今日は寒かった。鼻がグスグス。2020年12月03日 19時15分19秒

今日は寒かった。
そのせいかどうかは知らないけれどくしゃみと鼻水がずるずる。
買ってきていた風邪薬を飲んだ。

熊野観光開発株式会社のウォータージェット船が今年いっぱいで休止すると言うニュースがあった。
さみしい。
ウォータージェット船はあまり乗ったことはないが、プロペラ船の時代は親父のところに行くのによく乗った。
畳敷きで確か村々でとまったと思う。
プロペラの音が半端なく大きかったのを覚えている。

串本大島間の巡航船もなくなって久しく、今度また瀞峡観光の目玉もなくなる。
熊野で育ったものとして様々な景色を含め観光資源が次第に記憶の中だけになるのはさみしい。
写真は1980年5月。

瀞峡観光ウォータージェット船

瀞峡観光ウォータージェット船

瀞峡観光ウォータージェット船

瀞峡観光ウォータージェット船

瀞峡観光ウォータージェット船

瀞峡観光ウォータージェット船

瀞峡観光ウォータージェット船

瀞峡観光ウォータージェット船

瀞峡観光ウォータージェット船

すっきりしない天気だった。2020年11月13日 19時33分42秒

朝から定期検診に行ってきた。
途中雨がぱらついたがすぐやんだ。
病院はいつもながら満員であった。無論マスクはしている。

先日参拝した名手八幡神社である。ここは何度がきたことがあるのだが熊野古道のコンテンツとして追加したいのでもう一度見たいと思い、見に行った。

名手八幡神社は、丹生津比売大神が降臨し聖地であり古来から産土神として御奉斎されているという。

神功皇后が三韓征伐(新羅、高麗、百済の三国)の後、筑紫(現、福岡県)より御顗旋の途中、ここを訪れ、筑紫の蚊田(現、福岡県糟屋郡宇見町)で授けられた後の第十五代応神天皇の生誕を報告したとある。

その縁で誉牟田別命(第十五代応神天皇)を主祭神としてしている。

大鳥居の扁額に「八幡神社」と有るが、この額は慶安元年(1648年)子年紀州徳川家初代藩候徳川頼宣侯より奉納されたものであるという。

当神社は皇族方が熊野詣等御行幸啓の折、神功皇后がここに宿泊した古事に依り、御旅所として定められ、第七十七代後白河法皇、第八十二代後鳥羽上皇、第九十六代後醍醐天皇の行幸が有ったという。

熊野古道の旅の途中で宿泊したのである。
南北朝時代後醍醐天皇(1316~1339)が吉野(奈良県)に朝廷を開かれた折も行幸した。

今は絶へて久しいが、祭礼6月晦日には能の奉納が有り、役者は和州天の川(現、奈良県吉野郡天川)より来たり、8月15日には流鏑馬が有り馬数は大抵百騎であったと伝へられている。

流鏑馬にたくさんの馬がきていたと言うが見てみたかった。
今は中学校になっているが、当時は100頭で流鏑馬ができるほどの広さがあったのだ。またお能がかかったりしたと言うが文化度は昔の方が高かった気がする。

調べれば調べるほど和歌山は面白いところである。

名手八幡神社

名手八幡神社

徳川頼宣が書いたという扁額。

名手八幡神社

名手八幡神社

名手八幡神社

名手八幡神社

残念なことに檜皮葺きの屋根を守るためだと思うが、神殿の上に屋根があることで点数がだいぶ下がってしまう。

名手八幡神社

名手八幡神社

安高稲荷大明神とある。

名手八幡神社

歴史ある証に木々が大きい。

名手八幡神社

ここの灯籠は元の石の上を木の火屋を作っている。

名手八幡神社

本来の参道だろうがここを歩いて参拝するのは少し危険な気がする。

名手八幡神社

龍王神社もある。


今日は一日いい天気2020年10月29日 19時54分29秒

今日もいい天気だった。
久しぶりに散髪に行ってきた。
髪の毛もだんだん白くなってきて、はさみで切られた髪の毛を見ると真っ白である。
少しさみしい。
毛のない人はもっと別の気持ちだろうなと思う。

