今日は天気はイマイチだったが気温は高かった。 ― 2024年03月17日 20時50分28秒
今日は初夏の暖かさ ― 2024年03月16日 19時58分39秒
今日は初夏並みの暖かさだった。
冬の格好をしてテクテクをしたが暑かった。
明日は服を減らさなければいけない。
今朝初めて七〇才以上のマークをリアガラスにつけた。
驚くなかれリアはプラスチック製だったので緩い磁石のマークはつかず両面テープでガラスにつけた。
若葉マークならいいのだが・・・・。
マークをつけているとヒヨドリ君が前の小学校の木に止まった。
カシャ!カシャ!
近くの池でバスを釣る人。
そういえば昨年こちらに来てロッドを降っていない。
今度来よう。
冬の間乗らなかったが前カゴの袋がなくなっていた。
いつもの高森山にテクテクしたがシロハラ君が食事を探していた。
そういえばどこかでウグイスが鳴いていた。
春が来た。
藤の棚の下で鳥を待ったが、その間ずっと藤ツルから「パチン」と実がはじけながらいくつも落ちてきた。
もう夕暮れなのである。
ずいぶん日が長くなった。
帰り道の公園のベンチで一休み。
パンダとライオンが寂しげに明日の子供達がくるのを待っている。
なぜパンダやライオンか。
ここだとスタジオジブリのキャラクターがいいが著作権の問題があるかな。
政倫審が続けられているが、誰が来ても「知りません」
いい加減にしないと馬鹿らしくて聞いていられない。時間の無駄である。
これでは政倫審に出た議員さんの誰もが会社の社長は務まらない。
それに輪をかけるような、前時代的な一杯会を開いたのが和歌山とは情けない。
選挙民を馬鹿にするのもいい加減にしないとしっぺ返しが来るけどね。
今日は暑いくらいの陽気。風もなかった。 ― 2024年03月15日 21時17分47秒
今日は汗ばむくらいに暖かだった。
いい天気になりそうだった。
そんな朝から「ぎふワールド・ローズガーデン(旧:花フェスタ記念公園)」にいこうと岐阜県可児市に向かった。
ナビはきちんと行き先を指示していたが、うまく曲がれなかったりで時間がかかった。
道は良かった。
「ぎふワールド・ローズガーデン」は岐阜県可児市にあるバラと花々の庭園 大型の遊具や芝生広場なども充実している。和歌山で言う緑花センターをもっと広く施設をたくさんという感じである。
バラと花々の庭園 大型の遊具や芝生広場なども充実していた。
時期が時期で、緑が一番少なく、もう少ししてここが一面花に覆われたらそれは素晴らしいだろうが、見に来る人が多すぎて田舎者には手に負えないだろう。
公園内を自動車が走っていたが、ぬいぐるみが一つだけ乗っているだけだった。
いろんな花があった。
この木はもう実がなっていた。
展望台があり、霞んでなければ御岳や伊吹山が見えるそうである。
今日は御嶽山がかすかに見えただけだった。
白い雪の山々を見たかった。
花が咲けばこんな感じだと公園のトンネルでパネルにして紹介していた。
なぜか唐突にアンネ・フランクの全身像。
ここはモロッコガーデン。
タイルは現地の職人が工事をしたそうである。
立派。
公園を散策し、昼ご飯を食べ終わった後、木曽川を見に行った。
昨年花火を見たところであるが昼見たことはないので連れてもらった。
公園もここも鳥の鳴き声はするがなかなか姿を見せてくれないがこのヒヨドリ君とツグミ君が姿を見せてくれた。
綺麗な竹藪が続いていた。
「かぐや姫遊歩道」というらしい。
赤い服のカメラマンが、
「イイの撮れましたか」と声をかけてきたが、
「いいえ撮れませんでした」とこたえた。
ここで粘ると鳥がたくさんとれそうな気がする。
小魚も多いし餌もたくさんありそうである。
竹藪に入ってからカメラをとりだした。
宿り木が一杯。
その一つにカラスが巣をしているらしく中に入っていった。
久しぶりに聞くせせらぎの音は心地よかった。
団地だと救急車のピーポーのサイレンを毎朝聞くが、やはりせせらぎの音の方がいい。
今日は暖かだったが風が強かった.ビュンビュン。 ― 2024年03月13日 20時31分09秒
今日は久しぶりに本格的な雨が降った。 ― 2024年03月12日 21時39分15秒
今日も寒かった。風も強かった。 ― 2024年03月10日 21時36分17秒
昨日よりか少しは暖かいと思ったが風が強かった。
鳥撮りに行こうと思ったが行けなかった。
古い写真を見ている。
このノスリをボールペン画にしようかなと思っている。
木の枝もうまく伸びている。
後ろが煩わしくない。さてさて。
シジュウカラはこの時わが家の巣箱に巣をしていた。
モズ君
シロハラ君
ツバメ君達。
鳥山明さんやTARAKOさんが相次いでなくなった。
子供達が小さい頃ワイワイ騒いだ人達が相次いでなくなった。
ドラクエのキャラクターを作る人がなくなったり、独特の語りでナレーションをしていた人がなくなったり、まだ二人とも七〇才になってない、これからと言うときだった。
仕事が忙しかったのか、世の中はわからない。
少し寂しくなるが、これも世の常か。
そういえば開高健がいなくなったのは59歳(1989年)だった。
今日は冬に逆戻りしたような冷たさだった。 ― 2024年03月09日 21時28分53秒
今日は寒かった。郵便を取りに一階まで降りるが手すりを持つ。
