何とも締まらない彼岸となった2019年09月23日 21時22分04秒

昨夜の風は、先日の台風の時より凄かった。
ガレージの屋根も少しめくれた。
テレビのBSをもう一台のテレビでも見れるようにしようとして、機嫌良く見られていたいつも見ているテレビまで見えなくしてしまった。

原因は地デジと同じような感覚でアンテナの分岐を作ったためで、BSのアンテナ線にテレビから15Vの給電がされていると知らなく、ショートさせてしまい、テレビの保護回路が働き、見えなくなってしまったのである。

先にマニュアルを読んどけばよかった。

話は変わって、スウェーデンの環境保護活動家グレタ・トゥーンベリさん(16)が飛行機のかわりにCO2排出量がゼロのヨットで15日間、4800キロの旅を終えてニューヨークに到着した、というのはまだ新しいニュースである。

二酸化炭素(CO2)排出を懸念するトゥーンベリさんは、ヨットを選んだのである。

ニューヨーク到着後、トゥーンベリさんは「自然をめぐる戦争は終わらせなくてはいけない」と語った、という。

凄いね。

オバマさんと握手しているところも報道されていたが、TさんやAさんははどう思っただろうか。

金曜日にたった一人でデモを始めて、今では国際的な広がりを見せているが、環境のジャンヌ・ダルクかわからない。

彼女の活動はきっと歴史に残るのではないだろうか。
トゥーンベリさんは自閉症の一種であるアスペルガー症候群を患っているらしいが、本人は、この症状で「枠にとらわれずに物事を見られるようになった」と話しているという。

同じ病気の人たちにも勇気を与えるのではないだろうか。

写真は1973年9月大阪梅田地下街でのスナップ。
当時、大阪ではいつもどこかでこうした演説をしている人がいた。

今日スキャンしたものの中にあったもののうちの一枚。

彼岸花が咲いた。2019年09月22日 22時47分25秒

彼岸花が咲かないと心配していたら、今朝田んぼの土手できっちり咲いていた。
パラパラだが咲いた。

やはり花は季節を知っていた。

昼もかなり時間が過ぎてから大阪市立美術館で開かれている浮世絵コレクションを見に行った。
2色刷の浮世絵草創期の版画から北斎、広重などよく見たことがある絵の本物があった。大切に保管されていた版の新しい浮世絵は色も鮮やかできれいだった。
ゴッホが模写したという梅の木の絵も原画であった。
思ったよりシャープでクリアだった。
これならゴッホもほれるだろう。
北斎の赤富士も展示されていたが、色鮮やかで我が家にかけている現代版の赤富士(現代の版画作家が模写して刷ったもの)より鮮やかで、迫力があった。


天王寺公園ではファンゾーンとして大型ディスプレイを設置しラグビーのワールドカップの大会を映していた。
皆一生懸命応援していた。


1970年代によく撮したところだが、今はあべのハルカスがそびえている。


今日は晴れのち雨のち晴れという予報だったが、それはきちんと当たった。
天王寺に着いた頃大粒の雨がたくさん降ったが、展示会を見て終えて外に出たときは晴れていた。

明日は彼岸花の初物を写真に撮りに行こう。

彼岸花が咲かない2019年09月20日 14時50分08秒

今日は久しぶりにインテックス大阪でイベントがあり、会社も出展したので参加した。
いい天気で台風が来ているようには思えなかった。
インテックスまでは、とりあえず弁天町まで行かなければいけないので、天王寺で乗り継いだ。
乗り継ぎまで少し時間があったので、撮り鉄をした。
このはるかはラッピングしていない。
手前の男性がスマホを見ていたのでスナップをカシャ!


はるかが途中で抜いた、快速がきた。
線路が光ってきれい、とおもったのだがレンズが少し短すぎた。
ここも少しねばらなければいけない。


地下鉄からコスモスクエアのいきにくいホームを抜け、中ふ頭駅から、広い敷地を会場まで向かった。
インテックスは変わり映えがしなかったが、関西ではここしかない。
大型ディスプレイがやっと液晶になって落ち着いて画像を見られるようになった。

帰りに天気予報通りに雨が降ってきた。
傘を持っていなかったので濡れながら歩いたが、肌寒く感じた。
季節は一気に秋モードになってきた。


今朝の新聞一面のニュースで、東電の旧経営陣が無罪となったことが書かれていたが、少し腑に落ちない。
補強しなければいけないと言われておきながら,もうけを優先にしてきたからその責任はきっちり果たしてほしいと思う。
昔のサムライなら責任をとって切腹だろうね。

なにか腑に落ちない事ばかりである。

秋らしいいい天気2019年09月19日 12時35分52秒

今朝はずいぶん涼しかった。
通勤の道の両脇にはもう稲を刈り取っている田もある。

まだヒガンバナは咲いていない。
あと4日しかないが、咲いてくれるだろうか?

