今日は秋晴れだった2019年10月09日 19時40分01秒

タイフウの前の静けさか、今日は素敵な天気だった。

検査で入院したが,入院するのがもったいない天気だった。
台風のニュースで15号で被害に遭った地域の空撮があったがほとんどの家の屋根がまだブルーシートである。
次の19号も同じ規模だといっているがまだ修理もしていないのにお気の毒である。
早く温帯性低気圧に変わるのをまとう。
そうなったらなったで大雨が降るかわからないし、つらいね。

野球ではカネヤンがなくなった。
一時代を築いた選手だったけどもしカネヤンが大リーグへ行っていたら面白かったのにと思う。
阪神が奇跡的にCSに進出したのも面白いし、吉野さんがリチウムイオン電池の開発でノーベル賞をもらうとか、うれしい話である。
K電のゴタゴタはあっけにとられてしまうがそれにまつわる政治家はいないかどうか調べてほしいね。

写真の3連チャンで津祭り。
これで終わりにしよう。








かなり涼しくなってきたが台風が・・2019年10月08日 23時12分25秒

今朝は空模様は快晴ではなかったけれど、雲間からの朝日が、きれいだった。
昼頃は大阪も少しうっとおしくなってきたが、事務所の中なのではっきりした天気はわからなかった。

帰りもあまりいい天気ではなく、暑かった。

かない大きな台風が来ているということで、気になる。
15号で被害があった町もコース上にあるがこれ以上被害が出てほしくない。

写真は昨日に引き続き1975年10月津祭り風景で、祭りに呼応し、チンドン屋が楽しく繰り出していた。

チンドン屋

チンドン屋さんの一生懸命さが好きである。
こうして町の角々を演技しながら練り歩いていた。

チンドン屋

お店の宣伝もばっちりやっていた。

チンドン屋

この後ろ姿は少しペーソスが漂う。

1975年10月津祭見世物小屋2019年10月07日 13時13分16秒

だいぶ涼しくなってきた。
これが本来の気候だろう。
洋上には超大型の台風19号が発生した。また被害などなければいいと思う。

K電のごたごた、とどまるところを知らない。
つい他の電力会社もやっているのではないかと思ってしまう。
報道を見ていると、会社は損をしてなくて、結局は消費者の電気代値上げでまかなった気がする。

写真は1975年10月、津市で行われた津祭での露店の一つである。
こういう見世物小屋も少なくなった。いまでもやっているのだろうか?
この日祭りでは、チンドン屋さんがいくつか商店街を練り歩き、祭りを盛り上げていた。


看板ではどんな少女がいるかわくわくした。




この蛇は生きていた。それを生で食べる。オオカミ娘、悪食の人である。



ネットで改めて見ると、この祭りは、年々盛んになっているらしい。
「唐人踊り」は県の無形民俗文化財に指定されている。

現在の「唐人踊り」は、江戸時代に朝鮮から幕府へ派遣された使者の身なりをまねていると伝えられている。
喜怒哀楽の面をつけ、黄・白・赤色の上着、虎皮模様のズボン、笠、わらじをつけて、ラッパや笛、かね、太鼓のはやしで町を練り歩く。
「唐人踊り」は370年の歴史を持つといい、きらびやかな唐人の衣装をまとい、おどけた面をかぶった行列が独特のおどりを披露する。
「朝鮮通信使」を模したものと伝えられている。

藤堂2代高次公が八幡宮の氏神祭としたのが津まつりの始まりで、鎧武者が市中を練り歩く高虎時代行列をはじめ、しゃご馬、高虎太鼓は人気の的になっているという。

この日の見世物小屋は結構面白かった。
見物客はおどろおどろしい看板にひかれて入るが、いつものことながら出たときは幾分落胆すすか、まあこんなものだろうと納得して出るかのどちらかである。

祭もいろいろ撮ってきたが、この津祭は記憶に残るいい祭であった。
今年は10月12,13日に開催されるという。

少し涼しくなってきた2019年10月04日 12時30分14秒

1989年10月。
河島英五さんのコンサート。
北山村の池原ダムの下でやった。
手作り感あふれるいいコンサートだった。
南米のバンドも参加したアットホームなコンサートだった。

コンサートでめったに涙を流すことはないのだが、河島さんのトークの中で自身のお父さんのことをしゃべったが、父を思い出し、ついほろり。

河島英五

そういえばネオン街によく行ったころこの人の「野風増」「酒と泪と男と女」「時代遅れ」などは下手なりによく歌った。
「生きてりゃいいさ」も歌わなかったがいい歌である。

河島英五

河島英五

河島英五

河島英五

2001年4月16日に48歳で肝臓を悪くして亡くなった。
そう違わない年で、いい歌をたくさん歌ってくれた。
忘れられない歌手である。
もっと長生きしていい歌を世に送り出してほしかった。

