高野女人道テクテク2017年03月19日 23時02分40秒

朝からいい天気でした。
バイクが汚れていたので石けんで洗ってあげました。
ピカピカになりました。
ワックスをと思いましたが時間がなくまた明日にでもやろうと思います。

昨夜出しておいたミカンに朝早くからヒヨドリがやってきました。
昨日のと同じ個体のようです。
別の鳥が来てほしいですね。


2時前に家を出、高野女人道を歩きにまた高野に登りました。
歩き始めは2時50分でした。
いつもながらかなり遅くなってしまいました。

高野女人道

お助け地蔵から登り始めました。

高野女人道

道は良く整備されて歩きやすかったですが結構急な登りがありました。
このプレート黑河道にもありました。

高野女人道

愛宕神社についたのは3時5分でした。

高野女人道

高野女人道

高野女人道

愛宕神社を過ぎた頃、行く道で近くの方らしいご婦人に会いました。

「女人道にいくのかい」
「はい」
「最近は鹿が多くなっているので気をつけてください。朝など国道までも出て来るよ」
「へー奈良公園みたいですね」
「おかげでこのあたりに草花が皆食われてしまいました」
「それは大変ですね」
「スカイラインへの道をつけたり、トンネルを掘ったりしてからこちらへ出てきた」

ということでした。広く新しい道やトンネルができて餌場までの道を中断されて、人家まで出てくるようになったのでしょうね。

高野女人道

坂の上りはじめのところに熊注意のかんばんがありました。
英語の注意書きがあるところが時代ですね。
でもこの看板は少しおかしいですね。
英語版には熊にあったときの対処方法を書いているのに、日本語では単に注意しなさいということだけしか書かれていません。
日本人もこのくらいの英語は理解しなさいと言うことでしょうけど・・・

高野女人道

有刺鉄線が張り巡らされていました。

高野女人道

この後ろくろ峠まで歩き、町に戻りました。
それについては次の日に。

いつもカメラを2017年02月17日 23時33分55秒

通勤の時もカメラを持ち歩いていると職場の同僚が、「盗撮ですか」とよく冷やかします。
会社のホームページやチラシの写真を撮るのには、やはり一眼レフでなくてはならないし、結果的に日々必要となるので持ち歩いています。

それだけではなくて、カメラを提げて通勤というのは、働き始めてからずっとです。
古くはオリンパスXAなどをいつも持っていました。

最近は当然デジカメですね。

プロは写真を撮るときだけ機材を持ち出しますが、私の場合はのべつ幕なしに持ち歩いています。

シロートですね。

やっぱりシロートは撮るものも、味噌もくそもという感じで、一向に人様に胸を張ってみせるような写真が撮れません。
それでも持ち歩いているのは、一種の精神安定剤ですね。
持っていると安心するのです。

ですからパソコンとカメラはセットで、いつも通勤鞄に入っています。
結構かさばるのと重さもあるので、なければ軽いだろうなとは思いますがその二つがないとなんとなく落ち着かないのですね。

それらを持たないで出かけると忘れ物をしたような気分で一日を過ごすことになります。山に登ったり旅行をするときは、ミラーレス一眼2台とそれらがトラブったときのためのホケンとしてコンデジを一台持って行きます。
レンズは大抵4本ですね。

4本持っていても使うのは2本くらいですが、これも持って行かないと撮り損ねがある
んじゃないかと不安なのです。

言ってみれば、レンズは栄養剤みたいな感じですね。

それに最近のカメラは予備の電池が必携です。
電池がないとカメラは動きませんからただの重りになってしまいます。
というわけで、荷物が増えてしまいます。
ま、これは写真をやるものの宿命ですね。

最近は通勤時にカメラをぶら下げていると、駅構内の階段で撮れといわんばかりに前をきわどい感じで歩く女性がいます。
後ろにはコワイおじさんがいてこちらの動きを見ている感じがします。
そんなのを撮ったら、
「会社員盗撮。逮捕される」
と新聞記事になるのでしょうね。

