少し涼しくなってきた2019年10月04日 12時30分14秒

1989年10月。
河島英五さんのコンサート。
北山村の池原ダムの下でやった。
手作り感あふれるいいコンサートだった。
南米のバンドも参加したアットホームなコンサートだった。

コンサートでめったに涙を流すことはないのだが、河島さんのトークの中で自身のお父さんのことをしゃべったが、父を思い出し、ついほろり。

河島英五

そういえばネオン街によく行ったころこの人の「野風増」「酒と泪と男と女」「時代遅れ」などは下手なりによく歌った。
「生きてりゃいいさ」も歌わなかったがいい歌である。

河島英五

河島英五

河島英五

河島英五

2001年4月16日に48歳で肝臓を悪くして亡くなった。
そう違わない年で、いい歌をたくさん歌ってくれた。
忘れられない歌手である。
もっと長生きしていい歌を世に送り出してほしかった。

河島さんのお墓は奈良市の十輪院に建てられているらしいので今度奈良に行った折に行ってみたい。

カラー写真は白黒写真から、5,6年あとの同じ場所でのコンサートであるが、施設がフツーのものになっている。
何もないところでやっていた始めの頃の雰囲気のほうがよかった。



今日は土佐堀川の堰堤を歩いて帰ってが、ひとり竿を5本ほど出して何やら釣っていた。

「何が釣れます?」
「ウナギや」
「この前だれかここでチヌを釣っていましたが」
「チヌはいくらでも釣れる。ここはいい潮が上がるからね」
「涼しくなったのでいいですね」
「そうや最高やね」

真夏と比べればずいぶん涼しくなった川筋での釣りは楽しいだろう。

御堂筋にもたくさんあるが、ここにも彫刻がいくつかある。

クジラのことなど2019年09月30日 12時53分58秒

先日はウミガメのことを買いたが、熊野地方は古くからクジラ漁も盛んであった。
それは今でも「食文化」の一環としてずっと続いている。
私も子供の頃、すき焼きはほとんどがクジラ肉だった。

カナダのイヌイットなどがアザラシやクジラを食べるのと同様であるが、追い込み漁が鯨を必要以上に苦しませるということから「クジラを取るな!」ということになっている側面もある。

それらは認識しているが、やはり「食文化」を担ってきたクジラである。
最近は、商業捕鯨や小型沿岸捕鯨、調査捕鯨などをすべて含む鯨肉の生産量は、昭和37年の22万6千トンをピークに、平成29年には3千トンにまで落ち込んでいるという。
消費量も激減する中、商業捕鯨が成り立つかどうかという懸念もあるが、やはりクジラの生息数をきちんと把握し、種の保存を確認しながら、漁は続けるべきだと思う。

問題は、いつも地球環境や生物のことを無視し、儲けのことばかり優先するからで、すべてがいびつになってくる。
クジラの捕獲にしても、コストが合わなかったらなくなってしまうだろう。

種に関していえばこれらもウミガメの減少と一緒で、地球環境が彼らにとっていこごちのいいものであったら、人間にとって必要数を捕獲しても増えもせず減りもせずいいバランスで数を保つ。

今年はサンマが不漁であるが、かれらも生活しやすいところに逃げているのではあるまいか。自然はそんなにやわではなく、そこに暮らす生き物も環境に応じて移動し、進化し、食性も変化させながら、生き延びる方法を考える。

環境を壊した人間は、これ以上地球を傷つけない方法を考え自分たちも生き延びる方法を考えていかなくてはと思う。

写真は1973年。
もうずいぶん前だが、シャチを捕獲、解体している所である。
何かいい被写体が無いかと、ふらっと行った所、シャチの首だけがあったのでびっくりし、撮ったものである。







今ではシャチなどを捕獲しないので、こういう所は撮れないだろう。

しかしシャチは大きい。
このあたりの人は、海からの恵みに感謝し、その動物の死を無駄にせず余すところなく、利用する。
これが動物と人との昔からの関係かな。

ウミガメのことなど2019年09月28日 20時47分32秒

串本は土地も狭く田も少なく牧場もないため、海からの恵みで生きてきた。
鯨や亀は、貴重なタンパク源であった。
それがいつの頃からかウミガメの生息数が減り、絶滅危惧種の保護動物になってしまった。
鯨はいろいろとややこしい問題を抱えながら、漁をしている。
牛肉を食べるのには抵抗がないくせに、野生動物が殺され食卓に上がるとかわいそうだという人たちがいるが、どこかおかしい。

