今日は暑いくらいの陽気。風もなかった。 ― 2024年03月15日 21時17分47秒
今日は汗ばむくらいに暖かだった。
いい天気になりそうだった。
そんな朝から「ぎふワールド・ローズガーデン(旧:花フェスタ記念公園)」にいこうと岐阜県可児市に向かった。
ナビはきちんと行き先を指示していたが、うまく曲がれなかったりで時間がかかった。
道は良かった。
「ぎふワールド・ローズガーデン」は岐阜県可児市にあるバラと花々の庭園 大型の遊具や芝生広場なども充実している。和歌山で言う緑花センターをもっと広く施設をたくさんという感じである。
バラと花々の庭園 大型の遊具や芝生広場なども充実していた。
時期が時期で、緑が一番少なく、もう少ししてここが一面花に覆われたらそれは素晴らしいだろうが、見に来る人が多すぎて田舎者には手に負えないだろう。
公園内を自動車が走っていたが、ぬいぐるみが一つだけ乗っているだけだった。
いろんな花があった。
この木はもう実がなっていた。
展望台があり、霞んでなければ御岳や伊吹山が見えるそうである。
今日は御嶽山がかすかに見えただけだった。
白い雪の山々を見たかった。
花が咲けばこんな感じだと公園のトンネルでパネルにして紹介していた。
なぜか唐突にアンネ・フランクの全身像。
ここはモロッコガーデン。
タイルは現地の職人が工事をしたそうである。
立派。
公園を散策し、昼ご飯を食べ終わった後、木曽川を見に行った。
昨年花火を見たところであるが昼見たことはないので連れてもらった。
公園もここも鳥の鳴き声はするがなかなか姿を見せてくれないがこのヒヨドリ君とツグミ君が姿を見せてくれた。
綺麗な竹藪が続いていた。
「かぐや姫遊歩道」というらしい。
赤い服のカメラマンが、
「イイの撮れましたか」と声をかけてきたが、
「いいえ撮れませんでした」とこたえた。
ここで粘ると鳥がたくさんとれそうな気がする。
小魚も多いし餌もたくさんありそうである。
竹藪に入ってからカメラをとりだした。
宿り木が一杯。
その一つにカラスが巣をしているらしく中に入っていった。
久しぶりに聞くせせらぎの音は心地よかった。
団地だと救急車のピーポーのサイレンを毎朝聞くが、やはりせせらぎの音の方がいい。
今日は暖かだったが風が強かった.ビュンビュン。 ― 2024年03月13日 20時31分09秒
今日も寒かった。風も強かった。 ― 2024年03月10日 21時36分17秒
昨日よりか少しは暖かいと思ったが風が強かった。
鳥撮りに行こうと思ったが行けなかった。
古い写真を見ている。
このノスリをボールペン画にしようかなと思っている。
木の枝もうまく伸びている。
後ろが煩わしくない。さてさて。
シジュウカラはこの時わが家の巣箱に巣をしていた。
モズ君
シロハラ君
ツバメ君達。
鳥山明さんやTARAKOさんが相次いでなくなった。
子供達が小さい頃ワイワイ騒いだ人達が相次いでなくなった。
ドラクエのキャラクターを作る人がなくなったり、独特の語りでナレーションをしていた人がなくなったり、まだ二人とも七〇才になってない、これからと言うときだった。
仕事が忙しかったのか、世の中はわからない。
少し寂しくなるが、これも世の常か。
そういえば開高健がいなくなったのは59歳(1989年)だった。
今日は冬に逆戻りしたような冷たさだった。 ― 2024年03月09日 21時28分53秒
今日は寒かった。郵便を取りに一階まで降りるが手すりを持つ。
今日はその手すりが氷のように冷たかった。
手袋がほしいと思った。
実は先日のボールペン画に、鳥か虫を描く、と言ってしまったがいい写真がない。
昆虫は絶滅危惧種を描いていきたいと思っているが鳥はその生き生きしたのを描きたいと思っているが、ペン画はあくまでもリアルに描かなければいけない。
少しばかり写真を探したがなかなかいいのがない。
写真は2020年3月9日の写真で、テクテクしたときのものである。
もう少し写真を探さなくてはならない。
ムクドリ。
ケリ。
ノスリ。
イソヒヨドリ。
ヤマバト。
今日は串本のロケット打ち上げの日だったが、船が危険水域の中に入ったので打ち上げは延期になったらしい。
もし報道のままだったら、打ち上げを海から見ようとした船がいて入りすぎたのかも知れない。スマホでいいショットを狙ったのかも知れない。
いずれにしろ13日になるという。
今度は万全の体制で打ち上げを成功させてほしい。
経済効果を含めて原発が来なくて良かった。
今日は一日雨が降った。 ― 2024年03月05日 20時18分56秒
今日は一日雨が降った。それも大粒であった。
最近アナログレコードやカセットテープが復権してきているという話題がある。
アナログ派の私にとって嬉しいことである。
ライブなどで咳払いが聞こえるのはアナログレコードだからである。
貴重なレコードもこちらに来るとき大部分捨てたが、たった一枚プレヤーに残った。
