茶店でした。


喫茶店の裏に続く建物の中にでっかいジオラマがありました。
丁寧に作られていて、ほのぼのとするスタイルのジオラマでした。


福沢さん、夏目さん、樋口さん、似ていますね。
やたらリアルでないところが面白く親しみが持てます。

高取町土佐町

土佐町の昔も表現していました。

高取町土佐町

何故か古墳”レプリカ”?がありました。
中には絵が描かれていませんでしたので、これからでしょうね。

高取町土佐町

こういう遊びモードの展示は好きです。

高取町 くすりの資料館2017年05月26日 21時43分07秒

再び先日行った高取町です。

土佐町の中ほどに、高取町観光案内所「夢創舘」があり、その裏に薬の町「たかとり」を感じさせる「くすりの資料館」があります。

蔵の一部を改造している資料館は懐かしい薬が展示されてあり、面白かったです。

奈良はあちこちの町が薬を作っていますが、高取町もそうであったとは知りませんでしたた。

この高取町のくすりの歴史は古いらしく、遡ること飛鳥時代(西暦612年)に推古天皇が聖徳太子などと一緒に、高取に来て薬狩りを行ったと伝えられています。

自然に恵まれ薬となる動植物類が、豊富だったようです。

修験者によって大和の薬が、全国に広められたのが、大和売薬の興りとなったということですが吉野には陀羅尼助があり、薬つくりをする各町で競っていい薬を作ったのではないでしょうか。

江戸時代は高取城植村藩主が、江戸参勤の際、他の藩主に薬を贈り全国の販路拡大に貢献したそうです。
その後江戸中期頃から、明治にかけて各地を行商し、現代の配置販売の基礎ができたということです。

富山や奈良の薬の行商の人が来て、お土産に紙風船をもらったのを思い出しました。

あまり遊ぶものがなかった時代、そんなささやかなものでもうれしかったです。
ここ高取のことは、日本書紀にも載っているらしく、推古19年(611)で、「夏の五月五日に、菟田野に薬猟す・・・」とあり、続いて翌20年の第2回目は「夏五月五日に、薬猟して、羽田(はた)に集いて、相連きて、朝(みかど)に参趣く・・・」となっていて、この第2回目に出てくる「羽田」の場所が、高取町の羽内から市尾あたりのようです。

一度日本書紀を見なくてはいけません。

薬の歴史も面白いでしょうね。



懐かしい包装紙の薬がいっぱい。



いつもお土産にくれた紙風船。
私がよくもらったのは丸かったですね。

城下町 高取町2017年05月23日 17時49分46秒

高取町へは以前に日本三大山城といわれる高取城に登り、面白く思いました。
その時集めたパンフレットにこの土佐町の紹介があったわけです。

その土佐町の中ごろに高取城への登り口があり、入り口に奈良産業大が作成したCGの看板がありました。

たらればはいけませんが、もしこの城が残っていれば素晴らしい観光施設になっていいて世界中から観光客がやってくるでしょうね。

戦後の建設の和歌山城でもあれだけの外国の方が来ているのですから、こうした歴史ものが好きなヨーロッパのお客さんも来ていただろうと、残念に思います。

いつの時代にも先の読めない政治家がいますからね。

高取町土佐町

松ノ門が復刻されていました。
扉は昔のままで重厚なつくりでした。

高取町土佐町

屋敷があったと思われるところは広い公園になっていました。

高取町土佐町

今でもお住まいとしている江戸時代の侍屋敷がありました。
いいデザインですね。

高取町土佐町

高取町土佐町

祖の侍屋敷から少し上に藩主の屋敷がありました。
ご主人らしき方が自転車を勝手口らしきところから中に入れていました。

高取町土佐町

高取町土佐町

漆喰をうまく盛り上げてデザインしています。
今これだけの普請をすると莫大なお金がいるでしょうね。

高取町土佐町

単に古い街並みだけかと思っていましたが、どっこい南北朝から江戸時代までの建物や史跡がありました。

もっと詳しい歴史を知ればさらに面白いと思います。

話はころっと変わって、「共謀罪」法案が衆院を通過しました。
国民があれだけ、

「じゃあどうなるんだ」

と問いかけてもなしのつぶてのまま決められそうです。
政府がガイドラインを決めていても、末端の管理部門の判断でゆがめられ、人権や民衆の命などそっちのけになるのは、戦前の治安維持法などを書いた小説などで知っています。