写真は1982年2月25日、勝浦八幡宮の祭礼スナップです。
久しぶりにスキャンしました。

この日あと3本のフィルムを使っていましたが、今日は2本72カットしかスキャンできませんでした。その72カットのうちの4枚です。





当時は祭りがあれば駆けつけて撮っていました。
なんとなくゆったりとした雰囲気が懐かしいです。

雪の高野龍神スカイライン2017年02月11日 20時49分04秒

今朝も目覚めると白銀の世界かなと思って起き出したら、おひさんが照っていました。
気温は相変わらず低いままでしたが・・

庭の木にミカンをさしているとヒヨドリが来ました。

いい天気だったので雪を見に高野山に走りました。


高野への道は麓から雪でした。
駐車場のトイレの屋根からつらら。

雪の高野山

雪の深さは30センチくらいでした。

雪の高野山

雪の高野山

大門も雪化粧。

雪の高野山

雪の高野山

途中でバンビが出てきました。

雪の高野山

道の途中で対向車の方がすれ違いの時、止まって窓を開け、

「龍神の方にいかれるのですか?」
「いや護摩壇山までです」
「それはよかった。龍神までの道は深すぎて危険です」
「そうですか、ありがとうございます」

護摩壇山の駐車場も真っ白。

車も中に入れないくらい積もっていました。
山に登ろうと思いましたが、山道も雪が深すぎてやめました。
スパッツもアイゼンも持っていましたが、スノーシューがいるぐらいの雪でした。

雪の高野山

雪の高野山

雪の高野山

雪の高野山

この後高野の方に帰りの道でスタックしている車がありました。
FFで前輪が雪の中に突っ込んでしまいタイヤが空転していました。
ストックや木の板でフロント周りの雪を砕き取り除き、後ろから押してやっと抜け出すことができました。
夕暮れが近い時間だったので割に早く抜け出せてよかったです。

高野山の駐車場で。

雪の高野山

郵便ポストも綿帽子をかぶったように面白い積もり方してます。

雪の高野山

雪の高野山

雪の高野山

気温はマイナス4.3℃。
高野龍神スカイラインの頂上はマイナス6℃でした。

寒いはずです。

雪の高野山

雪の高野山

地蔵さんも雪の中。

またまた紀南へ2017年01月04日 22時39分49秒

朝から再び紀南へ走りました。

昨日帰ってきた道を今度は反対に走りました。
424号線を南部まで走り、田辺で高速に乗りました。

424号線の途中で南部町備長炭振興館があり休憩をかねて見学しました。
案内ビデオでは備長炭で焼く焼き肉などがなぜおいしいかを説明してました。

納得しました。

備長炭振興館

道の駅で食べたイノブタの肉まん。
これがめちゃおいしかったです。
江住の道の駅に行ったらおすすめです。


高速を降りてからふと見ると、山肌でサル君が集団で日向ぼっこをしていました。
国道で間近にサルを見るのは初めてです。



このルートも確かに時間短縮は出来ましたが、トンネルばかりで面白くない道です。
法面の植栽の仕方で変化を持たせるとか、もう少し工夫があってもよかったのかなと走るたびに思います。

バイクがたくさん走っていました。

久しぶりの新宮とんぼ返り2016年12月04日 21時03分35秒

新宮の病院に用事があり、どんぼ帰りで自宅から新宮を往復しました。
行きは中辺路を回り、帰りは168号線を走りました。
距離はほとんど同じですが、帰りは雨も降ってきて何となく時間がかかっらように思えました。
それほど差はなかったのですが。

でも一日に360kmはいささかハードですね。


朝、道の駅龍遊で。バイクがたくさん休憩していました。
最近のツーリングバイクのトップケースはGIVIなどの高価なものより、DIYで売っている四角の工具入れが多いですね。
底が四角なので荷物も楽に詰められて何よりも安く頑丈ですから、いいと思います。

白見の滝

白見の滝がどうなっているか気になっていましたが、昔通りではありませんが復活していました。
崩れていた岩も取り除かれていました。

白見の滝

対岸の山崩れがあったところにも新しい橋が架かっていました。

白見の滝

川湯の仙人風呂も湯気を立てていました。
つかる時間はありませんでしたが・・。

川湯仙人風呂

トイレ休憩を兼ねて本宮大社。

熊野本宮大社

もう猿の年も終わりですね。

熊野本宮大社

そういえばカジノ法案が通りました。
これでうまく外国観光客を誘致できればいいのですが・・

いま熊野古道を歩いているのは8割が外国の方なのですが、歴史の息遣いやスピリチュアルな雰囲気を楽しみにして訪問してくれる観光客は、カジノにはいかないでしょうね。となるといいコンサートホールや会議場が必要となってきます。

オリンピック会場の話や築地市場のごたごたを見るにつけ、せっかくとおったIRへの足掛かりも、きちんと整備できて観光客をおもてなしできて、そしてリピーターにできるかどうか心配になってきます。

それに今の日本の街づくりはやりたい放題で、この街の景観はこう作っていこう、という明確なコンセプトがないのでめちゃくちゃで味気ない街が多くなっています。

外国の方は、日本の昔ながらの息遣いの聞こえる街並みや歴史的なものを見に来るのであって、外国と似たようなカジノでは、10年ほどで以前のテーマパークブームの二の舞となるような気がしてなりません。

