もういくつ寝るとお正月2019年12月10日 22時15分44秒

あっという間に12月も中旬。
なんとなく人の行き来もせわしなくなってきた。
御堂筋を行きかう人も、背を丸めて早足で歩いていく。
冬の寒さも本格的になってき、マフラーをしている人も多くなってきた。
私も今週からマフラーをしだした。

帰りを急いでいると、日銀の前で大勢がスマホを出してこすっていた。
ポケモンかなとは思うが、何となく寂しい気分になる。
ゲームの詳しいやり方は知らないが、とにかく居合わせたみんなが必死でスマホをこすっていた。
アフガニスタンで大事な人が銃撃にあったが、我が国はそっちのけでゲームに興じている。

スマホはいいも悪いも人の生活を変えてしまった。

写真は土佐堀川の遊歩道わきにある彫刻と空に輝くお月さん。
気温が下がるときれいに見える。今夜はちょっとかすんでいたので丸く見える。



暗がりから暗がりの通勤の時期2019年12月03日 21時56分44秒

もう朝が暗くなった。
そして帰りも真っ暗である。
風で落ち葉が舞い、カサコソと音を立てている。
まさに本格的な冬である。

街ではクリスマスソングがにぎにぎしい。

夕べ録画していた「チコちゃんに叱られる」を見た。
なぜクリスマスのプレゼントは靴下に来るのか?
という問いかけだったが、答えは聖ニコラウスが近所の家族に金貨を窓から投げたのが、たまたま干していた靴下に入ったからだという。
結構面白い企画であった。
そのセント・ニコラウスがなまってサンタクロースになったと言っていた。

そういえば私の子供のころのプレゼントは靴下か下着だった。
4年生ころまで実際に来てくれるのだと信じていて、楽しみにしていた。
今のようにおもちゃなどはなく、実用的なものばかりだったが、新しいのを着たりはいたりできることがうれしかった。
靴下などはいつもツギが当たっていたので、ツギのない新品の靴下をはく楽しみがあった。

親父がクリスチャンで、私もよく連れられて日曜学校に行ったが、音痴だから讃美歌が一緒にうまく歌えなくていやになり、行くのをやめた。
親父の友達で、牧師の江見先生というのがよく家にやってきていろんな話をしてくれた。その先生は後年田辺あたりで、自殺をしようとする人を説得する「いのちの電話」というのをやって新聞やニュースでもよくとりあげられていたのを思い出す。

今年もサンタクロースの来る月になった。
本当に日の経つが早い。

写真は、会社の事務所が入るビルの前庭のイルミネーションと、地下鉄の通路のクリスマスの飾りつけである。



今朝も割と暖かだった2019年11月26日 22時53分00秒

今日は歩数が足りなかったので、御堂筋線の淀屋橋まで歩き、御堂筋のイルミネーションを撮って電車に乗った。

時間がなかったので8ショット程撮って地下鉄に乗った。
家でそれをブログの写真にしようと思ったがちょっとした手違いで消してしまった。
前のパソコンにはリカバリーソフトが入っていたのだが、今のパソコンは入っていない。
仕方なくどこかにソフトがないか探すとあった。
無料ダウンロードとあったのでダウンロードをしてさて復元ボタンを押すと、お登録してお金を払わないと終わりまできちんと回復しないというソフトだった。

結局は復活をあきらめ、ちょうどスキャンしていたネガをアップした。
1988年12月の九度山の街角風景である。
この辺は当時も今もあまり変わりはないと思うが、新しく道ができたので、変わっているかもしれない。






日本全国こんなゆるい感じの街並みがなくなりつつある。
今日の夜のニュースで日本は深夜に遊べるところが少ないと、外国人観光客が言っていたが、無理に外国人に合わすより、日本独自の風景を大事にしていってほしいね。

しかしそれでも外国人観光客が増えたら、ここ九度山でも干し柿の下に
「Dried persimmon」などと案内するのだろうか。

今朝は一番寒かった2019年11月21日 13時14分07秒

今朝は5℃だった。
温度計を見て気温が低いと余計寒く感じる。
この冬初めてコートを着て出勤した。
コートを着ると電車の乗るとなんとなく落ち着きが悪いのだが仕方ない。
電車でもコートやジャンパーを着ている人が多くなった。
冬という感じである。
昨年はこの温度でもバイクで駅まで行っていたが、今年は車ばかりである。