写真は1973年の我が串本でのウミガメの解体風景である。
私の子供の頃は時々こうした風景があった。
亀が上がると近所が集まって大きな鍋で亀の肉をゆで、皆でつついた。
味はすっぽん料理の匂いをきつくした感じだが、おいしい。
栄養たっぷりの感じがする。当時は醤油だけで食べた。

私が子供の頃の記憶からすると、年間捕獲した亀はせいぜい50頭くらいだったと思うが、それぐらい捕獲しても減ることは無い。
小笠原では現在も130頭程度捕獲が許可されているそうである。

私は亀が減った理由は、産卵場所を減らしてしまったためだと考える。
大事な砂浜や渚を不必要な埋め立てや護岸工事をして、彼らの産卵場所を狭めてしまったためである。

人間の経済活動が彼らを存続の危機に陥らせ、少なくなってきたから保護しようといっても、もう遅い。

ウミガメ

解体している所も昔は砂浜だった。

砂浜が昔のまま残っていたなら、何百匹いやもっとたくさんの亀が生まれたはずである。亀は生まれた浜に産卵しに戻るが、産もうした砂浜が、コンクリートで覆われていたら産卵場所が無くなる。この浜もすでにコンクリートで覆われている。
亀の産卵は不可能である。

ここが元の砂浜なら少なくとも10頭の産卵場所はある。
1頭200個ほど産卵するとして、2000頭がこの浜を巣立つ。
成体になるのはそのうちの一割にも満たないと言うが、10頭ほど戻れば以前の親亀も合わせ総数は増えても減りはしない。
この単純な計算を狂わせたのが、人間の経済活動であると言うことをわかってほしいのである。

写真はもっとたくさん撮ったのだが、少し刺激が強いシーンがあるので2枚にした。

彼らが産卵できる砂浜がもっとたくさんほしいが、かなり絶望的である。
それに加えて最近ではプラスチックの問題でも深刻な影響があるとニュースでよく出る。そのうち絶滅してしまうのでは無いかと心配している。

ウミガメ

秋がどんどん進んでいく2019年09月26日 13時05分57秒

ヒガンバナが花盛りとなってきた。
秋が進んできた。

稲穂もほとんどの田んぼで黄色くなってきた。

最近は雀も少なくなって案山子の立っているたもすくなくなってきた。
1970年代に新宮市の田で毎年新しい案山子を作っている人がいた。
その案山子たちはユニークなのでよく写真を撮りに行った。

それらの案山子をと撮ってコンテストに入選したことも何度かある。
明日香村の稲淵の案山子コンテストは有名だが、下の写真の案山子たちは、雀を追っ払うというシメイに燃えている感じで楽しかった。

かかし1974年

かかし

かかし

かかし

実際にはどれだけ効果があったかわからないが、こうして目を楽しませてくれる案山子たちが各地で少なくなっているのは少し、寂しいものがある。

秋らしいいい天気2019年09月19日 12時35分52秒

今朝はずいぶん涼しかった。
通勤の道の両脇にはもう稲を刈り取っている田もある。

まだヒガンバナは咲いていない。
あと4日しかないが、咲いてくれるだろうか?

バイクのクロスカブ110を注文した。
現物は10月にならないと来ないが、早く見たい。
このバイクでいろいろやりたいことがあって、夢がわく。
色は黄色にした。
CB400SSはまた買い取り専門店に引き取ってもらうことにする。

クロスカブ110

そういえば先日のサウジアラビアへの石油施設への攻撃はドローンだったようで、いよいよ来たかという感じである。
どこが攻撃したかはよくわからないが、小さな無人機で石油施設に大きなダメージを与えたということに、怖いものを感じる。

まさにマンガでしかなかった無人機による攻撃には、衝撃を受けた。
そういえば福島原発の事故の時もアメリカはドローンを飛ばし放射能漏れがあることをいち早く察知し、自国民に日本から脱出するように促したということである。
それらは日本のメディアではほとんど報道されることはなかった。

アメリカではドローンを飛ばすために、プロのゲーマーを雇っているという。
ゲーマーなら操作テクニックもすごいだろう。
これからの戦争はいつどこでどのように起こるかわからなくなってきた。
ゲーム感覚で戦争を起こされてはかなわない。

