今日も雨だった。2021年05月18日 21時45分22秒

今朝から雨模様で、降ったりやんだりだった。

   世を隔て人を隔てゝ梅雨に入る

句は高野素十さんのだが、なんとなく今のご時世にぴったりという感じである。
15日の写真だが、岩出市押川の日吉神社である。

風吹のトンネルができるまでは、ひっそりとした谷間の集落だったと思うが、そういう所にふさわしいひっそりした神社であった。

こんな飾り気のない神社が好きである。今風に観光目的の、化繊の幟旗一杯の神社はあまり好きではない。


扁額もない。


石段もそろっていなかった。降りるのは怖かった。


祠もひっそりなら賽銭箱もささやかだった。祠周りは歴史を感じた。


境内にあった地蔵さんと何かの供養塔。近くに寺もあった。


とても犬には見えなかった狛犬。


祠も主張せず、きちんとあった。


狛犬の足に青虫がくっついて、だんだん上に上がっていた。


境内はシャガがキレイだった。


今日の和歌山のコロナ感染者は16人だった。
やはり昨日の4人というので喜んではいけない事がわかった。
台湾も変異株により患者が増えたという。これをどう鎮めるか注目したい。

日本ではワクチンがやっと打たれ出したが、明日受付なのでWEBでエントリーしよう。

今日ももう夏日だった2021年05月10日 21時50分22秒

今朝は少しひんやりしたが、体感温度はそれほど寒くなかった。
いい天気だったが用事で市役所に行ってきた。

図書館へも寄りたかったがコロナで閉めていた。
帰りに伊坂橋を渡ったが、ドクターヘリが河原に止まり、消防車と救急車がいた。
コロナ患者が出たのかもしれない。
市役所で、前の会社の同僚とはなしをしたが、その友達がコロナで死んだそうである。
3月末に感染し4月中旬に体調が悪くなり、4月30日になくなったそうである。
これも最初は入院できなかったそうだが最後はエクモを使ったが、ダメだったと言うことである。

ワクチンは日本は遅れているが、治療薬の開発はできるのではないかと思うが、それもできないらしい。

ほんとこの国はどうなっているのだろう。

Sさんはこの時期でも、「・・検討する」「・・と聞いている」「・・専門会議の指示に従う」の一点張りで、自分からどうしてほしいとどうしても言わない。
国民は、まっているのだけどね。
それにしてもAさんのマスクでゴタゴタしたとき、きちんと水際で止める手段を講じていれば今ほどすったもんだはなかったと思うけどね。

あのマスクのお金を治療薬製造に使っていれば今ほど恐れなくても良かったのに、とこれは結果論だが、国民誰もが思っていた。
その反対ばかりをした、そしてこれからもトンチンカンを続けていくであろうと思われるのは、某国政府のおえらい方々である。

写真は1976年から1986年まで折に触れて撮っていた漁村のスナップである。
場所はあちこちある。

漁村風景

漁村風景

漁村風景

漁村風景

漁村風景






今日は、和歌山は11人、大阪が668人、東京が578人コロナ患者が出た。
和歌山は減ってきたが、さて。

変な天気の一日。2021年05月05日 19時10分11秒

今朝は18度あった。
雨はまだ降っていなかったが風が強かった。
昼前からきっちり降ってきた。風もさらに強くなってきた。

この連休中コロナはどうなるだろう。
今日は和歌山は23人だった。大阪は668人で若干減ったが連休明けが怖い。

各地で渋滞が出ている。車で移動している分にはいいが、各地の観光地での状況はどうだろうか?

空港の検疫で毎日感染者が出ている。
政府は変異株はきっちり見張って入らせないようにするといっていたが、これだけ増えてきたら手の打ちようがない。水際作戦はダメだった。
この責任は大きいね。

今日ももう絶対撮れない写真をカキコした。
1979年紀三井寺競馬厩舎で、馬券などは興味なかったが馬は好きだった。
馬のつぶらな瞳がいい。







今日は少し肌寒2021年04月26日 20時54分06秒

今朝は11度だった。
少し肌寒かった。それが一日続いた感じである。

今日の昔の写真は、和歌山の田ノ浦漁港。
最近は和歌山のアマルフィーと呼ばれている。
1974年から1979年くらいのものだが、漁港は埋め立てされているので、もう撮れないと思う。
今はコンクリの家が多いが当時はまだ瓦屋根が多かった。
船も今のすっきりしたものより風情がある感じがする。


