高野山に紅葉を見に登った2019年11月04日 22時27分10秒

山に久しく登っていないので、少しトレーニングのつもりで高野三山を登ることにした。
今日は車が混むだろうなと思っていたが、それは当たり、高野山内のどの駐車場もいっぱいで、スカイラインに少し入ったところに臨時駐車場ができていて、そこに駐車した。
はじめは2台ほどだったが、登山の準備が終わるころにはもう10台ほどが駐車をしていた。

歩き始めは12時ちょうど。いつもながら遅い出発である。
まず奥の院参道に向かった。
紅葉目当ての人がいっぱいだった。
参道を抜け、水子供養塔の前を過ぎたのは12時30分であった。
いろいろ見学したり、写真を撮りながら歩いて摩尼山登山口についたのは12時45分だった。
昼食もせずに上り始めた。
約20分ほど歩いて摩尼峠についた。
そこで昼食することにした。
昼食はふもとのセブンイレブンで買ったおにぎりとサンドイッチにした。
昼食は30分ほどかかった。
歩き出そうとしたとき下から外人の男女二人連れが登ってきた。
最初の女性が、

「コンニチワ」と日本語であいさつしてくれた。

二人目の男性には私が、

「ハイ!」

と呼びかけた。
ニコッと笑いで返してくれたが、言葉はそれきりだった。
わき目もふらない感じで登って行った。
次に会った二人の外国人女性には笑顔で挨拶をしただけだった。

途中6人に出会ったが、4人が外国の人だった。

再び歩き始め磨尼山山頂についたのは、14時26分でかなり遅かった。
そこから1時間足らずで黒河峠分岐につき、これからの距離と駐車場に着く時間を考えて、楊柳山方面にはいかず、そこから三本杉への道をショートカットすることにした。

三本杉についたのは16時16分で、いつものように湯を沸かし、暖かいココアを飲んだ。20分ほどゆっくりし、もとの駐車場に着いたのは17時16分で、これまたいつものように私の車が最後に一台ぽつんと残っていた。

久しぶりの山だったので少し不安はあったが、何とか歩くことができた。
今度はもっと長いところを歩かなければと思う。
今日のルートはちょうどいい距離とアップダウンの山道だったかなと思う。

もっと紅葉を期待していたが、まだ完全ではなく、銀杏の葉もなんとなく今年は小さく感じるが、黄葉はきれいだった。温暖化の影響で紅葉も昔のように赤くならないかもしれない。

高野山 磨尼山

高野山 磨尼山

高野山 磨尼山


高野山 磨尼山

水子供養塔。

高野山 磨尼山

途中で見た大国さんだがなぜここにという感じでポツンとあった。

高野山 磨尼山

案内板の上に載っていたくまさん。

高野山 磨尼山

いがぐりのからが苔の上に。

高野山 磨尼山

磨尼山山頂にある祠。

高野山 磨尼山

祠の中の如意輪観音。

高野山 磨尼山

高野山 磨尼山

道に生えていたキノコ。
今日はキノコウォッチも楽しみだったが思ったより種類はなく生えていなかった。

高野山 磨尼山

黒河峠。巨木が毛こそぎ倒れていた。

高野山 磨尼山

三本杉のほうに降りた。

高野山 磨尼山

道の途中でこれも根こそぎ倒れたヒノキが道を完全にふさいでいた。

高野山 磨尼山

この道の終わりころに、トロッコの線路がある。
昔木を切って運んだのだろうか。

高野山 磨尼山

三本杉に到着。

高野山 磨尼山

ココアブレーク。

高野山 磨尼山

もうお月様が出ていた。

高野山 磨尼山

ポツンと一台。


今日は理想的なバイク日和だったけど2019年10月20日 22時01分51秒

山羊
今朝からいい天気。
かといってカンカン照りではなく、気温もバイクに最適の感じであった。
しかしどこへも行かなかった。

少し心残りの日曜日。
ストレス解消にならなかった。
パソコンのDVDで「ニューシネマパラダイス」を見た。
この映画も4度目くらいである。
映画館で見たいが結構古い映画なのでなかなかやっていない。
東京あたりではやっているかも。
エンリコ・モリコーネの音楽もいい。
サルバトーレの子供の頃の役をしている少年が素晴らしい。
サルバドーレとアルフレッドの会話が面白く、ついつい見てしまう。
劇中に挿入されている古い映画も面白く、映画の歴史もわかる。
本当の映画好きが作った、という感じの映画である。

写真は、1974年新宮市の川縁。
山羊の哲学者風の表情が面白くて撮ったものだが、何かのコンテストで入選した。
最近はこうして山羊を飼っている農家も少なくなった。

少し涼しくなってきた2019年10月04日 12時30分14秒

1989年10月。
河島英五さんのコンサート。
北山村の池原ダムの下でやった。
手作り感あふれるいいコンサートだった。
南米のバンドも参加したアットホームなコンサートだった。

