今日もいい天気だった2020年07月02日 22時48分34秒

今日もいい天気。
朝からまた一つホームページを新しくした。
やはり昔時間がなかった頃のは作りが荒く、デザインも悪い。
それに画像が重いのでリサイズしながらページを作り替えているので時間がかかる。
しかし楽しい作業ではある。

あれこれ作りたいのはたくさんあるが、最近のはブログに任せている。
ページの容量が多くなると追加料金を取られるので軽く軽くしている。
あまり軽くすると今度は画質が落ちてみるに耐えないようなものになる。
そのさじ加減が難しい。
今旅のページを作り直しているが、行ったときのことを思い出しながらリニューアルしている。
よくあちこち行ったなと思う。

yahooのニュースを拾い読みしていたら、『米科学誌「プロスワン(PLOS ONE)」に掲載された論文によると、豪ウエスタンオーストラリア(Western Australia)州の遠隔地の沿岸水深約2メートルの海底で、7000年以上前にアボリジニの人々が作製した古代の石器が数百個発見されたという。』という記事があった。すごいね。
これでオーストラリアの原住民の暮らしぶりがわかったらすばらしい。

日本では卑弥呼がどこにいたかというのが未だにわからないが、私は、古事記や日本書紀を作るとき都合悪いから歴史の事実から抹消されたのではないかと思っている。
きっと時の権力を握ったものが、卑弥呼がいたと言うことを後の世に引き継ぎたくなかったからだろう。
もし彼女がいたら天皇家を立ち上げるとき都合が悪いと思う。
秦の始皇帝がやったような焚書に近いことをやったのではないだろうか。

それは現在もある。
大事な公文書を、「それらの文書は廃棄しました」といとも簡単に、廃棄したとのたまう忖度マンがいつの時代にもいる。

写真は、最近“日本のアマルフィ”と呼ばれている雑賀崎の1975年7月のスナップである。急峻な地形に建物が張り付いたような独特の景観は、確かにアマルフィとよく似ているが、1975年当時は町中もクラシックで今より遙かによかった。

1975年7月田ノ浦漁港

漁をする舟はほとんどすべてが同じ色塗りで、これだけでもかなりインパクトがあった。

1975年7月田ノ浦漁港

1975年7月田ノ浦漁港

1975年7月田ノ浦漁港

そろそろ田植えが始まる2020年05月24日 20時46分14秒

田植えの時期である。
今日は一歩も外に出ず、作業もしなかった。
こんな日は珍しい。
特に理由はないがいろいろ考えてしまって体が前にでない、というのが本当のところか。

そろそろ田植えがあちこちで始まっている。
この辺はまだ他起こしが終わったところでこれからの感じである。

食糧自給率がいわれ出して久しいがそれに対して政府は手を打っていない。
少なくともどんな施策をしているのかさっぱり伝わってこない。
コロナ禍で世界各国が自国の食料を守るためにいろいろ考えていると思うが、Aさんの下では具体的には出てこないだろう。

そういえば今日町内放送で「コロナ禍に対する10万円の処理が遅くなり申し分けない」との放送があった。
遅くなるのは覚悟していたが、あまりにも遅かった。
マスクもまだ届かない。もはやいらないが早く現物を見たい。
マスコミはそのあたりをもっと攻めてほしいね。

写真は1980年どこかの里山の田に水を張った時のものであるが、この写真を撮ったところがさっぱり思い出せない。
いい場所なのでもう一度行ってみたいがどこだったか記憶にない。

多分仲間と撮影行をし、連れて行かれたのだろうと思っている。
今ではこの景色も変わっているだろう。




串本1973年2020年05月16日 17時53分20秒

今日は雨。
どこへも行けない。
またこれまでの写真を少し整理した。

串本の1979年のものであるが、この頃から串本だけではなく日本全体がドトウのごとく国土を壊しはじめた。
海岸線埋め立てをし川をせき止めダムを造り、田んぼでは農薬をまき散らかした。
そのしっぺ返しを今受けている感じがする。

ウナギが減ったと騒いでいるが、その原因は自分たちにあることにほっかぶりをしている。
ハード的に壊れたものはもう仕方ないが、今度は人の気持ちまで壊そうとしているアホがいる。

せめて田んぼや海岸線などの生態系を昔のように戻してほしいね。
例えば川から魚が田んぼに上がれるようにするとか、工夫をすればそれらはさほど難しくない。

もう専門家は当てにせず、自分たちの子供の頃を振り返りながら、可能な限り復旧させればいい。

温暖化で地球が狂ってきているとき、是非やらねばいけないことだと思う。
今度のコロナ禍が過ぎると食料の供給が十分でなくなる恐れがあるが、日本の食料自給率を少しずつあげるようにしないと大変なことになりそうな気がする。
専門家は、一応警告を発するが実際に自ら動くことは少ない。
風呂屋の看板、「ゆ」だけである。