和歌山市雑賀崎田ノ浦漁港

和歌山市雑賀崎田ノ浦漁港

和歌山市雑賀崎田ノ浦漁港

和歌山市雑賀崎田ノ浦漁港

和歌山市雑賀崎田ノ浦漁港

和歌山市雑賀崎田ノ浦漁港

和歌山市雑賀崎田ノ浦漁港

和歌山市雑賀崎田ノ浦漁港

和歌山市雑賀崎田ノ浦漁港

和歌山市雑賀崎田ノ浦漁港

和歌山市雑賀崎田ノ浦漁港

今日のコロナ感染は和歌山は16人だった。
和歌山の人は県またがりの移動を控えているのかな。
しかしいろいろ考えると、ワクチンはアメリカみたいに一番出歩く若い人を優先的に、打った方がいいのではないかと思うんだけどね。
なぜ年寄りを優先にするのだろうという疑問がある。
医療従事者が率先して打つ必要があるのはわかるが、そして次に年寄り優先というのがよくわからない。
和歌山は患者が大阪由来が多いので、大阪に通勤している人や商品配達などに従事している人、そして持病のある人をまず打つべきではないかと思う。

クラスターが出た施設のお年寄りも打つべきだが、そのお年寄りにうつしたのは、よそで、ほとんどが大阪で感染した人などである。
とにかくリスクの高いところから打つべきで、そうなると必然20歳から50歳位の働いている人になってくる。

専門家はどう思っているのだろうか。

だんだん暑くなってきた2021年04月24日 20時59分51秒

今朝は15度を少し超していた。
かなり暖かくなってきた。

今日は先日行った釜滝薬師に参拝した後行った十三神社である。

十三神社は、主祭神が國常立尊 國狭槌尊 豊雲野尊 泥土煮尊 沙土煮尊 大戸導尊 大戸間邊尊 面足尊 惶根尊 伊弉諾尊 伊弉册尊 天照大日尊 天忍穂耳尊 彦火瓊々杵尊 彦火々出見尊 鸕鷀葺不合尊 大山祇神、と賑々しく覚えられない。漢字もなかなか出ない。
社殿は、丹生神社 若宮八幡神社 皇太神宮 熊野神社 聖神社 恵美須神社 頒魂神社があり、本殿、摂社丹生神社、摂社若宮八幡神社の三つの建物は国の重要文化財指定である。紀北はこうして寺社仏閣の建物に国宝や重文が多い。
想像以上に往事には人の行き来があった証拠かなと思う。

平安後期の康治2(1143)年5月25日付の『神野眞國庄絵図』(京都高尾神護寺蔵)に十三所大明神と明らかに記され、又安貞2(1228)年の高野山衆徒置文に、「庄内神社十三所」とあり早くから荘内の鎮守社と認められているため、延暦三年の創建以来ずっと十三所大明神を産土神として信仰されていたもので、天正17年になって13体の神様の内、1柱が大山祇神と入れ替えたと思われる。

例祭は当り氏子総代22名が宮司とともに奉仕し斎行するということで、現在では子供神興に変わり、7才迄の男女稚児が参列し、お旅所の神事を行い還行することとなっているそうである。
終戦後から最も華やかであった、競争馬も無くなり、氏子の懐かしき想い出の行事となってしまったということである。
『続風土記』は、「競馬あり年々六、七十木騎もありという」と記されている。
今騎馬競争があれば面白いのにと思う。

〒640-1235
海草郡紀美野町野中493番地
073-495-3755

十三神社

十三神社

十三神社

十三神社

十三神社

十三神社

十三神社

十三神社

十三神社

十三神社

十三神社

十三神社

十三神社

十三神社

とうとう三度目の緊急事態宣言が出されたが、果たしてこれで感染者が減るだろうかと心配である。
何かバタバタ感が否めず、ここに来てまたぞろ大阪市職員の会食が問題になっていて感染者も出ている。先日どこかのテレビ局のニュースで、大阪の繁華街をチェックしに一つの店に別々のスタッフが2回来ていたという。また原稿を見ながらアナウンスしていた。時間の無駄と、インタビューでも答えていた。私もそう思う。
やるならやるで徹底すればいいのだが今のままではなんともいえない。
監視する方もなあなあでは、今まで通りに感染は増え続けるのではないかと思う。

早くオーストラリアとニュージランドのように自由に行き来できるようになってほしいと思うが,今の日本政府では無理かも。

釜滝薬師2021年04月20日 14時33分20秒

4月18日に、和歌山県紀美野町で古くから「目の薬師さん」として親しまれる釜滝薬師金剛寺に行ってきた。
本尊には目の守護仏「薬師如来(やくしにょらい)」が安置され、五十年に一度だけ一般開帳されている。このお薬師様は重要文化財である。

