もう12月です ― 2011年12月01日 12時48分46秒
一気に紅葉に ― 2011年12月02日 22時55分34秒
飛鳥京苑地跡発掘現地説明会 ― 2011年12月03日 23時08分39秒
飛鳥京苑地跡が発掘されて、その説明会が明日香でありました。
天気が心配でしたが、ともかく行ってみることにしました。
説明会場につくといきなりユルキャラが出迎えてくれました。
埴輪だそうです。
名前は「イクミン」
奈良県立橿原考古学研究所のマスコットキャラクターだそうです。
握手をしている人もいました。
天気が心配でしたが、ともかく行ってみることにしました。
説明会場につくといきなりユルキャラが出迎えてくれました。
埴輪だそうです。
名前は「イクミン」
奈良県立橿原考古学研究所のマスコットキャラクターだそうです。
握手をしている人もいました。
遺跡はかなり広大なもので、これはほんの一部です。
天皇のための庭だったようです。
ここ飛鳥京は律令制国家と呼ばれる新しい国造りが行われた宮であり、その建物配置を研究することで、古代国家の形成過程を探れると思われます。
雨模様にかかわらずたくさんの人が説明を熱心に聞いていました。
こうした説明会に参加していつも思うことは、道具もほとんどない時代にこうした大規模な工事を短期間でやり遂げてしまうパワーと、見る人を楽しませるためデザイン力やセンスがすばらしかったということです。
昔の人の方が今より頭がよかったのではないかと思います。
「発掘はまだほんの一部で、引き続き発掘をしてまた説明会をしますので、おいでください」と締めくくって、説明が終わりました。
イルミネーション ― 2011年12月03日 23時32分44秒
明日香村アートプロジェクト ― 2011年12月04日 23時05分03秒
明日香村で「アートプロジェクト」と銘打ったイベントをやっていました。
橘寺では銅の彫刻、そしてここ川原寺跡ではこんなオブジェが作られていました。
張り子ですが結構うまく作られていました。
川原寺は現在は弘福寺という寺になっており食堂みたいでした。
本来は斉明天皇川原宮の故地に、斉明天皇没後、その息子天智天皇が冥福を祈って創建したと考えられています。
礎石跡を見ると、創建当時はかなり勢力のあった大きな寺だったということがよくわかります。
橘寺では銅の彫刻、そしてここ川原寺跡ではこんなオブジェが作られていました。
張り子ですが結構うまく作られていました。
川原寺は現在は弘福寺という寺になっており食堂みたいでした。
本来は斉明天皇川原宮の故地に、斉明天皇没後、その息子天智天皇が冥福を祈って創建したと考えられています。
礎石跡を見ると、創建当時はかなり勢力のあった大きな寺だったということがよくわかります。
こういうイベントは毎年やってほしいですね。
そしてせっかくやるなら、人がたくさん来るような、仕掛けのイベントをしてほしいです。
日本は、妙に堅苦しいイベントが多いです。
スペインのトマト祭りやリオのカーニバルとかのように、その日のために1年を費やし、とにかく楽しいという祭りがあってもいいなと思います。
最悪なのは、市町村が主催でとにかくやったという実績を作ればいいという、おざなりなイベントで、それらは盛り上がりに欠けるものが多いです。
地域の祭りは、盛大なのもささやかなのもありますが、どれをとっても歴史があっておもしろいですね。
ところが最近は休みにあわせて時期が変更されたり、人が少なくなったので今まで担いでいた御輿などがリヤカーに乗せられたり。
時代でしょうか。
またひとつひまわりが咲きました ― 2011年12月05日 23時45分55秒
御堂筋も色づきました ― 2011年12月06日 23時21分06秒
またまたイルミネーション ― 2011年12月07日 23時08分39秒
カメラのことなど ― 2011年12月08日 23時01分57秒
小学校の2年生くらいだったと思うのですが、スタートカメラというエボナイトで作られたカメラをもらいました。
ボルタ判フィルムを使いカメラ軍艦部のねじを2本ゆるめてフィルムを入れました。