現に世界的に見てもカジノの収益は下がってきています。

本当のIRを実現するために、無電柱化や公衆トイレなどの拡充をし、歩くだけでも楽しい街づくりをし、そのうえで必要な会議に参加していただいたりイベントを楽しんでもらったり、そしてカジノもありますよ、というのがいいと思うのですけどね。

ネットでの口コミで、これはいいというお墨付きをもらえるような街つくりをしそのうえで質の高いリゾート施設を作ってほしいです。

大島水門まつり 1975年2月2016年11月21日 22時43分40秒

最近古いネガをスキャンしてときどきアップしていますが白黒をシャカリキに撮っていたときのほうが考えて撮っている感じがします。

構図的にもおもしろいのが多く、スキャンをしながら当時のことを思い出し楽しんでいます。

また同じところで結構粘っていい瞬間が来るのを待っています。
撮れなかったらまた別に日に出かけて撮っています。
最近はそんな粘りがないですね。

ところでなぜ白黒のほうがおもしろいのか、いろいろ考えてみますと当時の白黒写真の場合は光と瞬間のおもしろさを狙ってシャッターを押しているのを感じます。

今は色を撮っている感じがします。

デジカメは色に惑わされ、撮るべきシーンへの集中力が足りないと常々反省しています。
そこへメモリーのある限りは撮り続けられる気安さで、ショットそのものへの意気込みが薄いですね。

押せば写るのですからね、それもいい色で。

フィルムは現像するまでどんな写りをしているかわからないし、限られた枚数で自分の表現したいものを撮らなければいけなかったので、ホント、シンケンショウブでした。

アナログのことを言えば、オーディオの世界でもカセットテープがまた復活し、レコードも根強い人気があります。

フィルムというよりアナログ写真がいつか復活しそうな気がします。
その証拠に、インスタント写真の富士フィルムのチェキも白黒用の新製品を出しました。

ただデジカメの進歩は想像以上に早く、画質もどんどん良くなるので当分はそちらに向かうでしょうけど・・

それやこれやで、いろいろ考え、これからはフィルムで撮っている感覚でデジカメで撮影していこうと思っています。

写真は1975年2月11日の大島水門まつりのスナップです。

当時は人も多いしハレの日だからみな着飾っています。


大島水門まつり1975年2月

餅拾い。

大島水門まつり1975年2月

獅子舞。

大島水門まつり1975年2月

廃船の上から祭りを眺めています。

大島水門まつり1975年2月

櫂伝馬競争。

大島水門まつり1975年2月

長い事この祭りを見に行っていませんが最近はどんな祭りになっているのでしょうか?

解体工場にて 1975年2016年11月14日 22時16分44秒

残ったワイパーがツンと突きだして、触角のようです。
みなしごハッチを思い出しました。

今みたいにプレス機が少なかったころは、廃車は解体して鉄くずになりました。

潮風が吹き荒れるこの地方は、車もすぐに錆びてボロボロになりました。

解体工場にて 1975年

「釣」という文字を見るだけで、この車の元気な時はどんな活躍をしてたかわかります。

解体工場にて 1975年

なぜか屋根を切られている車が多かったのが印象的ですが、このハイエース、何となくカマキリに似ています。

解体工場にて 1975年

工場の人も小休止かな。
皮手袋が何となく物悲しい感じがします。

解体工場にて 1975年

そういえば最近80歳を超えた方の交通事故が多いです。
もし家族がいるのなら、大事にならないうちに鍵を取り上げるべきでしょうね。

映画などでも時々ありますが、認知症は急に起こっています。
80歳を超えると気を付けなくてはいけません。
本人が不調を気づかないことが多いので、周囲が見守らなくてはいけませんね。

