やっと雨が降ってちょっと涼しくなった ― 2019年09月13日 12時15分02秒
朝からショックなことがあった。
オオタニサンがひざの手術をし、今シーズンの出場は絶望だとか。
彼が出る試合はスマホで時々チェックしていたが、楽しみがなくなる。
早く治って万全の態勢で次のシーズンを迎えてほしい。
オオタニサンがひざの手術をし、今シーズンの出場は絶望だとか。
彼が出る試合はスマホで時々チェックしていたが、楽しみがなくなる。
早く治って万全の態勢で次のシーズンを迎えてほしい。
昨夜は涼しい風が吹いて夜も暑くなかった。
このまま暑くならないでほしいね。
お月さんがきれいだった。
そういえばお月見も近い。
このまま暑くならないでほしいね。
お月さんがきれいだった。
そういえばお月見も近い。
写真はカラーが1975年、白黒が1979年のもので、白い大きな建物はNTTビルである。
この建物は災害時避難場所になっている。10mの津波が来るとこの建物でもやばいが、NTTの建物は必要以上に強度があるので大丈夫だと思う。
NTTビルの西側の道を隔てて私の家があった。
この建物は災害時避難場所になっている。10mの津波が来るとこの建物でもやばいが、NTTの建物は必要以上に強度があるので大丈夫だと思う。
NTTビルの西側の道を隔てて私の家があった。
家の電話をつけるときこのビルから直接、
「おい、電話工事終わったか?」
と声が掛けられた。
それくらいの距離にあった。
「おい、電話工事終わったか?」
と声が掛けられた。
それくらいの距離にあった。
漁港を守る各堤防の周りは、魚が豊富で、自宅に帰った折にはガシラやハタ類をよく釣りに行った。
外道でウツボがよくかかった。
今でも帰ればルアー釣りで竿を出すが、昔ほどは釣れない。
しかしボウズはないから、さすが串本である。
カラーの写真を撮った場所は、山の上にあった畑まで登る途中の道で、「コエタゴ」(人糞をいれたおけ)を天秤棒で担いで畑までかついでよく登った。
下手に担ぐと桶がゆれ中で人糞がはねて服に引っかかった。
カラー白黒ともに今では景色も変わり、同じ位置からは写真を撮れないのではないかと思う。
今ではレストランなどもできて、このいかにも漁港という感じは薄れてきている。
写真を見る限りでは、10m級の津波が来たらひとたまりもないことがよくわかる。
祖父は津波の時はこちら側の山ではなく、津波を背にして向こうの山に逃げよとよく言っていた。こちらの山に逃げようとすると、逃げている間に海から波が来るという。
正論である。
コメント
_ 零水クシ-9 ― 2019年09月20日 00時47分46秒
_ KIKUO ― 2019年10月22日 18時23分27秒
零水クシ-9さん、せっかくコメントを入れていただきながらご返事が遅れてしまい申し訳ありません。
そうですね。
高校グラウンド角にえんたい壕もまだ残っていました。
あちこち戦争のために施設がありました。
私の家の壁にはグラマンの機銃弾の貫通した跡が残っていました。
話は変わりますが、台風の進路が変わってきましたね。
いつも串本は台風銀座といわれていましたが、最近の台風の進路を見ていると東に寄ってきています。
これも温暖化のせいでしょうか?
そうですね。
高校グラウンド角にえんたい壕もまだ残っていました。
あちこち戦争のために施設がありました。
私の家の壁にはグラマンの機銃弾の貫通した跡が残っていました。
話は変わりますが、台風の進路が変わってきましたね。
いつも串本は台風銀座といわれていましたが、最近の台風の進路を見ていると東に寄ってきています。
これも温暖化のせいでしょうか?
_ KIKUO ― 2019年10月22日 18時40分09秒
今度串本に行ったら、この角度で写真が撮れるか登ってみます。
カラーの位置からだと撮れるかわかりませんが、白黒の位置は当時から道がなかったので撮れるかどうかわかりません。
撮れたらいいですけどね。
カラーの位置からだと撮れるかわかりませんが、白黒の位置は当時から道がなかったので撮れるかどうかわかりません。
撮れたらいいですけどね。
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銃座跡直下の半地下式のコンクリート退避壕が、まったく劣化せずに当時のままに残っていたのにはじつに驚きました。
今回の2葉のうちで、とくに貴重なのは、モノクロのほうで、ここに写されている3本の揚船レールのうち、一番、右側のレールが、大東亜戦争中、零式水偵と零式水上観測機を発進させたビーチング・レールです。正確には貴写真の一番右側のレールの内側に痕跡として残っている2本というべきですが---。
実は、この位置から黒潮特別攻撃隊という零水偵の特攻隊も編成され、待機基地の鹿児島県指宿に向かって発進しています。幸いにして、指宿で出撃待機中に終戦となった模様ですが、同時に偵察任務で随伴した別の2機は、指宿についてすぐの偵察に出撃し、そのまま未帰還となっています。黒潮隊串本発進時の写真が残されており、小生、雑誌より複写して所持していますが、尾翼番号クシ‐8の零水の機体写真には、貴写真の右がわに長く伸びている築港がそのまま写り込んでいます。和菓子の儀平は薄皮まんじゅうが絶品ですが、あそこの四つ角に今もあるモリケン金物の初代は、たしか航空隊の整備兵で、終戦のとき串本に残った人、その、道を隔てた対角線の位置にあったソフトクリームなんかが食べられた藤川食堂のおじさんは、零水のパイロットで、元海軍中尉でしたが、お二方とももう、亡くなられて久しいですね。
戦時中、和歌山県に、航空基地というのは、われわれの出た中学高校がそうであった串本海軍航空隊しかありませんでした。ご存じかもしれませんが、串中は、そもそも航空隊の建物をそのまま使ってスタートしたのです。カラーのほうの貴写真には、私が通っていたころの懐かしい中学校の赤屋根が写り込んでおり、複写させていただきました、あしからず