いい加減に涼しくなってほしいね。 ― 2023年09月19日 20時26分23秒
もう9月も後半になるがこの暑さ。
今年の冬は反対に大寒・大雪になるのではないかと思ってしまう。
夕方少し涼しくなったかな。
日本の天候も四季ではなくて三季あるいは二季になってしまうかも。
生態系も狂ってしまいそうな長い夏になった。
俳句歳時記も当てはまりそうにない。
暑い。
写真は1978年9月の獅子舞の練習風景で、この日は天狗の役をする小学生も呼んで街の長老にその練習の成果と指摘を受けている。
その後は一杯をするのが習わしである。
私は屋台を担ぐしか能がないので見ているだけ。当時は喰ってのむだけ。
当時お年寄りは、うんちくとほかのものの生き様をいろいろコーチしてくれた。
いまでも心に残っている言葉がある。
そうした意味でも当時の寄り集まりは意義がある。
最近はこういう所が少なくなって来ているし集まらなくなってきているね。
司馬さんが各地の、若者ばかり集まった場所にこだわっていたが、こういう集会所が今、必要に思う。
朝気温が大分下がっているように感じる。 ― 2023年09月03日 21時37分48秒
えらいもので9月の声を聞くといっきに温度が下がってきた。
台風は来ているけどね。
今日はどこへもテクテクをしなかった。
夕日が毎日綺麗であるが、丸田川のように川面にその光を映さない。
それが少し残念である。
写真は1975年の串本のどこかの海岸である。
そういえばこのハコフグを内臓は食べなかったけど肉を食べたことがある。
かんてきで焼いて食べたが美味しかったのをおぼえている。
こうして棄てられてしまうと生きて繁殖できなくなる。
せめて食べてしまうのが本来だと思うけど、食品ロスは日本が半端ないと言うことである。スーパーやコンビニの期限切れを食べてまだ当たったことはない。
賞味期限がいかにいい加減なものか。
今日もオオタニサンは四球を2つ受けたけど試合は負けた。
本当どうなるやろね。
蒸し蒸し暑暑の一日だった。 ― 2023年08月18日 21時36分52秒
今日は蒸し蒸しした。
気温も上がったままであった。
写真は1980年8月串本のウインドウサーフィン大会の模様である。
次の年くらいに死亡者が出てイベントがなくなってしまったが、続ければ面白い大会になっていたと思う。
橋杭岩がすぐそこである。
選手が集まっている。
のどかな大会でもある。
さあ競技が始まる。
一斉に沖に行く。
優勝。
ニュースでウクライナ捕虜のことをやっていた。
ロシアの捕虜できちんと自分のことを言っていた。
本音の部分がたくさんあると思うがPさんはなんと言っているのかな。
幾分泥沼化してきているが、ゴルゴ13みたいな人がいる。
マイナンバーカードでワイワイしていては世界中から笑われる。
もっと真面目に国民を考えてほしいね。
じっくり考えればウクライナ情勢もPさんのこともマイナカードことも分かるだろう。
終戦記念日は台風だった。 ― 2023年08月15日 21時39分24秒
今日は終戦記念日である。
台風7号が来た。
紀伊半島を縦断し去ったが、毎年雨量予報が多くなっている。
また来年もどこかで過去最高の雨量になるだろう。
東海はこれから雨が強まるという。
さてどうなる。
写真は2005年の盆踊りのものだが、無量寺は街に一つしか寺がないので串本中が檀家である。
盆踊りで賑わう。
私が子供の頃は露天ももっと出ていたし人も多かった。
年々少なくなる。
そして2008年。
踊る人もぐっと減った。
露天も一台しかない。
寂しい限りである。
今日エンジェルスはまた負けた。
やはりいい投手が出てくるとオオタニサンも打てないね。
この雨といい、変なコースをとる台風といい、地球は滅びに向かって進んでいるがPさんやKさんは温暖化に関してどういう風に考えているのだろうね。
今日は一歩も外に出ず。暑さが恨めしい。 ― 2023年08月06日 20時10分14秒
今日は暑くなってきたのでテクテクをしなかった。
部屋の片付けやネットを少しいじった。
それと古いスライドの整理をした。
こう暑くては外へ出る気もしない。
写真は1974年8月の橋杭岩周辺スナップである。
写真的にはどうってことないが、橋杭周辺の変遷が分かるかな。
何やら売っているが何だろう。
バスも車もスイスイ。
それにしても最近の物価高はどうか。
値段が上がるか内容物が少なくなるか、いずれにしろ値上がっている。
46兆円あれば大体の福祉が形作られるが、防衛費らしい。
このごろKさんの言葉も空虚に聞こえるのは私だけだろうか。
僕たちの年代そう団塊の世代の8割は一戸建ての持ち家らしい。
その空き家が増えている。
今の政治家で5年10年20年、国民がどうすれば幸福になれるかを、真剣に考えている人が何人いるだろうか。
年金が破綻しようとしていて、若い人の夢や希望が持てないとよくいうが対応策が全然といっていいほど出てこない。
