快晴とは行かなかったが雨は降ってこなかった。2024年05月26日 21時56分22秒

今日は雲があつかったが雨は降らなかった。
夏に近い日差しであった。お日様が照ると暑かった。

韓国映画を見てきた。

写真は25日に犬山城に登った折市役所から歩いていったがその途中にある神社などをカキコした。
市役所からすぐに愛宕神社があった。


ここのもお城があった。


ここにも弘法大師のお堂がありビックリ。


犬山城は三光稲荷神社と針鋼神社の2つの神社に囲まれてあり、祖の神社を抜けないと登れない。



三光稲荷神社のおみくじは狛犬の足元や階段に所狭しと並んでいた。


神輿もあった。


針鋼神社の拝殿。


針鋼神社の橋。
前に来たときはこの辺に鶏がたくさんいた。


巫女さんがそれぞれの賽銭箱のお金を集めて回っていた。




今日は異様に暖かだった。2024年02月20日 21時19分23秒

今日は妙に暑いぐらいの一日だった。
やはり地球は温暖化になっているのか。
戦争なんてやっている場合ではないけどね。

今日は時間があったので町の古墳を見てきた。
高蔵寺3号と言ったが看板を見ると後の世にそれも区画整理の後に作られたものらしい。眠っている人も怒るやろね。




その後密蔵院にいったが、もう夕暮れが迫っていた。










今日も秋晴れのいい天気。昼は暑い位。2023年10月18日 17時51分30秒

今日もいい天気だった。
夕方テクテクをした。

写真は昨日載せきれなかった続きの「円福寺」である。
説明は細かく書いていないが昨日の白山神社とこの円福寺は、同じ境内だったと思う。明治の廃仏毀釈や神社統合などで変遷したかも知れない。

円福寺は天台宗別格本山。
ご本尊は、十一面観世音菩薩。
養老七年(723年)開創と伝えられている。
伊勢安濃津(現三重県津市)の商人、益直が現在、建立しているお寺付近の海中から観世音の尊像を拾い上げ、自国に祀ろうとしたが、その夜、夢枕に立った黄衣の僧から諭された。益直は諭しに従い、現在の地に三間四方の堂を建て、尊像を安置したという。その後、神亀五年(728年)行基がこの辺りを巡り歩いた折に、「圓福寺」の扁額)を掲げて改称したという。


円福寺北門から向こうに白山神社の鳥居が見える。


オオワライタケがあちこちにでていた。
時間をかけてさらし、醤油で煮詰めれば食べられないことはないらしいが、ものの本では食べないようにとあった。
ま、食べられればこれだけ大きくなっているのでキノコ好きは、ほとっかない。


何のための鳥居かわからない。隣は馬頭観音である。


文殊菩薩の祠もあった。
その説明書き。


白山観音のいるお堂。


真新しい観音さま。
雲一つない秋晴れがよくわかる


観音様の前が展望台になっており、春日井市が一望できる。


桜が咲いていた。狂い咲きか。結構たくさん咲いていた。


鐘もあった。


聖観音。


仁王門。
脳梗塞のリハビリをしているような人が登っていったが私より早くあがっていった。
私はヨチヨチ。手すりがありがたい。




八百比丘尼の祠の前が西国三三所の地蔵さんがある。
街の有志がお金を出し合って建立したらしく芳名が大きな看板に書かれていた。


スカッと晴れないけど秋の気配。秋分の日。2023年09月23日 20時05分07秒

もう秋分の日である。
駐車場までの日陰も形が変わった。少し長くなった。
雨ばかりの昨今だが日差しの変化は確実である。

今日は土曜日で3回のうち2回目の講座があったのだが、遅刻したのでパスした。
とりあえず前まで行ったのだが、10分遅れると席に割り込んで座らなければいけないためである。
その帰り道かねてから行きたかった国宝の密蔵院の多宝塔を見に行った。
前に前を通ったが入らず仕舞いであった。
今日行った。
密蔵院はほとんど廃寺に近かった。


草が生えるに任せている。





この大師堂の陰になったところで一休み。2人連れが一組寺内を見て回ってすぐ帰ってしまった。こちらは猫がいたのでどう動くか見ていた。







プラかな。なんとなくアリガタミが少ないような。


そして猫たち。じっとしていると近くまで来た。はじめは一匹だったがキジとクロとブチの3匹になった。
どうもクロとキジはお仲間でブチはのけ者にされている。




彼岸花を見たかったが、このお寺のあちこちにたくさん咲いていた。