琵琶湖疎水、蹴上げ2018年03月05日 23時17分23秒

ゴッホ展にいく少し前に、以前から見たかった琵琶湖疎水のいろんな施設を見ました。
インクラインの線路、





梅が咲いていました。
このインクラインの周りにはさくらが植えられていますので、春にはきれいだと思います。


琵琶湖疎水を設計した田辺朔郎の銅像。
天才でしょうね。


日本初の水力発電所。




この角度での南禅寺は初めてでした。


水路閣。



今日は朝からT3を守口から天満まで国道1号線を雨の中走りました。
久しぶりの雨中走行でしたが、スクリーンがあるのでそれほど濡れませんでした。

ゴッホ展2018年03月04日 22時09分40秒

昨夜は草津に宿泊し、朝から京都に走り、南禅寺近くの2大しか止められない有料駐車場に車を駐め、京都国立近代美術館のゴッホ展を見に行きました。

展示会場に行く前に、南禅寺や蹴上げのインクラインを見ました。
明治のすごい工事が今に残って活躍していましたが、当時の人はすごいなと思いました。またゆっくり書きたいと思います。

さてゴッホ展は、すでにたくさんの人が、チケットを買ったり入場の順番を待ったりして入り口いっぱいでした。

京都国立美術館ゴッホ展

写真が撮れないので残念ですが、私がすごいなと思ったのは、「アルルの女」と「男の肖像」でした。

2枚とも人物のストレートなポートレートでしたが、単純な描き方のようで、モデルの心の内面までも引き出している感じがして、見入ってしまいました。

「寝室」の絵そのままに作られたコーナーがあり、ここだけが写真撮影が許されました。

展示された作品は、浮世絵もかなり多く、広重や北斎の絵がたくさんありました。
展覧会の副題が、「巡りゆく日本の夢」ということで浮世絵との対比をしながらゴッホがいかに日本に憧れていたかがわかるようになっていました。

ゴッホは本当に日本に憧れていたのです。

もし長生きしていて、絵が売れていたら日本にやってきてまた新たなセンスを開拓し、またいい絵を描いていたのでは、と早くになくなったことが、少し残念に思いました。

京都国立美術館ゴッホ展

美術館の4階には休憩所と日本人の新しい芸術家の作品展をやっていましたが、日本画や洋画にはいいものがありましたが、彫刻などはあまり感心しない作品がありました。

京都国立美術館ゴッホ展

今朝はこの冬一番の寒さでした2017年11月17日 22時32分32秒

今朝は温度計を見ると2度でした。
この冬一番の寒さです。
もうバイクで行く用意をしていたので、そのままCBで走りました。

思ったほど寒さを感じずに走りました。
最近のウェアの素材がいいので助かります。
電車へ乗る人も、ダウンやフリースのコートを着ている人が増えてきました。

いよいよ冬に突入です。

A首相が所信表明演説をしましたが、衆院選で公約した「人づくり革命」などの政策課題の実行や、悲願とする憲法改正の議論促進を訴えたようですが、なんとなく面白くないですね。

国民が知りたい「加計学園」「森友学園」の問題への言及は一切なかったようですね。「謙虚な姿勢で」「丁寧に説明」と繰り返しているようですが、言葉と裏腹なことばかりです。
こういう人ばかりをつくりだす「人づくり革命」なのでしょうかね。

アメリカがなんといおうと、日本は「環境保護のためCO2削減を進める」とか「世界各地で増えている難民について日本としてこう取り組む」とかを聞きたいし、10年20年後の日本のために「景観を保護し美しい日本を作る」ためにこんな取り組みをしていく、などと具体的なビジョンを聞きたかったですね。
そういえば、「美しい日本」を作るといったのは誰でしたかね。
もう忘れてしまってますね。
この人では無理かな?

