久しぶりの古道歩き ― 2021年04月07日 22時26分32秒
川湯の朝は少し肌寒かったが天気は最高に良かった。
朝歩き用に着替えたあと朝食を食べた。
宿泊客は朝だけというのが多いのか、夕べよりは人が多かった。
それでも少ないという。さすが川の水が綺麗だった。
ホテルが車で発心門まで送ってくれるというので、本宮大社前までマイカーを置きに行った。大社から10分あまりで発心門に着いた。
そして歩き始めた。ここを歩くのは何年ぶりだろう。
看板が立ち替わっただけでそれほど大きな違いはない。
6.9kmを歩く。
発心門王子そして水呑王子、伏拝王子、祓殿王子、そして本宮大社のルートである。道は良く整備されていて歩きやすいのだが時々石畳や階段状の道があり結構疲れた。
しかしウグイスの鳴く山道を歩くのはいい。
まだ所々桜も残り、木々の新芽がキレイだった。
水呑王子のある学校が一番変わっていたかな。とにかくキレイになっていた。個人的には前の方が好きだった。
前日よく降ったのに道はぬかるんでいなかった。水はけがいいのか。
以前歩いたときはフランス人とすれ違ったが、今日は日本人ばかりで、二人連れや三人づれに三組ほどだった。少しさみしい。
こんな満開の桜も残っていた。
綺麗な熊野の山並み。
この端を渡るの本宮大社はもうすぐである。
本宮大社の裏にある鳥居。
八咫烏もマスクをしている。狛犬もしている。
13日からの祭りの宣伝もしていた。コロナ禍でもする感じ。
入り口の鳥居下の狛犬の下にはマスクをしなさいとある。
大きな斎原の鳥居。確かに大きい。
下の八咫烏がいた。鯉のぼりも泳いでいた。空にはドローンがアブの鳴くような音を立てて飛んでいた。
帰りは国道168号線を五条へ走り京奈和道路だった。
168号線も昔と違い早くなっている。
川湯に走った ― 2021年04月06日 22時06分23秒
今朝は8度だった。
昨日は10度を超していたのに今日はそれを下回った。
寒さが戻った。
今日は熊野古道を歩くために川湯に走った。
どのルートを行こうかと迷ったが、424号線を走ることにした。
帰りは168号線を走ろう。
我が家のつつじが咲きだした。オオテマリもあと一息である。
出がけにカシャ!
海南から金谷に抜ける道のヒーローはまだあった。子のヒーローもう何年になるだろう。
このお店も閉めてから長い。
椿山ダム。予定ではここで昼食だったのだが雨が降ってきたのでパスした。
次の休憩所でご飯をメスティンで炊いた。うまくたけたのだがおかずがなかった。
仕方なく道の駅まで走った。手の毛虫が張ってきたのではたくと車のドアに行った。
道の駅牛馬童子でふりかけを買って、食べた。おいしかった。ごはんもうまくたけていた。
晩御飯は宿のバイキング。
なかなかおいしかったが、泊り客より従業員のほうが多い感じであった。
人間ドックに行ってきた。 ― 2021年03月15日 20時58分34秒
今朝は6度だった。
昨夜地震が起きたときまだ寝ていなかったのだが、寝れなくなり眠いまま起きた。
今日は人間ドックだったので、ご飯を食べずに病院へ向かった。
道が混んで、せっかく早く起きたのにギリギリにになってきた。
なんとか時間通り8時50分頃についたがもう人はいっぱいだった。
一応ドックのメニューをこなしていったのだが途中の身長のところで、174.5センチだった。
「あれ!僕は177センチあるはずだけど」
というと、看護師さんは、事もなげに、
「年をとると骨がすり減って低くなるのですけどね」
「それにしても2.5センチも減るはずはないと思うのですが」
「じゃあもう一度計りますか」
といいながら記録をリセットしてくれた。
もう1度秤に乗り直して計ってもらったが数値に変わりはなかった。
「ショック」というと看護師さんは、
「いやいや、中には一年で5センチほど縮んだ人もいますよ」
といって慰めてくれた。
確かこの前計ったのは。4年前だから4年で2.5センチ低くなったということである。
このままの計算では80歳になったらかなり低くなるのを覚悟しないとダメだ。
あー、本人はまだ青春時代と思っているのだが。
胃カメラを鎮静剤で痛くないようにして撮影した。
この鎮静剤での胃カメラが痛くなくていい。点滴をしながらマウスピースをつけた途端寝てしまい、「松本さん」と起こされたらすでにカメラ撮影は終わっていた。
しかし、眠くて仕方なく、病院で休憩した。
病院を出てからの帰り熊野古道の川辺王子のある力侍神社に立ち寄った。
以前歩いたときとどんなに変わっているか知りたかったこともあったのだが、神社そのものは大きくは変わっていなかった。
山桜が綺麗に咲いていた。
鳥居周辺は昔のままだった。
境内には2匹のニャンコがいた。
神社本殿。右棟
左の棟。
消毒液のボトルが何本も。ひょっとしてマイボトル?
