寒い一日。日はささず。2023年11月29日 17時32分41秒

寒い一日だった。

テクテクの際スーパーの休憩所で来る人々をウォッチングしながらボーとするのがいい。車椅子で来る人や90くらいのご夫婦が転けないように互いに手を取りあったりしている。今日はまだましだったが休みの日だと子供の声が響く。
そんなのを見ていると楽しい。

朝前の小学校が賑やかなので何かと見ると落ち葉を箒で掃きそれを集めていた。
一本ある銀杏の黄色に学童は黄色の帽子をかむっている。
また明日落ち葉が積もりそうだけどね。
課外授業か何かで落ち葉を掃いたのかな。


写真は2011年11月京都は西本願寺に五木寛之さんの講演を聴きに行った折のものである。
ここにも大きな銀杏がある。



1600年代に植えられたと言うからすでに400年以上経っている。



多分親鸞だと思うが講演のなかで五木さんが、
「私の本に『親鸞』というのがありますが、今の若い人はこれを『おやどり』と読んでくれます」
皆さんどっと笑っていた。
このマンガは親鸞かな。


京都タワーが見える。


それにしてもKさんは肝心なことを言ってくれないね。
Aさんは悪いなりに自分の意見をもっていたがKさんは、
「・・迅速に、意見を踏まえながら・・」
一つも迅速ではなく、国民の意見を聞く耳を持たない。
もっと若い人に政治をやってほしいな。

思ったより寒くなかった思ったより寒くなかった2023年11月26日 19時24分50秒

テレビで今日は寒いと言うことで身構えていたがそれほど寒くはなかった。
しかし寒暖差は依然あり注意が必要である。

写真は昨日の銀杏の木を見た後近くだったので寄った。
全国にある諏訪様の一社だろうと思うがこの在所は、木曽義仲と縁が深い在所らしい。「木曽義仲」は、源頼朝や源義経の従兄弟にあたる人物で、1154年(久寿元年)に関東の武蔵国秩父(現在の埼玉県秩父市)で誕生し、幼名を「駒王丸」(こまおうまる)
と言ったそうである。





小木棒の手は、無二流と称し、木曽義仲が近江国粟津で敗れ、その家臣今井四郎兼平が一族とともにここに移り住み、武技として伝えられたものが、いつか芸能化して今日に至ったという。
岐阜県下では他に見られないが、愛知県では名古屋市内をはじめ各地に見られる。

棒の手は、諏訪神社の10月15日の祭礼に奉納行事として行われ、10月1日より祭礼連中(20〜38歳30名前後)が中心となり、毎夜社前広場で主として28歳の連中指導の下に練習をし、祭礼直前には長老が仕上げ指導をしている。祭礼当日は棒元に集合して行列を整えて神社に向かい社前広場で奉納する。
使用する物は、棒・太刀(木刀と真剣)・金倉・鎌・櫂・楯で、二つずつが組み合わされて十三番の演技があり、ついで餅投げ行事をはさんで、真剣と鎌との壮絶な一番があって終わる。


イノシシのワナだがまわりの土が掘り返されている。
イノシシに遊ばれている感じ。


手前がバナナで向こうが大銀杏。
南国と古代植物が同居している。
バナナは花が咲き実をつけていた。


木曽源氏「今井」氏の墓石。在所の旧道にある。


木曽義仲は正式には源義仲と言ったそうである。
ときの白河上皇が密かに頼朝に義仲追討命令をだし、寿永三年(1184)、義仲は頼朝が差し向けた源範頼、・義経軍と戦って敗れ、近江国粟津ヶ原で戦死したという。
長野県木曽郡木曽町に墓所があるらしい。
その残党がこの今井氏らしい。そしてその人が剣舞を伝えたそうである。
それが今愛知県一帯に伝わっているらしい。 



今日も秋晴れのいい天気。昼は暑い位。2023年10月18日 17時51分30秒

今日もいい天気だった。
夕方テクテクをした。

写真は昨日載せきれなかった続きの「円福寺」である。
説明は細かく書いていないが昨日の白山神社とこの円福寺は、同じ境内だったと思う。明治の廃仏毀釈や神社統合などで変遷したかも知れない。

