今日は割と暖か勝ったが雨が降りそうだった2020年10月22日 20時19分54秒

今日は昼から雨が降ってくると言うので家でホームページを作ったりしたが、結局はに中降らなかった。
これだったらバイクに乗れた。
仕方ないね。

外に行けないときは古い写真を見直す。
これは美浜町のアメリカ村1982年の写真である。
ここはカナダやアメリカに移住した人が多く、海外から帰ってきた人も多く、家の建て方もちょっと変わっているおうちが多かった。

美浜町 アメリカ村 1982年

煙樹ヶ浜に捨てられているソファー。煙樹ヶ浜はいい浜である。

美浜町 アメリカ村 1982年

うち捨てられた売店。

美浜町 アメリカ村 1982年

美浜町 アメリカ村 1982年

すこし疲れたニャンコ。のらで、腹が減っている感じであった。

美浜町 アメリカ村 1982年

ゲートボールのクラブが人が集まるのを待っていた。

美浜町 アメリカ村 1982年

美浜町 アメリカ村 1982年

テトラポットに捨てられた本。

美浜町 アメリカ村 1982年

美浜町 アメリカ村 1982年

宿。ポスターもローカル。こういう景色好きだなー

美浜町 アメリカ村 1982年

水道か?検針するの大変そう。ノーエチという薬。今は聞かない。

美浜町 アメリカ村 1982年

クリスマスプレゼントに本当のピストルを送られたと、海岸で将棋を指すおじさんが笑って語ってくれた。
そんなおじさん方の服装はアメリカ映画で見るジャンパーが多かった。

美浜町 アメリカ村 1982年

今はこれらの景色はどうなったのだろう。
もう一度訪ねてみたいところの一つである。

引き続き寒い一日2020年10月20日 21時57分58秒

先日から寒い日が続いている。
夕方あるいた。

朝からあるこうと思ったが、草かぶれの薬を飲んでから眠く体が重かったのでやめにした。

天気はよかった。
しかしどこにも遠くには行かなかった。


50年前のレンズで撮った。



ブロッコリーもちょっと大きくなってきた。


夕方のテクテクで見た落書き。まだ日本ではバンクシーのような書き手がないね。
バンクシーはメッセージも発しているからね。


カラスがたくさんいた。
田んぼにはビックリするくらいのカラスがいた。この電柱に止まっているのはほんの一部だった。そのうちこのカラスまでも食べないといけない日が来るかも。

Tさんの劣勢が決定的になってきた。
もう少し人に優しい施策をしていたら、勝ってたのではないかと思う。
コロナ対策はあまりにもひどかった。
そして何にも言わない、しないある国のトップがいる。
C国が世界的に批判の的になっている今こそ我が国がイニシアチブをとらなければいけないのに、どこか違った方向に行っている感じ。
どうなるのだろうか。

今朝も寒かった2020年10月18日 18時39分06秒

今朝も寒かった。
夕方少し暖かくなってからテクテクした。
いつものように丸太川の土手を歩いた。

今日は虫ではなく、秋の景色と鳥を主に狙った。
ちょうど夕暮れが近い土手は、ススキの穂が輝いていた。
スズメたちがその実をつつきにきている。
逆光に光る羽を撮りたかったが、なかなか旨く撮れなかった。
もう少し長いレンズがほしいね。

モズやカラスは逃げないのできちんと狙って撮れる。
とはいってもちょっとシャッターの音がすると逃げてしまう。

このあたりの駆け引きが面白いところかな。


カラス君はいつもこの柱が定位置である。

スズメ

景色はいいのだが。スズメ君はなかなかじっとしてくれない。

スズメ

一枚だけ飛んでいる写真が撮れたがイマイチである。

スズメ

ススキの穂の中で考え事をしているようなスズメ君。

モズ

モズ君は柱の上でよく鳴いていた。

モズ

これは電線に止まって何かを呼ぶように鳴いていた。

シラサギ

シラサギがたくさん集まっていたが、魚を捕っている風でもなかった。
帰ろうと歩き出したとき、多分ヤマドリだと思うが結構大形の鳥が土手の草むらから飛び出しビックリした。足下から飛び出したのでカメラを構える間もなく、そのまま対岸まで飛び去ってしまった。
少し前にはキジで今日はヤマドリ。まだまだ自然は残っている。