案内板の前に休憩所がある。コーヒータイムにちょうどいい。
古道案内板。これは以前歩いたときはなかった。ブームへの対応かな。
高野山は雪だった。丹生都比米神社初詣 ― 2021年01月02日 20時47分39秒
今日も寒かった。
まだ向かいの山に雪が残っていたので、高野山は雪だろうと思い、走った。
案の定雪は積もっていた。高野山へ抜ける道はずっと積もっていた。
高野山道路に入ると道路の両脇にうずたかく雪が積まれているところもあった。
山内の道路はアイスバーンになり、レスキューされた車もあった。
県外の車はノーマルタイヤできた車が多く、県内の車は高野山の雪が深いことを知っているので、割とスタッドレスが多かった。
奥の院の駐車場でも県外の車でスリップしながら走り出す車があちこちで見られた。
駐車場で休憩を兼ねて温かい飲み物を飲んでいると急に暗くなり雪が降ってきた。
丹生都比米神社のも寄りたかったので、壇上伽藍の根本大塔に向かった。この頃は雪がやんでいた。
壇上伽藍はさらに雪が深かった。
いろいろともっと撮りたいところもあったが、寒さのせいかトイレに行きたくなり、じっくり撮れなかった。
丹生都比米神社はいつもなら小屋の中に椅子を置き、甘酒が出てくるのだが今年はなかった。
雪で作ったコーン。うまく使っていた。
アイスバーンになった駐車場。ずいぶんフロントタイヤを滑らせる車が多かった。
ちょうど晴れてきた。
私の好きな西塔。
初詣は丹生都比米神社だったがかなり暗かった。
秋に紅葉で綺麗だった池も一面の氷が張っていた。
それでもたくさんの参詣客がいて駐車場はいっぱいだった。
すっきりしない天気だった。 ― 2020年11月13日 19時33分42秒
朝から定期検診に行ってきた。
途中雨がぱらついたがすぐやんだ。
病院はいつもながら満員であった。無論マスクはしている。
先日参拝した名手八幡神社である。ここは何度がきたことがあるのだが熊野古道のコンテンツとして追加したいのでもう一度見たいと思い、見に行った。
名手八幡神社は、丹生津比売大神が降臨し聖地であり古来から産土神として御奉斎されているという。
神功皇后が三韓征伐(新羅、高麗、百済の三国)の後、筑紫(現、福岡県)より御顗旋の途中、ここを訪れ、筑紫の蚊田(現、福岡県糟屋郡宇見町)で授けられた後の第十五代応神天皇の生誕を報告したとある。
その縁で誉牟田別命(第十五代応神天皇)を主祭神としてしている。
大鳥居の扁額に「八幡神社」と有るが、この額は慶安元年(1648年)子年紀州徳川家初代藩候徳川頼宣侯より奉納されたものであるという。
当神社は皇族方が熊野詣等御行幸啓の折、神功皇后がここに宿泊した古事に依り、御旅所として定められ、第七十七代後白河法皇、第八十二代後鳥羽上皇、第九十六代後醍醐天皇の行幸が有ったという。
熊野古道の旅の途中で宿泊したのである。
南北朝時代後醍醐天皇(1316~1339)が吉野(奈良県)に朝廷を開かれた折も行幸した。
今は絶へて久しいが、祭礼6月晦日には能の奉納が有り、役者は和州天の川(現、奈良県吉野郡天川)より来たり、8月15日には流鏑馬が有り馬数は大抵百騎であったと伝へられている。
流鏑馬にたくさんの馬がきていたと言うが見てみたかった。
今は中学校になっているが、当時は100頭で流鏑馬ができるほどの広さがあったのだ。またお能がかかったりしたと言うが文化度は昔の方が高かった気がする。
調べれば調べるほど和歌山は面白いところである。
徳川頼宣が書いたという扁額。
残念なことに檜皮葺きの屋根を守るためだと思うが、神殿の上に屋根があることで点数がだいぶ下がってしまう。
安高稲荷大明神とある。
歴史ある証に木々が大きい。
ここの灯籠は元の石の上を木の火屋を作っている。
本来の参道だろうがここを歩いて参拝するのは少し危険な気がする。
龍王神社もある。
今日も朝からいい天気 ― 2020年10月13日 09時49分16秒
今朝もいい天気である。
少し寝不足が続いているので体がなんとなく重い。
昨日はいい天気だった。