確か12枚撮りだったと思うのですが、バルブと125分の1位の一速シャッターでした。
しかしそれが結構よく写りました。
今のフィルム付きカメラと同じ感じで、あちこち撮りました。
中学になって2眼レフをもらい、これでさらに写真にのめり込むことになりました。
アルバイトをして、高校の時にキャノンデミS、次にオリンパスPEN、ペンタックスSP,オリンパスOM1、ニコンFと次々にカメラがそろってしまいました。
なぜそんなにカメラが増えるのかとよく言われますが、何事でも上手になろうとすれば数をこなさなければいけません。
写真も同じです。
ところが同じカメラでばかり撮っていると、何となくもやもやとした気持ちが生じてきます。
撮るためのモチベーションが下がってしまうのですね。
そこで心機一転、というかマンネリ打破というかその辺はかなりあやふやですが、要するにカメラのせいでいいのが撮れないという気持ちになり、それでつい新しいカメラを求めてしまいます。
新しいカメラを手に入れたからといってたちまちいい写真が撮れるというわけではありませんが、撮るためのモチベーションは格段にあがります。
なんとなく撮れそうな気がしますね。
新しいレンズを手に入れたときなどは、そのレンズで撮れそうないいシーンが次々と浮かんできます。
そのとおり撮れれば最高なのですがそうはいきません。
デジカメ全盛期の今、撮るためのモチベーションを上げるために、昔とは逆に、古いマニュアルカメラを時々持ち出しマニュアルの感覚を楽しみながら撮ったりもします。
そうして撮ったフィルムやデジタル画像が増えたところで、自己満足にしかならず、他人には何の価値もないのはわかっているのですが撮らずにいられないのです。
というわけで、何台もカメラが並ぶ羽目になりました。
今年ももう終わりますが、来年こそ何か心に残る写真を撮らなくてはと思っています。
そのためにいいカメラがほしいなと、またまたカタログが枕元に増えているこのごろです。
ボルタ判フィルムを使いカメラ軍艦部のねじを2本ゆるめてフィルムを入れました。
確か12枚撮りだったと思うのですが、バルブと125分の1位の一速シャッターでした。
しかしそれが結構よく写りました。
今のフィルム付きカメラと同じ感じで、あちこち撮りました。
中学になって2眼レフをもらい、これでさらに写真にのめり込むことになりました。
アルバイトをして、高校の時にキャノンデミS、次にオリンパスPEN、ペンタックスSP,オリンパスOM1、ニコンFと次々にカメラがそろってしまいました。
なぜそんなにカメラが増えるのかとよく言われますが、何事でも上手になろうとすれば数をこなさなければいけません。
写真も同じです。
ところが同じカメラでばかり撮っていると、何となくもやもやとした気持ちが生じてきます。
撮るためのモチベーションが下がってしまうのですね。
そこで心機一転、というかマンネリ打破というかその辺はかなりあやふやですが、要するにカメラのせいでいいのが撮れないという気持ちになり、それでつい新しいカメラを求めてしまいます。
新しいカメラを手に入れたからといってたちまちいい写真が撮れるというわけではありませんが、撮るためのモチベーションは格段にあがります。
なんとなく撮れそうな気がしますね。
新しいレンズを手に入れたときなどは、そのレンズで撮れそうないいシーンが次々と浮かんできます。
そのとおり撮れれば最高なのですがそうはいきません。
デジカメ全盛期の今、撮るためのモチベーションを上げるために、昔とは逆に、古いマニュアルカメラを時々持ち出しマニュアルの感覚を楽しみながら撮ったりもします。
そうして撮ったフィルムやデジタル画像が増えたところで、自己満足にしかならず、他人には何の価値もないのはわかっているのですが撮らずにいられないのです。
というわけで、何台もカメラが並ぶ羽目になりました。
今年ももう終わりますが、来年こそ何か心に残る写真を撮らなくてはと思っています。
そのためにいいカメラがほしいなと、またまたカタログが枕元に増えているこのごろです。