散髪の後少し気になっていた海神社に参拝した。
ここは以前から何度もきたことがあるのだが熊野とゆかりがあると言うことで、ちょっと調べたかった。
掲示板に貼っていた新聞記事でそれは解決した。

せっかくきたのだからと少し辺りを歩いた。
小さな池があった。そのほとりを歩くと水瓶を高く上げている造形物があった。
昔は活躍していたのだろうが今はもうリタイヤした感じである。
これに池の水を入れ畑に水をまいたのかもしれない。
今となっては、特に事情を知らないものにはわからない。
今日の街角歩きの不思議発見。

近くには地蔵堂があり、中にはかわいい地蔵さんがいた。


海神社



海神社

海神社


今日見つけた。上の水瓶にはすでに雑草が生えている。使い道ありそうでなさそうである。





その後用事を済ませて今度は大宮神社の境内にある東屋で鷹が来ないか待った。
鷹は来なかったが、お年寄りがたくさん来てグラウンドゴルフの用意を始めた。
皆老人力がみなぎっていた。


夕方河川敷をテクテクしたが、十三夜の月が輝いていた。


ホオジロが賑やかに飛び回っていた。


いい天気が続く。2020年10月15日 20時54分39秒

今日もいい天気だった。
ありがたい。
そういえば10月と言えば各地で祭りのある月である。
稲刈りがすみ、村が総出で収穫を祝ったり、昔の言い伝えの祭礼を執り行ったりする。

写真は那智勝浦町下里の祭礼で、1977年10月のものである。
今年はコロナのせいで各地の祭りが中止または縮小している。

リタイアしての楽しみの一つは全国各地の祭礼を見て回ることも楽しみだったが、出鼻をくじかれた。

ただ昔の各地の祭礼は人が多く出てニギワイがあったが今はどうだろうか。
そのギャップも見てみたい、と思ったのである。
しかし今年は叶わない。

いずれにしろ祭りはハレの日であり、無礼講だった。
今の祭りはどうだろうか?
そして今年中止になった祭り、来年はどうだろうか?

この祭りも人出はどうなんだろうか?

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

台風が来ている2020年10月06日 20時51分30秒

台風が来ている。
前線があるのでどういうコースをとるかわからないがあまり強いのはきてほしくない。
特に雨の多いのはかなわない。

Tさんがハチャメチャなことをやってニュースになっているが、やっぱり彼はビジネスマンだというのが今度のコロナに罹患して改めて感じた。
転んでもただでは起きないというガッツはすごい。
本人はかなりしんどいのではないかと思うが、おくびにも見せない。
それより取り巻きの人にうつり、その人達が重症になったらどうするのだろうかという心配がある。そんなのはお構いなしに行動するところが彼らしい。

写真は1981年の今頃、カメラマンの中村由信先生と熊野をとり歩いたときのもので、当時はおおらかだった。

先生は一緒にとって写真を本の中の挿絵に使った。
もう早くに亡くなったが、撮影の後居酒屋で写真談義を遅くまでしたのを昨日のように思い出す。

本宮川湯温泉

本宮川湯温泉

今日もいい天気だった2020年07月02日 22時48分34秒

今日もいい天気。
朝からまた一つホームページを新しくした。
やはり昔時間がなかった頃のは作りが荒く、デザインも悪い。
それに画像が重いのでリサイズしながらページを作り替えているので時間がかかる。
しかし楽しい作業ではある。