大和街道のてくてくページをつくってからもう20年以上経つので新しいバージョンにしたいので歩いた。
特に那賀地区や橋本市地区は都市計画で大きく町並みが変わってしまっているのでその変貌ぶりを確かめたかった。
粉河から歩き始めて名手本陣までを歩いた。
大和街道の町並みそのものは大きく変わりはないが、空き家が更地になってしまっていわゆる古街道のイメージの町並みは消えつつある。
JR和歌山線の線路踏切を渡るところがあるが、地図を見ながらいっていると後ろから女性が声をかけてくれて、
「どこまで行くのですか」
「名手本陣までですが」
「でしたらこの道ではなくもう一つ向こうの踏切で、その踏切を渡ってすぐ右にいくと大和街道です。この道をよく間違う人が多いのです」
ということで間違えずにすんだので助かった。間違う人が多いのでレクチャーしてくれたのである。
杏と蔵。このあたりは蔵のあるおうちが多い。
電柱に防火用ホース政党のポスター。うっかりすると見落とす。
電柱が邪魔をしている。
ここは変わっていないが以前歩いたときはこの格子戸はまっさらだった。
高級な柿なのかビニールをかぶせている。
草がうまい事同じ長さで切れているなと思ったら、電車走行でちょん切れた。
名手川で魚を狙うサギ君。
新設の道路なら電柱をなくしてほしかったね。
ここないが変わらないが人の気配はなかった。
郵便局である。
名手本陣も久しぶりに訪れたが、無料になっていてバージョンアップされていた。
女性が一人版をしていた。その女性からお土産にキーホルダーをいただいた。
結構歩いたので10000歩を軽く超えていた。
左側は馬を止めておいたのかな。侍の行き来を想像する。
早速キーホルダーをつけた。軽くていい。
台風が来ている ― 2020年10月06日 20時51分30秒
台風が来ている。
前線があるのでどういうコースをとるかわからないがあまり強いのはきてほしくない。
特に雨の多いのはかなわない。
Tさんがハチャメチャなことをやってニュースになっているが、やっぱり彼はビジネスマンだというのが今度のコロナに罹患して改めて感じた。
転んでもただでは起きないというガッツはすごい。
本人はかなりしんどいのではないかと思うが、おくびにも見せない。
それより取り巻きの人にうつり、その人達が重症になったらどうするのだろうかという心配がある。そんなのはお構いなしに行動するところが彼らしい。
写真は1981年の今頃、カメラマンの中村由信先生と熊野をとり歩いたときのもので、当時はおおらかだった。
先生は一緒にとって写真を本の中の挿絵に使った。
もう早くに亡くなったが、撮影の後居酒屋で写真談義を遅くまでしたのを昨日のように思い出す。
御坊へ舞妃蓮を見に行った ― 2020年06月24日 21時55分47秒
今日は久しぶりに長い距離を走ろうと、夕べから決めていた。
御坊の、昔の会社の仲間が休耕田を利用して、蓮「舞妃蓮(まいひれん)」を鑑賞する会を作り、テレビでもしばしば紹介されているので、ということで見に行くことにした。
車か400CCだと高速が使えて早く着くのだが、今日はCC110にした。
地道ばかりで時間がかかることを想定して朝7時30分に出発した。
今日は普段と違う道を選択し、国道480号線を走った。
最初は道も広く快適だったが、いきなり狭くなり「やっぱり和歌山の道だな」と思った。
旧のトンネルは廃道になっていた。しかしこんな狭い道を走っていたのだ。昔よく通った。
御坊の道成寺に着いたのは10時40分であった。
道成寺についてはまた別の日にアップする。
結構な時間をかけたが途中コーヒーを飲んだり熊野古道のその後を見たりして時間がかかった。
蓮田の場所がわからず2,3人の地元の人に聞いた。
人がたくさん来ていた。
花の盛期には少し遅い感じだったのと天気がよすぎて写真が撮りにくかった。
舞妃蓮は、昭和41年に御坊市の阪本祐二氏が、アメリカの黄花ハス「王子蓮」と日本の「大賀蓮」を交配して作り出した、御坊市生まれの蓮ということである。
確かにきれいだった。
蓮を見終わってから、道成寺、熊野古道、そして金谷から海南までの峠越えの道を走って帰った。
