有田市浄妙寺の重要文化財を見た。2021年03月14日 20時52分02秒

今朝は8度だった。
しかしお日さまはなんとなく暖かかった。
やはり昼前にはかなり暖かくなってきた。
とは言っても底冷えがするのは変わりなかった。寒かったがブルゾンは一つ薄手のものにした。確かに春になりつつある。
今日は最初かつらぎに行く予定だったが有田の方に向かった。
というのが有田の方が国宝や重要文化財が多かったからである。

まず有田市の歴史民俗資料館で浄妙寺のあらましの展示会をしているというので見た。この資料館は、紀の川市、海南、かつらぎとみてきた中では一番よく考えられており見応えがあった。

展示を見た後浄妙寺に向かった。
浄妙寺は寺伝によると、大同元年(806年)平城天皇の母の、乙牟漏皇后とも阿波の尼僧西阿弥の建立ともいわれている。

 開山は唐僧如宝和尚といわれ、もとは七堂伽藍の名刹であったらしく、嘉応元年(1169年)に宮崎定範がこの地方を領してから70石の寺領を受けている。
それが天正13年(1585年)の秀吉の紀州責めの兵乱によって、堂舎及び縁起など焼けた。薬師堂と多宝塔だけは林の中にあったため、兵火を免れることが出来た。
それが今に残っているのである。

この寺には文化財が多く、薬師堂と多宝塔は建造物として、薬師堂に安置されている木造薬師如来、両脇侍像、木造12神将立像は彫刻物として、蓮華唐草文螺鈿須弥壇は工芸品として、それぞれ国指定の重要文化財となっている。
本堂(薬師堂)に安置されていた仏像の一部(6体)が1994年11月に盗難に遭い、現在も戻って来ていないそうである。
しかし今でも木造の薬師如来像と十二神将立像6体が安置されているそうであるが見ることはできなかった。

有田市 浄妙寺

阿弥陀堂は重要文化財である。

有田市 浄妙寺

この多宝塔も重要文化財である。


多宝塔の相輪は多層塔のものと多少異なっており、 下から露盤、覆鉢、請花、九輪までは同じだが、その上に水煙を付けず四葉、六葉、八葉の請け花を順に重ね、頂上に火焔宝珠を据えるらしい。 また、四葉の請花から屋根の四隅に向かって鎖を垂らす。 鎖には風鐸が付く場合も多いらしいがここの多宝塔もかわいい風鐸がぶら下がっていた。

有田市 浄妙寺

立派な木組みである。

有田市 浄妙寺

この鐘は新しい。
境内には石碑があった。

有田市 浄妙寺

有田市 浄妙寺

孫を連れて散歩に来ている感じであった。


小ぶりだがなかなかいい境内である。

有田市 浄妙寺

六地蔵?の並びが面白い。

有田市 浄妙寺

お大師さんがいた。

有田市 浄妙寺

阿弥陀堂側面。


阿弥陀堂前面。

有田市 浄妙寺

本堂屋根。



これらを見ているとき、上空をノスリが飛びすぎて行った。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://kikuo.asablo.jp/blog/2021/03/14/9357136/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。