あれこれ作りたいのはたくさんあるが、最近のはブログに任せている。
ページの容量が多くなると追加料金を取られるので軽く軽くしている。
あまり軽くすると今度は画質が落ちてみるに耐えないようなものになる。
そのさじ加減が難しい。
今旅のページを作り直しているが、行ったときのことを思い出しながらリニューアルしている。
よくあちこち行ったなと思う。

yahooのニュースを拾い読みしていたら、『米科学誌「プロスワン(PLOS ONE)」に掲載された論文によると、豪ウエスタンオーストラリア(Western Australia)州の遠隔地の沿岸水深約2メートルの海底で、7000年以上前にアボリジニの人々が作製した古代の石器が数百個発見されたという。』という記事があった。すごいね。
これでオーストラリアの原住民の暮らしぶりがわかったらすばらしい。

日本では卑弥呼がどこにいたかというのが未だにわからないが、私は、古事記や日本書紀を作るとき都合悪いから歴史の事実から抹消されたのではないかと思っている。
きっと時の権力を握ったものが、卑弥呼がいたと言うことを後の世に引き継ぎたくなかったからだろう。
もし彼女がいたら天皇家を立ち上げるとき都合が悪いと思う。
秦の始皇帝がやったような焚書に近いことをやったのではないだろうか。

それは現在もある。
大事な公文書を、「それらの文書は廃棄しました」といとも簡単に、廃棄したとのたまう忖度マンがいつの時代にもいる。

写真は、最近“日本のアマルフィ”と呼ばれている雑賀崎の1975年7月のスナップである。急峻な地形に建物が張り付いたような独特の景観は、確かにアマルフィとよく似ているが、1975年当時は町中もクラシックで今より遙かによかった。

1975年7月田ノ浦漁港

漁をする舟はほとんどすべてが同じ色塗りで、これだけでもかなりインパクトがあった。

1975年7月田ノ浦漁港

1975年7月田ノ浦漁港

1975年7月田ノ浦漁港

そろそろ田植えが始まる2020年05月24日 20時46分14秒

田植えの時期である。
今日は一歩も外に出ず、作業もしなかった。
こんな日は珍しい。
特に理由はないがいろいろ考えてしまって体が前にでない、というのが本当のところか。

そろそろ田植えがあちこちで始まっている。
この辺はまだ他起こしが終わったところでこれからの感じである。

食糧自給率がいわれ出して久しいがそれに対して政府は手を打っていない。
少なくともどんな施策をしているのかさっぱり伝わってこない。
コロナ禍で世界各国が自国の食料を守るためにいろいろ考えていると思うが、Aさんの下では具体的には出てこないだろう。

そういえば今日町内放送で「コロナ禍に対する10万円の処理が遅くなり申し分けない」との放送があった。
遅くなるのは覚悟していたが、あまりにも遅かった。
マスクもまだ届かない。もはやいらないが早く現物を見たい。
マスコミはそのあたりをもっと攻めてほしいね。

写真は1980年どこかの里山の田に水を張った時のものであるが、この写真を撮ったところがさっぱり思い出せない。
いい場所なのでもう一度行ってみたいがどこだったか記憶にない。

多分仲間と撮影行をし、連れて行かれたのだろうと思っている。
今ではこの景色も変わっているだろう。




串本1973年2020年05月16日 17時53分20秒

今日は雨。
どこへも行けない。
またこれまでの写真を少し整理した。

串本の1979年のものであるが、この頃から串本だけではなく日本全体がドトウのごとく国土を壊しはじめた。
海岸線埋め立てをし川をせき止めダムを造り、田んぼでは農薬をまき散らかした。
そのしっぺ返しを今受けている感じがする。

ウナギが減ったと騒いでいるが、その原因は自分たちにあることにほっかぶりをしている。
ハード的に壊れたものはもう仕方ないが、今度は人の気持ちまで壊そうとしているアホがいる。

せめて田んぼや海岸線などの生態系を昔のように戻してほしいね。
例えば川から魚が田んぼに上がれるようにするとか、工夫をすればそれらはさほど難しくない。

もう専門家は当てにせず、自分たちの子供の頃を振り返りながら、可能な限り復旧させればいい。

温暖化で地球が狂ってきているとき、是非やらねばいけないことだと思う。
今度のコロナ禍が過ぎると食料の供給が十分でなくなる恐れがあるが、日本の食料自給率を少しずつあげるようにしないと大変なことになりそうな気がする。
専門家は、一応警告を発するが実際に自ら動くことは少ない。
風呂屋の看板、「ゆ」だけである。


