今日は冬に舞い戻った感じの一日だった。 ― 2022年04月01日 21時13分40秒
今日は風も強かったし気温も低かった。
年度が替わってすぐの日に軽井沢では雪が降ったとか。
訳がわからない。
今日は親戚のうちの墓参りに行ってきたが堺なので広くてどこに墓石があるかわからなかったが親切なシルバー人材のおじさんが一緒に探してくれた。
木の名前でエリアを区切っていたが初めての者にとっては番号の方がよくわかる。
このノラちゃんが悪さをする。近所のおばさんも無視している。
ノラちゃんはないてアピールするが誰も相手にしてくれない。
2羽いるが手前のが羽根がやや青く、向こうは茶色が多い。
これで個体を見分けられるかな。
庭のふきのとうだがもう花が開いて食べるには大きくなりすぎたかな。
バッタ君がゴソゴソしていた。
まだ青いオオテマリ。
よく見るともういっちょ前に花の格好をしている。
今年はチュの飛来が少ない。こうして野草を育てているのだけどね。
チューリップはまだ2本だけが咲いている。
ナメクジは白菜の方が好きらしくキャベツは全然被害を受けないが白菜はボロボロである。
堺市公園墓地にて。
ここでもクロノラちゃんがひなたぼっこをしていた。
そばを通っても逃げなかった。
カメムシブーン。飛んできて歩いている。
世界のマスコミも何もかもがウクライナのことばかりだが、ミャンマー等はどうなったのかアフリカの紛争地帯の人々はどうなったのか、さっぱりわからないでいる。
世界はこのままでいいのだろうか。
コロナ感染は、和歌山はきょうは232人だった。
東京は7982人、大阪は3670人、滋賀が303人、京都が987人、愛知2690人、北海道2033人、沖縄1125人だった。
全国では49266人だった。沖縄と北海道がジワと増えてなかなか減らないね。
なんとなく第7波が来そうな気がする。
またワクチンをうたなけらばいけない気がする。
今日は冬至 ― 2021年12月22日 19時57分37秒
寒い毎日が続いている。
今朝は4度くらいだったが、風が強く吹き体感気温が寒く歩きにも行かなかった。
コーヒーの用意もしたが吹きさらしの所ではあまり飲む気がしなかった。
だって今日は冬至だもんね。
寒いはずだ。
行く水のゆくにまかせて冬至かな・・・・鳳朗
などの句がある。
今日もクロネコが宅配便荷物を置いていった。
熊手で土を掘ると出てきた。
何か対策を打たないと毎日だとたまったものではない。
今朝もハト君とスズメ君が松本食堂に来てくれた。
ミカンも用意しているのだが誰も食べてくれない。
そういえばポルトガルに行ってもう4年経つ。あっという間だね。
ここ2,3年は入院やらコロナでどこへも行けなかった。
ポルトガル旅行はちょうど今頃だったのでちょっとずつ写真を載せていこう。
アルファマ地区を少し歩いたところ。
今日はニャンコを持ってきた。
この国はヨーロッパでも珍しく外に洗濯物を干している。
和歌山はきょうもゼロだった。
東京は40人、大阪24人、北海道29人、沖縄6人だった。
全国では262人だった。
やはり少し増えてきている。オミクロン株が大阪で市中感染してる。
感染した人はワクチンを2回とも打ったそうである。
気をつけなければいけないね。
奈良の広陵町、上牧町、河合町に行ってきた。 ― 2021年11月07日 21時14分31秒
今日も天気が良かった。
奈良もとうとう感染者がゼロとなった。
というわけで昼前に奈良に走った。
NHKで放映していた広陵町、上牧町、河合町へ走ることにした。
それぞれの街が特徴あり、面白そうだったので行ってみた。
はじめに広陵町の役場についてパンフレットなどないか見たが全くなく、次の上牧町に向かったが結局河合町の馬見丘陵公園に入った。
河合町には、国指定史跡4件11基を含めた60基もの古墳がある。
それら史跡からの出土品、日本書紀に国家祭祀を行っていたと明記されている廣瀬大社がある。
廣瀬大社は奈良検定を受けるのに見ておこうと参詣したことがあるが、河合町だったとは知らなかった。廣瀬大社の砂かけ祭りは見てみたい祭りである。
馬見丘陵公園の事務所には古墳から出土したものや古墳の種類などを説明したものが展示されていた。結構気合いの入った展示をしていた。
公園の中は大勢の人が思い思いに散策していたがなかなかいいところだった。
実はナガレ山古墳を以前から見たかった。というのも古墳の周りの土器も復元しているというのを以前からテレビなどで見ていたので実際はどうだろうか、と思っていた。
それが馬見丘陵公園にあった。
古墳の周りをぐるりと整然と並べられている。
貴志川にもこういう公園が欲しいね。
もっと昔は遙か向こうまで見渡せただろう。今は公園の木が伸びて見通せなくなっている。
なぜこのドームにしたのか解せないが、展示は良かった。
シジュウカラの雌。たくさんいた。巣作りをしているのかもしれない。木の皮を剥いでいた。
コロナ感染は、今日も和歌山はゼロだった。これで5日連続ゼロである。いいね。
東京は21人、大阪39人、北海道10人、沖縄4人で、全国は162人だった。これで全国ベースででも200人を切った。ちなみに今日行った奈良は4人だった。このまま終息してほしいね。
大台ヶ原登山 ― 2021年05月28日 22時14分05秒
今朝も少し寒かった。
足首痛と腰痛が少しあり、そのリハビリにと山登りに行くことにした。
山の花のシロヤシオ(ゴヨウツツジ)などの開花もちらほらでそれを見に行くのもあった。最初行者還を考えたが昨日の雨で危険かなと思い大台ヶ原にした。
8時に家を出てついたのは11時40分頃だった。
12時に歩き出し、尾鷲辻に13時についた。
そこで昼ご飯をしようと思ったが爆睡している男性がいたのでやめ、歩を進めた。
日出ヶ岳に行くまでの正木が原途中で倒木に腰掛け食べた。
日出ヶ岳には15時に着いた。
コーヒーなどを飲み、そこを16時に出発。
16時50分頃に駐車場に到着した。
おかげで足首と腰痛は治った。
ウンドー不足だったのかもしれない。
大台ヶ原は今まで何度も登っているが、入院やコロナやらでだいぶブランクがあり、久しぶりだったが、ちょうどいい山登りかもしれない。
今日出くわしたのはお猿さんとシカ、そしてウグイスだった。
今日は金曜日で人出も少なく,鳥撮り用にいいレンズを持った人が大勢いいた。
普通に歩いている人は少なかった。明日もいい天気なので人出も多くなるだろう。
道の途中で出くわしたお猿さん。どうも子連れだったみたいである。
猿君のウンチかな。ハエがビックリするぐらいたかっていたのでカシャ!