帰ってから距離を見てみると145km走っていた。
峠を行き帰りで4本越えたがCC110はストレスなく登り、特に問題はなかった。
うれしかったのは手などへの負担が少なかったことで、KLE400の時のようにしびれ感はでなかった。
行きしな満タンにし、帰りも満タンにしたが、2.5㍑でリッターあたり58.4kmであった。
ケイザイテキ。
久しぶりのロングドライブ疲れたが天気もよかったし、次に行くときの参考にもなった。
今日も快晴。熊野古道を少し散策 ― 2020年06月08日 21時59分49秒
今日も快晴だったがハローワークに行かなくてはいけない日だった。
朝早くからの”出社”だったが、その時間設定はテキトーだった。
とにかく処理を済ませ、熊野古道は今どうなっているだろうか、と気になり、山中渓駅まで走った。
山中渓駅でツバメのヒナたちが元気に騒いでいたが先客が一生懸命写真を撮っていたのでパスした。
古道そのものの変わりはないが、所々崩れたのか補修工事を二カ所ほどでやっていた。
大阪府と和歌山県のちょうど境に日本最後の仇討ち現場だという碑がたっている。
1862年に、高野山であった仇討ちが最後というが、これは1857年である。
高野の仇討ちの方が新しく参加者もたくさんいて地元の人たちが双方の死者を丁寧に弔っている。やはり高野の仇討ちの方が最後というのにふさわしい。
今は草に覆われている。少し貫禄が出てきている。
以前の碑で何もなくむき出しの状態である。もう20年以上前の写真である。
ここを境橋という。大阪と和歌山の境である。前を南海が走っている。
和歌山最初の中山王子は、生け垣の木が大きくなり、電柱が目立たなくなっていた。
これはいいね。
以前歩いたときのものだが、電柱がもろに見えている。
これも20数年前の写真である。
坂の途中にかわいい地蔵さんが2体あった。
以前歩いたときあったかどうか記憶が全然ない。
もしあったら写真に撮っていたはずだが・・
日よけがとってつけたようだがユニーク。名前もユニーク。
これは何というお地蔵さんか知らないが、独特なお顔立ちをしている。
少し間を置いてたっている。
和歌山への道の途中に巨大な高速道路の橋脚があるが、なんとなく危なっかしい。
この下には活断層が走っているのだけどね。
次の山口王子も訪ねたが、木が生い茂り万葉和歌も字が読みづらくなっていた。
この写真も中山王子と同じ日に撮影した20数年前のもの。この日はめちゃくちゃ暑かった。
家に帰ると蜂がまた2匹羽化していた。2匹とも逃がしてやったが、よく見るとアメリカジガバチである。
これまで4匹羽化したが、あと何匹残っているのだろうか。
ファーブルなら次のが出るまでずっと待ち続けるのだろうが、私はできない
夕方野菜に水をやったが、キュウリの花が咲いていた。ゴーヤの蔓もだいぶ伸びてきた。楽しみである。
せっかくの休みが雨 ― 2020年02月16日 20時57分47秒
今日は貴重な休みなのに雨。
それも一日降り続いた。暑いのか寒いのかわからない天気だった。
テレビはコロナウィルスのことばかり。
近くの国も、この国も対応が悪いね。
世界から馬鹿にされそうなことばかり。
すべてが後手後手。
観光客をどんどん入れといて、市中感染が始まったら、感染経路が不明だと。
当然である。潜伏期間中に日本でまき散らされたのではないだろうか。
和歌山でいえば、マリーナシティなんかも外国の方が多い。
その人たちとクロスすればひとたまりもない。
特効薬もまだできていない今度の新型肺炎。
終息はまだ見えていないので、間近に迫るオリンピックはどうなるのだろうか?
国会での議論を聞いていても、野党の質問もその答えも面白みのない議論ばかりで
いやになる。ウィットのまったくない議論は聞いていても退屈なだけである。
写真は昨日博物館に行った帰りに少し寄った。
熊野古道のホームページをリニューアルしなければいけない。
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