早く自動運転システムがうまくできて、せめて暴走を食い止めるとか、リカバリーのシステムを作り上げてほしいと思います。

コンビニに突っ込むのを防ぐのは割と簡単にできるでしょうから、今度は人の異常を感知して安全な方法で停止するようにしてほしいですね。

車の宣伝を見ているとかなりのところまで来ているのを感じます。
もう一息ですね。

あっという間に秋から冬へ2016年11月10日 23時34分42秒

この前まで夏の匂いがぷんぷんしていたのにもう秋も深まって、銀杏も色づいてきました。

昔は夏の暑さとさんざめきが好きでしたが、年を重ねるにつれて秋から冬の景色が心情にぴったりするようになってきました。

秋冬の寒さも、昔は単に寒いとだけしか思わなかったのですが、微妙な色合いを感じるようになりました。

今日もCBで駅まで走りました。

気温は10℃を切っていましたがそれほどの寒さは感じませんでした。
今の防寒素材はすごいものがあります。

写真は1975年の廃屋となった鶏小屋です。
見た感じ生活のあとがあるのですが無人になってからかなり時間が経っているのがわかります。

夜逃げしたのかなと思ったりしました。

廃屋

ケージの間に雑誌が風に揺れていました。

廃屋

自転車も走りたそうですが、乗り手がないので寂しそうです。

廃屋

洗濯機も退屈そうです。

廃屋

ついさっきまで料理をしていた感じですが、あたふたとここを離れた感じがします。

廃屋

ここでたくさんの鳥たちがえさをついばんでいたのでしょう。

廃屋

廃屋

現代のちまたではトランプ旋風が吹き荒れています。
彼は、政治の素人だといわれていますが、これまでにないようないい政治をしてイメージを覆してほしいですね。

それが世界の平和につながりますね。


特別展「蘆 雪潑剌-草堂寺と紀南の至宝-」2016年11月03日 20時00分02秒

今日は、山に登る予定でしたが、引っ越しのため明日からずっと休みなく仕事ということで体力温存のためやめにし、和歌山県立博物館で開かれている、特別展「蘆雪潑剌-草堂寺と紀南の至宝-」(前期10/18~11/6)を見てきました。

同時に美術館のコレクション展も見ました。

特別展「蘆雪潑剌-草堂寺と紀南の至宝-」では、わがふるさと串本の無量寺の長沢蘆雪筆の絵も展示してありました。
若冲の絵も草堂寺にあったのは初めて知りました。

友人の和尚さんが、寺を再興すれば絵を描きに行くという応挙の約束を、蘆雪が果たしに行った、というのは昔から知っていましたが、これほど多くの作品を紀南に残していたとは驚きでした。

それにしてもすごい絵ばかりでした。
日本の絵画の実力は外国に全然負けてませんね。


なかなか見ごたえのある展示でした。

美術館のコレクション展もいい絵ばかりでした。
私の好きな佐伯祐三の絵も数枚ありました。
ピカソの初期のデッサンもあり、なかなかのものをコレクションしていると思いました。

そんないい展示会の二つともタダでした。タダの年代に入ってしまっています。

展覧会を見た後はお城に登りました。
追廻門です。

和歌山城

腐って倒れたのでしょうか、巨大な切株。

和歌山城

紅葉には少し早いですが。

和歌山城

本丸。

和歌山城

和歌山城

余りこういうのはいただけませんが。


猫にえさをやる若い女性。

和歌山城

菊花展をやっていました。


ますます大きくなってきた楠。


そしてわがCB400SS。お城の石垣の前ですが、KLE400とまた違った味があります。

CB400SS

この日朝から昨夜折ってしまったスマホのブラケットを、修理しました。
ちょどいい金具があったので折れた部分を削り、金具に付け替えました。

ちょうど金具に二つ穴が開いていたので、脱落防止の取り付けがやりやすくなりました。

和歌山城

CB400SSはいたって快調で、昨日ガソリンを入れると29km/㍑走っていました。
今日はアイドリング回転数を1500rpmから正規な1300rpmに落としたので、これでまた燃費が少しでも良くなればうれしいです。

懐かしの姫駅 1975年2016年11月02日 12時27分26秒

昨夜スキャンしたフィルムの中にありました。
懐かしの姫駅です。

下の写真はこれまでも何回かブログにアップしましたが、それは紙焼きをスキャンしたものでしたが、これはフィルムから起こしたものです。

画像はやはりすっきりシャープに出ています。

懐かしの姫駅

今でも残念に思うのは、SLの時代にこの角度で撮っておきたかったということです。
架線がないのはほんと、すっきりしてます。

春先には田んぼに蓮華が咲きますが、鉄道写真家の中井さんの絶好の被写体になるかと思います。

懐かしの姫駅

木造駅舎。
味があります。今はコンクリで何の変哲もない駅舎に変わっています。

懐かしの姫駅

列車を待つ人。

懐かしの姫駅

懐かしの姫駅

降りた人。

このころは乗客もたくさんいました。
いつだったか忘れましたが、そう遠くない年に、台風か何かで電車が止まったとき、ニュースが、

「乗客2名が足止めをされました」

とか何とかいっていましたが、そのときの乗客は高校生がたった二人だけだったのですね。

懐かしの姫駅

木造の駅舎だと待つ間も何となくゆったりとしていそうな、そんな感じがあります。
これから旅行に行った折りなどは、木造駅舎必撮です。

懐かしの姫駅

この駅から少し西に行ったところに熊野古道の大辺路が延びています。
古道は東に延びて、古座川方面に向かいます。