Bost Science Cafeに行ってきた2019年09月01日 21時42分33秒

今日近くの近大理工学部のキャンパスで、「BOST Science Cafe」があり行ってきた。

今日の講演メニューは、「見る」ことと「見える」こと~視覚の不思議を解き明かす~
を生命情報工学科准教授の小濱先生、そして「色とは何か」色の本質と応用について~人間環境デザイン工学科准教授片山先生、の2つであった。

二つとも身近なものだけに面白かった。

先生方の説明もよくわかった。

講演が終わってBOSTくんとしてゆるキャラがやってきた。
パンダそっくりでもう少しひねりがあってもよかったかなと思う。

濃厚だ爽やかな近大ジュースとロールケーキがおやつであった。

久しぶりにアカデミックな講演を聴いた。

Bost Science Cafe

休憩時間に出てきた。

Bost Science Cafe

ちょっとパンダパンダしすぎの感がするが・・

Bost Science Cafe

質問に答える講師の先生い方

Bost Science Cafe

久しぶりの名古屋出張2019年09月02日 22時00分28秒

駅弁
久しぶりの名古屋出張だったが、体調がイマイチなのでなんとなくすっきりしないでシンカンセンの客となった。

ホームの売店で弁当を買った。
少しパワーをつけようと肉を買った。

私の目下の夢は、以前にもかいたことがあるが、この弁当のおかずとご飯の間のセパレーターが本物にならないか、ということである。
格好だけでほとんどがプラスチックである。
またお茶も2昔ほど前は、瀬戸物でなかなかかわいくてよかった。
今はペットボトルである。
これも昔のようにならないのだろうか。
売り子のおじさんが、
「お茶いらんかえ」と茶瓶が一杯入った箱を前につけて売りに来たが、そういう風情も今はない。
せめてローカル線の名物にならないのか、とおもったりする。
どこかにあるのかもしれないが記憶にない。
蓋が湯飲み代わりでなかなか乙なものだった。
上品な飲み方ができた。

そういう余裕が今ない感じがする。

リニアモーターカーの駅を作っている名古屋駅前は、今年もやはり暑かった。
会社が入っているビルが工事の影響で時々地震のように揺れる。

薬疹にかかった2019年09月03日 22時29分21秒

子象に似た入道雲
先週の土曜日の朝から急に発疹ができ、あれよあれよという間に体中に広がり、草間彌生の絵みたいになってきた。
最初は蕁麻疹かなと思ったけれど、普通の蕁麻疹ならかゆくて仕方ないけどそれがない。
おかしいので行きつけのクリニックに行くと、日赤に紹介状を書いてくれた。
日赤で診断を受けると、血液検査の結果、薬疹ということでとりあえず薬を呑んで様子を見ようと言うことになった。

薬をもらっての帰りの空に、子象に似た入道雲がわいていたのでカシャ!
夏も終わろうという頃に大きな入道雲。

まだほかにも犬に似た雲やらがいろいろもくもくとわいていた。
普通はこれで夕立が来たけどね。

最近は空模様は愛想がなく、いつまでも暑い。
医者がよいばかりで有給休暇が少なくなってきた。

いろいろ手数のかかる年齢になったせいかなー。

イソヒヨドリがお客様に2019年09月04日 12時23分40秒

昨夜、二階が騒がしいので行ってみると、なんとなんとイソヒヨドリ君が家の中に入っていた。
どうした具合で入ってきたのかしれないが、窓を開けたままにしていてもなかなか出て行ってくれず、捕まえようとしても飛んで逃げてしまう。

電気を消せばおとなしくなるがこちらも目が見えなくなるので捕まえられない。

結局はあちこち飛び回った挙句、真っ暗にした時窓際にとまったので、ガラスを開けると出て行ったようである。

イソヒヨドリ

中にいた間にウンチをあちこち落としていた。

イソヒヨドリ

とにかくあちこち飛び回ってくれた。
素手ではなかなか捕まえることはできない。
かといって鳥用の網など家には、ない。

イソヒヨドリ

鳥は「とり目」というだけあって、真っ暗にするとおとなしくとびまわらなくなる。
しかしその状態ではこちらも相手を見ることができないので捕まえられず、この辺だろうと手を出すと、暗闇の中で逃げてしまう。