このごろ考えること ― 2011年12月09日 12時17分26秒
少し前の新聞のコラムで、立川談志さんの戒名のことが書かれていました。僧侶がつけたのなら、ジョークの分かるすばらしいセンスの持ち主だと思っていました。
まさか談志さん本人が生前に決めていたとは知りませんでした。
「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)」
いいなあ。
談志さんらしい絶妙の戒名ですね。
和尚さんがこの戒名をまじめくさって読み上げたら、皆さんずっこけるでしょうね。
私は落語が大好きですが、東京では談志さんのが一番好きでした。
関西ではやはり米朝さんを超える人がまだいないですね。
同じ演目でも全然違います。
米朝さんの演目では、「口入れ屋」や「げんげしゃ茶屋」などが好きで、何度も聞いていますがそのたびに笑ってしまいます。
同じ演目を他の人がやってもどこか違うのです。
これは、素人考えながら「ま」の違いかなと思ったりします。
談志さんも米朝さんも言葉と言葉の間の「ま」が絶妙です。
天性のものなのか訓練によるものなのか分かりませんが、「ま」のとりかたがとにかく、うまい。
私も時々大勢の人前で、電気自動車などについてしゃべることが多いのですが、終わったあとにいつも「あそこはこういうべきだった」とか「言い残したなぁ」と反省ばかりです。
当然話の中で、「ま」もとれず平板なトークに終始してしまいます。
財界のかたでも絶妙なトークをする方がいます。
枝雀さんが落語の中で、緊張と緩和とよく言っていましたが、上手な話し手はそのバランスがいいですね。
いいスピーチを聴いたあとは、今度機会があればまねしようと思うのですが、なかなかうまくいきません。
かといって自分なりでいいや、と下書きもなくしゃべり出すとどこかで破綻をきたし、さら上がり性なのでよけい支離滅裂になり「ま」どころか「間抜け」なトークになってしまいます。
大勢の前で話すというのはほんとに難しいです。
できるだけ自分の意志をきちんと相手に伝えられるように、訓練していく必要を感じるこのごろです。
まさか談志さん本人が生前に決めていたとは知りませんでした。
「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)」
いいなあ。
談志さんらしい絶妙の戒名ですね。
和尚さんがこの戒名をまじめくさって読み上げたら、皆さんずっこけるでしょうね。
私は落語が大好きですが、東京では談志さんのが一番好きでした。
関西ではやはり米朝さんを超える人がまだいないですね。
同じ演目でも全然違います。
米朝さんの演目では、「口入れ屋」や「げんげしゃ茶屋」などが好きで、何度も聞いていますがそのたびに笑ってしまいます。
同じ演目を他の人がやってもどこか違うのです。
これは、素人考えながら「ま」の違いかなと思ったりします。
談志さんも米朝さんも言葉と言葉の間の「ま」が絶妙です。
天性のものなのか訓練によるものなのか分かりませんが、「ま」のとりかたがとにかく、うまい。
私も時々大勢の人前で、電気自動車などについてしゃべることが多いのですが、終わったあとにいつも「あそこはこういうべきだった」とか「言い残したなぁ」と反省ばかりです。
当然話の中で、「ま」もとれず平板なトークに終始してしまいます。
財界のかたでも絶妙なトークをする方がいます。
枝雀さんが落語の中で、緊張と緩和とよく言っていましたが、上手な話し手はそのバランスがいいですね。
いいスピーチを聴いたあとは、今度機会があればまねしようと思うのですが、なかなかうまくいきません。
かといって自分なりでいいや、と下書きもなくしゃべり出すとどこかで破綻をきたし、さら上がり性なのでよけい支離滅裂になり「ま」どころか「間抜け」なトークになってしまいます。
大勢の前で話すというのはほんとに難しいです。
できるだけ自分の意志をきちんと相手に伝えられるように、訓練していく必要を感じるこのごろです。
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