看板のことなど2007年11月05日 23時29分11秒

以前、息子から、
「車で和歌山にきたら看板がださくなるのですぐわかる」といわれた。
たしかにそうである。

ほとんどが字ばかりでつまらないのが多い。
その字もインパクトのあるのならいいのだが、
単にお知らせの羅列では面白くない。
喫茶店でもセンスのいい看板のお店だと
コーヒーもおいしいのではないかと思い入る気になる。
最悪なのは、「川をきれいにしましょう」とかいう
大きなとってつけたような看板である。
きれいにしたいのなら看板など立ててほしくない。

写真の看板はある病院のだが、何故お年寄りが裸なのだろうかと
気になってしまった。
かなり大きい看板なのだが・・・・

もうクリスマス2007年11月08日 09時05分26秒

風が少し冷たく感じられるようになってきた。
朝、出かけるときまだ日は昇っていない。
夜、帰るときはもうどっぷり暮れて暗い。
しかし街には、華やかなクリスマスイルミネーションがあちこちに。
もう今年も終わりが近い。
といってもまだ11月のはじめだけどね。

世の中全体に何か焦っている感じがする。
テレビや新聞を読むと頭に来ることが多かった今年。
守屋、赤福、NOVA、社保庁etc。
枚挙にいとまがない。
このまま本来の日本文化が崩れて最後にはどうなるのか心配である。
電車でも、本を読んでいるのはほとんどが中年以上で、
若い人は漫画を読んでいる。
それをとやかく言うつもりはないが、若い人の会話を漏れ聞いていても、
誤った使い方をしているのにはすこし暗い気持ちになる。
おじんくさい感傷かもしれないが、この国の行方がどうなるか心配である。

来年は何もない平和な年にと、願って書く年賀状の時期がもう来てしまった。

みんなでその22007年11月09日 22時18分42秒

今日は仕事でIMPビルの周辺に行ってきた。
そこでは自転車もバイクも整然と道路の端から端まで並んでいた。
景観もそう悪くはない。
こういうふうに駐める場所をきちんと提供し、ルール作りをすれば、
自ずとマナーがよくなる気がする。
バイクは自転車の群れの中には駐めず、別の場所へ人の通る道を空けてきちんと並べて駐めてある。
我が和歌山の道も結構広いのだから、こうした置き方ができるはずであるがどうだろうか?

みんなで駐めれば怖くない その32007年11月09日 22時25分32秒

バイクはこう置いている。
はじめここを見た折りは、バイク屋さんが駐めてるのかと思ったけれど
違った。
道側では、BMWのキャブレターをバラして直していた。
隣の同じバイクの兄ちゃんは待ちくたびれたのか、
バイクの上で寝ていた。
ツーリングの途中だろうけどこんな時はつらいね。

遊び場など2007年11月10日 10時11分37秒

都会の真ん中で子供が遊んでいる。
つい30年前はここはバラックなどが建ち並んでいた気がするのだが・・
駅前のビル群も1980年まではゴミゴミした町並みで、
写真の材料に事欠かなかった。
おいしいお店もあり結構楽しめたが、今は四角のビル群になってしまった。
子供の遊び方も大きく変わってきた。
どろんこになって遊びたいだろうね。
ビル風が強く吹く中で遊びを見ていた。
その子たちの横でアベックがケータイで写真を撮りあっていた。

この写真は、ベッサRにフォクトレンダーカラースコパー35mmf2.5。
撮り初めのテストショットである。
なかなか写りのいいレンズである。気に入った。
このレンジファインダーカメラというのは不思議な魅力のあるカメラで、
その筆頭はいわずと知れたライカであるが、このベッサRも、なかなかのものである。
ファインダーの見え方は定評のあるところだし、操作感も悪くない。
第一軽い。肩にひょいとぶら下げて苦にならない。
同じレンジファインダーでもキャノンPはライカに負けず重い。
ベッサRはスタイルも悪くない。
それやこれやでベッサRはお散歩カメラにもってこいである。
唯一、改良してほしいといえば、もう少しシャッター音を小さくしてほしいことである。