円福寺は天台宗別格本山。
ご本尊は、十一面観世音菩薩。
養老七年(723年)開創と伝えられている。
伊勢安濃津(現三重県津市)の商人、益直が現在、建立しているお寺付近の海中から観世音の尊像を拾い上げ、自国に祀ろうとしたが、その夜、夢枕に立った黄衣の僧から諭された。益直は諭しに従い、現在の地に三間四方の堂を建て、尊像を安置したという。その後、神亀五年(728年)行基がこの辺りを巡り歩いた折に、「圓福寺」の扁額)を掲げて改称したという。


円福寺北門から向こうに白山神社の鳥居が見える。


オオワライタケがあちこちにでていた。
時間をかけてさらし、醤油で煮詰めれば食べられないことはないらしいが、ものの本では食べないようにとあった。
ま、食べられればこれだけ大きくなっているのでキノコ好きは、ほとっかない。


何のための鳥居かわからない。隣は馬頭観音である。


文殊菩薩の祠もあった。
その説明書き。


白山観音のいるお堂。


真新しい観音さま。
雲一つない秋晴れがよくわかる


観音様の前が展望台になっており、春日井市が一望できる。


桜が咲いていた。狂い咲きか。結構たくさん咲いていた。


鐘もあった。


聖観音。


仁王門。
脳梗塞のリハビリをしているような人が登っていったが私より早くあがっていった。
私はヨチヨチ。手すりがありがたい。




八百比丘尼の祠の前が西国三三所の地蔵さんがある。
街の有志がお金を出し合って建立したらしく芳名が大きな看板に書かれていた。


今日もいい天気。秋晴。2023年10月17日 17時09分00秒

今日も秋晴れのいい天気だった。
近所(と言ってもどこが近所かわからない。ナビは行くごとに違うナビをしてくれる)にあるスーパーに段ボールを資源ごみに出しに行った。
このスーパーはあるゆる資源ごみを収集しているのである。
紀の川市のエコ集積所を思い出しながら出した。

その帰りに白山神社によった。
白山神社の創建は養老2年(1718)と伝えられる。
11ヶ村(現在は7ヶ村)の総鎮守で「東の宮」と呼ばれ、「西の宮」と称する松本の「諸大名神社」と並ぶ、総氏神であるという。
御神徳は「生む」、「生み出す」、「成功」、「くくる(縁結び)」、「五穀豊穣」、「交通安全」、「学業成就」等。
御祭神は
 伊弉冉尊(イザナミノミコト)、菊理姫命、大巳貴命
 【神明社】天照大神
 【日吉大社】東本宮大山咋神、西本宮大物主神(おおものぬしかみ)
 【津島社】牛頭天王(スサノヲノミコト)
 【白山天神社】天神(天満大自在天神)
 【白山稲荷神社】宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)
など盛りだくさんである。


拝殿。中で宮司さんが白髪のご婦人に何やらいろいろ神社の役割を教えていた。


参道。この幟はあまり好きではない。


馬の銅像があった。


牛の銅像もある。


この神社の神木はシイの木であった。


石造りの鳥居。


稲荷神社。伏見稲荷ほどのスケールではないが赤い鳥居が続いていた。


稲荷神社。


護符がユニークだった。


還暦やそれぞれの歳に応じた石碑がずっと立っていた。


なんとなく何でもありの神社で、菅原道真ありの神社で結構今風である。
この神社にまいればすべてがかなう感じである。


この後「円福寺」というお寺の行ったがまた日を改める。

最近T一教会に解散命令が出されたが、なにか遅きに失した感じである。
被害の出る前に対処してほしかった。
そういえば国会でもK党がいささかトーンダウンしているね。
S学会の黎明期に今のT一教会と同じようなことがあったことを覚えている。
身内にそんな人がいた。
議員さんもT一教会の豊富な資金を享受した人もいただろう。
だから追及ができなかった。何より税金がなくなるというのはいいじゃない。

スカッと晴れないけど秋の気配。秋分の日。2023年09月23日 20時05分07秒

もう秋分の日である。
駐車場までの日陰も形が変わった。少し長くなった。
雨ばかりの昨今だが日差しの変化は確実である。

今日は土曜日で3回のうち2回目の講座があったのだが、遅刻したのでパスした。
とりあえず前まで行ったのだが、10分遅れると席に割り込んで座らなければいけないためである。
その帰り道かねてから行きたかった国宝の密蔵院の多宝塔を見に行った。
前に前を通ったが入らず仕舞いであった。
今日行った。
密蔵院はほとんど廃寺に近かった。