この日8600歩歩いていた。

めちゃくちゃ寒い一日2020年10月17日 17時56分05秒

今日は朝から雨。
寒い一日だった。
ホームページを一つ作ったが、これからまた順次作り替えていくことにする。

写真は1990年のもので、会社が忙しくなり始めた頃で、このあたりの写真は少ない。
しかしあちこち撮っている。

街角

どこかは忘れたがこのハンガーの形が面白かったのかな。

街角

これも同じ街だと思うがどうも共同住宅みたいで、郵便受けも9つある。面白いのは二階の窓の花を植えている竹である。今時こういうアパートには入居者はいないだろうね。

街角

なんか悟ったような表情でこちらを見ていたワンちゃん。吠えもせずじっと見ていた。

街角

極端に三角のカラオケやさん。ビルの中がどうなっているか知りたかった。
「新空港」という店の名前もいいなー。

街角

アパートに囲まれた二階建て。
なんとなく肩身が狭そうな感じがして、頑張れ、と声をかけたくなる感じがした。

もう30年経っているのでいずれの写真の景色も、もうなくなっているだろう。
昨日撮った花はコルチカムだった。
昨年は部屋で咲かして、球根を捨てないで庭に植えたのを忘れていた。
忘れコルチカム。

だんだん寒くなってきた2020年10月16日 21時14分27秒

今朝は寒いくらいだった。
窓を開けると入ってくる風が冷たかった。

最近熊に襲われたというニュースが多くなった。
けがをしたり、家の食料をあさったり、人里も恐れずにやってくる。
オオカミがいればこういうことはないのだが。
せめて犬でも飼っていたら味方になるのだが最近は柴犬でも家の中で飼うおうちが多い。
山の餌がないと言うがそれだけだろうか。
最近は野良犬もいないし、いるのは野良猫だけである。
ユーチューブなどを見ると犬は小さくても熊を追い払う。
イノシシもそうである。

日本にオオカミがいなくなって100年くらいだが、熊とオオカミは何万年と言う戦いの歴史があり、特にオオカミは熊などの天敵だったので、DNAにはきっちり組み込まれているはずである。
犬は先祖はオオカミであるから熊としてはオオカミに襲われるのが怖いとDNAに組み込まれているので、犬にはやはり一目置くのかもしれない。


何という花か知らないが、葉もなく花だけが咲いた。




今年はゴーヤを作るのに失敗したが、これはカリフラワー。
無事たくさん収穫できるか、これからである。

いい天気が続く。2020年10月15日 20時54分39秒

今日もいい天気だった。
ありがたい。
そういえば10月と言えば各地で祭りのある月である。
稲刈りがすみ、村が総出で収穫を祝ったり、昔の言い伝えの祭礼を執り行ったりする。

写真は那智勝浦町下里の祭礼で、1977年10月のものである。
今年はコロナのせいで各地の祭りが中止または縮小している。

リタイアしての楽しみの一つは全国各地の祭礼を見て回ることも楽しみだったが、出鼻をくじかれた。

ただ昔の各地の祭礼は人が多く出てニギワイがあったが今はどうだろうか。
そのギャップも見てみたい、と思ったのである。
しかし今年は叶わない。

いずれにしろ祭りはハレの日であり、無礼講だった。
今の祭りはどうだろうか?
そして今年中止になった祭り、来年はどうだろうか?

この祭りも人出はどうなんだろうか?