昨日会社訪問にきたひとが話の中で、
「作業効率化のためにロボットを導入しませんか?」
というと、相手の経営者がこたえて、
「置く場所もないのでいいです」
という返事だったといって、
「世間はそんなものです」
と嘆いていた。
提案したのは、ソフトのロボットだったのだが、相手の方は人間型をしたロボットとおもっていたようである。
ドローン(無人航空機)にしても同じようなことがいえる。
今回も攻める側に人的被害はなく施設が破壊できた。
それもドローンによる。

写真は1973年那智山のふもとにあった鉱山跡である。
この建物は人もめったに来なかったのでこの中でヌードの撮影会なんかを何度かやった。
今でもまだあるのだろうか。

那智鉱山

最盛期にはこの下に車が止まり荷受けしたのだろうか。

那智鉱山

なんとなく雑然とした工場の中。

那智鉱山

那智鉱山

事務所。まだ書類なども残っていた。

那智鉱山

坑道かな。

那智鉱山

やっといい気候に2019年09月18日 12時24分53秒

今朝の通勤路。
土佐堀川をふと見ると、パドルボートが3艘こちらに向かっていた。
男性二人、女性も一人。
これから出勤かな?
だとしたら渋滞もなくすいすい、とはいかないと思う。

今朝は少し風があり、向きは向かい風であった。結構きついと思う。

最近カヌーを漕いでいない私にとっては、羨ましい光景である。
いつも持ち歩くニコンのコンデジが壊れたのでスマホで撮ったが、なぜか白黒で撮れた。

それにしてもスマホのカメラはよく写る。
昔の「写ルンです」とは雲泥の差で、時代の進歩を感じる。

土佐堀川

そしてスキャンした古い写真。
1970年代の勝浦漁港。1978年かな。
このころは連日活気ある漁港だったが、今でもマグロが上がった時などにぎわうのだろうか。

勝浦漁港にて

マグロが大漁。

勝浦漁港にて

ふかのひれを干している。

勝浦漁港にて

クジラも水揚げされた。

勝浦漁港にて

雑魚もささやかにあった。

少し涼しくなってきた2019年09月17日 12時47分11秒

少し涼しくなってきたかな。
このままのいい気候のまま続いてほしい。
そろそろヒガンバナもあちこちで顔を見せる時期になってきたが、まだ見ていない。
彼岸ぎりぎりに咲くのが最近のヒガンバナの傾向でいつもやきもきさせるが、今年はどうだろうか。
ススキも出て穂が膨らんでいる。

田では稲穂もこうべをたれだした。もう刈り取りを始めているところもある。
自然は確実に季節を移しているが、人間社会はいまだどこの国もカオスのままである。

またまた原油が上がって、ガソリン代に影響が出てくるかもしれない。
ガソリンはあまり上がってほしくないね。

写真は年代は不明だが(1975年5位かな)、那智山境内である。

この当時は熊野古道も今ほど賑やかではなかった。
西国33か所としては有名であったが、いつ行っても人の数もほどほどで、いいところだった。

昨日スキャンした中にあったのでカキコした。

那智山スナップ

那智山

那智山

那智山

那智山

今日は少し暑さが和らいだ2019年09月16日 21時08分02秒

先日病院で認知症の検査をした。
高度なテストではなかったが、それなりに緊張した。
3つのワードを覚えて何分後かにもう一度その3つのワードを、聞かれたときは少しうろたえた。
「サクラ」「猫」「電車」と今でも思い出すのでまずはよしとするが、その本番ときは「猫」がでにくく少し考えた。

しかし身体能力の衰えは日々感じている。
駅の階段をハイヒールを履いて、カンカンカンとすごいスピードで、駆け下りている若い女性がいるが、うらやましい。

さらに視力が落ちているのには参る。
立ち読みもめがねを外さなければいけない。
そのスーパーの雑誌売り場には「立ち読み禁止」と書かれているのだが、それは読めない振りをする。

パソコンでばかり文書を処理するので、字が書けなくなった。
筆順もいい加減になって、訂正印が必要になることが多くなった。

スマホの扱いもよっぽど必要なアプリしか入れてなく、時々指が乾きすぎて反応しないときがある。

その指も、電車の吊革につかまっているとき隣に白魚のような手でぶら下がっている女子高生の横で、しわくちゃの私の手はいかにもお粗末である。

パソコンなどの操作マニュアルも読むのが面倒になった。
ところがこれは年の功か知らないが、わからないままその経験からかなんとかなってしまう。
ところが少し若いときはなんとかなってしまったところを記憶していたが、今は同じことをまた一からとなる。

