雨は降らなかった。昼頃大ぶりした。 ― 2026年09月02日 20時38分18秒

朝は雨は降らなかったが昼頃大ぶりした。
写真は1973年9月の獅子岩のしたである。


当時はどこへ行ってもこうした団体の記念写真があった。
今では各自スマホである。




こうして誰もが一眼レフカメラを提げていた。



二日続けて暖かい日。 ― 2026年02月06日 21時18分39秒

二日続けて暖かかった。
今日はボールペンの例会の前に昼ご飯を皆で食べた。
その後普通に例会をしたがいまいちのらなかった。
家に帰る途中で一休みしたが、その藤ノ木の東屋は椅子が添えつけてある。
フジの木の根元には何かの巣のような穴がいっぱい空いていた。
なにかいそうである。


毎年2月6日は新宮のおとう祭りの日である。
皆で写真を撮りに上がったのを思い出す。
今はフェイスブックで人の撮ったのを見ているだけである。




一日曇っていたが雨は降ってこなかった。 ― 2024年05月23日 20時42分15秒

曇っていたが雨は降ってこなかった。
その分暖かだった。
沖縄では一年分を半日で降ったとか。いよいよ自然がおかしくなっている。
リニアの工事で水が軒並み涸れているとか。
人間のおごりが自然を壊してしまっている。
人は撤退する勇気を持たなければいけない。
万博、リニアいろいろある。熊の出没も食べる餌が少ないためである。
皆、人が関わっている。

写真は昨日の続きである。
この城下町は朝ドラ「半分、青い。」のロケ地になったそうである。
ドラマを見ていないのでなんともいえないが・・・


消火栓にもこうした修景の為の色が塗られている。
こういうのはいい。マチの人がこの町を統一していこうという意気込みが伝わる。






昼過ぎなのでカフェインレスを探したがこんなのが出てきた。
砂時計があり落ちるまで待った。
味は麦茶を濃くした感じであった。
しかし砂時計が落ちる三分間はまつ楽しさを味わえる。
前の座席に座った二人づれにも教えるとコーヒーを頼んでいたのをこちらに変えた。
少し高かったけどね。


古き良き町並みが続く。


今で言うホテル。


ここにも「こばた」があった。


懐かしのファンタとコーラの看板。


意味が分からないかんぬき。


なまこ壁。


トイレにあった注意書き。


和歌山のまちもこんなこだわりがほしかった。
未だに残念に思うのは粉河、那賀、橋本と軒並み都市計画という名の元に改悪をしてしまったことでフツーの都市みたいな町並みになってしまった。
もう少し街としてのこだわりを持ってほしかった。
今観光地としてインバウンドも含め古さと新しさを見に来る客が多いのだから、そしてそれが一瞬のうちに世界中に伝わる今の世の中だから。
ローソンから見える富士山も外国の人が一目見ようと集まる世の中である。

雨のち曇り ― 2024年04月16日 20時41分46秒

朝から雨が降っていた。
次第に雨は止んできたが空が晴れることはなかった。

そういえば14日から本宮祭りである。
この日はカメラ友達みんなで撮りに行った。
写真は1977年のものである。

本宮祭り

本宮祭り

本宮祭り

本宮祭り

本宮祭り

本宮祭り

本宮祭り

本宮祭り

本宮祭り

本宮祭り

こちらは、愛知県、岐阜県、長野県は祭りの多いところである。
その昔皆で計画を立てていたが実現はしなかった。
そしてほとんどが鬼籍に入ってしまった。
会社で世話になった人が95歳でなくなった。

風は依然としてあったが段々暖かくなっている。 ― 2024年03月08日 19時16分12秒

段々暖かくなっている。朝晩はやはり冷えるが日中は暖かくなってきた。
しかし風が強いのでそれも半分の暖かさである。
今日はボールペン画の日であったが上の階で踊り(ダンスパフォーマンス)のクラブがあったのかドタドタとうるさかった。
そういえばパリ五輪はこのダンスが正式種目になった。

写真は2010年3月8日の高野山護摩たきのスナップである。

高野山護摩たき

修業僧の中に修験者がいる。

高野山護摩たき

高野山護摩たき

尼僧さんもいる。

高野山護摩たき

高野山護摩たき

高野山護摩たき

高野山護摩たき


高野山護摩たき

朝から雨。冷たい雨。 ― 2024年01月13日 19時34分14秒

今日は一日ほとんど雨だった。
能登方面がこの雨でまた被害が出ないか心配である。
激甚災害であれば国が費用を持ったらいいが補助金が増額されるだけだそうだ。
これから過疎の町が多くなるので財政的に苦しい町が多くなる。
国も昔と違うことを、もっと知るべきだと思うけどね。
私腹を肥やすことばかりに気を取られて国民をそっちのけにしているのではないか。