まだ埋め立ては始まっていない。魚はよく釣れた。

串本1973年

同じ位置から浅海の防潮堤。養殖筏が見える。

串本1973年

夜この下に貝やなまこを採りに行った。たくさんあった。
今そんなことをすると袋だたきに遭う。

串本1973年

泳ぐのにはいいが夏になるとクラゲ「モエラ」が大量に流れ着きよくさされるのであまり泳がなかった。波も結構高かった気がする。今はサーフィンをする人がいるのかな。

はっきりしない一日2020年05月03日 21時40分45秒

我がふるさと串本風景
今日ははっきりしない天気。
朝5時に目が覚めた。一日眠かった。

そしてどこへも行かず。
ウンドーフソク解消のためにとビデオを見ながら足踏み器を踏んだ。
見たビデオは、高橋真梨子のステージ「フェスタ」とポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの「明日に向って撃て」だった。
この2本は今までも何度も見ているが、何回見ても面白い。

特に「明日に向って撃て」は名画だね。
バートバカラックの「雨に濡れても」は名曲。
ポール・ニューマンのブッチとロバート・レッドフォードのサンダンスの主人公2人はかっこいい。
それでいて二人ともどこか寂しい感じがこの映画に単なる西部劇にない深みを与えている。

キャサリン・ロスのエッタの抑えた演技がまたよくて二人が引き立っている。
普通西部劇は、拳銃使いの主人公が勧善懲悪してハッピーエンドとなるのだが、この映画は二人が追っ手に追いかけられ最後は、無数の銃口の中に飛び出していく。

私は、ロバートレッドフォードの髪型に憧れて、そんな髪型を夢見たが、すでに毛はなくなりつつあった。

コロナウィルスはまだ猛威を振るっているが、それにしても、まだ届いていないアベノマスクの、発注先の5社のうち、後でわかった随契2社は極めてうさんくさい、謎だらけである。

業務分割し発注をしたらしいが契約書に合計金額すらないそうである。
後々検察の追及逃れをするため、検察トップを息のかかった人に、法律をねじ曲げてまで任命した理由なのかと、疑ってしまう。
これほどまでに国民をこけにした首相はいただろうか。

そして今度はコロナのどさくさを利用して憲法を変えようとしている。
私は9条を除いては、時代に合わない不具合な部分は変えればいいと思っているが、今のAさんのままだといっているような「国民主権、基本的人権の尊重、そして平和主義の基本理念」はこれまでも守っていないし、これからも守られそうにない。
またぞろ議論もせずに数のものを言わせて決めてしまうのかと思ったら、さみしくなる。

これまでも悪いことをした首相は何人かいたが、みなわかりやすい悪さであった。
そして潔かったが、そうでない人がトップになると国民はフラストレーションを起こす。

写真は1979年の串本港。
5月1日のは、2002年だからかなり以前のもの。

少し古い写真2002年2020年05月01日 11時52分03秒

今日は暑いくらいだった。
一気に夏が来そうである。早くコロナが終息しないと台風が来てダブルパンチを食らうかもしれない。
それに地震など来るとトリプルパンチ。
なんとなく来そうな気がする。

今スキャンした古い写真を整理し直しているが、こんな写真も出てきた。
串本から大島に橋が架かってすぐだと思うが、昔写真を撮ったところと同じ場所で撮ったもの。

串本2002年

大島に架かる橋が見えている。

串本2002年

漁港が一望。

串本2002年

なんか昔の景色の方がよかった感じ。なんかバラバラな景色である。
これで観光客を増やそうとしてもダメ!

串本へも行きたいが、コロナでどこへも行けず。
仕方なしに家の庭に来る昆虫や庭の花をカシャ!
早く終息してほしいね。