コンサートでめったに涙を流すことはないのだが、河島さんのトークの中で自身のお父さんのことをしゃべったが、父を思い出し、ついほろり。

河島英五

そういえばネオン街によく行ったころこの人の「野風増」「酒と泪と男と女」「時代遅れ」などは下手なりによく歌った。
「生きてりゃいいさ」も歌わなかったがいい歌である。

河島英五

河島英五

河島英五

河島英五

2001年4月16日に48歳で肝臓を悪くして亡くなった。
そう違わない年で、いい歌をたくさん歌ってくれた。
忘れられない歌手である。
もっと長生きしていい歌を世に送り出してほしかった。

河島さんのお墓は奈良市の十輪院に建てられているらしいので今度奈良に行った折に行ってみたい。

カラー写真は白黒写真から、5,6年あとの同じ場所でのコンサートであるが、施設がフツーのものになっている。
何もないところでやっていた始めの頃の雰囲気のほうがよかった。



今日は土佐堀川の堰堤を歩いて帰ってが、ひとり竿を5本ほど出して何やら釣っていた。

「何が釣れます?」
「ウナギや」
「この前だれかここでチヌを釣っていましたが」
「チヌはいくらでも釣れる。ここはいい潮が上がるからね」
「涼しくなったのでいいですね」
「そうや最高やね」

真夏と比べればずいぶん涼しくなった川筋での釣りは楽しいだろう。

御堂筋にもたくさんあるが、ここにも彫刻がいくつかある。

クジラのことなど2019年09月30日 12時53分58秒

先日はウミガメのことを買いたが、熊野地方は古くからクジラ漁も盛んであった。
それは今でも「食文化」の一環としてずっと続いている。
私も子供の頃、すき焼きはほとんどがクジラ肉だった。

カナダのイヌイットなどがアザラシやクジラを食べるのと同様であるが、追い込み漁が鯨を必要以上に苦しませるということから「クジラを取るな!」ということになっている側面もある。

それらは認識しているが、やはり「食文化」を担ってきたクジラである。
最近は、商業捕鯨や小型沿岸捕鯨、調査捕鯨などをすべて含む鯨肉の生産量は、昭和37年の22万6千トンをピークに、平成29年には3千トンにまで落ち込んでいるという。
消費量も激減する中、商業捕鯨が成り立つかどうかという懸念もあるが、やはりクジラの生息数をきちんと把握し、種の保存を確認しながら、漁は続けるべきだと思う。

問題は、いつも地球環境や生物のことを無視し、儲けのことばかり優先するからで、すべてがいびつになってくる。
クジラの捕獲にしても、コストが合わなかったらなくなってしまうだろう。

種に関していえばこれらもウミガメの減少と一緒で、地球環境が彼らにとっていこごちのいいものであったら、人間にとって必要数を捕獲しても増えもせず減りもせずいいバランスで数を保つ。

今年はサンマが不漁であるが、かれらも生活しやすいところに逃げているのではあるまいか。自然はそんなにやわではなく、そこに暮らす生き物も環境に応じて移動し、進化し、食性も変化させながら、生き延びる方法を考える。

環境を壊した人間は、これ以上地球を傷つけない方法を考え自分たちも生き延びる方法を考えていかなくてはと思う。

写真は1973年。
もうずいぶん前だが、シャチを捕獲、解体している所である。
何かいい被写体が無いかと、ふらっと行った所、シャチの首だけがあったのでびっくりし、撮ったものである。







今ではシャチなどを捕獲しないので、こういう所は撮れないだろう。

しかしシャチは大きい。
このあたりの人は、海からの恵みに感謝し、その動物の死を無駄にせず余すところなく、利用する。
これが動物と人との昔からの関係かな。

ウミガメのことなど2019年09月28日 20時47分32秒

串本は土地も狭く田も少なく牧場もないため、海からの恵みで生きてきた。
鯨や亀は、貴重なタンパク源であった。
それがいつの頃からかウミガメの生息数が減り、絶滅危惧種の保護動物になってしまった。
鯨はいろいろとややこしい問題を抱えながら、漁をしている。
牛肉を食べるのには抵抗がないくせに、野生動物が殺され食卓に上がるとかわいそうだという人たちがいるが、どこかおかしい。

写真は1973年の我が串本でのウミガメの解体風景である。
私の子供の頃は時々こうした風景があった。
亀が上がると近所が集まって大きな鍋で亀の肉をゆで、皆でつついた。
味はすっぽん料理の匂いをきつくした感じだが、おいしい。
栄養たっぷりの感じがする。当時は醤油だけで食べた。