最近廃プラの論議が盛んになってきたが、山登りをして弁当を買うと、食事の後のゴミが食べる以前より増えた感じがする。
量的には変わらないのにきっちり包まれていた弁当の包みが開放されて量が多くなった感じになる。
コンビニで弁当を買うとそれらも含めて、廃プラ実現はできるだろうかと心配になる。
確かにコップや食器は代用品ができてきつつあるが、買い物袋やパッケージはあまり変わらない。

廃プラに向けて、回収・リサイクルのシステムを気合を入れて日本じゃなければできないような先進的な対策を講じてほしいね。
リサイクルの方法もヨーロッパ先進国と比べてもはるかに後れを取っている。

Aさんの在任が過去最長となったそうだが、その間何をしてくれたのか振り返ってもさっぱりわからない。
不透明な事件ばかりが思い出される。

写真は1978年の和歌山市の街角。
なんとなくノンビリゆるゆる。





落書きアート2019年11月12日 12時55分15秒

家で購読しているる新聞の新聞小説のカットが落書きアートである。
毎日場所が変わっているが写真に撮ってカットにしている。
物語と関係ないので、少し邪道かなとは思うがいろいろあって面白い。

私もいい落書きがあればその都度撮っているが、普通のどこにでもある落書きは意味不明のが多い。
中にはこれは素晴らしいというのもあるがそういうのはまれである。
都会ではこんなところにどんなにして書いたのだろうか、というのがある。
普通の態勢ではまず描きに行けないところにきっちり書いている。
そういう難しいところに描くのも楽しみの一つなんだろうか。

なんとなく落書きアーチストのネットワークがあり、難しいところに書いたり、閉店したお店などの情報を交換しているのではないかと思ってしまう。

パチンコ屋など閉店したら格好の餌食であっという間に落書きだらけとなる。

写真は通勤ルートにある落書きである。
文字はなんて書いてあるかわからないし、絵も単純である。
文字だけのわけもわからないものよりは悪くはない。

私はシャッター通りになっている商店街など自由に描かせたら、ラッカーを塗る手間が省けていいのではないかと思う。
描けと言われれば委縮してしまいそうだが、グレードの高いものを描いてくれたら落書きアート商店街として有名になるのではないかと思う。

これから今まで以上に落書きアートに注目して街を歩きたくなった。




里山歩きがしたい2019年10月29日 20時53分01秒

最近里山を歩けていない。
その昔は、里山やひなびた漁村の面白さに魅せられて、近くの集落に足しげく通った。
最近はとんと行けていない。

1973年から1990年くらいまでにはたくさんの写真が残ったが、最近はほとんど撮れていない。
日本が変わっていく様を自分なりに記録していきたいと思うが、ままならない。

1960年から1970年代の景色はどこもほのぼのとしてなんとなく豊かな感じがしたが、高度経済成長に続くバブル期以来日本は変貌し、今は後戻りできない状態になってきた。ヨーロッパの国々は国を挙げて地球環境も含め、昔に戻そうと頑張っているが、日本はその気配がない。

少し寂しい。

政府はまた介護保険制度を変えようとしているが、ちらっと見ただけだがますます弱者が虐げられる感じである。

昭和から平成時代の悪いところばっかりが引き継がれている気がする。
昭和30年代の、貧しいけれど豊かだった頃が懐かしい。

なぜ里山が好きかというと、昭和30年代の昔とあまり変わらないたたずまいにノスタルジーを感じるからである。

写真は昭和50年(1975年)の熊野川沿いの村である。




秋が深まってきた2019年10月17日 23時17分06秒

今朝もかなり気温が下がった。
秋が深まってきたのを感じる。

それにしても台風被害が日を追うにつれてひどい台風だったのを感じる。
yahooのニュースで見ても、対策により、防げた部分もかなりあった。
地域住民が危ないからといっても行政は動いてくれなかったというのが多い。