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

桂の木を見に行った2020年10月14日 22時43分45秒

朝からいい天気だった。
今日は以前から見たいと思っていた桂の木への再チャレンジをした。
これまで道を取り違えて見ることができなかったのだが、いい地図がネットであったので登った。
道が一筋違っていた感じである。

夏の間は登る人もないらしく道は荒れていた。
蔦が絡んだところや倒木が20カ所もあり、普通の登山道であれば50分から1時間で登るところを2時間以上かかった。
下りも足場が悪かったのでこれも2時間以上かかり11時40分に登り初めて車の所に着いたのは4時過ぎであった。

桂の木はすごかった。
やはり天然記念物に指定されているだけのことはあった。

飯盛山桂谷桂


飯盛山桂谷桂

飯盛山桂谷桂

飯盛山桂谷桂

飯盛山桂谷桂

飯盛山桂谷桂


飯盛山桂谷桂

飯盛山桂谷桂

蔦やこうした倒木の根があちこちにあった。

飯盛山桂谷桂

こんな倒木が20カ所ほどもあり通り抜けるのに時間がかかった。

飯盛山桂谷桂

飯盛山桂谷桂




見たこともないカエルがいた。


沢ガニもいた。

夕方歩いた2020年10月13日 17時58分19秒

今日はあまり歩いていないので、いつもの川に縁を歩いた。
休憩にコーヒーを飲んだ。

花に集まる虫君。何という虫だろうか。


スズメがたくさん集まってきた。これからねぐらに変えるのだろうか?

スズメ

蛇君がいた。ヤマカガシである。かまれれば危険。
何かを狙っているらしく逃げなかった。

ヤマカガシ

つぶらな瞳がかわいい。

ヤマカガシ

カエルでもいるのだろうか。

ヤマカガシ

舌で気配を探っている。
ヤマカガシはあまり見ない蛇だ。
マムシのように挑戦的ではないが、毒蛇の持つ独特な貫禄はある。

ヤマカガシ

今日はブログを二つも書いてしまった。
昨日のてくてく記録の写真が多すぎたので、別に書いた。

世間はハンコの廃止でいろいろとうるさいが、何か順番が違う感じがする。
一足飛びに結婚や離婚のハンコをなくすというが、人生で数少ないイベントの時のハンコは性急になくす必要はないと思う。
早くしてほしいのは市役所などに出す書類の簡素化で、その中には当然ハンコの廃止も含まれる。
デジタル庁ができたがこのあたりをきっちり各省庁間で連絡を取り合っているのだろうか。なにかだんだん国民の願いから乖離しているのを感じる。

今日も朝からいい天気2020年10月13日 09時49分16秒

今朝もいい天気である。
少し寝不足が続いているので体がなんとなく重い。

昨日はいい天気だった。
大和街道のてくてくページをつくってからもう20年以上経つので新しいバージョンにしたいので歩いた。
特に那賀地区や橋本市地区は都市計画で大きく町並みが変わってしまっているのでその変貌ぶりを確かめたかった。

粉河から歩き始めて名手本陣までを歩いた。
大和街道の町並みそのものは大きく変わりはないが、空き家が更地になってしまっていわゆる古街道のイメージの町並みは消えつつある。

JR和歌山線の線路踏切を渡るところがあるが、地図を見ながらいっていると後ろから女性が声をかけてくれて、
「どこまで行くのですか」
「名手本陣までですが」
「でしたらこの道ではなくもう一つ向こうの踏切で、その踏切を渡ってすぐ右にいくと大和街道です。この道をよく間違う人が多いのです」
ということで間違えずにすんだので助かった。間違う人が多いのでレクチャーしてくれたのである。

大和街道

杏と蔵。このあたりは蔵のあるおうちが多い。

大和街道

大和街道

大和街道

大和街道

電柱に防火用ホース政党のポスター。うっかりすると見落とす。
電柱が邪魔をしている。

大和街道

ここは変わっていないが以前歩いたときはこの格子戸はまっさらだった。

大和街道

高級な柿なのかビニールをかぶせている。

大和街道

大和街道

草がうまい事同じ長さで切れているなと思ったら、電車走行でちょん切れた。

大和街道

名手川で魚を狙うサギ君。

大和街道

新設の道路なら電柱をなくしてほしかったね。

大和街道

ここないが変わらないが人の気配はなかった。

大和街道

郵便局である。

大和街道

名手本陣も久しぶりに訪れたが、無料になっていてバージョンアップされていた。
女性が一人版をしていた。その女性からお土産にキーホルダーをいただいた。
結構歩いたので10000歩を軽く超えていた。