河島さんのお墓は奈良市の十輪院に建てられているらしいので今度奈良に行った折に行ってみたい。

カラー写真は白黒写真から、5,6年あとの同じ場所でのコンサートであるが、施設がフツーのものになっている。
何もないところでやっていた始めの頃の雰囲気のほうがよかった。



今日は土佐堀川の堰堤を歩いて帰ってが、ひとり竿を5本ほど出して何やら釣っていた。

「何が釣れます?」
「ウナギや」
「この前だれかここでチヌを釣っていましたが」
「チヌはいくらでも釣れる。ここはいい潮が上がるからね」
「涼しくなったのでいいですね」
「そうや最高やね」

真夏と比べればずいぶん涼しくなった川筋での釣りは楽しいだろう。

御堂筋にもたくさんあるが、ここにも彫刻がいくつかある。

古い街並みあれこれ・・橋本2019年10月01日 12時32分32秒

橋本市は古い街並みが残っていて歩くたびに新しい発見があるいい町だった。
しかし都市計画を実行してからフツーの町になった。

中途半端な都市計画は他の町との差別化がなくなり観光客も減ってしまう。
今観光客が増えているのは、古い街並が残っているところや特徴ある街並みのあるところばかりである。
そしてSNSで世界中に発信されとてつもないところから、訪問客がやってくる。
橋本の古い街並やアーケードの商店街は古いお店も残っていて面白かった。
それがものの見事になくなった。

少し寂しい。


橋本市

橋本市

橋本市

橋本市

橋本市

橋本市

高野が世界遺産に登録されて久しいが、その玄関口はここ橋本市である。
街に魅力があれば、高野山に行く前に途中下車もあるしその反対に大阪などに帰る途中で、街の散策も面白いと思うが、それはできなくなった。

古い町並みを残すのはコストもかかり難しいのだが、本宮のように無電柱化し家の表をクラシックな雰囲気を出して熊野古道にふさわしい街並みにリニューアルしている。

橋本の町もそうしてほしかったが、都会の真似事になってしまい面白みがなくなってしまった。

残念である。

写真は1973年にたまたま通りかかり面白い町並みだったので、撮ったものである。


クジラのことなど2019年09月30日 12時53分58秒

先日はウミガメのことを買いたが、熊野地方は古くからクジラ漁も盛んであった。
それは今でも「食文化」の一環としてずっと続いている。
私も子供の頃、すき焼きはほとんどがクジラ肉だった。

カナダのイヌイットなどがアザラシやクジラを食べるのと同様であるが、追い込み漁が鯨を必要以上に苦しませるということから「クジラを取るな!」ということになっている側面もある。

それらは認識しているが、やはり「食文化」を担ってきたクジラである。
最近は、商業捕鯨や小型沿岸捕鯨、調査捕鯨などをすべて含む鯨肉の生産量は、昭和37年の22万6千トンをピークに、平成29年には3千トンにまで落ち込んでいるという。
消費量も激減する中、商業捕鯨が成り立つかどうかという懸念もあるが、やはりクジラの生息数をきちんと把握し、種の保存を確認しながら、漁は続けるべきだと思う。

問題は、いつも地球環境や生物のことを無視し、儲けのことばかり優先するからで、すべてがいびつになってくる。
クジラの捕獲にしても、コストが合わなかったらなくなってしまうだろう。

種に関していえばこれらもウミガメの減少と一緒で、地球環境が彼らにとっていこごちのいいものであったら、人間にとって必要数を捕獲しても増えもせず減りもせずいいバランスで数を保つ。

今年はサンマが不漁であるが、かれらも生活しやすいところに逃げているのではあるまいか。自然はそんなにやわではなく、そこに暮らす生き物も環境に応じて移動し、進化し、食性も変化させながら、生き延びる方法を考える。

環境を壊した人間は、これ以上地球を傷つけない方法を考え自分たちも生き延びる方法を考えていかなくてはと思う。

写真は1973年。
もうずいぶん前だが、シャチを捕獲、解体している所である。
何かいい被写体が無いかと、ふらっと行った所、シャチの首だけがあったのでびっくりし、撮ったものである。







今ではシャチなどを捕獲しないので、こういう所は撮れないだろう。

しかしシャチは大きい。
このあたりの人は、海からの恵みに感謝し、その動物の死を無駄にせず余すところなく、利用する。
これが動物と人との昔からの関係かな。

平城宮東方官衙地区発掘現地説明会2019年09月29日 22時09分47秒

今日は久しぶりに奈良平城宮の発掘現場での現場説明会にいった。
平城宮東方官衙地区の発掘調査現場で、たくさんの人が現場を見ていた。

奈良時代の基壇建物で東西29m、南北17mと広い平城宮の建物の中でもトップクラスの大型建物ということである。
出土品から平城宮の中でも格式の高い役所跡だと推定している。