写真は2013年1月高野山である。
毎年ここに来たいが為に4輪駆動を買ってきた。
この日4駆スタッドレスが効いた。
雪道でもスイスイである。


これは私かなと思ったが違う。





この車も19日に変わる。
今度は2輪駆動である。私個人的には4輪駆動がほしかったが10万円いじょう値段の差がつくので2輪駆動にした。




こんな雪でもスイスイとよく走ってくれた。
もう14万キロを超えた。

今日は暑かった。 ― 2023年07月15日 20時35分32秒

今日は暑かった。
冷房が要った。
しかし冷房を全家庭が入れれば地球温暖化が進むような気がしてならない。
私が子供のころは冷房などなかった。
扇風機で事が足りたのだが、現代の世の中はそうでないようである。
しかし当時は私が子供のころは家を空けぱなしていた。
行水も外でやった。
おおらかだったのである。

写真は那智の火祭りである。
1983年の7月。
ここは毎年写真を撮りに行ったので写真は多い。








右に写っているのは私の友達である。
すでに鬼籍に入っているが、よく連れ立って写真を撮りに行った。
このころはまだ毛があった。



今日はオオタニサンが投げるというのでテレビを見たが、負けてしまった。
ヒットは打ったけれど失策がらみで点を取られてしまった。
エンゼルスは失策が多いね。
絶対ストライクと思って投じた一球がボールの判定。
審判ももっと勉強をしてほしいね。
ま、こういうこともありか。

今日は暑かった。冬の寒さが嘘のよう。 ― 2023年05月17日 20時24分18秒

朝は20度だったが気温がどんどんあがってきた。
昼は夏を思わせる暑さだった。
昨日とずいぶん違う。
昨日は気温は高かったが串本は風が強かった。

1980年5月の那智山である。


善男善女。


団体で来ている。
このころは団体旅行が華やかであった。



記念撮影。
あかんべー。


今日はオオタニサンはヒットを打たなかった。
試合も負けた。
やっぱりオオタニサンが打たないと勝てない。
今日は少しゆっくりしたのかな。
ピッチャーをした後疲れているだろうね。

熱中小学校に行ってきた。 ― 2022年11月05日 21時09分28秒

今朝は10度をきっていた。
昼が寒くなる予感がした。がそれほど寒くならなかった。

今日は先月に引き続き、かつらぎ町天野の熱中小学校に行ってきた。クラブ活動はともかく、今日の講師もかつらぎ町長中坂さん。ビーパルを立ち上げた黒笹さん、とそれぞれの講義を聴いた。
なかなか面白かった。


かつらぎの中坂町長もかつらぎの人の流れを熱く語ってくれた。
他の市町村も見習うべきだと思うが、なかなかすすまない。


次の講師は小学館の記者や編集長を務めた黒笹さんが四国遍路の良さをたくさんの写真で語ってくれた。東京から高知に移り住んだ経緯も語ってくれた。



ビーパルと黒笹さんの四国遍路に当たってのバイブル的書籍としたのが、辰野和夫さんの「四国遍路」である。ビーパルを出した時も参考にしたと言うことも語ってくれたが私はビーパルと四国遍路2冊とも買っている。



歩き遍路の良さを熱く語っていた。四国と言えばカヌーイストの野田さんが出てくるのじゃないかな、と思っていたらやはり紹介された。


歩いている時にぎっくり腰になり宿で必死で治しているところである。


コロナの患者、和歌山は、今日は397人。
東京が79670人、愛知5101人、滋賀971人、京都1018人、大阪4159人、北海道7463人、沖縄350人。全国74170人だった。
大幅に増えた。昨日減ったのは何だったのだろう。

熱中小学校の教室は、感染予防のため窓を開け放しているがもう寒くなってきた。
来月はどうするのだろうか。

今朝は20度あった。祭りの日でもある。 ― 2022年10月10日 20時47分22秒

今朝は暖かく20度あった。昨日の朝が低かったので一気に上がった感じである。
今日は10月10日。
体育の日であるが、10月は祭りの月でもある。
稲刈りも大方終わり盛大に各地で祭りが行われる。休日が妙に変更されるので昔の日にちどおりの日ではなくなってきた。
私はリタイアしているが休みは昔のままの方がいいような気がする。
土日とひっつけるから話がややこしくなる。むしろ昔のままの方が飛び石になり休めるように思う。
今年はうまいこと月曜日に休みになった。

写真は1980年10月10日の熊野市木之本神社の祭礼である。

熊野市木本神社祭礼1980年

神社に集まる。

熊野市木本神社祭礼1980年

熊野市木本神社祭礼1980年

熊野市木本神社祭礼1980年

熊野市木本神社祭礼1980年

熊野市木本神社祭礼1980年

獅子舞もある。

熊野市木本神社祭礼1980年

街中を若い衆が練り歩く。

熊野市木本神社祭礼1980年

小さい子供が山伏の格好で練り歩く。


そして浜に出る。


神輿も浜に出る。

熊野市木本神社祭礼1980年

終わった。
でもこの祭り昔のまま続いているのだろうか。
最近はあちこちで祭りをとり行おうにも人手が足りないとよく聞く。
また今まで担いでいた神輿を担ぎ手がいないのでリヤカーで轢いているらしい。
この国はどうなってしまうのか。
祭りがなくなると鎮守の森がなくなりはしまいか心配である。