バイクのクロスカブ110を注文した。
現物は10月にならないと来ないが、早く見たい。
このバイクでいろいろやりたいことがあって、夢がわく。
色は黄色にした。
CB400SSはまた買い取り専門店に引き取ってもらうことにする。

クロスカブ110

そういえば先日のサウジアラビアへの石油施設への攻撃はドローンだったようで、いよいよ来たかという感じである。
どこが攻撃したかはよくわからないが、小さな無人機で石油施設に大きなダメージを与えたということに、怖いものを感じる。

まさにマンガでしかなかった無人機による攻撃には、衝撃を受けた。
そういえば福島原発の事故の時もアメリカはドローンを飛ばし放射能漏れがあることをいち早く察知し、自国民に日本から脱出するように促したということである。
それらは日本のメディアではほとんど報道されることはなかった。

アメリカではドローンを飛ばすために、プロのゲーマーを雇っているという。
ゲーマーなら操作テクニックもすごいだろう。
これからの戦争はいつどこでどのように起こるかわからなくなってきた。
ゲーム感覚で戦争を起こされてはかなわない。

昨日会社訪問にきたひとが話の中で、
「作業効率化のためにロボットを導入しませんか?」
というと、相手の経営者がこたえて、
「置く場所もないのでいいです」
という返事だったといって、
「世間はそんなものです」
と嘆いていた。
提案したのは、ソフトのロボットだったのだが、相手の方は人間型をしたロボットとおもっていたようである。
ドローン(無人航空機)にしても同じようなことがいえる。
今回も攻める側に人的被害はなく施設が破壊できた。
それもドローンによる。

写真は1973年那智山のふもとにあった鉱山跡である。
この建物は人もめったに来なかったのでこの中でヌードの撮影会なんかを何度かやった。
今でもまだあるのだろうか。

那智鉱山

最盛期にはこの下に車が止まり荷受けしたのだろうか。

那智鉱山

なんとなく雑然とした工場の中。

那智鉱山

那智鉱山

事務所。まだ書類なども残っていた。

那智鉱山

坑道かな。

那智鉱山

やっといい気候に2019年09月18日 12時24分53秒

今朝の通勤路。
土佐堀川をふと見ると、パドルボートが3艘こちらに向かっていた。
男性二人、女性も一人。
これから出勤かな?
だとしたら渋滞もなくすいすい、とはいかないと思う。

今朝は少し風があり、向きは向かい風であった。結構きついと思う。

最近カヌーを漕いでいない私にとっては、羨ましい光景である。
いつも持ち歩くニコンのコンデジが壊れたのでスマホで撮ったが、なぜか白黒で撮れた。

それにしてもスマホのカメラはよく写る。
昔の「写ルンです」とは雲泥の差で、時代の進歩を感じる。

土佐堀川

そしてスキャンした古い写真。
1970年代の勝浦漁港。1978年かな。
このころは連日活気ある漁港だったが、今でもマグロが上がった時などにぎわうのだろうか。

勝浦漁港にて

マグロが大漁。

勝浦漁港にて

ふかのひれを干している。

勝浦漁港にて

クジラも水揚げされた。

勝浦漁港にて

雑魚もささやかにあった。

今日は少し暑さが和らいだ2019年09月16日 21時08分02秒

先日病院で認知症の検査をした。
高度なテストではなかったが、それなりに緊張した。
3つのワードを覚えて何分後かにもう一度その3つのワードを、聞かれたときは少しうろたえた。
「サクラ」「猫」「電車」と今でも思い出すのでまずはよしとするが、その本番ときは「猫」がでにくく少し考えた。

