藤岡家住宅 ― 2013年04月07日 22時19分43秒
朝から雨でしたので、昨日に引き続きネガの整理などをしてましたが、やはり二日も家の中ではストレス解消にならないので、走りました。
当初は奈良の写真美術館にでも行こう思いましたが、晴れてきたのと近くにしようかということで、京奈和道路の五条北IC近くにある藤岡家住宅に行きました。
当初は奈良の写真美術館にでも行こう思いましたが、晴れてきたのと近くにしようかということで、京奈和道路の五条北IC近くにある藤岡家住宅に行きました。
NPO法人がその管理をしていますが、なかなかいい施設に仕上げています。
藤岡家の人々は、県知事や医学博士と、すごい人たちばかりでした。
蔵の中にあったものを展示していますが、与謝野晶子直筆の巻物やら棟方志功の版画、そして日常使っていた道具など、陳列されているどれもが、一見の価値がありですね。
また屋久杉で作った天井も年輪がすごかったです。
当主だった藤岡長和さんは俳号を玉骨といい明治21年生まれで昭和41年に亡くなったそうです。三高、東京帝大を卒業し内務官僚として各府県を歴任し、その後、佐賀、和歌山、熊本県の官選知事を務めるかたわら、俳人として活躍、師事した高浜虚子に「大和の大桜」と讃えられた。ということです。
和歌山にも知事としてきていたのですね。
知らなかったです。
玉骨という俳号に少し抵抗があり調べると、直訳すれば「美人の骨」または「梅の幹枝を例えていう言葉」ということです。
「氷肌玉骨」と熟語では、美しい女性のこと、また、梅の花のことという意味らしく、「氷肌」は氷のように清らかな肌、また、寒中に咲く白い梅の花のたとえ、「玉骨」は高潔な姿形ということで それで納得しました。
藤岡家の人々は、県知事や医学博士と、すごい人たちばかりでした。
蔵の中にあったものを展示していますが、与謝野晶子直筆の巻物やら棟方志功の版画、そして日常使っていた道具など、陳列されているどれもが、一見の価値がありですね。
また屋久杉で作った天井も年輪がすごかったです。
当主だった藤岡長和さんは俳号を玉骨といい明治21年生まれで昭和41年に亡くなったそうです。三高、東京帝大を卒業し内務官僚として各府県を歴任し、その後、佐賀、和歌山、熊本県の官選知事を務めるかたわら、俳人として活躍、師事した高浜虚子に「大和の大桜」と讃えられた。ということです。
和歌山にも知事としてきていたのですね。
知らなかったです。
「氷肌玉骨」と熟語では、美しい女性のこと、また、梅の花のことという意味らしく、「氷肌」は氷のように清らかな肌、また、寒中に咲く白い梅の花のたとえ、「玉骨」は高潔な姿形ということで それで納得しました。
私はこの能面が印象に残りました。
藤岡家を出たあと、近くを散策しましたが、めちゃくちゃな風が吹いてきました。
台風並みの風で、吹き飛ばされそうになりました。
近くに古墳があり、その周りの田んぼにはいろんな花が咲いていました。
つくしはもう胞子が飛んでしまった感じで、もうすぐスギナになるでしょう。
私の好きなムスカリもあちこちでたくさん咲いていました。
藤岡家で蒸気機関車の写真集を買ったのですが、その中にも書いてあり、パンフレットにも載っていたのですが、北宇智駅には関西唯一のスイッチバックがあるということでした。
それを是非見たいと思ってやってきましたが、それは既になく、あとが残っているだけでした。
古い駅舎はそのままで、線路も一部残っていました。
蒸気機関車はきつい勾配はダメなので、スイッチバックにしたと思うのですが、新しい線路の勾配はそれほど変わった感じがないので、当時でもわざわざスイッチバックにする必要がなかったのではないかと思いました。
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