いやになる暑さ2019年09月08日 21時53分19秒

今日もいやになる暑さだった。
汗びっしょりになりながら、いろいろ片付けをした。
今日は古い流し台を取り外し新しいのに変えた。
行き当たりばったっりの作り込みなので、時間がかかる。

その合間を縫ってフィルムのスキャンをするので余計時間がかかる。

古い流し台の下には、フィルム現像タンクやフィルムリール、そしてビーカーが入っていた。
現像液、停止液、定着液もまだ残っていた。
もう長いこと現像していないので液はだめだろう。

これらも整理しなければならない。
しかし古い写真をスキャンしてみて、アナログレコードを聴くような懐かしさと気分の良さを感じるのは私だけだろうか。

フィルムカメラを使うべきだなー。

今日の写真は、1978年6月頃、紀州鉱山が閉山したというニュースがあり、ミーハーで写真を撮りに行った時のものである。前にも載せたと思うが。これはまた別のネガからあたらしくスキャンしたものである。

この鉱山は、奈良時代から盛んに銅を採掘していたと伝えられ、大仏鋳造の銅もここからもかなり使ったと言うことである。
近代鉱山としての設備を整えたのは、1934年の石原産業による再開発以降で、以来1978年の閉山まで最大3000トン/年の銅を産出したといわれる。

閉山後、ボーリングを行ったところ、地下1300メートルから温泉が湧き出し、地域住民のために湯ノ口温泉として人気を集めたいると聞く。
その際に入浴客の足として坑内電車の施設が再利用され、『トロッコ電車』として運行しているらしい。
一度乗ってみたいと思う。

その紀州鉱山の閉山後すぐの写真。
盛んに掘っていた頃はトロッコも忙しく行き交っただろう。

紀州鉱山

トロッコ。

紀州鉱山1978年閉山の時

入坑する人たちのトロッコ。

紀州鉱山1978年閉山の時

ペーソスがただよっている。

紀州鉱山1978年閉山の時

閉山すぐだのによくさびている。もう閉山するので、手入れもされてなかったか。

紀州鉱山1978年閉山の時

坑内への入り口。

紀州鉱山1978年閉山の時

取り出されてそのまま放置されていた銅鉱石。ピカピカ光り結構重かった。
これが金や銀だったら・・・。

紀州鉱山1978年閉山の時

紀州鉱山

今日はオオタニサンが大活躍した。

やっぱりオオタニサンが打たないとエンゼルスは、勝てないね。
ネットのニュースを見ていると今日はヘルメットが、脱げてなかった。
打てないときはすぐヘルメットが脱げていたけど、今日は安心してみていられた。

このまま打ち続けてほしいね。

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