引き続きいい天気。2025年04月08日 22時01分00秒

串本3日目も引き続きいい天気だった。

実はこの旅の目的は、墓仕舞いだった。
串本のお墓は綺麗な事で有名だったが、ここも例に漏れず過疎化の波を受け墓仕舞いが増えているという。
そういう私もそのひとりであるが、昔は賑わった墓地も閑散としていた。


墓石がすべて撤去され塩がまかれている。
もう先祖もここにいなくなった。



骨はここに埋められている。
般若心経が一面に書かれたお堂に収められている。
はじめは一文字一文字が子供達が書いたと思っていた。


よく見ると同級生の名前があった。
この納骨堂にたずさわった人達が書いたようである。


私が6年間通った小学校の裏門。
当然私の時分は木造だった。


串本では町長と町会議員の選挙が行われていた。
13日が投票日らしい。


町会議員立候補した人は知らない人ばかりだった。


駅にあるビルフィッシュトーナメントで釣れたカジキの模型。
泳いでいるときこんなのに出合ったらビックリするだろうね。


駅の待合室。
トルコの事がよく紹介されているが今こそアメリカとのつながりを強調すべきだと思う。
みどりの窓口がなくなりリモートで特急券を発行してくれた。
はじめは駅員さんが発行をしてくれると思ったが、大阪あたりで受付をしている感じである。
だから窓口はなくなり駅員さんもひとりである。


一時間近くまつ普通列車。
確かに近いうちにこの路線そのものの存続が危ぶまれる。


串本の街中を走ると昔小さい頃は広く感じた道もずいぶん狭く感じるようになった。
過疎が言われて久しいがこれを抜け出すいい手立てがないかいつも考える。
これは日本だけの問題ではない。
かと行っても世界ではまだまだ人口が増え続ている国もある。
むずかしい問題である。

帰りは揺れを避けてシンカンセンを使った。
費用もかかったがやはり快適だった。

雨のち曇り、そして晴れ2025年04月06日 20時12分29秒

朝は雨が降っていた。
こちらは電車ばかりなので余り濡れなかった。
名古屋駅に着いてビックリ。
あの広い名古屋駅が外国人で一杯。
駅員さんが「特急券をお持ちの方は駅員にお知らせ下さい」と大声で言っていた。
聞けば鈴鹿でF1グランプリがあるという。
それで外国人がそれもひいきのチームの帽子やTシャツを着ている。
臨時列車もだしたと言うがとてもひと電車でまかなえる人数ではなかった。
特急に乗ろうとしたら自由席は満員で乗れなかった。
駅員が一つ前の車両をガイドしてくれて兎に角乗った。
しかしそのまま1時間ほど通路に立ったまま。
鈴鹿サーキットのあるところに来ると乗っていた人がほとんど降りていった。
それからは座れた。
しかし線路が悪いのか揺れがひどかった。

ここは電化されていないので車両はハイブリッド車だった。
前の電光掲示板に電気の流れが表示されていた。
やはり下り坂になると回生電流が流れて充電をしている。
この路線は普通列車でゆっくり行くのがいいみたいである。

兎に角揺れた。


南に下るほど晴れてき終点近くではいい天気になってきた。
串本まで行くには、勝浦で1時間近く待たなければいけなかったが姪が迎えに来てくれていた。
その車に乗り込み串本まで向かった。
途中、昔住んでいたところなどを回ってもらった。


黒島の前を走ったが、その昔カヌーでここまで漕いだのを思い出していた。



食事までのあいだ近所を歩いた。
潮の匂いが懐かしかった。


尾鷲を過ぎる当たりから海が見え出すが太平洋を見るのは、1年以上なのでよかった。風も吹いていなかったのでカヌーには絶好だなと思いながら窓から見える海を眺めていた。

秋には違いないがまだ暑い。朝晩は寒いくらい涼しい。2024年10月12日 22時06分51秒

今日は本当に秋らしい一日だった。
朝晩は冷たいくらい涼しいが日中は暑いくらいだった。
暑いと行っても湿度が低いのですごしやすい。

写真は1973年10月12日のものである。


古座川の川口であるが今でも青のりを取っているのだろうか。


津波が来ればこんな防波堤はひとたまりもない。


古座はフカヒレが多い。


そして橋杭。


よく遊びに行ったところだが、今でもこうして天日に干しているのだろうか。



漬物用のだいこんをたくさん干している。この風景は今ではもうないかも。 


秋の空が広がっている。



各地で祭りが行われている。祭りの写真も多く撮っている。

今日はオオタニサンはホームランどころヒットも打てなかったがドジャースは勝った。
これでまた明後日からが楽しみである。

今日も一日暑かった。雨が降らないので余計暑い。2024年08月01日 21時14分05秒

もう今日から8月、あっという間の感じがする。
毎日暑い。
夕立が来ないから余計暑い。

写真は1975年から1977年の8月1日の「夏」を撮ったものである。


潮岬灯台のスナップ。
観光客も多い。


電車がすれ違ったが車窓には車掌が写った。
姫の駅かな。


ミニスカートで雑魚を釣っている。
勝浦漁港かな。


大きな木が流れ着いている。
橋杭岩の夜明けである。


今スプライトはあるのかな。
那智の海岸。


おじいさんが裸で仕事をしている。
色川かな。


用が終わった冷蔵庫。


おでん1串いくらだったのだろうか。
どこかわからない。

この暑さで傘をさしている男の人が多くなった。
そういえば昔の写真を見たらたくさん傘をさしカンカン帽をかむってるのが写真に映っている。
私もそれにならって傘を持とうかな。
そういえば熊野古道の檜の傘は捨てたが、こんな暑い日はあれもいいのではないか。
いずれにしろ暑い。