今では日本全国から目に病を持つ方や不安を抱える方々が眼病平癒祈願の為に年中通して日々ご参拝されているという。
私も目の性能は良くないので、お参りに行ってきた。

「都て斯に歩を運ぶ輩、加持水の竹筒に盛りたるを受けて下向し、御名を唱へて目を洗ふに必利益を得となむ」

と、『紀伊國名所圖會』に記されているように加持水は昔より御利益のある「お水(祈祷水)」があり、そこに行くまでにセキショウが群生し、その成分を多く含んだ流水が、今でも御利益のある「お加持水」と重宝されていると言うことである。

〒640-1255 和歌山県海草郡紀美野町釜滝120

釜滝薬師

釜滝薬師

釜滝薬師

釜滝薬師

自由に持って行けと言うことなので、二つほどもらった。

釜滝薬師

釜滝薬師

釜滝薬師

メグスリノキなんてあったのは知らなかった。

釜滝薬師

釜滝薬師

釜滝薬師

花があちこちに咲いていた。

釜滝薬師

コロナでびんずるさんもなでられない。御利益半分。

釜滝薬師

消毒用アルコールと花。

釜滝薬師

釜滝薬師

行きしなは吠えたが、帰りは吠えなかった。寺に参った人には吠えないのだろうか。

釜滝薬師

和紙工房が寺の前にあった。

釜滝薬師

釜滝薬師

甌穴の川は水かさが増し、甌穴は見られなかった。カワガラスが飛んでいたがレンズが短かったのでアウト。

釜滝薬師

有田川町二川城山神社2021年04月12日 20時58分15秒

気持ちのいい朝だった。
今日はスズメ君を撮るのにアングルを変えてみた。
撮っているとき、大きな鳥が来て、スズメ君達を襲った。スズメ君達はちりぢりに逃げた。何の鳥かわからないが、結構大きくそれからはしばらくスズメ君達も来なかった。
ノスリより少し小さい鳥だったが、私は部屋にいてリモートスイッチを押していたのでわからなかった。
猛禽類の鳥からすれば、スズメが割と無防備に餌をついばんでいるときがチャンスとみたのだろうか?

スズメ


昼過ぎから新聞に載っていた有田川町二川の村社である城山神社に行った。

有田川町二川城山神社

有田川町二川城山神社

有田川町二川城山神社

この神社は、水波女神・倉稲魂神を祀っている。
元々丹生神社と呼ばれていたが、明治41年8月31日城山神社と改称した。
明治40年10月3日許可を受け、大山祇命、岡象女命、埴山姫命、市杵島姫命、毘沙門神、誉田別命、桜木神、丹生都姫命、寒神、皇大神を合祀している。
境内社には摩利支天を祭神としているが由緒不詳ということである。

有田川町二川城山神社

有田川町二川城山神社

建造物による推定参考證、石段78段は、文化12(1815)年11月の日付が刻んでいる。石段(上部)22段は寛成10(1798)年、月日不詳。
燈龍石造2臺には、寛永2(1630)年9月と刻んでいる。
御湯釜1個あり、刻印に正一位丹生大明神御宝前御湯釜とあり、紀州有田郡山保田二川村中竒延宝6(1678)年5月の印あり。
境内には、本殿に対面する形で、県下唯一の回り舞台を有する木造茅葺きの芝居小屋がある。

秋の祭礼には、不定期であるが、200年以上の伝統を受け継ぐ二川歌舞伎芝居「寿式三番叟」が上演される。
当神社の勧請は、天慶元(938)年5月16日とされ、元和年中に在家の出火により御神体等焼失を逃れたと、享保10(1725)年の『社方書上帳』による記録が残されている。

有田川町二川城山神社

この建物で歌舞伎が行われたというが、私がずっと昔に見たのは学校の体育館であった。ここで歌舞伎をやったら見に来たいと思った。

有田川町二川城山神社

歌舞伎の回り舞台の回すところ。

有田川町二川城山神社

石段を登ると中間に回り舞台がある。

有田川町二川城山神社

超天然記念物の老檜がある。ハリーポッターの世界。

所在地は
 〒643-0542
 有田郡有田川町大字二川321番地

有田川町二川城山神社

近くの民家の軒下にスズメバチの巣があった。


この神社へ行くまでに岩倉神社にも立ち寄った。
それはまた報告しよう。

和歌山は由緒ある寺社仏閣がたくさんある。県民として見直さなければいけない。
道そばにはSさんとNさんのポスターが並んで張っているのが目に付いた。
「一部の国民のために働く」とは書いていなかったが・・

雨の日曜日2021年04月04日 21時50分33秒

今日は12度あった。
曇っていたし天気予報は雨だった。
昼まではなんとか持ったが、昼から本格的に降ってきた。

今日はモニターレポートにかかりきりで、写真も撮らずウォーキングにも行かなかった。少しウンドーフソクだ。

モニターを終わってからホームページの整理や写真の整理をした。
その整理しかけた写真の中で出てきたのが、この本宮祭りの写真である。
この祭りはいつも街全体で盛り上がるのでほとんど毎年仲間と行っていたが、今年はコロナでどうなんだろう。
人口もこの当時と比べものにならないくらいに減っている。
祭りそのものが成立しなくなっている地域が多くなっているがここはどうなんだろう。
それに輪をかけてのコロナ禍である。
ソーシャルディスタンスを言われると祭りにならないね。