写真は先日行った三十三間堂です。
道内の写真が撮れないのでこれだけ。

三十三間堂

三十三間堂

ここで和歌山の和佐大八郎が通し矢の日本新記録を樹立したのです。

三十三間堂

三十三間堂

外国の方が多いですね。

三十三間堂

三十三間堂

三十三間堂

三十三間堂

魚を狙っているアオサギの写真を撮る中国人観光客の皆さん。

三十三間堂

このサギ魚を捕るのが下手でした。

三十三間堂


寂光院2017年10月15日 16時17分46秒

昨日三千院の後参詣した寂光院。

寂光院の本尊は六万体地蔵尊菩薩で鎌倉時代造立の地蔵菩薩立像(重要文化財)でしたが平成12年5月9日未明、放火により、本尊は大きく焼けてしまったということです。これはニュースでも大きく取り上げられたので記憶していました。

新たに小野寺久幸仏師によって、形・大きさともに元通りに復元され、鎌倉時代の制作当時そのままの美しい彩色で新造されたものが、安置されていました。
平成17年(2005年)6月再建されましたが、本尊と同時に徳子と阿波内侍の像も新しく作られ本尊の左右に安置されていました。

地蔵菩薩の本願は、抜苦与楽ということで、それは慈悲の心を表わし、人間の苦しみや辛さ、思い通りにならない現実を救い抜け出させて頂き、願いを叶えて頂ける諸願成就のご利益があるということである、ということですが・・・。


高倉天皇と徳子の稜墓。

寂光院

寂光院の入り口の扉。


三門。

寂光院

秀吉が送った灯籠。

寂光院

「祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。」

平家物語と関わりが深いのがこの寂光院です。

六万体地蔵尊菩薩

寂光院

諸行無常の鐘。つくなと書いていました。

寂光院

三門から入り口を見たところ。

寂光院

茶室入り口の東屋の屋根のコケと落ち葉。
紅葉の頃はきれいな葉がもっと落ちているでしょう。

寂光院

寂光院を出て近くの漬物屋さんの前にあった漬物蓋と石。
石には日付が書いてありました。

寂光院

漬物屋さんの前にはスイス人観光客がたくさん。
売り子のおばさんも英語で何か言っていました。

寂光院

僕はおしっこ。

寂光院

寂光院を出て道を山手に行くと、石段がありそこを登ると墓石がありました。



徳子でしょうか。
かわいい顔をしています。

寂光院

たくさんの石塔がありました。平家一族のお墓でしょうか。

寂光院

寂光院

今日は朝から雨。
少し晴れたら釣りにと思いましたがだめでした。
今日みたいな日の方が釣れるのですけどね。
釣り師は雨でも行かなければいけないのですが・・・

古いネガをスキャンして一日が過ぎました。

三千院・寂光院2017年10月14日 23時13分36秒

京都二日目は三千院。

1974年頃に来て以来で、ほとんど忘れていました。

パンフレットによると、三千院は延暦年間(782‐806)に伝教大師最澄が比叡山東塔南谷(とうとうみなみだに)の山梨の大木の下に一宇を構えたことに始まったそうです。
その後、慈覚大師円仁に引き継がれ、平安後期以降、皇子皇族が住持する宮門跡となり、寺地は時代の流れの中で、比叡山内から近江坂本、そして洛中を幾度か移転し、その都度、寺名も円融房、梨本坊、梨本門跡、梶井宮と変わったようです。

明治4年、法親王還俗にともない、梶井御殿内の持仏堂に掲げられていた霊元天皇御宸筆の勅額により、三千院と称されたということです。
明治維新後、現在の地大原に移り「三千院」として1200年の歴史をつないでいる、ということですが、三千院という名前が明治以降につけられたとは知りませんでした。

三千院のことは、あまりに語り尽くされているので私がとやかく言うこともないのですが、やはり名刹ですね。

たくさんの人が参拝していました。
半数近くが外国の人でしたが・・

三千院

定番のアングル。

三千院

この前で庭を鑑賞している人たちは全員が各国の方たちでした。
この庭を楽しんでくれていました。
いいですね。

三千院

三千院

さりげなくある国宝がうれしいですね。
写真に撮れないのが残念。

三千院

境内の真ん中あたりにあった弁天さん。

三千院

わらべ地蔵があちこちにありました。

三千院

こけに覆われています。

三千院

これは鎌倉時代の地蔵さん。

三千院

楽しげな地蔵さん。

三千院

観音堂。
中にまつられている観音様は作りが何となくシャープでなく、ファイバーっぽい感じでした。
ま、いいか。

三千院

この小さな地蔵さんが観音堂の横に一万体以上並べられていました。

三千院

梅茶やシソ茶を売っていましたが、この方たち英語できちんとやりとりしてました。
立派!