法務大臣の説明されない説明がとおっている現実は、その危うさをより強く感じてしまいます。

我が家の菜園そして土佐町2017年05月21日 21時21分11秒

朝から庭に水をまき、ちょっとした野菜の育成を見ましたが、どうも思うように伸びてくれません。
とはいいつつも先日はトマトの花が咲き、遅くても少しずつ伸びています。

うまく収穫できたらいいのにと思います。
この写真は少し古いSONYのサイバーショットHX-100Vで撮りました。
長いこと使っていないので電池が心配ですが結構写っています。

山に行くときはこれで十分かな?
荷物も軽くてすみます。




昼から高取城の麓にある土佐町を歩きに行きました。
初めて行きましたがいいところです。

高取町土佐街道

壺阪山駅前の喫茶店?
いろんなものがあります。

高取町土佐街道

とにかくツバメの多いところでした。

ほとんどの家の軒先に2,3個の巣がありました。

多いところは5つくらい巣がありました。

じっくり待って餌をあげるところも撮りたかったですが時間がなかったのと、よその家の庭先なので待てませんからね。
また巣の近くでいると親鳥が遠くからこちらを観察しあまり飛んできませんでした。

高取町土佐街道

高取町土佐街道

町並み保存のために、至る所にこんな案内板がありました。
どこかの町にこれを掲げてほしかったですね。

紀ノ川筋の各町々もこの考え方で町並みを残していれば、いい観光地になったのにと残念です。

高取町土佐街道

奈良に土佐町とはおかしいなと思っていたら、看板に書いているとおりに、大和朝廷に仕えて帰りの路銀をくれなかったのでやむなくここに定住したということです。
いつの時代もお上のすることは民衆のことなど意に介しないですね。

高取町土佐街道

明治8年に建てられた道標。
こんなのいいですね。

高取町土佐街道

今日は30度を超えているところがありました。
それでも何組かこの町並みを歩いていました。

てくてく記録は、ぼちぼち書いていくことにします。

南海高野線九度山駅2017年05月11日 12時06分21秒

先日乗った南海高野線。
外国人観光客の増加で収益も上がっていると思いますが、大河番組ブームに乗って真田幸村一色です。

六文銭があちこちです。

駅という感じではなく、どこかの居酒屋の入り口のような感じです。
これはこれでブームを表現するのにはいいかもしれませんが、外国の方には通じているのでしょうか。

改めて戦国武将の旗印を見るとセンスがいいですね。
これなら戦場で敵味方入り混じってもすぐわかります。

ホームも六文銭だらけです。ベンチも赤。

この六文銭というのはよく知られているように、三途の川を渡るときの「賄賂」なのですね。当時の足軽兵士は死ぬ覚悟で着物に縫い付けていたらしいです。 

南海高野線九度山駅

南海高野線九度山駅

下は2001年当時の九度山駅。
この当時から今の飾りつけをしていたら立派ですけどね。
やっぱり引き金がいるのでしょうかね。

南海高野線九度山駅

今日お客さんからAR(Augmented Realty=拡張現実)のプレゼンを受けましたが、我々はとてつもない時代に突入しつつあるのを感じます。

スマホでカタログなどのある部分をかざすだけで3Dの動画や合成画像が現れ、それが回転したり声が出たりで、すごいことができます。

その昔、まだBASIC言語でプログラムを組んでいた時、文字を画面のある位置に表示しようとするだけでかなり労力を費やしましたが、今は指先で動かすだけでいいのですからね。

打ち合わせの中で、私は、

「犯罪者をチェックするときにこのシステムはいいですね」

といいました。
それはともかく、行方不明の方を探すのにいい手助けになるでしょうね。
捜索願のポスターにスマホをかざすと情報が現れ、もし情報があればすぐツイッターなどで連絡できます。

ま、日本は中途半端な個人情報保護がうるさいですからうまく活用できないでしょうけど。

とにかく時代は進みつつあります。
遅れていても生活には困りませんが・・・・

白藤小学校2017年05月10日 12時13分02秒

先日行った最後の仇討へのルート上に白藤小学校がありました。
すでに廃校となっていますが地域の人が大切に守っている感じがしてよかったです。

やはり木造校舎というのはいいですね。
温かみがあります。
最近どこかの学校法人が木造校舎を建て補助金をわけのわからない形で取り込んだのがありましたが、ことの経緯はともかく、あの木造校舎のデザインはいいですね。
モダン&クラシックな感じがいいです。
お金やいろいろの問題でつぶされるとなると少し残念な気がします。

白藤小学校(廃校)

廊下も今にも生徒が飛び出してきそうにきれいです。

白藤小学校(廃校)

外観も今すぐにでも使えそうです。

白藤小学校(廃校)

花が植えられていてきっちり手入れもされています。

白藤小学校(廃校)

図書室かな?