たまにそれを聴いている。
回っている時間は少なく手間がかかるが、それがまたいい。
もっと増えてもいい。
写真は1975年3月5日、多分串本の潮岬だったと思うが、誰もいなくなり鶏もなくなってしまった。いわゆる廃墟。
本当にアメリカはT氏が大統領になってしまうのだろうか。
この地球はカオスの時代になってしまう。
どうなるのだろうね。
長生きをして地球の行く末を確かめるのもまた面白いか。
今日は天気予報通りに雨が降ってきた。 ― 2024年02月29日 21時07分03秒
今日は朝から空が重かった。
天気予報通りに雨が降ってきた。
貴志川でミカンをついばむイソヒヨドリ君。
この辺もよく鳴いているのでこんな写真が撮れるのにと思うときがある。
下はコゲラ君。
これは山の中、コンコンと木をつついていた。
Kさんがでたという政倫調。思っていた展開になった。時間の無駄以外何物でもない。
これでは能登地震で未だ水が出ていない人がかわいそうである。
ふっと思うのだが水は自然の山水を浄化して使えないのかな。
多分もっと昔は山から汲んでいたはずである。そんな号令もあっていいのじゃないかなと思うが今の政府では無理だね。
明るい話題はオオタニサンが結婚したということだね。
どんな女の人か知れないが、更にいい選手になることを期待しよう。
風が強く吹いたがポカポカ陽気。 ― 2024年02月16日 20時24分23秒
今日は風が時折強く吹いたが概ね一日中いい陽気だった。
大方が温暖化のせいと言っている。
春が早く来そうな感じである。
この陽気で家の角にある草花も模様替えをしている。
特に何もない風景だが、自転車が三台、ハンドルをおなじ向きに並べておいているのが面白くてカシャ!。この家の自転車の遊び方をいろいろ想像する。
悪い子は登ってもいいのだ。子供のころこういう所でよく遊んだのを想い出す。
今の子は何でも制限されてしまっていてかわいそうである。
今日は、メジロ、ヤマガラ、シジュウカラ、ヒヨ等鳥をたくさん見た。
鳥もいるところにはいる。
少し離れた団地の植え込みの山茶花にいろいろ集まっていた。
ツグミがあちこち飛び回っていた。
休憩に立ち寄った公園。あわよくば鳥さんが来ないか少し待ったが来なかった。
今日はAPS-Cのカメラを持ち出した。
ボーエンを持ったので結構な重さになった。
大きいカメラはよく写るが重いしかさばる。
今日は暖かだった。 ― 2024年02月11日 20時38分29秒
今日は暖かだった。これで梅の花が満開になるだろう。
所に寄っては桜が花を咲かせるかわからない。
今日は毎年行われている串本町大島水門神社祭礼。
串本や勝浦に住んでいる時、毎年行っていた。
ネガもたくさんある。
写真は1973年の2月。この当時祭りに参加した人々の顔は大体覚えている。
モデルさんがなんで来たのか全く思い出せないが我がグループが呼んだのではない事は確かである。
今でも続いているというのは素晴らしいことで、熊野はこうした船を使った祭りが多い。
M氏は、6日には、教会からの選挙支援について「覚えていない」と否定した。
しかし翌7日の国会で関係者と推薦状を手にした写真を示されると「うすうす思い出してきた」と発言を方向転換。
翌8日には「サインをしたかはまったく記憶にない」と二転三転。
Kさんの選んだスタッフはロクなのがない。
しかしキックバックの金に税金がかからないのはおかしい。
Aさんの残した負の遺産は余りにも大きい。
やはり日本は潰れる。
今日は手が凍えた。明日はひょっとすると雪かも。 ― 2024年02月03日 20時22分42秒
この寒空にホームレスの女性がいる。
毎日見るが今は風に当たらないところで寝ている。
さぞ寒いだろうとは思うがどうしようもない。
先日説得している現場に居合わせたが、まだいるところを見るとそのままになって仕舞ったようである。
この寒さはこたえるだろうが銀行もバリケードを張って防止をしているが効き目無し。
としのころ50才から60才くらいだと思うが、春が早く来ないかといつも思う。
写真は1990年2月の3日の熊野市の鬼ヶ城のスナップである。
もっとたくさん写真があったと思うがどこかへ行った。
今日は節分。
豆まきの日で巻き寿司を食べる日であるが、豆まきは何年していないかな。
祖父母が健在なとき(中学生だったかな)には大豆を煎って撒き食べたのを覚えている。子供達が小さいときもやったが、恵方巻きをコンビニなどで賑々しく宣伝しているのを見てしらけしなくなってしまった。
豆まきがはじまったのは14世紀らしい。
「魔(ま)を滅(め)する」からの語呂合わせらしい。
マメを自分の年の数だけ食べるというが、数が多くなったら計算ができなくなるかも。
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