大都会の景色も、白黒で撮れば、かなりタイムスリップした感じになる。

トイレのことなど2007年11月15日 23時35分22秒

我が社のトイレは、最先端のふたの開く便器である。
ところが考え事をしながらはいると、ウォシュレットだのに
紙で先に拭いてしまうことがある。
ま、こういうのはイレギュラーなことだけど、
もし、こうしたトイレで育った子供たちが、
地震などで水洗も何もかも使えなくなったとき、
どんなにするのかなといらぬ心配をしてしまう。

私が子供の頃は肥料としなければいけないので、
当然ぽっちゃんトイレであった。
あれは、爆弾を落とすと下から高射砲がきた。
それをよけるのも少し技術がいった。
私の場合は、子供の頃腸が弱かったので、
上からいきなり機関銃が多かったけど・・

紙は新聞紙か肉屋の包み紙であった。
今思うとよく拭けたたと思うのだが、それを畑の肥やしにすると
新聞紙が散らばったようになった。

ウォシュレットで洗ってもらいながら時々、
爆弾を落とすときに、このウォシュレットを作動させるとどうなるのかなと
考えるがまだやってみたことはない。

でも何もかも便利になりすぎると、生きるための基本のところの技術が
疎かになってしまいそうな気がしてならない。
山で遊んでいてもよおすと地雷を落とし、
近くの葉っぱで処理をする爽快感を
子供の時にたくさん経験する必要があると思うのだがどうだろうか?

食品偽装のことなど2007年11月18日 08時34分08秒

食品の産地偽装のことで世間が騒いでいるが、これは国民も悪いという気がする。
日本人のブランド志向は、景気がよくなるとなおさらに強くなって、高級品ばかりに目がいく感じである。
町でよく見かける、ダークブラウンの鞄の、最大のマーケットは日本だとか。
それと外国産地の野菜や果物でも、日本向けは形や色がそろっていなければいけないとか。
形の悪いのは捨ててしまう、という外国の農家の人の嘆きを聞いたことがあるが、形を整えようとすれば農薬を大量にまかなければいけない。
結局は日本は自分で自分の首を絞めている感じである。

今回の次々出てくる産地偽装は、その象徴的なことで、おいしく食べられればどこだっていいと思うのだが、○○産でないと卸させてくれないとなると、「味が同じなら産地を偽ってもわからないだろう、でないと買ってもらえない」となる。
私などは味が同じなら産地はどうでもいいのだが、そうでない人の方が多いのを今回実感した。

確かに、ブランドものはひと味違う工夫や仕上げをして客に満足を与えていることは否めないが、それ一辺倒ということが今回の事件につながっている。

しかしこのまま行けば日本は世界から馬鹿にされる。
以前アメリカにいった折に日本で売られているブランドのTシャツをデパートで見たら、同じメーカーのものが日本で売っているものより生地も厚く縫製もしっかりしている。値段も安かった。
ということは、有名ブランドの看板をつければB級品でも、日本でなら高く売れるということになる。
要するに見くびられているわけである。

食品の偽装に気をとられている間に、国家的、組織的な偽装を見逃すおそれがある。それの方が怖い。これまでも都合の悪いことは日本国民には隠し続けてきたからね。

通勤電車スナップ2007年11月26日 22時50分05秒

まだ日は上がっていない。
通勤電車。

前の椅子に座っている女性(あえて美人とは言わない)
おもむろに20cm角の鏡を用意。
まず肉色の塗り物をぺたぺた。
次に、同じく少し薄い肉色の粉をぺたぺた。
今度は黒い綿棒状の綿付きスティック。
目を大きく見開いて、上に下に。
次は小さい筆を目の縁に。
またまた銀色の筆で目の上を。
今度ははさみのような機械で睫毛をクリックリッ。
最後は口紅を塗り塗り。

私の視線はお構いなし。
さあさあすてきな美人のできあがり。

偽装工作といっては失礼か。