日本は高齢化社会で、電車のつり革にぶら下がる手も、しわくちゃだらけになる日もそう遠くはない。
我が国はこのまま行けば活力を失ってしまい、さみしい国になりそうである。
AI化もいいが、差し迫る高齢化社会に対してどう取り組んでいくのか、早急に具体的な施策を打ち出し、実現をしていかなければいけないと思う。

我が国のお偉方や官僚の皆さんは前置きが長く、別のところの議論で結局は実効的な施策が出来ないでいる場合が多いので、失敗してもいいからとにかくやってみるという風潮を作って取り組んでほしい。
改憲議論もいいが、いろんな施策を進めるに当たってはまず施策を進めるに当たって障害になっている法律の見直しをしてほしい。
時代に合わない法律が一杯ありそれらをクリアすることにより、日本はもっと暮らしやすくなるはずである。

今日はロージンの日。

写真は今日断捨離をしながらスキャンした中にあったもので、いろんなものが干されていたが、こんな写真も撮っていた。雨が上がったからかな。

那智勝浦町1988年9月。





やっと雨が降ってちょっと涼しくなった2019年09月13日 12時15分02秒

朝からショックなことがあった。
オオタニサンがひざの手術をし、今シーズンの出場は絶望だとか。
彼が出る試合はスマホで時々チェックしていたが、楽しみがなくなる。
早く治って万全の態勢で次のシーズンを迎えてほしい。

昨夜は涼しい風が吹いて夜も暑くなかった。
このまま暑くならないでほしいね。
お月さんがきれいだった。
そういえばお月見も近い。

写真はカラーが1975年、白黒が1979年のもので、白い大きな建物はNTTビルである。
この建物は災害時避難場所になっている。10mの津波が来るとこの建物でもやばいが、NTTの建物は必要以上に強度があるので大丈夫だと思う。
NTTビルの西側の道を隔てて私の家があった。

家の電話をつけるときこのビルから直接、
「おい、電話工事終わったか?」
と声が掛けられた。
それくらいの距離にあった。

漁港を守る各堤防の周りは、魚が豊富で、自宅に帰った折にはガシラやハタ類をよく釣りに行った。
外道でウツボがよくかかった。

今でも帰ればルアー釣りで竿を出すが、昔ほどは釣れない。
しかしボウズはないから、さすが串本である。

カラーの写真を撮った場所は、山の上にあった畑まで登る途中の道で、「コエタゴ」(人糞をいれたおけ)を天秤棒で担いで畑までかついでよく登った。
下手に担ぐと桶がゆれ中で人糞がはねて服に引っかかった。

カラー白黒ともに今では景色も変わり、同じ位置からは写真を撮れないのではないかと思う。

今ではレストランなどもできて、このいかにも漁港という感じは薄れてきている。

串本漁港1975年

串本漁港1979年

写真を見る限りでは、10m級の津波が来たらひとたまりもないことがよくわかる。
祖父は津波の時はこちら側の山ではなく、津波を背にして向こうの山に逃げよとよく言っていた。こちらの山に逃げようとすると、逃げている間に海から波が来るという。
正論である。

ちょっとは涼しくなるかな?2019年09月12日 12時16分22秒

北から涼しい気団が下りてきそうな感じで、少しは涼しくなるかな。
このまま涼しくなってほしいね。
千葉のほうの災害復旧は進んでいないということで、これは予想していた。
わかいころ私の前の会社では台風の毎に災害復旧をやったが、当時の上司は指示が的確でまだぺいぺいの私もいい勉強をさせてもらったが、東京のほうは大きな台風が来ないからそういうノウハウを持った人がいないので復旧がおくれるのじゃないかと思っていた。

それはあたった。

一日でも早く回復させないとこの暑さで、また事故が起こる。
頑張ってほしいね。

写真は1975年。大島巡行船の待合室?風景で、廃車のバスを使っていた。
当時はたくさんの乗客がありこの待合室は重宝されていた。

巡行船待合所

巡行船

巡行船待合所

巡行船待合所

巡行船待合所

巡行船待合所


何とものどかな風景である。
最近は巡行船もなく、人も少なくなって、この桟橋もさみしくなった。
大島までの道路もついてさらにさみしくなった感じである。
道がつくと生活が変わる。
へき地対策でいい道をつけると、町にひっこす人が増えて以前よりも僻地になったところもたくさんある。

これで高速道路が新宮まで伸びると、串本は素通りされさらに訪問客が少なくなるような気がする。