三千院・寂光院 ― 2017年10月14日 23時13分36秒
京都二日目は三千院。
1974年頃に来て以来で、ほとんど忘れていました。
パンフレットによると、三千院は延暦年間(782‐806)に伝教大師最澄が比叡山東塔南谷(とうとうみなみだに)の山梨の大木の下に一宇を構えたことに始まったそうです。
その後、慈覚大師円仁に引き継がれ、平安後期以降、皇子皇族が住持する宮門跡となり、寺地は時代の流れの中で、比叡山内から近江坂本、そして洛中を幾度か移転し、その都度、寺名も円融房、梨本坊、梨本門跡、梶井宮と変わったようです。
明治4年、法親王還俗にともない、梶井御殿内の持仏堂に掲げられていた霊元天皇御宸筆の勅額により、三千院と称されたということです。
明治維新後、現在の地大原に移り「三千院」として1200年の歴史をつないでいる、ということですが、三千院という名前が明治以降につけられたとは知りませんでした。
明治維新後、現在の地大原に移り「三千院」として1200年の歴史をつないでいる、ということですが、三千院という名前が明治以降につけられたとは知りませんでした。
三千院のことは、あまりに語り尽くされているので私がとやかく言うこともないのですが、やはり名刹ですね。
たくさんの人が参拝していました。
半数近くが外国の人でしたが・・
定番のアングル。
この前で庭を鑑賞している人たちは全員が各国の方たちでした。
この庭を楽しんでくれていました。
いいですね。
さりげなくある国宝がうれしいですね。
写真に撮れないのが残念。
境内の真ん中あたりにあった弁天さん。
わらべ地蔵があちこちにありました。
こけに覆われています。
これは鎌倉時代の地蔵さん。
楽しげな地蔵さん。
観音堂。
中にまつられている観音様は作りが何となくシャープでなく、ファイバーっぽい感じでした。
ま、いいか。
この小さな地蔵さんが観音堂の横に一万体以上並べられていました。
梅茶やシソ茶を売っていましたが、この方たち英語できちんとやりとりしてました。
立派!
三山院の後は寂光院に参詣しましたが、また明日にします。
とにかく天気予報では雨だったので、時々薄日も差しまずまずの天気でしたのでラッキー!という感じの一日でした。
最近のコメント