私が子供の頃の記憶からすると、年間捕獲した亀はせいぜい50頭くらいだったと思うが、それぐらい捕獲しても減ることは無い。
小笠原では現在も130頭程度捕獲が許可されているそうである。

私は亀が減った理由は、産卵場所を減らしてしまったためだと考える。
大事な砂浜や渚を不必要な埋め立てや護岸工事をして、彼らの産卵場所を狭めてしまったためである。

人間の経済活動が彼らを存続の危機に陥らせ、少なくなってきたから保護しようといっても、もう遅い。

ウミガメ

解体している所も昔は砂浜だった。

砂浜が昔のまま残っていたなら、何百匹いやもっとたくさんの亀が生まれたはずである。亀は生まれた浜に産卵しに戻るが、産もうした砂浜が、コンクリートで覆われていたら産卵場所が無くなる。この浜もすでにコンクリートで覆われている。
亀の産卵は不可能である。

ここが元の砂浜なら少なくとも10頭の産卵場所はある。
1頭200個ほど産卵するとして、2000頭がこの浜を巣立つ。
成体になるのはそのうちの一割にも満たないと言うが、10頭ほど戻れば以前の親亀も合わせ総数は増えても減りはしない。
この単純な計算を狂わせたのが、人間の経済活動であると言うことをわかってほしいのである。

写真はもっとたくさん撮ったのだが、少し刺激が強いシーンがあるので2枚にした。

彼らが産卵できる砂浜がもっとたくさんほしいが、かなり絶望的である。
それに加えて最近ではプラスチックの問題でも深刻な影響があるとニュースでよく出る。そのうち絶滅してしまうのでは無いかと心配している。

ウミガメ

秋がどんどん進んでいく2019年09月26日 13時05分57秒

ヒガンバナが花盛りとなってきた。
秋が進んできた。

稲穂もほとんどの田んぼで黄色くなってきた。

最近は雀も少なくなって案山子の立っているたもすくなくなってきた。
1970年代に新宮市の田で毎年新しい案山子を作っている人がいた。
その案山子たちはユニークなのでよく写真を撮りに行った。

それらの案山子をと撮ってコンテストに入選したことも何度かある。
明日香村の稲淵の案山子コンテストは有名だが、下の写真の案山子たちは、雀を追っ払うというシメイに燃えている感じで楽しかった。

かかし1974年

かかし

かかし

かかし

実際にはどれだけ効果があったかわからないが、こうして目を楽しませてくれる案山子たちが各地で少なくなっているのは少し、寂しいものがある。

秋らしいいい天気2019年09月19日 12時35分52秒

今朝はずいぶん涼しかった。
通勤の道の両脇にはもう稲を刈り取っている田もある。

まだヒガンバナは咲いていない。
あと4日しかないが、咲いてくれるだろうか?

バイクのクロスカブ110を注文した。
現物は10月にならないと来ないが、早く見たい。
このバイクでいろいろやりたいことがあって、夢がわく。
色は黄色にした。
CB400SSはまた買い取り専門店に引き取ってもらうことにする。

クロスカブ110

そういえば先日のサウジアラビアへの石油施設への攻撃はドローンだったようで、いよいよ来たかという感じである。
どこが攻撃したかはよくわからないが、小さな無人機で石油施設に大きなダメージを与えたということに、怖いものを感じる。

まさにマンガでしかなかった無人機による攻撃には、衝撃を受けた。
そういえば福島原発の事故の時もアメリカはドローンを飛ばし放射能漏れがあることをいち早く察知し、自国民に日本から脱出するように促したということである。
それらは日本のメディアではほとんど報道されることはなかった。

アメリカではドローンを飛ばすために、プロのゲーマーを雇っているという。
ゲーマーなら操作テクニックもすごいだろう。
これからの戦争はいつどこでどのように起こるかわからなくなってきた。
ゲーム感覚で戦争を起こされてはかなわない。

昨日会社訪問にきたひとが話の中で、
「作業効率化のためにロボットを導入しませんか?」
というと、相手の経営者がこたえて、
「置く場所もないのでいいです」
という返事だったといって、
「世間はそんなものです」
と嘆いていた。
提案したのは、ソフトのロボットだったのだが、相手の方は人間型をしたロボットとおもっていたようである。
ドローン(無人航空機)にしても同じようなことがいえる。
今回も攻める側に人的被害はなく施設が破壊できた。
それもドローンによる。

写真は1973年那智山のふもとにあった鉱山跡である。
この建物は人もめったに来なかったのでこの中でヌードの撮影会なんかを何度かやった。
今でもまだあるのだろうか。