そうかと思えば大雨が降っている。
地球はどうなっていくのだろうね。

曇り、雨、雷の忙しい一日だった。2024年07月25日 22時14分52秒

30度を超す暑さで晴れていたが時折曇った。
そして昼からは暑いままで湿気が高くなり雲が厚く雷や稲妻がした。
どうしようもない天気。
新潟の方は大雨らしい。
ほんとどうなってしまうのか。

写真は串本町史から引っ張ってきた。
ボールペン画で書き直そうかなと思っている。
漁協風景でこの入れ物を「トロ箱」と言った。


沖の堤防ができたときらしいがまだ埋め立てはされていない。
浜がある。
今思うとこの浜を残しておけば良かったなと思う。
まだ国道42号線もない。


その浜から漁船の獲物を降ろしているところ。


今日は冷たかったが風はなかった。2024年03月21日 21時31分36秒

今日は冷たかったが風が吹かなかった。

写真は1973年の串本風景。
センモンカのいうように10mの津波が来れば一発であるが串本は大島という天然の防波堤がある。これは前に書いた。


今では背の高い建物が増え、様変わりしてきたが私の景色はこの頃で止まっている。


水原通訳のギャンブル依存症には参ったね。怖いね。

一日雨が降った。今日の雨は粒が大きかった。2024年02月21日 20時45分41秒

今日は一日雨が降った。
ジャケットが濡れた。

今古い写真を整理している。
まず串本の家。
これは大分後の年代である。私が子供の頃は塀の前の道がむき出しで、イトミミズがたくさいた。金魚などの餌にした。
たまに上流からご飯粒が流れてきた。
塀のひび割れは地震の時ときく。
串本の家はどの家も塀が高かったり頑丈だったりした。
波と風に負けないように作られていた。
今はこの土地も売ってしまい、4階建てビルに変わっている。


これは1967年出雲の村の写真である。
多分能登の村もこんな感じで海と山に囲まれているのではないかと思う。
大きな津波が来ればひとたまりもない。


船着き場でここでよくウナギを釣った。


魚市場でサンマ(串本ではサエラ)が捨てるほど大量に獲れている。
今は昔。



その魚市場の遠景。


チリ津波の時学校をサボって津波を見に行った。
沖の船が横たわるように腹を見せ、それからこの市場に津波が押し寄せた。

センモンカのいうように10mの津波が来れば串本の町などひとたまりもない。
私の家は2度も浸かっているらしい。
戦争中と南海地震であり、戦争中は軍部が隠した。
それから90年近い。いつ来てもおかしくない月日が過ぎている。
心しておくべきである。

一日雨が降った。2024年02月19日 19時56分07秒

今日は一日雨が降った。その分暖かだった。
昔新聞配達をしていたときこんな暖かい雨の日は嬉しかった。
とにかく暖かかった。
そんな雨の日に写真の整理をしていたらNTTのビルが建つ前の写真があった。
この荒れ地が今のNTTのビルになった。
向こうの道が国道42号線になった。
ビルが建つ前は昆虫や生き物の宝庫だったが今はビル。
右手に網を干していた「ナル」の写真がある。

沖合が左からミョウガジマとツヤジマで津波の際には天然の防波堤になることがよくわかる。東海沖からの津波はわからないが、原発があれば被害は必至。
あのとき原発を誘致しなくて正解だった。

私が育った串本の家は道を隔てた所にあり電話(2年待った)をつけるとき声かけるくらいに近かった。


今はNTTもほとんど人がなくなったが、地域の防災ビルになった。
NTTビルは頑丈にできているので安心である。

天気は良かったが寒かった。2024年01月12日 20時48分17秒

天気は良かったが手がかじかんだ。
血の流れが悪いのか手が冷たくなってくる。
手袋が離せなくなってきた。100均で買った手袋の指袋を三本ほど切って使っている。
今日はそれでも寒かった。
底冷えがした。

写真は1976年1月15日成人の日であるが、今はもう少し早く終わっている。
お的も撮っているのだがなかった。
その年に成人したものが弓を引く。




当時はずいぶんなニギワイだったので露天店もたくさんでた。


お的の後は餅まきがあった。


後ろの建物は名門串本高校である。私が三年間いた学校である。
試験中にここの神社に呪い釘を打つ人があってそれを見に来たことがある。
ふと見るとたくさん見物にきていた。



それにしても日本の政治家のみなさんはレベルが低いね。
派閥をなくすことが必要なのにASさんの一声で派閥を残したり。
茶番も甚だしい。
日本は潰れる。

朝晴れていたのに急に雨が降り風も強くなった。2023年11月28日 21時02分41秒

今日は朝からは暖かないい天気だったが一転にわかにかき曇り大雨が降ってき、それとともに風も出てきた。
日がさしたり雨空だったり忙しい日だった。

写真は1977年の11月の潮岬のスナップである。
もう一ついい写真ではないが潮岬を見るためにはいいかも。


多分壁に掛かるカッパがおもしろくカシャ!カシャ!。


これは紐が面白くカシャ!カシャ!


誰もいない土産売りが面白くカシャ!カシャ!


潮岬タワーの人がなく犬だけが遊んでいるのが面白くカシャ!カシャ!


段々雲が厚くなり沖行く船も波にもまれている。
自然の面白さにカシャ!カシャ!