久しぶりの現場説明会だったが、埋もれた中から遺構を見つけ出すのは大変な作業である。

平城宮

もう9月だのに夏空だった。

平城宮

朱雀門ではモデル撮影会をしていた。
昔はよくやった。

平城宮

一次大極殿を建設していた。
完成にはまだかなりかかりそうである。

平城宮

発掘現場。

平城宮

平城宮

こんな建物の基壇ということであった。

平城宮

出土品。

平城宮

ススキと朱雀門。マンヨウの気配が漂う。実際はここはメインストリートなのでススキなどはえていなかっただろうが。

コルチカム

家のコルチカムがめちゃ伸びてきた。
水も何もやらないままこれだけ伸びてきた。

ウミガメのことなど2019年09月28日 20時47分32秒

串本は土地も狭く田も少なく牧場もないため、海からの恵みで生きてきた。
鯨や亀は、貴重なタンパク源であった。
それがいつの頃からかウミガメの生息数が減り、絶滅危惧種の保護動物になってしまった。
鯨はいろいろとややこしい問題を抱えながら、漁をしている。
牛肉を食べるのには抵抗がないくせに、野生動物が殺され食卓に上がるとかわいそうだという人たちがいるが、どこかおかしい。

写真は1973年の我が串本でのウミガメの解体風景である。
私の子供の頃は時々こうした風景があった。
亀が上がると近所が集まって大きな鍋で亀の肉をゆで、皆でつついた。
味はすっぽん料理の匂いをきつくした感じだが、おいしい。
栄養たっぷりの感じがする。当時は醤油だけで食べた。

私が子供の頃の記憶からすると、年間捕獲した亀はせいぜい50頭くらいだったと思うが、それぐらい捕獲しても減ることは無い。
小笠原では現在も130頭程度捕獲が許可されているそうである。

私は亀が減った理由は、産卵場所を減らしてしまったためだと考える。
大事な砂浜や渚を不必要な埋め立てや護岸工事をして、彼らの産卵場所を狭めてしまったためである。

人間の経済活動が彼らを存続の危機に陥らせ、少なくなってきたから保護しようといっても、もう遅い。

ウミガメ

解体している所も昔は砂浜だった。

砂浜が昔のまま残っていたなら、何百匹いやもっとたくさんの亀が生まれたはずである。亀は生まれた浜に産卵しに戻るが、産もうした砂浜が、コンクリートで覆われていたら産卵場所が無くなる。この浜もすでにコンクリートで覆われている。
亀の産卵は不可能である。

ここが元の砂浜なら少なくとも10頭の産卵場所はある。
1頭200個ほど産卵するとして、2000頭がこの浜を巣立つ。
成体になるのはそのうちの一割にも満たないと言うが、10頭ほど戻れば以前の親亀も合わせ総数は増えても減りはしない。
この単純な計算を狂わせたのが、人間の経済活動であると言うことをわかってほしいのである。

写真はもっとたくさん撮ったのだが、少し刺激が強いシーンがあるので2枚にした。

彼らが産卵できる砂浜がもっとたくさんほしいが、かなり絶望的である。
それに加えて最近ではプラスチックの問題でも深刻な影響があるとニュースでよく出る。そのうち絶滅してしまうのでは無いかと心配している。

ウミガメ

彼岸花満開2019年09月27日 21時54分21秒

今日は降りそうで降らなかった。
朝から医者に行ってきた。いつもの通り時間がかかった。
最近写真を撮っていないので、帰りに彼岸花でもと思って撮りながら帰った。

今年は暑いせいか少しくたびれた花が多かった。
コスモスはまだ少し早かったが、彼岸花とツーショット。

曼珠沙華

何の工夫もないショットだが、彼岸花の赤がほしかった。

曼珠沙華

曼珠沙華

70-300mmのテストショット。
なんとか写っている。

曼珠沙華

曼珠沙華

昆虫がいないか探したがこれと行ったのはなかなか姿を見せず、何の幼虫か知らないが一生懸命はを食べているところをカシャ!


私に気づいて体を前後に振って威嚇してきた。

秋がどんどん進んでいく2019年09月26日 13時05分57秒

ヒガンバナが花盛りとなってきた。
秋が進んできた。

稲穂もほとんどの田んぼで黄色くなってきた。

最近は雀も少なくなって案山子の立っているたもすくなくなってきた。
1970年代に新宮市の田で毎年新しい案山子を作っている人がいた。
その案山子たちはユニークなのでよく写真を撮りに行った。

それらの案山子をと撮ってコンテストに入選したことも何度かある。
明日香村の稲淵の案山子コンテストは有名だが、下の写真の案山子たちは、雀を追っ払うというシメイに燃えている感じで楽しかった。

かかし1974年

かかし

かかし

かかし

実際にはどれだけ効果があったかわからないが、こうして目を楽しませてくれる案山子たちが各地で少なくなっているのは少し、寂しいものがある。