那智鉱山

最盛期にはこの下に車が止まり荷受けしたのだろうか。

那智鉱山

なんとなく雑然とした工場の中。

那智鉱山

那智鉱山

事務所。まだ書類なども残っていた。

那智鉱山

坑道かな。

那智鉱山

やっといい気候に2019年09月18日 12時24分53秒

今朝の通勤路。
土佐堀川をふと見ると、パドルボートが3艘こちらに向かっていた。
男性二人、女性も一人。
これから出勤かな?
だとしたら渋滞もなくすいすい、とはいかないと思う。

今朝は少し風があり、向きは向かい風であった。結構きついと思う。

最近カヌーを漕いでいない私にとっては、羨ましい光景である。
いつも持ち歩くニコンのコンデジが壊れたのでスマホで撮ったが、なぜか白黒で撮れた。

それにしてもスマホのカメラはよく写る。
昔の「写ルンです」とは雲泥の差で、時代の進歩を感じる。

土佐堀川

そしてスキャンした古い写真。
1970年代の勝浦漁港。1978年かな。
このころは連日活気ある漁港だったが、今でもマグロが上がった時などにぎわうのだろうか。

勝浦漁港にて

マグロが大漁。

勝浦漁港にて

ふかのひれを干している。

勝浦漁港にて

クジラも水揚げされた。

勝浦漁港にて

雑魚もささやかにあった。

少し涼しくなってきた2019年09月17日 12時47分11秒

少し涼しくなってきたかな。
このままのいい気候のまま続いてほしい。
そろそろヒガンバナもあちこちで顔を見せる時期になってきたが、まだ見ていない。
彼岸ぎりぎりに咲くのが最近のヒガンバナの傾向でいつもやきもきさせるが、今年はどうだろうか。
ススキも出て穂が膨らんでいる。

田では稲穂もこうべをたれだした。もう刈り取りを始めているところもある。
自然は確実に季節を移しているが、人間社会はいまだどこの国もカオスのままである。

またまた原油が上がって、ガソリン代に影響が出てくるかもしれない。
ガソリンはあまり上がってほしくないね。

写真は年代は不明だが(1975年5位かな)、那智山境内である。

この当時は熊野古道も今ほど賑やかではなかった。
西国33か所としては有名であったが、いつ行っても人の数もほどほどで、いいところだった。

昨日スキャンした中にあったのでカキコした。

那智山スナップ

那智山

那智山

那智山

那智山

今日は少し暑さが和らいだ2019年09月16日 21時08分02秒

先日病院で認知症の検査をした。
高度なテストではなかったが、それなりに緊張した。
3つのワードを覚えて何分後かにもう一度その3つのワードを、聞かれたときは少しうろたえた。
「サクラ」「猫」「電車」と今でも思い出すのでまずはよしとするが、その本番ときは「猫」がでにくく少し考えた。

しかし身体能力の衰えは日々感じている。
駅の階段をハイヒールを履いて、カンカンカンとすごいスピードで、駆け下りている若い女性がいるが、うらやましい。

さらに視力が落ちているのには参る。
立ち読みもめがねを外さなければいけない。
そのスーパーの雑誌売り場には「立ち読み禁止」と書かれているのだが、それは読めない振りをする。

パソコンでばかり文書を処理するので、字が書けなくなった。
筆順もいい加減になって、訂正印が必要になることが多くなった。

スマホの扱いもよっぽど必要なアプリしか入れてなく、時々指が乾きすぎて反応しないときがある。

その指も、電車の吊革につかまっているとき隣に白魚のような手でぶら下がっている女子高生の横で、しわくちゃの私の手はいかにもお粗末である。

パソコンなどの操作マニュアルも読むのが面倒になった。
ところがこれは年の功か知らないが、わからないままその経験からかなんとかなってしまう。
ところが少し若いときはなんとかなってしまったところを記憶していたが、今は同じことをまた一からとなる。

日本は高齢化社会で、電車のつり革にぶら下がる手も、しわくちゃだらけになる日もそう遠くはない。
我が国はこのまま行けば活力を失ってしまい、さみしい国になりそうである。
AI化もいいが、差し迫る高齢化社会に対してどう取り組んでいくのか、早急に具体的な施策を打ち出し、実現をしていかなければいけないと思う。

我が国のお偉方や官僚の皆さんは前置きが長く、別のところの議論で結局は実効的な施策が出来ないでいる場合が多いので、失敗してもいいからとにかくやってみるという風潮を作って取り組んでほしい。
改憲議論もいいが、いろんな施策を進めるに当たってはまず施策を進めるに当たって障害になっている法律の見直しをしてほしい。
時代に合わない法律が一杯ありそれらをクリアすることにより、日本はもっと暮らしやすくなるはずである。

今日はロージンの日。

写真は今日断捨離をしながらスキャンした中にあったもので、いろんなものが干されていたが、こんな写真も撮っていた。雨が上がったからかな。

那智勝浦町1988年9月。