三千院

三山院の後は寂光院に参詣しましたが、また明日にします。

とにかく天気予報では雨だったので、時々薄日も差しまずまずの天気でしたのでラッキー!という感じの一日でした。

般若寺そして京都国立博物館2017年10月13日 23時39分59秒

今日は休みをもらって京都国立博物館の国宝展を見に行きました。
京奈和道路を走り奈良を抜け途中にある般若寺に立ち寄りました。
ここのコスモスや冬の水仙は結構有名です。
ちょうど今頃がいいだろう、と立ち寄りました。

ベストシーズンでした。

薄黄色いコスモスのバックに本堂が見えます。

般若寺

巨大な13重の塔。

般若寺

釈迦如来の石像もコスモスに囲まれています。

般若寺

本堂をバックに不動明王。

般若寺

般若寺

般若寺

般若寺

般若寺

そして京都での国宝展。
見応えありました。
素晴らしい一品ばかりでした。

京都国立博物館

今日は8時まで開館していたので見終わって出てきたときは夜でした。
旧館がライトアップされてきれいでした。

京都国立博物館

京都タワーもきれいにライトアップされていました。

京都国立博物館

10月の後半から展示品の入れ替えがあるのでまた来たいと思いました。

京都先斗町の無電柱化2017年02月14日 17時49分16秒

今日も寒かったですね。
昨日と同じくらいでした。

この寒さが最後のヤマでしょうか。
でも天気予報を見るとまだ峠を越えてない感じです。
早く暖かくなってほしいです。

2月はじめの新聞に、京都先斗町の無電柱化が始まるとの記事がありました。
いいことですね。
いろいろ紆余曲折があったようですが実現してよかったです。

その記事には、道路の無電柱化が「パリ・香港は100%」、「東京23区7.5%」との見出しで、囲み記事がありました。

一番進んでいる東京23区が10%にも達していません。
大阪は5.5%、名古屋が5%と書かれていました。

情けないですね。
コストだけの問題ではないと思います。

景観だけではなく、今日会社にやってきたSFAなどのシステムを構築する会社と話をしましたが、会社のシステム化が日本の各会社が大きく遅れているということを言われました。

これは私も感じます。

国全体が今のIOTや交通システムなどのシステム化への取り組みがチンタラしている間に世界は大きく進んでいます。

会社へのAIの導入もアメリカは導入済み・導入計画ありを入れると16.5%にのぼり、日本は5.6%という別の日の記事にもありました。

日本がシステムのバックボーンを開発しているのに運用ではるかに遅れています。
ITで後れを取り、AIでも後れを取っています。
景観などについてはもはやどうしようもなく遅れてしまっているのが現状です。