大和街道

大和街道

大和街道


大和街道

左側は馬を止めておいたのかな。侍の行き来を想像する。

大和街道

早速キーホルダーをつけた。軽くていい。

今日はいい天気2020年10月12日 19時25分54秒

昨日、近くの志野神社が正遷宮で里中満智子先生の絵があると言うことで見に行った。結構にぎにぎしく正遷宮を祝っていた。

志野神社は、
和歌山神社庁の記事によると、
「天言代主命・加具土命・息長帯姫命を祭神とし、紀の川市北志野の桜池の近くに鎮座している。
『紀伊国続風土記』によれば、徳川南龍公の御代にこの北志野の地に人工池(桜池)を創ろうとしたところ夜毎に、奇妙な光が辺りに発せられ又、地鳴りが起こり村人等を苦しめたとあり、この事を聞かれた南龍公が村人等と相談されたところ、昔この地に天正の兵火に焼亡し慶安三年まで衰廃していた社殿があった事が判り、この社殿を新しく建立されたところこの奇妙な光と地鳴りが消えたとの言い伝えがある。
ここであえて言い伝えとしたのは、当社に確かな記録の書物等が無い為である。
尚、以前は、東屋御前神社と言いその後現在の志野神社と称している。
又、神功皇后の三韓征伐の行幸地としても『風土記』等に記されているがこの場合多くは「小竹の宮」と記されている。
現在の本殿鎮座地は、以前よりやや北に移っているが容姿等はほとんど変り無く保っている。
例祭日には、餅投げ等あり賑わっており、祭典終了後は、宮講の式も執り行う。
その他当神社には宮座が有り「木村座」「稲垣座」の2座で、1月・10月には座の式も執り行っている」
とある。

志野神社

志野神社

志野神社

志野神社

この神社は、所謂、「小竹ノ宮址」。
小竹の宮は日本書紀の神功皇后条にも登場する。

「皇后は紀伊國においでになって、太子(後の応神天皇)に日高でお会いになった。
群臣とはかって忍熊王を攻めようとして、更に小竹宮に移られた。
このときちょうど夜のような暗さとなって何日も経った。時の人は『常夜へ行く』といったそうだ。
皇后は紀直の先祖、豊耳に問われて、『この変事は何のせいだろう』と。一人の翁がいうのに、『聞くところでは、このような変事を阿豆那比の罪というそうです』と。『どういうわけか』と問われると答えて、『二の社の祝者を一緒に葬ってあるからでしょうか』という。
それで村人に問わせると、ある人がいうのに、『小竹の祝と天野の祝は、仲の良い友人であった。小竹の祝が病になり死ぬと、天野の祝が激しく泣いて『私は彼が生きているとき、良い友達であった。どうして死後穴を同じくすることが避けられようか』といい、屍のそばに自ら伏して死んだ。それで合葬したが、思うにこれだろうか』と。墓を開いてみると本当だった。
ひつぎを改めてそれぞれ別のところへ埋めた。すると光が輝いて、昼と夜の区別ができた」
ま、昔のことはよくわからない。

志野神社

志野神社はそれほど大きくはないが綺麗ないい神社である。
なぜ里中先生の絵があるのか社務所の方に聞くと、里中先生がこの神社の人の親戚で、論文を読んでそれなら絵を描いてあげましょうと言うことになったらしい。
綺麗な素晴らしい絵を並べていた、白黒は原画で、着色したものも並べていた。
御朱印もその絵を印刷していた。

神社の上の桜井池ではボートが何艘か出てバスを釣っていた。

志野神社

志野神社

志野神社

今までの御朱印でも一番綺麗。

志野神社

境内にあった木だがなんとなく別の木が相互になじんでしまっている感じがする。

桜池

桜池ではバス釣りボートがかなりの数出ていたが釣れていそうになかった。

クロスカブCC110

クロスカブCC110

ちょっと出かけたが最近カブちゃんをあまり撮っていないのでカシャ!