しかし身体能力の衰えは日々感じている。
駅の階段をハイヒールを履いて、カンカンカンとすごいスピードで、駆け下りている若い女性がいるが、うらやましい。

さらに視力が落ちているのには参る。
立ち読みもめがねを外さなければいけない。
そのスーパーの雑誌売り場には「立ち読み禁止」と書かれているのだが、それは読めない振りをする。

パソコンでばかり文書を処理するので、字が書けなくなった。
筆順もいい加減になって、訂正印が必要になることが多くなった。

スマホの扱いもよっぽど必要なアプリしか入れてなく、時々指が乾きすぎて反応しないときがある。

その指も、電車の吊革につかまっているとき隣に白魚のような手でぶら下がっている女子高生の横で、しわくちゃの私の手はいかにもお粗末である。

パソコンなどの操作マニュアルも読むのが面倒になった。
ところがこれは年の功か知らないが、わからないままその経験からかなんとかなってしまう。
ところが少し若いときはなんとかなってしまったところを記憶していたが、今は同じことをまた一からとなる。

日本は高齢化社会で、電車のつり革にぶら下がる手も、しわくちゃだらけになる日もそう遠くはない。
我が国はこのまま行けば活力を失ってしまい、さみしい国になりそうである。
AI化もいいが、差し迫る高齢化社会に対してどう取り組んでいくのか、早急に具体的な施策を打ち出し、実現をしていかなければいけないと思う。

我が国のお偉方や官僚の皆さんは前置きが長く、別のところの議論で結局は実効的な施策が出来ないでいる場合が多いので、失敗してもいいからとにかくやってみるという風潮を作って取り組んでほしい。
改憲議論もいいが、いろんな施策を進めるに当たってはまず施策を進めるに当たって障害になっている法律の見直しをしてほしい。
時代に合わない法律が一杯ありそれらをクリアすることにより、日本はもっと暮らしやすくなるはずである。

今日はロージンの日。

写真は今日断捨離をしながらスキャンした中にあったもので、いろんなものが干されていたが、こんな写真も撮っていた。雨が上がったからかな。

那智勝浦町1988年9月。





やっと雨が降ってちょっと涼しくなった2019年09月13日 12時15分02秒

朝からショックなことがあった。
オオタニサンがひざの手術をし、今シーズンの出場は絶望だとか。
彼が出る試合はスマホで時々チェックしていたが、楽しみがなくなる。
早く治って万全の態勢で次のシーズンを迎えてほしい。

昨夜は涼しい風が吹いて夜も暑くなかった。
このまま暑くならないでほしいね。
お月さんがきれいだった。
そういえばお月見も近い。

写真はカラーが1975年、白黒が1979年のもので、白い大きな建物はNTTビルである。
この建物は災害時避難場所になっている。10mの津波が来るとこの建物でもやばいが、NTTの建物は必要以上に強度があるので大丈夫だと思う。
NTTビルの西側の道を隔てて私の家があった。

家の電話をつけるときこのビルから直接、
「おい、電話工事終わったか?」
と声が掛けられた。
それくらいの距離にあった。

漁港を守る各堤防の周りは、魚が豊富で、自宅に帰った折にはガシラやハタ類をよく釣りに行った。
外道でウツボがよくかかった。

今でも帰ればルアー釣りで竿を出すが、昔ほどは釣れない。
しかしボウズはないから、さすが串本である。

カラーの写真を撮った場所は、山の上にあった畑まで登る途中の道で、「コエタゴ」(人糞をいれたおけ)を天秤棒で担いで畑までかついでよく登った。
下手に担ぐと桶がゆれ中で人糞がはねて服に引っかかった。

カラー白黒ともに今では景色も変わり、同じ位置からは写真を撮れないのではないかと思う。

今ではレストランなどもできて、このいかにも漁港という感じは薄れてきている。

串本漁港1975年

串本漁港1979年

写真を見る限りでは、10m級の津波が来たらひとたまりもないことがよくわかる。
祖父は津波の時はこちら側の山ではなく、津波を背にして向こうの山に逃げよとよく言っていた。こちらの山に逃げようとすると、逃げている間に海から波が来るという。
正論である。

ちょっとは涼しくなるかな?2019年09月12日 12時16分22秒

北から涼しい気団が下りてきそうな感じで、少しは涼しくなるかな。
このまま涼しくなってほしいね。
千葉のほうの災害復旧は進んでいないということで、これは予想していた。
わかいころ私の前の会社では台風の毎に災害復旧をやったが、当時の上司は指示が的確でまだぺいぺいの私もいい勉強をさせてもらったが、東京のほうは大きな台風が来ないからそういうノウハウを持った人がいないので復旧がおくれるのじゃないかと思っていた。