イソヒヨドリ

たぶん営巣場所を探していての不法侵入だと思うが、今回の侵入で追いかけまわした悪いイメージをもってしまい巣をしてくれなくなると困るなと思いながら追いかけた。

またどこかに巣をしてかわいいひな鳥の成長を見せてほしいね。

ハローキティちゃんの背もたれ2019年09月05日 13時10分04秒

昨夜は大雨だったが、一転今朝はいい天気。
秋の空気を期待したが、まだ夏で、少し重たく暑かった。

少し疲れているからと自分で許しを与え特急に乗った。
先日キティちゃんのラッピングをしているはるかをアップしたが、今朝乗ったはるかは、ラッピングをしていなかったが、シートの背もたれがキティちゃんであった。
なんてことはないのだが、外国人受けするのかなー。


はるかで来ると時間に余裕ができる。
歩数を伸ばすために土佐堀川を散策しながら歩いたが、百日紅がきれいだった。
向こうは三井住友銀行で、なかなかの建物である。


御堂筋もこんな建物ばかりだったらいいのだが、いい建物もかなり残っているがほとんどが近代建築である。

Aさんはインバウンドをもっと多くと呼びかけてはいるが、ソフト、ハードともにインフラが確立されていない気がするのである。
各地域の独自の取り組みを思い切ってやらせたほうがいい結果を生むような気がするのだが、かといって地方はいいアイデアが出ないまま、横並びである。

紀南の老舗ホテルも廃業や、軒並みチェーン店化されてしまいつつある。
私的には、熊野を泊まりながら周遊できるキャンプ場、それもバイク専門の安くていこごちのいい宿泊スペースが欲しいのだけどね。

1978年大阪夏街角風景2019年09月06日 12時40分54秒

相変わらず暑い日々が続いているが、ニュースは寒い話ばかりである。
日韓のやり取りはどこに落ちるのだろうかと、あちこちの新聞のコラムやテレビの論評を見たり聞いたりするが、じゃあどうなの、と明確なものがない。
明確なのは、我が国が世界の支持を得ようとする働きかけが見えてこないということである。

時間が解決してくれるとは思うが、さてどうなるか。
双方のトップが変わったら一気に解決しそうな気もするがどうだろうか。
U18の試合はいよいよ韓国との戦いがある。楽しみ。

まだ韓国にはいったことがないので一度旅行したいと思う。

写真は、1978年夏の天王寺界隈のスナップである。

天王寺界隈

若い女性の似顔絵かき。最近は見ない。

天王寺界隈

陸橋の上では様々な露店があった。
こうした露天商を撮るのは好きである。

天王寺界隈

迫力ある宣伝カー。カウボーイというから牛かなと思ったがどうも豚の感じである。やっぱり牛かな。窓の書いてあるカウボーイの絵と動物のオブジェがなんとなく不釣り合いで面白かったのでカシャ!としたと思う。

天王寺界隈

ブドウの王様に人だかり。

天王寺界隈

演奏者は一生懸命だが、聴衆はなく一人は寝込んでいる感じである。

今でも粘ればいいショットが撮れるのだろうが、ショーゾーケンやら、屋外でのいろんな活動が規制されているので、当時の賑わいはなく、かなり撮りにくくなっている。

まだ暑い日が続く2019年09月07日 23時24分30秒

あさがお
休日なのに朝早くに目が覚めてしまい一日ボーっとしていた。
ちこちゃんに叱られる。
おかげで今日やりたかったことの、3分の1しかできなかった。

朝早くに起きて庭を見ると、太陽の角度がまだ低く、朝顔がきれいに光っていたので、久しぶりにニコンでカシャ!