白藤小学校(廃校)

机やいすもそのまま置かれています。
集会などに使えるでしょう。

白藤小学校(廃校)

体育館。

白藤小学校(廃校)

校庭。
キャンプ場にしたら最高です。
何とかならないでしょうかね。

白藤小学校(廃校)

小さな池がありその縁に咲いていた花。
コイが泳いでいました。

白藤小学校(廃校)

近所の人に聞くとこの集落も多い時は40軒ほどのおうちがあり、結構にぎわったそうですが街に出る人が多くなり廃屋が目立つようになったということです。

道筋に立派なおうちがたくさんありましたが、そのうちのかなりのおうちで電気メーターがなかったり、回ってなかったりしていました。

でもこのあたりの道は高野に登る抜け道らしく朝は100台くらい通り過ぎるということでした。

歩いているときも、狭い道をかなりのスピードでたくさんの車が走り抜けていきました。
狭いので怖く、気を付けなくてはいけない道です。

白藤小学校(廃校)

小学校を出てすぐに紀伊神谷駅に降りる道があります。
ここから神谷駅はすぐでした。

韓国の大統領に革新系の文在寅氏(64)が当選しました。
中国、アメリカ、日本、ロシア、韓国そして北朝鮮。
それぞれの国のトップの皆さんはかじ取りが難しいですね。
そんな中での文大統領はどんなでしょうね。
楽しみです。

韓国はどういうチョイスをするのでしょう2017年05月09日 12時30分21秒

韓国の大統領選挙が始まりました。
最終投票率が80%を超えそうだといわれていますが羨ましいですね。

どこかの国のように低投票率が定着していると、国民の声がよくわからないですね。

平和ボケして無関心となった人が多いのかな。
フランスが終わり韓国が終わって、さて世界はどうなるか、という感じですが残りは我が国の憲法改正論議ですね。

それはさておき、これからの熊野古道などのコンテンツにはできるだけ周辺の、それもお年寄りなどの声を入れ込んでいきたいと思っています。

地域の昔話などを織り込めたらいいなと思います。
各新聞の記事などもそういう記事が多くなりました。

やはり高齢社会においては地域の、それも里山の伝説やお年寄りが見聞きした記録などきちんと残しておかないと、日本が日本でなくなるような気がします。

中国富裕層やヨーロッパの歴史好きの人たちが高野山に登り、お坊さんの法話などを楽しみにしているということは、日本人はそれ以上に仏教や地域の歴史に関心を持っておかなくてはいけないのですけどね。

残念ながら私も外国の方が来ても、日本人として、じゃあどうなのか?、と聞かれてもにわかには答えられません。

外国の方は自分たちの歴史はスルドク把握し、「自分自身はこう考える、こう生きる」というのをキチンと語ってくれます。

写真は、先日行った最後の仇討現場から少し下ったところにあった草むらのヒーローです。

草むらのヒーロー

草むらのヒーロー


高野の決闘現場再訪2017年05月07日 22時53分00秒

かねてから再訪したいと思っていた日本最後の仇討ちげんばを再訪しました。

以前見たのは1996年頃だったと思います。
会社でホームページを立ち上げるということになり、コンテンツとして高野の仇討ちを作って以来です。

今日は道の駅に車を駐め九度山駅から南海電車で紀伊神谷駅まで行き、そこから現場まで歩くことにしました。

今日は黄砂が飛来し、なんとなくかすんでいました。

南海高野線

電車を待っている間に真田丸号(というかどうかは知りませんが)がやってきました。

南海高野線

南海高野線

紀伊神谷駅で電車を降り駅舎を探しましたがわからずうろうろしていると駅員さんが駅舎をガイドしてくれました。

紀伊神谷駅

駅舎は古くて感じのいいものでした。

紀伊神谷駅

紀伊神谷駅

駅舎を出て車道を歩き始めるとシャガの花があちこちにたくさん咲いていました。



廃屋になったおうちの前の小便小僧。


「この道は人が一番、車は二番」とありましたが、逆でした。
狭い山道をビュンビュン。


そして仇討ち現場。
以前なかった掲示板がありました。

高野最後の仇討ち現場

高野の決闘現場

狭い道の両側におうちが並んでいました。
しかし空き家が目立ちました。


今日のところはこの辺で、また詳細はホームページの更新と同時に書き込みたいと思います。