本宮祭り

出番前。

本宮祭り

神様のお出まし。

本宮祭り

本宮祭り

本宮祭り

本宮祭り

本宮祭り

本宮祭り

本宮祭り

本宮祭り

写真は1979年から1989年まで撮ったものである。
これにカラー写真がある。

本宮祭り

この写真は元々カラーだったが、フィルムが変色していたのでモノクロに変換したものである。なんとなくクリッとしない。

例大祭は4月13日の「湯登神事」に始まる。
父親の肩車に乗った稚児(2、3歳の男の子)を中心に神職、修験者、伶人(楽を奏する人)、氏子総代など40~50人が午前9時半、熊野本宮大社を出発し、旧JRバス本宮駅まで太鼓を打ちならし、神歌を歌いながら、練り歩く。

神は稚児の頭に宿るとされ、神事の際以外は稚児を地面に降ろしてはならず、移動の際は父親が肩車をしていなければならない。

15日は、午前9時から「本殿祭」、午後1時から「渡御祭」、午後4時から「還御祭」が行われます。「本殿祭」は本殿前で神事が執り行なわれ、参列者全員による玉串奉奠も行われ、午後1時からの「渡御祭」が本宮祭のメインイベントとなる。

3日続きの結構気合いの入った祭りである。

九頭神社2021年03月28日 11時51分34秒

23日に紀の川市にある九頭神社に行ってきた。
通称麻生津九頭神社というそうだが、旧麻生津村村社は紀の川市麻生津中宮の原一の老樹に囲まれて鎮座する氏神さまで建立は、不明ということである。

境内には、八坂神社、祓戸社、若宮社、稲荷社、祖霊社、桂神社がある。
本殿は木造銅瓦葺流造で、はじめは真新しい拝殿が本殿と思っていた。

2棟の東屋があり、紀の川筋の家並みの見晴らしがいい。
ここの特徴は、モチの大木があるところで、ほかにも巨木がたくさんあり、歴史の古さを感じる。シラカシの木もあったのだが倒壊したそうである。
残っていれば幹周は3. 9m、樹高は20mの堂々たる木だったという。 
クスノキは環境省巨樹巨木林DBによれば、幹周は4. 94mm、樹高は17mということでこれは幹を見ただけでも大きさがわかる。
全国各地にこの九頭という名前がありここの神社は九頭だけで龍をつけてないが関連はあるだろうと思う。

ウィキペディア(Wikipedia)によると、
「九頭龍伝承(くずりゅうでんしょう)、九頭龍伝説(くずりゅうでんせつ)は、日本各地に残る九頭龍(大神)に関する伝承・伝説のことである。九頭龍大神伝承(くずりゅうおおかみでんしょう)、九頭龍大神伝説(くずりゅうおおかみでんせつ)とも。

発掘された平城京の二条大路木簡には、奈良の南山に住む九頭一尾の大蛇に疫病(天然痘)の原因となる鬼を食べて退治してもらい、都での流行阻止を祈願したとされる文が書かれている。ここでは人を害するものではなく、病気を食べる利益をもたらすものとして扱われている。」
とある。

住所は、和歌山県紀の川市麻生津中1。

九頭神社

九頭神社

九頭神社

九頭神社

九頭神社

九頭神社

九頭神社

九頭神社

九頭神社

九頭神社

花見に高校野球に忙しい。春やね2021年03月25日 22時49分55秒

今朝は6度だった。
夕べ降った雨は、少し続いていてパラパラと降り続いた。
少しひんやりと寒かった。

昼からは雨も上がり日が差してきた。
桜も開花が急ピッチである。

 さまざまの事思ひ出す桜かな

というのは芭蕉だが、圧倒的な花である。まさに国花。
もっとも芭蕉の時代にはまだソメイヨシノはなかったらしい。

今朝モーニングショーで見ていたら、若者達がお酒を飲んで騒いでいた。
撮影スタッフはそういう所ばかりを狙うのが常だが、それにしても無防備すぎる。
これでまた⒉週間後には感染者数が一気に増えるのではなかろうか、と思う。
緊急事態宣言というのを取り違えている向きもある。
和歌山もせっかくゼロの日があったのにまた増えてきた。
気になる。

花見を落ち着いてしたいね。
お城で花見をし、早くからブルーシートで陣取り寒さで震えながらお酒を酌み交わしたのを思い出す。
写真は2005年 和歌山城。