まだ埋め立ては始まっていない。魚はよく釣れた。

串本1973年

同じ位置から浅海の防潮堤。養殖筏が見える。

串本1973年

夜この下に貝やなまこを採りに行った。たくさんあった。
今そんなことをすると袋だたきに遭う。

串本1973年

泳ぐのにはいいが夏になるとクラゲ「モエラ」が大量に流れ着きよくさされるのであまり泳がなかった。波も結構高かった気がする。今はサーフィンをする人がいるのかな。

はっきりしない一日2020年05月03日 21時40分45秒

我がふるさと串本風景
今日ははっきりしない天気。
朝5時に目が覚めた。一日眠かった。

そしてどこへも行かず。
ウンドーフソク解消のためにとビデオを見ながら足踏み器を踏んだ。
見たビデオは、高橋真梨子のステージ「フェスタ」とポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの「明日に向って撃て」だった。
この2本は今までも何度も見ているが、何回見ても面白い。

特に「明日に向って撃て」は名画だね。
バートバカラックの「雨に濡れても」は名曲。
ポール・ニューマンのブッチとロバート・レッドフォードのサンダンスの主人公2人はかっこいい。
それでいて二人ともどこか寂しい感じがこの映画に単なる西部劇にない深みを与えている。

キャサリン・ロスのエッタの抑えた演技がまたよくて二人が引き立っている。
普通西部劇は、拳銃使いの主人公が勧善懲悪してハッピーエンドとなるのだが、この映画は二人が追っ手に追いかけられ最後は、無数の銃口の中に飛び出していく。

私は、ロバートレッドフォードの髪型に憧れて、そんな髪型を夢見たが、すでに毛はなくなりつつあった。

コロナウィルスはまだ猛威を振るっているが、それにしても、まだ届いていないアベノマスクの、発注先の5社のうち、後でわかった随契2社は極めてうさんくさい、謎だらけである。

業務分割し発注をしたらしいが契約書に合計金額すらないそうである。
後々検察の追及逃れをするため、検察トップを息のかかった人に、法律をねじ曲げてまで任命した理由なのかと、疑ってしまう。
これほどまでに国民をこけにした首相はいただろうか。

そして今度はコロナのどさくさを利用して憲法を変えようとしている。
私は9条を除いては、時代に合わない不具合な部分は変えればいいと思っているが、今のAさんのままだといっているような「国民主権、基本的人権の尊重、そして平和主義の基本理念」はこれまでも守っていないし、これからも守られそうにない。
またぞろ議論もせずに数のものを言わせて決めてしまうのかと思ったら、さみしくなる。

これまでも悪いことをした首相は何人かいたが、みなわかりやすい悪さであった。
そして潔かったが、そうでない人がトップになると国民はフラストレーションを起こす。

写真は1979年の串本港。
5月1日のは、2002年だからかなり以前のもの。

少し古い写真2002年2020年05月01日 11時52分03秒

今日は暑いくらいだった。
一気に夏が来そうである。早くコロナが終息しないと台風が来てダブルパンチを食らうかもしれない。
それに地震など来るとトリプルパンチ。
なんとなく来そうな気がする。

今スキャンした古い写真を整理し直しているが、こんな写真も出てきた。
串本から大島に橋が架かってすぐだと思うが、昔写真を撮ったところと同じ場所で撮ったもの。

串本2002年

大島に架かる橋が見えている。

串本2002年

漁港が一望。

串本2002年

なんか昔の景色の方がよかった感じ。なんかバラバラな景色である。
これで観光客を増やそうとしてもダメ!

串本へも行きたいが、コロナでどこへも行けず。
仕方なしに家の庭に来る昆虫や庭の花をカシャ!
早く終息してほしいね。



和歌山県立自然博物館2020年02月15日 21時49分12秒

朝からはなんとなく鬱陶しい天気だったのでテレビの録画を見て時間を過ごしたが、昼から自然博物館に深海魚を見にいくことにした。
60歳以上はただなので安上がりである。
休みなので親子連れもたくさん来ていた。

この博物館小さいがなかなか面白い。
もっと宣伝してたくさんの人に見てほしいと思う。
生き物もさることながら、和歌山の鉱物や地形の面白さをもっと県民に知ってほしい。
和歌山は日本でも面白く貴重な自然の宝庫なのである。
化石もたくさん見つかっている。
紀伊半島は、火山あり、鍾乳洞ありの素晴らしいところである。
そんな面白いところの展示している。

先月串本で捕獲された深海魚ラブカはケースの中にあった。
一目で、深海魚であり太古からその姿を変えていないことがわかる、異様な雰囲気を漂わせていた。
捕獲したときはまだ生きていたのだが死んだのでこの博物館に持ち込んだという。