今は、国民をだましているけど、このまま行けば、そのうちどこかで破綻し国民も黙っていない気がするのだけれど・・・
今日も暑かった。 ― 2023年07月18日 21時17分43秒
今日もクラクラする暑さだった。
カブちゃんも乗ってあげられなかった。
エンジンはキックをするとかかったので少し涼しいとき乗ろう。
エンゼルスとヤンキースの試合。
またオオタニさんがホームランを打った。
試合もサヨナラ勝ち。
ま、こんな時もある。
写真は1975年の7月。
この時分から10月の祭りの練習をしていたのに驚く。
若い人が多い。
司馬遼太郎の「街道を行く・・古座街道」の若衆組を思い出した。
皆で太鼓や笛を練習したが、私は無芸なのでみるだけ。
ただし祭り当日重い屋台を下げなければいけない。
今思うと若い衆ばかり。
弊の舞の練習。
太鼓。
笛。
この当時の人々の名前が今でもいえる。
時々この青年会館に寄り闇鍋や8mm映写会などをやった。
今となっては懐かしい。
祭りも盛り上がった。
練習は10月の祭り本番まで続く。
今日もいい天気。 ― 2023年07月03日 21時37分31秒
比較的いい天気。夕方少しテクテク ― 2023年06月23日 21時01分27秒
カラっと晴れた日ではなかったが少しテクテクした。
腰の爆弾が悪くならないようにウォッチングを兼ね少し歩いた。
集団住宅と違い一戸建てのいい住宅が続いている。
鉄条網のはった異質な塀をしている一角があり何かとよく見ると航空自衛隊の敷地であった。
小さな公園があちこちにある。
鳥はあまりいない。ウグイスが鳴いていることはほかの鳥もいるのだが私の目の前には来てくれない。
公園も子供向けのものばかりだがそのうち年寄り向けのが要りそうである。
スズメだけが元気に飛び回っているが当然のことのように近くには来ない。
これもアルバムから剥がれ落ちたものであるが、中学生の折いちじカラスを飼っていた。いたずらばかりするので誰かにあげてしまった。
753の宮参りであるが串本の家の塀が写っている。
右手にはあみほしのためのナルが少し写っている。
この道を隔ててもう浜と海があったのである。
昨日カキコした海はこの右手である。
写真のキャンプションには、1955年1月1日と親父の字で丁寧に書かれていた。
次の4月は小学入学でまだ幼稚園の帽子をかぶっている。
今日は一日降ったりやんだり ― 2023年06月22日 21時38分14秒
朝テクテクに行こうとしたけれど雨が降りしきっていたのでパス。
一日歩かなかった。
昔の古い写真をまたデジタルに変えた。
経年でアルバムから剥がれ落ちたのである。
糊も経年ではがれやすくなる。
大半がはがれてしまったりビニールは黄色くなってしまっている。
写真はその中のもの。
これはまだ埋め立てされていないときで家の前がすぐ海だったので毎日こうして泳いでいた。
貝もたくさん獲れたのである。
写っているのは幼い頃のわたしである。
それから埋め立てされて漁業協同組合ができ沿岸漁業の一大基地になった。
魚が獲れすぎて捨てたり畑の肥やしにした時もあった。
この景色は今とそれほど変わりはないが、船が木造からグラスファイバーに変わっている。
今思うとなぜ木綿の網の時乾かせるためにナルの上に滑車で干していた写真を撮ってなかったのだろうと思う。
結構面白い写真が撮れたのにと思うがまだ小さかったのでそこまで気が回らなかった。
今日のオオタニサンはヒットもそれ程打たれていないのに味方が点を取れなくて負けてしまった。
でも三振を多くとった。
ま、こんな時もある。
5年ぶりの故郷串本 ― 2023年05月16日 22時14分37秒
朝からいい天気。
串本に走った。
コロナがあったので5年ぶりくらいに訪問したことになる。
海南から高速に乗った。
この道も久しぶりである。
道は結構混んでいたのと私がスピードを出さなかったので3時間ほどかかった。
ここは今は2時間台で走れる。
さすが紀州の海。
春の光に光っていた。
紀南のスズメ。
親戚は烏骨鶏を飼っている。
居間にも平気で上がってくる。
庭も闊歩する。
串本の町中を走ったがしまっているお店が多かった。
しまっているところは潮風にシャッターがさびてしまっている。
なんとなくわびしい。
無量寺。
ここに大きなソテツの木があり、私が小さい頃は幼稚園だったが、そのどれもない。
木などはかなり大きくなっている。
日帰りだったので細かに見て回れなかったが、これで高速(自動車道路)が来ると串本に人が寄ってこなくなるのが心配である。
私的には聖域で10年くらい人を来なくさせるようにすればいい。
今、観光客が何もなくても古い街に集まっている現実を見れば、我が串本の埋め立ては必要なかったのではないかと思う。
子供のころあった白砂の浜辺があれば、白浜と同じように人が来ていたのにと、いつも思う。
最近のコメント