雨ばっかり。コロナの勢いが止まらない2020年07月27日 20時59分04秒

長いこと写真を撮っていると自然と機材がたまってくる。
私の場合、下取りに出さずに次のを買うので余計増えてくる。
撮りたいものを撮れる機材に頼るというので必然的に増えてくる。
例えば虫を撮りたいとなると、マクロレンズがいる。
鳥を撮りたいとなると、ボーエンレンズがいる。
街角をウォッチングする場合はやはりワイドレンズがいる。
機材などはどんなのでもいい、要は腕だというプロ写真家がいるが、私の場合はやはり機材になる。
「被写体だ」というのは一般的な概念で、これは正論である。
となるといかにいい「被写体」を見つけるかであるが、しかし被写体はモデル撮影会以外は相手から撮ってくださいとはならない。
やはり「現地に行こう「現場を見よう」となる。
何やら会社でよく言っていた言葉であるが、やはりいつでもなんでも足で稼ぐ以外にない。その昔は古い町並みを探して車を走らせたが今の家からではそういう所もない。

あったのかもしれないが、消えた。少しでも訪問客を呼ぼうとカンコーチ化を目指し、街が壊れてしまっている。
先日も書いたが、おしなべて安っぽいのぼり旗がはためきインスタ映えを狙った奇抜な食べ物を売っている。
おじさんにとってはシャッターを押す気にはならない。

そこでもっと困ったときには、「市場やね」となる。
市場は、うまそうな魚や野菜がたくさんあり、雑踏があり、人の行き来があり、写欲がそそられる。時として雑踏にそぐわない美人の売り子さんもいる。ま、ほとんどが安らぎを与えてくれる同年配の女性が多いのだが。
それやこれやで行き詰まると味のある市場を撮りに行った。
ここで過去形を使ったのは、最近は昆虫と鳥ばかりを撮っているので、市場にも久しく行ったことがないからである。
昆虫や鳥はショーゾーケンなど考えなくてもいいし、構図とか関係なしに撮るだけで野生の存在を感じるからである。
必然マクロレンズやボーエンレンズがほしくなってくる。しかし我慢をして昔からのストック機材で間に合わせている。どうせ私の腕はたかがしれているので、カメラよりも何倍も高い白い外装の明るく長いボーエンレンズは、ほしいが目をつむっている。虫を撮るにしてもストロボなどたくさんの機材がいるのだが、それにも目をつむり、今あるもので工夫をしながら撮っている。

ほどほどの機材でほどほどの撮り方しかしていないので、撮れた写真もほどほどとなる。ここに来てテーマを決めて撮ろうと思っているが、これがなかなか難しい。
悩みはそこにある。

バイクにカメラ一式を積んでそんなことを考えながら走っている。

ポンガシ屋さん

もはや絶滅危惧種の路地裏ポンガシ屋さん。これは珍しくご夫婦で耕運機でやってきた。写真をリサイズしながら我が団地だとわかりビックリした。

ポンガシ屋さん

撮ったことを忘れてしまっている。普通だったら「ポン」と言わせているところも撮るのだがこのときは撮っていない。何か急いだのかもしれない。

ポンガシ屋さん

耕運機に書いた看板の文字がまたいい。

ポンガシ屋さん

ここで「ポン」としたのかなー。見たかった。

こうしたポンガシ屋さんはもうほとんど見ることがなくなった。
あるところにはあるのだろうか?
ポンガシそのものは今でもあり、よく買って食べるが、ほかほかと暖かいのはもう味わえないのだろうか。
この写真は1991年6月だからもう30年近くたっている。もうこのお二人もいないだろうと思う。こんなポンガシ屋さんが今走ってきたら、絶対「ポン」といわせてもらうけどね。