小さな博物館だが、丹念に見て歩くと結構時間がかかる。

見終わった後藤白神社に参拝した。

和歌山県立自然博物館

深海魚「ラブカ」

和歌山県立自然博物館

和歌山県立自然博物館

結構たくさんの人が来ていた。
親子連れが多かった。

和歌山県立自然博物館

和歌山県立自然博物館

和歌山県立自然博物館

和歌山県立自然博物館

和歌山県立自然博物館

今日和歌山で5人目のコロナウィルスによる新型肺炎患者が出た。
和歌山は悪いことばかりが全国ニュースになる。
博物館でも大きな消毒用のスプレーを玄関に備え付けていた。
湯浅町といえば知っている人も多く気になる。
医師とその奥さんや患者が罹患したので院内感染かもといっているが、早く感染経路を特定してほしいね。

高野山に紅葉を見に登った2019年11月04日 22時27分10秒

山に久しく登っていないので、少しトレーニングのつもりで高野三山を登ることにした。
今日は車が混むだろうなと思っていたが、それは当たり、高野山内のどの駐車場もいっぱいで、スカイラインに少し入ったところに臨時駐車場ができていて、そこに駐車した。
はじめは2台ほどだったが、登山の準備が終わるころにはもう10台ほどが駐車をしていた。

歩き始めは12時ちょうど。いつもながら遅い出発である。
まず奥の院参道に向かった。
紅葉目当ての人がいっぱいだった。
参道を抜け、水子供養塔の前を過ぎたのは12時30分であった。
いろいろ見学したり、写真を撮りながら歩いて摩尼山登山口についたのは12時45分だった。
昼食もせずに上り始めた。
約20分ほど歩いて摩尼峠についた。
そこで昼食することにした。
昼食はふもとのセブンイレブンで買ったおにぎりとサンドイッチにした。
昼食は30分ほどかかった。
歩き出そうとしたとき下から外人の男女二人連れが登ってきた。
最初の女性が、

「コンニチワ」と日本語であいさつしてくれた。

二人目の男性には私が、

「ハイ!」

と呼びかけた。
ニコッと笑いで返してくれたが、言葉はそれきりだった。
わき目もふらない感じで登って行った。
次に会った二人の外国人女性には笑顔で挨拶をしただけだった。

途中6人に出会ったが、4人が外国の人だった。

再び歩き始め磨尼山山頂についたのは、14時26分でかなり遅かった。
そこから1時間足らずで黒河峠分岐につき、これからの距離と駐車場に着く時間を考えて、楊柳山方面にはいかず、そこから三本杉への道をショートカットすることにした。

三本杉についたのは16時16分で、いつものように湯を沸かし、暖かいココアを飲んだ。20分ほどゆっくりし、もとの駐車場に着いたのは17時16分で、これまたいつものように私の車が最後に一台ぽつんと残っていた。

久しぶりの山だったので少し不安はあったが、何とか歩くことができた。
今度はもっと長いところを歩かなければと思う。
今日のルートはちょうどいい距離とアップダウンの山道だったかなと思う。

もっと紅葉を期待していたが、まだ完全ではなく、銀杏の葉もなんとなく今年は小さく感じるが、黄葉はきれいだった。温暖化の影響で紅葉も昔のように赤くならないかもしれない。

高野山 磨尼山

高野山 磨尼山

高野山 磨尼山


高野山 磨尼山

水子供養塔。

高野山 磨尼山

途中で見た大国さんだがなぜここにという感じでポツンとあった。

高野山 磨尼山

案内板の上に載っていたくまさん。

高野山 磨尼山

いがぐりのからが苔の上に。

高野山 磨尼山

磨尼山山頂にある祠。

高野山 磨尼山

祠の中の如意輪観音。

高野山 磨尼山

高野山 磨尼山

道に生えていたキノコ。
今日はキノコウォッチも楽しみだったが思ったより種類はなく生えていなかった。

高野山 磨尼山

黒河峠。巨木が毛こそぎ倒れていた。

高野山 磨尼山

三本杉のほうに降りた。

高野山 磨尼山

道の途中でこれも根こそぎ倒れたヒノキが道を完全にふさいでいた。

高野山 磨尼山

この道の終わりころに、トロッコの線路がある。
昔木を切って運んだのだろうか。

高野山 磨尼山

三本杉に到着。

高野山 磨尼山

ココアブレーク。

高野山 磨尼山

もうお月様が出ていた。

高野山 磨尼山

ポツンと一台。


今日は理想的なバイク日和だったけど2019年10月20日 22時01分51秒

山羊
今朝からいい天気。
かといってカンカン照りではなく、気温もバイクに最適の感じであった。
しかしどこへも行かなかった。

少し心残りの日曜日。
ストレス解消にならなかった。
パソコンのDVDで「ニューシネマパラダイス」を見た。
この映画も4度目くらいである。
映画館で見たいが結構古い映画なのでなかなかやっていない。
東京あたりではやっているかも。
エンリコ・モリコーネの音楽もいい。
サルバトーレの子供の頃の役をしている少年が素晴らしい。
サルバドーレとアルフレッドの会話が面白く、ついつい見てしまう。
劇中に挿入されている古い映画も面白く、映画の歴史もわかる。
本当の映画好きが作った、という感じの映画である。