トランプさんの言動や動向がいろいろ議論されていますが、施策の是非はともかく、即断即決している姿を見ていると羨ましく思います。

国会中継を見ていると無駄な議論で時間を費やしているなと感じます。
わざとそうやってうやむやにしたいという魂胆見え見えです。

そのために肝心かなめの取り決めや約束事がおろそかになり、問題が起こるとまた同じ議論をしなければなりません。

誰か「無電柱化をやれ」と号令をかけてほしいです。
小池都知事が言っていますが、実現させてほしいです。

無電柱化だけではなく、いろんな国民にプラスとなるようなことに対しスピーディに決め、国民の同意を得、実行に移してほしいと思います。

写真は大阪の街角です。
電柱が大きくのさばっています。

一気に秋に2016年10月06日 22時08分25秒

重要文化財
今朝は少し暑かったのですが帰りには22度でした。
もう本格的な秋になりつつあります。
山道をゆっくりと歩くのにいい季節ですね。

今日バイク屋に電話をすると10月10日に到着とのこと。
本当はこの連休前にほしかったのですが、運送の関係で10日になるとのこと。

早くほしいなと思いながら帰りの駅までの道を歩いていると、ビルの駐車場にCB400SSがとまっていました。

いいスタイルです。

車でいえば、KLE400はRAV4で、CB400SSはカローラのようなセダンタイプで、KLEは山道が、CBは古い街角が似合う感じです。

オークションやネット通販で、ナックルガード、スクリーン、リアキャリアを手に入れて本体が来るのを待っている状態です。

中古で13000km走っているのでどんな状態かわかりませんが、いろいろ手を入れる楽しみがあります。

KLEも車検が残っているしKLEのリアケースやUSB端子・スマホホルダーなどをCBに移し替える作業があり、当分は2台並べての作業を楽しまなくてはと思っています。

どんな乗り味でしょうかね。

楽しみです。

写真は1980年ころかな、東寺の弘法市でのスナップです。
売っているものはたぶんこのおばさんが作ったものだと思うのですが左にある根っこのようなものも商品ですね。

重要文化財の杭とおばあさんの対比が面白くて撮ったようです。
かなり古いのであまりはっきりした記憶はありません。

今年もノーベル賞受賞2016年10月03日 23時12分00秒

ノーベル医学生理学賞を、東京工業大の大隅良典栄誉教授が受賞されました。
快挙ですね。

授賞理由は「オートファジー(自食作用)の仕組みの発見」ということですが凡人にはとんとわかりません。

こうして世界に認められる研究をして、結果受賞するというのは国民にとってもうれしいことです。

IPS細胞と合わせていろんな治療の可能性が広がりますね。

最近、1973年のネガをスキャンしています。

その中にあった、1973年の京都の写真です。
どこを撮ったのか忘れましたが、多分この景色はもうないのではないかと思っています。

1973年京都

京都1973年

京都1973年

このおじさんあまりにも一生懸命竹を切っていたので、声をかけられなかったのを覚えています。
今ならチェンソーできるのでしょうが鋸で曳いています。
これだけ切っても、まだ向こうにたくさんの切っていない竹があります。

京都1973年

このローソクのお店は、西陣の近くだったように思いますが忘れました。
綺麗なローソクを作っていたのを覚えています。

確か、カブレないかとか、ローソクを作るコツなどをお聞きしたように思います。

もう40年以上前です。

京都1973年

このころの西陣をはじめあちこちの路地は京都らしい長屋があり、歩くのが楽しみでしたが、最近は近代的な駐車場付きのおうちが多くなりました。

天皇陛下が京都御所においでになれば、京都もそして関西も変わるのではないかと思っているのですけどね。
1200年以上京都におられたのですけどね。

石峰寺2016年05月16日 21時50分44秒

13日に伊藤若冲のお墓があるという石峰寺に行ってきました。
以前から行きたいお寺でしたが今回初めて行くことができました。

狭い路地をいくつか曲がった山の中腹に石峰寺はありました。

駐車場から入り社務所で参詣料を払っていこうとするとお寺の女性が、

「写真は撮らないでくださいね」

とのことでした。
ここまで来て写真が撮れないのはつらいですがやむをえません。

五百羅漢は伊藤若冲が下絵を描いて、十年以上にわたり作りこんだものなのですね。
そのどれもがユニークでユーモラスで存在感のあるものばかりでした。

写真がいけないのならスケッチを、と優しいお顔で足の裏をこちらに向けている石像をスケッチしました。
後ろが竹やぶで、蚊に刺されながら描きました。

境内に戻り先ほどの寺務所の女性と立ち話をしました。

「このお寺も線路のところまで境内でしたが、廃仏毀釈でここだけになってしまいました」
「羅漢さん趣がありますね。雪の日などいいでしょうね」
「ハイ結構雪がたくさん降るのでいいですよ」

ということでした。

赤い三門からいったん出てふと見ると看板があり、

「写真撮影とスケッチは禁止しております」

スケッチも駄目だったのです。
この三門から入れば目に入ったのですが、駐車場から入ったので気づかずでした。
せっかく描いたのだから貼り付けました(^^)

石峰寺さんすみません。

フォトジェニックな石仏がたくさんあったので写真を撮りたかったですね。




境内にはいろんな花が咲いていました。
廃仏毀釈前のこのお寺を見たかったです。