思ったより寒くなかった思ったより寒くなかった2023年11月26日 19時24分50秒

テレビで今日は寒いと言うことで身構えていたがそれほど寒くはなかった。
しかし寒暖差は依然あり注意が必要である。

写真は昨日の銀杏の木を見た後近くだったので寄った。
全国にある諏訪様の一社だろうと思うがこの在所は、木曽義仲と縁が深い在所らしい。「木曽義仲」は、源頼朝や源義経の従兄弟にあたる人物で、1154年(久寿元年)に関東の武蔵国秩父(現在の埼玉県秩父市)で誕生し、幼名を「駒王丸」(こまおうまる)
と言ったそうである。





小木棒の手は、無二流と称し、木曽義仲が近江国粟津で敗れ、その家臣今井四郎兼平が一族とともにここに移り住み、武技として伝えられたものが、いつか芸能化して今日に至ったという。
岐阜県下では他に見られないが、愛知県では名古屋市内をはじめ各地に見られる。

棒の手は、諏訪神社の10月15日の祭礼に奉納行事として行われ、10月1日より祭礼連中(20〜38歳30名前後)が中心となり、毎夜社前広場で主として28歳の連中指導の下に練習をし、祭礼直前には長老が仕上げ指導をしている。祭礼当日は棒元に集合して行列を整えて神社に向かい社前広場で奉納する。
使用する物は、棒・太刀(木刀と真剣)・金倉・鎌・櫂・楯で、二つずつが組み合わされて十三番の演技があり、ついで餅投げ行事をはさんで、真剣と鎌との壮絶な一番があって終わる。


イノシシのワナだがまわりの土が掘り返されている。
イノシシに遊ばれている感じ。


手前がバナナで向こうが大銀杏。
南国と古代植物が同居している。
バナナは花が咲き実をつけていた。


木曽源氏「今井」氏の墓石。在所の旧道にある。


木曽義仲は正式には源義仲と言ったそうである。
ときの白河上皇が密かに頼朝に義仲追討命令をだし、寿永三年(1184)、義仲は頼朝が差し向けた源範頼、・義経軍と戦って敗れ、近江国粟津ヶ原で戦死したという。
長野県木曽郡木曽町に墓所があるらしい。
その残党がこの今井氏らしい。そしてその人が剣舞を伝えたそうである。
それが今愛知県一帯に伝わっているらしい。