写真は、1974年新宮市の川縁。
山羊の哲学者風の表情が面白くて撮ったものだが、何かのコンテストで入選した。
最近はこうして山羊を飼っている農家も少なくなった。

少し涼しくなってきた2019年10月04日 12時30分14秒

1989年10月。
河島英五さんのコンサート。
北山村の池原ダムの下でやった。
手作り感あふれるいいコンサートだった。
南米のバンドも参加したアットホームなコンサートだった。

コンサートでめったに涙を流すことはないのだが、河島さんのトークの中で自身のお父さんのことをしゃべったが、父を思い出し、ついほろり。

河島英五

そういえばネオン街によく行ったころこの人の「野風増」「酒と泪と男と女」「時代遅れ」などは下手なりによく歌った。
「生きてりゃいいさ」も歌わなかったがいい歌である。

河島英五

河島英五

河島英五

河島英五

2001年4月16日に48歳で肝臓を悪くして亡くなった。
そう違わない年で、いい歌をたくさん歌ってくれた。
忘れられない歌手である。
もっと長生きしていい歌を世に送り出してほしかった。

河島さんのお墓は奈良市の十輪院に建てられているらしいので今度奈良に行った折に行ってみたい。

カラー写真は白黒写真から、5,6年あとの同じ場所でのコンサートであるが、施設がフツーのものになっている。
何もないところでやっていた始めの頃の雰囲気のほうがよかった。



今日は土佐堀川の堰堤を歩いて帰ってが、ひとり竿を5本ほど出して何やら釣っていた。

「何が釣れます?」
「ウナギや」
「この前だれかここでチヌを釣っていましたが」
「チヌはいくらでも釣れる。ここはいい潮が上がるからね」
「涼しくなったのでいいですね」
「そうや最高やね」

真夏と比べればずいぶん涼しくなった川筋での釣りは楽しいだろう。

御堂筋にもたくさんあるが、ここにも彫刻がいくつかある。

クジラのことなど2019年09月30日 12時53分58秒

先日はウミガメのことを買いたが、熊野地方は古くからクジラ漁も盛んであった。
それは今でも「食文化」の一環としてずっと続いている。
私も子供の頃、すき焼きはほとんどがクジラ肉だった。

カナダのイヌイットなどがアザラシやクジラを食べるのと同様であるが、追い込み漁が鯨を必要以上に苦しませるということから「クジラを取るな!」ということになっている側面もある。

それらは認識しているが、やはり「食文化」を担ってきたクジラである。
最近は、商業捕鯨や小型沿岸捕鯨、調査捕鯨などをすべて含む鯨肉の生産量は、昭和37年の22万6千トンをピークに、平成29年には3千トンにまで落ち込んでいるという。
消費量も激減する中、商業捕鯨が成り立つかどうかという懸念もあるが、やはりクジラの生息数をきちんと把握し、種の保存を確認しながら、漁は続けるべきだと思う。

問題は、いつも地球環境や生物のことを無視し、儲けのことばかり優先するからで、すべてがいびつになってくる。
クジラの捕獲にしても、コストが合わなかったらなくなってしまうだろう。

種に関していえばこれらもウミガメの減少と一緒で、地球環境が彼らにとっていこごちのいいものであったら、人間にとって必要数を捕獲しても増えもせず減りもせずいいバランスで数を保つ。

今年はサンマが不漁であるが、かれらも生活しやすいところに逃げているのではあるまいか。自然はそんなにやわではなく、そこに暮らす生き物も環境に応じて移動し、進化し、食性も変化させながら、生き延びる方法を考える。

環境を壊した人間は、これ以上地球を傷つけない方法を考え自分たちも生き延びる方法を考えていかなくてはと思う。

写真は1973年。
もうずいぶん前だが、シャチを捕獲、解体している所である。
何かいい被写体が無いかと、ふらっと行った所、シャチの首だけがあったのでびっくりし、撮ったものである。







今ではシャチなどを捕獲しないので、こういう所は撮れないだろう。

しかしシャチは大きい。
このあたりの人は、海からの恵みに感謝し、その動物の死を無駄にせず余すところなく、利用する。
これが動物と人との昔からの関係かな。