予定していた朝からの作業は、テレビの置き場所をいじったのでテレビやデッキなどのそれぞれをのコードを元につないだ。

つなぎ終わってテストすると古いいMDプレーヤーはすでに壊れていたので捨てることにした。

いろいろ検証しながら片付けると時間がかかってしょうがない。
DVDのテストを兼ねて、「アバウトシュミット」の続きを見ながら作業をしたので、また遅くなってしまった。

それにU18の野球。
昨日の韓国戦は負けたが見どころが多かった。しかしエラーで負けた。
オオタニサンが今日は2塁打と3塁打。これでまた調子が戻ってきたらいいけどね。
彼が打つとエンゼルスは勝つね。
それやこれやで、今日は流し台もいじる予定だったができなかった。
フィルムや印画紙の現像をしたので、安物の流し台は酸に侵されボロボロで、私の「豪華書斎」にそぐわなくなってきているので取り替えることにしたのである。
シンクだけをオークションで買ったが、それをどうつけるかを考えるのがまた楽しいのである。

今日は躍進じゃない薬疹の草間彌生状態の麻疹が、だいぶ薄く少なくなってきた。
もう半そでを着てもよくなってきた。

ボーっとした1日で無くしものもあった。
その原因は暑さによる寝不足にある。

いやになる暑さ2019年09月08日 21時53分19秒

今日もいやになる暑さだった。
汗びっしょりになりながら、いろいろ片付けをした。
今日は古い流し台を取り外し新しいのに変えた。
行き当たりばったっりの作り込みなので、時間がかかる。

その合間を縫ってフィルムのスキャンをするので余計時間がかかる。

古い流し台の下には、フィルム現像タンクやフィルムリール、そしてビーカーが入っていた。
現像液、停止液、定着液もまだ残っていた。
もう長いこと現像していないので液はだめだろう。

これらも整理しなければならない。
しかし古い写真をスキャンしてみて、アナログレコードを聴くような懐かしさと気分の良さを感じるのは私だけだろうか。

フィルムカメラを使うべきだなー。

今日の写真は、1978年6月頃、紀州鉱山が閉山したというニュースがあり、ミーハーで写真を撮りに行った時のものである。前にも載せたと思うが。これはまた別のネガからあたらしくスキャンしたものである。

この鉱山は、奈良時代から盛んに銅を採掘していたと伝えられ、大仏鋳造の銅もここからもかなり使ったと言うことである。
近代鉱山としての設備を整えたのは、1934年の石原産業による再開発以降で、以来1978年の閉山まで最大3000トン/年の銅を産出したといわれる。

閉山後、ボーリングを行ったところ、地下1300メートルから温泉が湧き出し、地域住民のために湯ノ口温泉として人気を集めたいると聞く。
その際に入浴客の足として坑内電車の施設が再利用され、『トロッコ電車』として運行しているらしい。
一度乗ってみたいと思う。

その紀州鉱山の閉山後すぐの写真。
盛んに掘っていた頃はトロッコも忙しく行き交っただろう。

紀州鉱山

トロッコ。

紀州鉱山1978年閉山の時

入坑する人たちのトロッコ。

紀州鉱山1978年閉山の時

ペーソスがただよっている。

紀州鉱山1978年閉山の時

閉山すぐだのによくさびている。もう閉山するので、手入れもされてなかったか。

紀州鉱山1978年閉山の時

坑内への入り口。

紀州鉱山1978年閉山の時

取り出されてそのまま放置されていた銅鉱石。ピカピカ光り結構重かった。
これが金や銀だったら・・・。

紀州鉱山1978年閉山の時

紀州鉱山

今日はオオタニサンが大活躍した。

やっぱりオオタニサンが打たないとエンゼルスは、勝てないね。
ネットのニュースを見ていると今日はヘルメットが、脱げてなかった。
打てないときはすぐヘルメットが脱げていたけど、今日は安心してみていられた。