今日はその手すりが氷のように冷たかった。
手袋がほしいと思った。
実は先日のボールペン画に、鳥か虫を描く、と言ってしまったがいい写真がない。
昆虫は絶滅危惧種を描いていきたいと思っているが鳥はその生き生きしたのを描きたいと思っているが、ペン画はあくまでもリアルに描かなければいけない。
少しばかり写真を探したがなかなかいいのがない。
写真は2020年3月9日の写真で、テクテクしたときのものである。
もう少し写真を探さなくてはならない。
ムクドリ。
ケリ。
ノスリ。
イソヒヨドリ。
ヤマバト。
今日は串本のロケット打ち上げの日だったが、船が危険水域の中に入ったので打ち上げは延期になったらしい。
もし報道のままだったら、打ち上げを海から見ようとした船がいて入りすぎたのかも知れない。スマホでいいショットを狙ったのかも知れない。
いずれにしろ13日になるという。
今度は万全の体制で打ち上げを成功させてほしい。
経済効果を含めて原発が来なくて良かった。
今日はずいぶん暖かだった。 ― 2024年03月07日 20時22分12秒
今日はずいぶん暖かだった。手袋をしなくてもしのげた。
初めて枯れ葉マークを買った。裏に磁石がついたものでさてどこにはろう。
「こんなものがいるようになっていややね」
と、レジで店員さんにいうと、
「いえいえお客さんカメラを持っているうちは大丈夫ですよ」
「それでは若葉マークにしようかな」
「それはちょっと・・・」
だって。
娘に、「お守りみたいなものでこの車は高齢者が運転してる、とうしろのひとも気をつけてくれる」と言われたので買った。
昨日は啓蟄。近くの公園に春をみつけに行った。
道の途中で手袋があり石垣の排水溝に置かれていた。
小学校の土手にタンポポとスイセンが咲いていた。
ヒヨドリ君がしきりに鳴いて飛び交っていた。
葉が落ちているのでよくわかる。
団地の木にモズ君がいたが周りはコンクリばかりである。
カマキリの卵胞を三つほどみつけた。あるところにはきちんとある。
この卵胞は鳥か他の虫に食べられている。
シジュウカラなどはよく食べる。
木についたままのを一つ持ってきた。この団地で育ててみる。
去年の夏の名残かな。
セミの抜け殻があちこちにあった。
公園の遊具だが亀さんがパンダとライオンに迫られ反撃しているようにも見える。
さてさて。
今日は天気予報通りに雨が降ってきた。 ― 2024年02月29日 21時07分03秒
今日は朝から空が重かった。
天気予報通りに雨が降ってきた。
貴志川でミカンをついばむイソヒヨドリ君。
この辺もよく鳴いているのでこんな写真が撮れるのにと思うときがある。
下はコゲラ君。
これは山の中、コンコンと木をつついていた。
Kさんがでたという政倫調。思っていた展開になった。時間の無駄以外何物でもない。
これでは能登地震で未だ水が出ていない人がかわいそうである。
ふっと思うのだが水は自然の山水を浄化して使えないのかな。
多分もっと昔は山から汲んでいたはずである。そんな号令もあっていいのじゃないかなと思うが今の政府では無理だね。
明るい話題はオオタニサンが結婚したということだね。
どんな女の人か知れないが、更にいい選手になることを期待しよう。
今日一日いい天気だった。 ― 2024年02月24日 19時54分16秒
今朝少し危なそうな天気だったが次第にいい天気になり、気温も上がってきた。
一時のように刺すような寒さが緩んできたがまた寒くなると言う。
寒さはもういい。
その昔、中学生の頃「少年サンデー」と「少年マガジン」という二つの子供向け週刊誌があった。今の新潮と文春のような感じだった。
今のようにマンガばかりではなく、見応えのある読み物も結構あり、面白い本であった。
その中の記事でそのうち原子力自動車ができるという風なことが記事にあった。
当時は何も分からずそんな時代が来れば嬉しいな、位の望みしかなかった。
折しも鉄腕アトムの時代だったのでその幻想は果てしなかった。
しかし放射能廃棄物が半減期が10万年と言うことを知っていれば、そんなことが夢物語だというにとどまったはずである。
その夢みたいな事を政府をあげてしようとしている。
懲りない人々がまた自然を壊しにかかっている。
10万年と言えばとてつも長く人類がいるかどうかもわからない。今のままでは人類が絶えるまでビクビクしなければならないのである。
そういえば原子力空母や潜水艦の耐用年数がきたときはどうするのだろうか?
今そんな心配をしている。
当時は戦闘機や軍艦に興味がありプラモデルをたくさん作ったり軍艦の絵をノートに書いたりした。
サンデーもマガジンも今みたいにマンガマンガではなく結構堅い読み物もあり、面白かったのを思いだした。
本を手にすることによりワクワクしたものである。
今のマンガが悪いというのではないが、当時の「紫電改の鷹」等は次号が楽しみであった。
今戦争ばかり、R国もI国もそんなことをしている時ではないけどね。
ちょっとばかり株価が上がったといって手をたたいて喜んでいるが、何か単純に喜べない。
我が国の世界的な足元がきっちりしないので喜べない。
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