草が生えるに任せている。





この大師堂の陰になったところで一休み。2人連れが一組寺内を見て回ってすぐ帰ってしまった。こちらは猫がいたのでどう動くか見ていた。







プラかな。なんとなくアリガタミが少ないような。


そして猫たち。じっとしていると近くまで来た。はじめは一匹だったがキジとクロとブチの3匹になった。
どうもクロとキジはお仲間でブチはのけ者にされている。




彼岸花を見たかったが、このお寺のあちこちにたくさん咲いていた。



今日も暑かった。そんな中を14500歩、歩いた。2023年09月16日 20時12分42秒

今日も暑かった。
この街主催の研修会が開催される3つ向こうの駅へ行くために、家を少し早く出た。
目的の駅についてから道を間違え長い距離を歩くことになって仕舞った。
当初の予定では余裕の与ちゃんであった。
ヨチヨチは相変わらずだが、とにかく目的地に早く着こうと頑張ったが、なかなか行き着かない。
道を聞いた人には間違った公民館を教えられた。
結局は主催者の公民館のスタッフに迎えに来てもらった。
その人が「街は碁盤の目ではなく放射状になっているので道筋を間違うととんでもない所に行ってしまいます」
研修には30分ほど遅れてついてしまった。
ハガキを胸ポケットに入れていたが、汗で、古文書みたいにボロボロになってしまった。

帰りの電車を降りるとピアノの音がした。
この駅にもストリートピアノがあって、子供が弾いていた。
はじめは「ねこふんじゃった」だったが次の子は何かの曲をうまく弾いていた。
ここへ来て街のストリートピアノを弾いているのを初めて聴いた。



国道と高速道路がクロスしている。
街に長く住んでいると間違いに気付くだろうがこちらは素人である。
休憩した公園にあった看板。


よくみると年寄り向けの椅子だと書いてある。
この人形が面白くてカシャ!


研修に遅れたので無理矢理真ん中に入れてもらった。


その公民館構内にあった門。
侍屋敷もあった。




駅の近くにある神社「八幡社」



彫刻がいいし、なかなか由緒ありげな神社であった。



駅はこの神社から少し歩くとつくがまた間違えてはいけないので郵便配達のバイクに駅を聴いた。
綺麗な若い女性が速達を配っていた。
「駅はその道を右に行くとあります」機嫌よく答えてくれた。
駅はあった。駅までの登り階段を見てほっとした。
今日は炎天下の中を普段の3日分ほど歩いた。

いい天気。中津川市の苗木城趾ほかに行ってきた2023年09月09日 20時48分02秒

今日は暑さも城跡の山の上はそうでもなく、風が吹けば爽やかな一日だった。
この城跡に登った後は、恵那市の歌川広重美術館に行ってきたが、また別の日に。

中津川市苗木城趾

中津川は中山道にある妻籠や馬篭のある街とは知っていたが、こんな山城があるとは、先日テレビで見たがピンとこなかった。
しかし大きな岩を巧みに使っており、マチュピチュに負けない石組みに好感が持てた。

中津川市苗木城趾

中津川市苗木城趾

そしてニホンカモシカが観光客がたくさんいるのもかまわずに餌を食んでいた。
写真を撮っても怪訝そうにこちらを見るだけで逃げようともしなかった。

中津川市苗木城趾

まだ子供かどうかわからないが角は生えていた。
怪訝そうにこちらを凝視している。
それでも藪には入っていかなかった。

中津川市苗木城趾

天守近く。

中津川市苗木城趾

中津川市苗木城趾

中津川市苗木城趾

中津川市苗木城趾

素晴らしい石組みで草も生えていない。

中津川市苗木城趾

高台にあるのにどんな日照りでも水が湧いたという千石井戸。

中津川市苗木城趾

中津川市苗木城趾

中津川市苗木城趾

中津川市苗木城趾

中津川市苗木城趾

中津川市苗木城趾

木組みされているてっぺんに登ったがなるほどここは敵がせめてきても見渡せる。
いい場所である。

中津川市苗木城趾

中津川市苗木城趾

中津川市苗木城趾

一瞬ヤマガラが飛んできたが写真はブレてピントが甘い。

中津川市苗木城趾

トカゲが岩肌を這っていた。

中津川市苗木城趾

この頃MLBの番組を余り見ない。
オオタニサンがいてこそ見たけどね。
早く痛いところを治して戻ってほしい。

終戦記念日は台風だった。2023年08月15日 21時39分24秒

今日は終戦記念日である。
台風7号が来た。
紀伊半島を縦断し去ったが、毎年雨量予報が多くなっている。
また来年もどこかで過去最高の雨量になるだろう。
東海はこれから雨が強まるという。
さてどうなる。