このまま打ち続けてほしいね。

すごい風だったみたい2019年09月09日 21時32分30秒

千葉に上陸した台風は風がすごかったみたいである

気象庁によると、今度の台風15号の最大瞬間風速は千葉市中央区で9日午前4時半ごろに57.5メートル、東京都大田区の羽田空港で同3時25分すぎに43.2メートルを観測し、各地点の記録を更新したそうである。

私は花博の開催していた頃に白浜上陸が3連発したとき、串本にいて風速60mを体験した。
電柱のトランスからは火花が飛び、道路をドラム缶が転げ回っていた。
前の家の瓦は大方飛んで行ってしまい我が家も飛ぶのじゃないかと心配したが、1枚も飛ばなかった。

どうも台風の大風というのは、道筋があってその道に沿って吹くようである。
昨年の台風被害で、今でも大阪の街でブルーシートがかかったいるおうちがあるが、連なって瓦が飛んでいる、やはり線状に被害が大きかったようである。

風速60mが吹き抜けた当時の私の町も被災したおうちが筋状に続いていた。

千葉でもまた大量の停電。
昨年の台風でも停電した会社の同僚のマンションは上部の水タンクに揚水できないので、水がなくなって給水車にたよったという。

地震や台風続き、それも記録を塗り替える大きなものばかりで、やはり異常気象なのかなと改めて感じる。

写真は1978年紀三井寺競馬場があった頃のもの。
競馬は行かなかったが馬が好きで、この厩舎ももうすぐ閉めるというので写真を撮りに行ったときのものである。

紀三井寺競馬場厩舎1978年

畑の中に厩舎はあった。

紀三井寺競馬場厩舎1978年

のどかで楽しい風景である。

紀三井寺競馬場厩舎1978年

紀三井寺競馬場厩舎1978年

紀三井寺競馬場厩舎1978年

紀三井寺競馬場厩舎1978年

紀三井寺競馬場厩舎1978年

紀三井寺競馬場厩舎1978年

紀三井寺競馬場厩舎1978年

体を洗われると気持ちよさそうにしていた。

紀三井寺競馬場厩舎1978年

この当時いいものがどんどんなくなっていった感じがする。

無駄なダム建設が多くなり、高速道路が延び、町の建物が「近代化」されて、自然が壊滅的に壊されていったのもこの頃からではなかったかな。

失ったものは大きくもう元には、戻らない。

ヨーロッパでは警察官が馬で巡回する国が多い。
米国のニューヨークでも騎馬警官がある。

これからの時代日本も騎馬警官などで巡回させると、また日本のあり方が違った視線で見直すことが出来るのではないか、とこのフィルムをスキャンしながら、思った。

まだめちゃ暑、ばててくる2019年09月10日 12時20分39秒

いつまでも暑い。
今朝は通勤の男性が何人か傘をさして歩いていた。
紫外線をよける場合は傘のほうが良いらしいのだが・・。

今日も電車の中で女性が立っている私の前でおもむろに鏡とまつげをカールする機械を出して顔の加工を始めた。

まつげがくるっとした後、アイラインを入れて何やら筆でまつげを固定していた。
とてもじゃないがつり革も持たずにこの作業を私がした場合には、電車の揺れでひっくり返るだろう。
バランス感覚はいいと思うが、目の前での顔面加工は目障りな感じである。

写真は1977年の那智勝浦町色川の豚舎。すごくフリーな豚舎で豚君たちものびのびしていた。
今でもこの豚舎はあるのだろうか。
自然な感じのこの豚舎の豚君たちを見るのが楽しみで、時々写真を撮りに行った。

1977年色川豚舎

1977年色川豚舎

10匹以上がおっぱいを飲んでいる。

1977年色川豚舎

子供はきれいな寝床。

1977年色川豚舎

笑っているようだ。

1977年色川豚舎

大型の豚君に囲まれてタジタジのワンちゃん。彼はこの後尻尾を巻いて外に逃げた。

1977年色川豚舎

なかよしたち。

1977年色川豚舎

鳥君もいる。

1977年色川豚舎

今時はこういう自然な感じのスペースは貴重でほとんど見かけることがない。
こういうところで育った豚君たちはおいしいだろうね。