また台風が来そうだが、もう風雨はいらない。
地球温暖化を皆で止めよう。

写真は倉敷。
ずっと昔にいったときにはビクターの有名な犬はそれほど多くなかった。
ところが次にいったときにはめちゃくちゃ多く乗っていた。
今度いったらもっと乗っているかもしれない。
こういうのは面白い。
お店の人がこの犬を集めるのに必死になっている姿が目に浮かぶ。


倉敷


倉敷


倉敷


古い街並みあれこれ・・橋本2019年10月01日 12時32分32秒

橋本市は古い街並みが残っていて歩くたびに新しい発見があるいい町だった。
しかし都市計画を実行してからフツーの町になった。

中途半端な都市計画は他の町との差別化がなくなり観光客も減ってしまう。
今観光客が増えているのは、古い街並が残っているところや特徴ある街並みのあるところばかりである。
そしてSNSで世界中に発信されとてつもないところから、訪問客がやってくる。
橋本の古い街並やアーケードの商店街は古いお店も残っていて面白かった。
それがものの見事になくなった。

少し寂しい。


橋本市

橋本市

橋本市

橋本市

橋本市

橋本市

高野が世界遺産に登録されて久しいが、その玄関口はここ橋本市である。
街に魅力があれば、高野山に行く前に途中下車もあるしその反対に大阪などに帰る途中で、街の散策も面白いと思うが、それはできなくなった。

古い町並みを残すのはコストもかかり難しいのだが、本宮のように無電柱化し家の表をクラシックな雰囲気を出して熊野古道にふさわしい街並みにリニューアルしている。

橋本の町もそうしてほしかったが、都会の真似事になってしまい面白みがなくなってしまった。

残念である。

写真は1973年にたまたま通りかかり面白い町並みだったので、撮ったものである。


だいぶ涼しくなってきた2019年09月24日 13時20分11秒

朝晩だいぶ涼しくなってきた。
ヒガンバナもだいぶ出てきた。
来週ぐらいは写真に撮るのにいいだろう。

わがふるさと串本は潮風が強く、車もエンジンより先にボディがいかれて寿命も短かった。最近のクルマは防錆がしっかりしているのであまりひどい錆は出てこないが、当時は新車から錆びだす車もあった。

結果、こうしてスクラップが増える。最近のスクラップ工場の廃車は今にも走り出しそうなものばかりである。

私が当時乗っていたスバル360もホンダライフもボロボロだった。
パテをもって何とか修理していた。

写真は1973年のスクラップ工場で、ここは今はない。




釣りが盛んなところがよくわかる。



キリギリスみたいになっている。

何とも締まらない彼岸となった2019年09月23日 21時22分04秒

昨夜の風は、先日の台風の時より凄かった。
ガレージの屋根も少しめくれた。
テレビのBSをもう一台のテレビでも見れるようにしようとして、機嫌良く見られていたいつも見ているテレビまで見えなくしてしまった。

原因は地デジと同じような感覚でアンテナの分岐を作ったためで、BSのアンテナ線にテレビから15Vの給電がされていると知らなく、ショートさせてしまい、テレビの保護回路が働き、見えなくなってしまったのである。

先にマニュアルを読んどけばよかった。

話は変わって、スウェーデンの環境保護活動家グレタ・トゥーンベリさん(16)が飛行機のかわりにCO2排出量がゼロのヨットで15日間、4800キロの旅を終えてニューヨークに到着した、というのはまだ新しいニュースである。

二酸化炭素(CO2)排出を懸念するトゥーンベリさんは、ヨットを選んだのである。

ニューヨーク到着後、トゥーンベリさんは「自然をめぐる戦争は終わらせなくてはいけない」と語った、という。

凄いね。

オバマさんと握手しているところも報道されていたが、TさんやAさんははどう思っただろうか。

金曜日にたった一人でデモを始めて、今では国際的な広がりを見せているが、環境のジャンヌ・ダルクかわからない。

彼女の活動はきっと歴史に残るのではないだろうか。
トゥーンベリさんは自閉症の一種であるアスペルガー症候群を患っているらしいが、本人は、この症状で「枠にとらわれずに物事を見られるようになった」と話しているという。

同じ病気の人たちにも勇気を与えるのではないだろうか。

写真は1973年9月大阪梅田地下街でのスナップ。
当時、大阪ではいつもどこかでこうした演説をしている人がいた。

今日スキャンしたものの中にあったもののうちの一枚。