写真は2005年の盆踊りのものだが、無量寺は街に一つしか寺がないので串本中が檀家である。
盆踊りで賑わう。



私が子供の頃は露天ももっと出ていたし人も多かった。
年々少なくなる。


そして2008年。
踊る人もぐっと減った。


露天も一台しかない。
寂しい限りである。


今日エンジェルスはまた負けた。
やはりいい投手が出てくるとオオタニサンも打てないね。

この雨といい、変なコースをとる台風といい、地球は滅びに向かって進んでいるがPさんやKさんは温暖化に関してどういう風に考えているのだろうね。

CC110で街をウッッチング。2023年08月03日 14時50分26秒

内々神社は、パンフレットに北の端の方に載っていた。
CC110のバッテリー充電がてら走った。
朝が少し早かったのと若干雲が多かったので暑くはなかった。
市の名所をマーキングしているが、今日は北へ走った。

もう直ぐ多治見市に入る所にその内々神社があった。
最初「うちうちじんじゃ」と呼んでいたが「うつつじんじゃ」らしい。
日本の文字は難しい。

内々神社は、「延喜式神名帳」にも記載されている由緒ある神社である。
日本武尊の伝説と深い関係があり、主祭神は尾張氏の祖建稲種命(たけいなだねのみこと)であり、これに日本武尊、宮簀姫命(みやずひめのみこと)を配しているらしい。昔から武将の尊崇が厚く、豊臣秀吉の朝鮮役にも戦勝を祈願して、この社頭から軍船用の帆柱を伐り出したといわれている。

また、篠木荘33ヶ村の総鎮守でもあり、神社と密接な関係にある妙見寺は、室町時代初期に天台宗密蔵院開山慈妙上人によって開創された。
権現造りの社殿は、江戸末期・名工立川一族により造られ、廻遊式林泉型の庭園は、夢窓国師作といわれている。


神社になじんでいるCC110。
並んで座っていたが、小鳥がたくさん来たがコンデジではピントが合わなかった。
残念。


鳥居。なんとなく堂々としている。



縁起を書いている。



立派な彫刻がある。


和歌山県の神社はコロナ以来このスズを外しているが愛知県はそのままである。
私はそのままの方がいいと思う。


夢窓国師作といわれる庭。
睡蓮が咲き鯉がたくさんいた。


普段食事をもらいなれているのか、縁にたつと鯉がたくさん寄ってきた。
ちょうどポシェットに柿の種があったので砕いてやった。
先を争い食べ合ったが柿の種はどこかにすぐ消えた。


渡り廊下がある。


神社の横に「北見妙見寺」がある。
CC110がさりげなく写っている。



ここは東海自然歩道でもある。


この辺りは古い宿場がたくさんある。
当時の町並みが残っていればと思うが、広くなった道はダンプが何台も通った。



今日は暑かった。2023年07月15日 20時35分32秒

今日は暑かった。
冷房が要った。
しかし冷房を全家庭が入れれば地球温暖化が進むような気がしてならない。
私が子供のころは冷房などなかった。
扇風機で事が足りたのだが、現代の世の中はそうでないようである。
しかし当時は私が子供のころは家を空けぱなしていた。
行水も外でやった。
おおらかだったのである。

写真は那智の火祭りである。
1983年の7月。
ここは毎年写真を撮りに行ったので写真は多い。








右に写っているのは私の友達である。
すでに鬼籍に入っているが、よく連れ立って写真を撮りに行った。
このころはまだ毛があった。



今日はオオタニサンが投げるというのでテレビを見たが、負けてしまった。
ヒットは打ったけれど失策がらみで点を取られてしまった。
エンゼルスは失策が多いね。
絶対ストライクと思って投じた一球がボールの判定。
審判ももっと勉強をしてほしいね。
ま、こういうこともありか。