今日は一日曇り。せっかくの桜が映えない。 ― 2025年04月01日 20時54分15秒
曇り空だったがそれほど寒くはなかった。 ― 2025年04月02日 20時41分28秒
いい天気だった。 ― 2025年04月03日 20時26分39秒
今日はくもり時々晴の天気。 ― 2025年04月04日 20時54分24秒
今日は風が強かったが天気はよかった。 ― 2025年04月05日 20時23分45秒
雨のち曇り、そして晴れ ― 2025年04月06日 20時12分29秒
朝は雨が降っていた。
こちらは電車ばかりなので余り濡れなかった。
名古屋駅に着いてビックリ。
あの広い名古屋駅が外国人で一杯。
駅員さんが「特急券をお持ちの方は駅員にお知らせ下さい」と大声で言っていた。
聞けば鈴鹿でF1グランプリがあるという。
それで外国人がそれもひいきのチームの帽子やTシャツを着ている。
臨時列車もだしたと言うがとてもひと電車でまかなえる人数ではなかった。
特急に乗ろうとしたら自由席は満員で乗れなかった。
駅員が一つ前の車両をガイドしてくれて兎に角乗った。
しかしそのまま1時間ほど通路に立ったまま。
鈴鹿サーキットのあるところに来ると乗っていた人がほとんど降りていった。
それからは座れた。
しかし線路が悪いのか揺れがひどかった。
ここは電化されていないので車両はハイブリッド車だった。
前の電光掲示板に電気の流れが表示されていた。
やはり下り坂になると回生電流が流れて充電をしている。
この路線は普通列車でゆっくり行くのがいいみたいである。
兎に角揺れた。
南に下るほど晴れてき終点近くではいい天気になってきた。
串本まで行くには、勝浦で1時間近く待たなければいけなかったが姪が迎えに来てくれていた。
その車に乗り込み串本まで向かった。
途中、昔住んでいたところなどを回ってもらった。
黒島の前を走ったが、その昔カヌーでここまで漕いだのを思い出していた。
食事までのあいだ近所を歩いた。
潮の匂いが懐かしかった。
尾鷲を過ぎる当たりから海が見え出すが太平洋を見るのは、1年以上なのでよかった。風も吹いていなかったのでカヌーには絶好だなと思いながら窓から見える海を眺めていた。
串本は晴れだった。 ― 2025年04月07日 11時48分04秒
引き続きいい天気。 ― 2025年04月08日 22時01分00秒
串本3日目も引き続きいい天気だった。
実はこの旅の目的は、墓仕舞いだった。
串本のお墓は綺麗な事で有名だったが、ここも例に漏れず過疎化の波を受け墓仕舞いが増えているという。
そういう私もそのひとりであるが、昔は賑わった墓地も閑散としていた。
墓石がすべて撤去され塩がまかれている。
もう先祖もここにいなくなった。
骨はここに埋められている。
般若心経が一面に書かれたお堂に収められている。
はじめは一文字一文字が子供達が書いたと思っていた。
よく見ると同級生の名前があった。
この納骨堂にたずさわった人達が書いたようである。
私が6年間通った小学校の裏門。
当然私の時分は木造だった。
串本では町長と町会議員の選挙が行われていた。
13日が投票日らしい。
町会議員立候補した人は知らない人ばかりだった。
駅にあるビルフィッシュトーナメントで釣れたカジキの模型。
泳いでいるときこんなのに出合ったらビックリするだろうね。
駅の待合室。
トルコの事がよく紹介されているが今こそアメリカとのつながりを強調すべきだと思う。
みどりの窓口がなくなりリモートで特急券を発行してくれた。
はじめは駅員さんが発行をしてくれると思ったが、大阪あたりで受付をしている感じである。
だから窓口はなくなり駅員さんもひとりである。
一時間近くまつ普通列車。
確かに近いうちにこの路線そのものの存続が危ぶまれる。
串本の街中を走ると昔小さい頃は広く感じた道もずいぶん狭く感じるようになった。
過疎が言われて久しいがこれを抜け出すいい手立てがないかいつも考える。
これは日本だけの問題ではない。
かと行っても世界ではまだまだ人口が増え続ている国もある。
むずかしい問題である。
帰りは揺れを避けてシンカンセンを使った。
費用もかかったがやはり快適だった。
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