メチャクチャいい天気のなかテクテクした2022年02月09日 20時37分57秒

今朝も氷が張っていた。夕べの寒さが思われた。
天気は良かった。

久しぶりの有田に行って熊野古道を歩いて広利寺に行った。
車に乗ろうとしたときふっと見るとイソヒヨドリさんがミカンをついばんでいたのでカシャ


道は熊野古道で、途中に山口王子跡や市指定文化財「爪書地蔵」があり、4m余の自然石に阿弥陀と地蔵が線で描かれている。これは弘法大師が爪で描いたと伝えられているものという。
二十年以上前会社有志で歩いたところである。
大分変わっていた。

山口王子跡・・熊野古道

山口王子跡・・熊野古道

山口王子跡・・熊野古道

山口王子跡・・熊野古道

山口王子跡・・熊野古道

山口王子跡・・熊野古道

道はずんずん上に行く。
かなり細く木の葉が積もっていた。


俳句に、
 
  寒凪や紀州岬のうつすらと・・・・・池田麻里々

というのがあるが湯浅湾からずっと遠くまで見えた。


爪かき地蔵・・熊野古道

爪かき地蔵・・熊野古道

爪かき地蔵・・熊野古道

以前歩いたときはこの手すりはなかった。
カラスのイミテーションだがよくできていた。


広利寺は国指定文化財 · 木造十一面観音立像がある。

「『紀伊風土記』の寛文記に建長年間(1249年~56年)覚円和尚の開基で、もとは仏殿、塔、方丈、塔頭六軒、山林及免田四町ありしが天正年間(1573年~92年)破滅し、仏殿一宇、本尊十一面観音のみ存すとあり、この観音像は河内の西方寺が後奈良天皇の代、今から450年程前に寺が落魄して、この十一面観音が売りに出されました。これを滝川原の郷士宮本所右衛門広利が買い受け広利寺に移して来たものです 。広利の父九郎右衛門広季が始めて畠山持国に属し、賜米500石を拝領し、広利は祐筆として仕えました。老年におよび帰郷、禅を好み剃髪して広利寺に住み、70才で亡くなっています」

ということである。他のネットで寺の紹介があり十一面観音の写真があったが綺麗な観音様である。一度実物を見てみたい。


小さいがなかなか立派な作りである。
多分十一面観音は右手の建物の中に入れられているのだろう。


広利寺

雨が漏れるらしくバケツがたくさん置かれていた。なんとかならないかね。


広利寺

広利寺

広利寺

広利寺

コロナ感染は、和歌山はきょうは496人だった。
東京は18287人、大阪は15264人、滋賀が916人、京都が2996人、愛知6287人、北海道3606人、沖縄694人だった。
全国では97833人だった。

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