それはあたった。

一日でも早く回復させないとこの暑さで、また事故が起こる。
頑張ってほしいね。

写真は1975年。大島巡行船の待合室?風景で、廃車のバスを使っていた。
当時はたくさんの乗客がありこの待合室は重宝されていた。

巡行船待合所

巡行船

巡行船待合所

巡行船待合所

巡行船待合所

巡行船待合所


何とものどかな風景である。
最近は巡行船もなく、人も少なくなって、この桟橋もさみしくなった。
大島までの道路もついてさらにさみしくなった感じである。
道がつくと生活が変わる。
へき地対策でいい道をつけると、町にひっこす人が増えて以前よりも僻地になったところもたくさんある。

これで高速道路が新宮まで伸びると、串本は素通りされさらに訪問客が少なくなるような気がする。

お盆も過ぎて大分経つのにこの暑さ!!2019年09月11日 22時14分29秒

まだ今日も暑い。
お盆が過ぎてこの暑さは和歌山では52年ぶりだとか。
それでも過去にはこの暑さがあったのだ。

台風で電気が止まっている地域の人たちの苦労がわかる。
今日は、検査で医者に行ったが、朝に行って終わったのは3時頃だった。
それでも患者はまだたくさんいた。
高齢社会になると今以上にたくさんの人が、病院に行くことになる。

今度初めて入閣したK君に頑張ってもらおう。
喫緊の課題は、環境と高齢社会対策だ。
AIやIOTを使うのも限度があるから、アナログとデジタルをうまいこと使い分けて、いい社会を作ってほしいね。

写真は1975年頃の我がふるさと串本の風景である。
橋杭の写真を少し集めてみた。
橋杭岩周辺は家からそう遠くなかったのでよく撮っている。これは一部である。

今度串本に行った折には昔の場所と、同じ位置と角度でもう一度撮っても面白いかな。

1975年串本

貸しボート屋もあったが、貸せるのは夏の間だけだし普段から波が荒いので商売にはならなかったと思う。

1975年串本

鰯のひもの作り。天日干しは今でもやここでやっているのだろうか。
好きな風景。

1975年串本

今でもこのススキあるだろうか。

1975年串本

台風で打ち寄せられてきた木の根っこ。ずいぶん長いことここにあった憶えがある。

1975年串本

この辺でよく遊んだ。

串本も最近はジオパークで脚光を浴びているが、子供の頃そうした知識は全くといっていいほど教えられなかった。
自然が有り余りすぎてどうでもよかった時代だったのかも。
今になって熊野の地形や自然の素晴らしさが認知されてきたのである。

まだめちゃ暑、ばててくる2019年09月10日 12時20分39秒

いつまでも暑い。
今朝は通勤の男性が何人か傘をさして歩いていた。
紫外線をよける場合は傘のほうが良いらしいのだが・・。

今日も電車の中で女性が立っている私の前でおもむろに鏡とまつげをカールする機械を出して顔の加工を始めた。

まつげがくるっとした後、アイラインを入れて何やら筆でまつげを固定していた。
とてもじゃないがつり革も持たずにこの作業を私がした場合には、電車の揺れでひっくり返るだろう。
バランス感覚はいいと思うが、目の前での顔面加工は目障りな感じである。

写真は1977年の那智勝浦町色川の豚舎。すごくフリーな豚舎で豚君たちものびのびしていた。
今でもこの豚舎はあるのだろうか。
自然な感じのこの豚舎の豚君たちを見るのが楽しみで、時々写真を撮りに行った。

1977年色川豚舎

1977年色川豚舎

10匹以上がおっぱいを飲んでいる。

1977年色川豚舎

子供はきれいな寝床。

1977年色川豚舎

笑っているようだ。

1977年色川豚舎

大型の豚君に囲まれてタジタジのワンちゃん。彼はこの後尻尾を巻いて外に逃げた。

1977年色川豚舎

なかよしたち。

1977年色川豚舎

鳥君もいる。

1977年色川豚舎

今時はこういう自然な感じのスペースは貴重でほとんど見かけることがない。
こういうところで育った豚君たちはおいしいだろうね。