木の上で鳴いていたウグイス君。コンデジで一杯一杯。いつも使っているニコンがほしかった。
顔を覗かせこちらを見ているシカ君。
花はまだつぼみで6月に入れば一斉に咲き出すだろう。
シャクナゲもキレイだった。
向こうの大峰山系。
夕暮れが迫っていた。これはすでに吉野に入っている。
はっきりしない一日。2年ぶりの奥明日香 ― 2020年09月24日 21時34分54秒
今朝はすっきりしない天気だった。
玄関までの階段がすこし濡れていた。早朝に雨が降ったのかもしれない。
今日は昼過ぎから明日香村の奥飛鳥の稲淵へ彼岸花を見に行った。
今年はコロナで例年通りの盛大な祭りは中止とネットで見たが、逆に人もいなくていいだろうと走った。
まず「気都和既神社」を見た。
645年の大化の改新に由来のある神社だとか、それらしく古色蒼然としていた。
周囲は木々が生い茂り薄暗くいろんな昆虫や動物がいた。
メスカブトムシが卵を産み終わったのか弱々しく動き回っていた。
稲淵の案山子ロードには例年のような派手さはないが、今年も何体かの案山子があった。
白や黄色の彼岸花もあった。これも例年通りであるが、今年はイノシシよけに電線が張り巡らされていた。
トラップもあり、かなりイノシシには悩まされているようであった。
今年はやはりコロナに関する案山子が多く、メインの案山子は志村さんのバカ殿様であった。
もう卵は産み終わったのだろうか。弱々しく動き回るメスカブトムシ君
何か考えてるようなカエル君。
赤とんぼと彼岸花。
白い彼岸花。
まだ稲は刈っていない。
アマビエの案山子もあった。美人な看護師さん。
コロナウィルス
テレビ電話で里帰り。芸が細かい。
かわいい案山子。
どうしてコロナごときに負けたのだろう。やっぱりたばこが悪かったのかなー。
志村さんの大きな案山子があった。
久しぶりの法隆寺 ― 2020年02月24日 22時37分43秒
昨日NHKの番組で法隆寺のことをやっていた。
いきたがりは法隆寺に行きたくなり、昼前に家を出た。
法隆寺はいつも通り堂々としていた。
境内をウロウロ見ていると、法隆寺の職員さんらしい人が、
「NHKでテレビ放映すると人がやってくる。凄い影響力です」
といいながらいろいろ説明してくれた。
実は法隆寺に来たかったわけは、番組中で金堂の扉の格子は継いだものではなく一本の木を切り抜いて作っているといっていたのでそれを見たかった。
なるほど格子に継ぎ目はなかった。
金堂の屋根を指さして、
「あの屋根の途中で瓦が何枚か重ねて並んでいるのが見えますが、なぜかわかりますか?」
と問われた。
「いえわかりません」
「あれは上の屋根からの雨だれを直接下たの屋根に落ちないように工夫されているのです」
なるほど。
「もうひとつ、五重の塔の水煙に鎌が4本あるのをご存じですか?」
「いいえ」
「あれは法隆寺の不思議の一つでなぜ鎌なのかわかりませんが4本あります」
そういえば鎌らしきものが見える。
久しぶりに百済観音も見たが、明日から東京での展示のために運び出すということで、今日はラッキーだったのである。
コロナウィルスの影響かいつになく人が少なかった。
久しぶりの法隆寺だったがゆっくりと落ち着いてみることができた。
今日は奈良 ― 2020年01月03日 22時19分01秒
正月3日目は草津で目が覚めた。
昨夜急きょネットで検索したところ一部屋だけ開いていた。
年末に捜したところ空きがなかったのだが、キャンセルが出て空いたのかもしれない。
何とか泊まれることができ、昨夜走ってきたのである。
しかし草津にはあまり見たいところがなかったので奈良まで走ることにした。
10時に草津を出たが、奈良の入口には11時だった。
そこから奈良公園に行くのに1時間以上かかってしまった。
車がやたら多く、どの駐車場も満車であった。
こちらは市内の駐車場ではなく春日山のふもとに置こうとしたが、そこまでなかなか行くことができなかった。
とにかく車が多く大渋滞であった。
やっと車をとめたときはすでに昼を過ぎていた。
車の中で軽く食事を済ませ、新薬師寺に向かった。
新薬師寺の12神将を見たかった。
新薬師寺を出た後写真美術館に行ったが休館だった。
春日大社に一時は向かったが、志賀直哉旧居を過ぎたあたりから引き返した。
車のところに行くまでに白毫寺に参拝した。
椿は終わっており、早くも桜が咲いていた。
境内から奈良の町がよく見渡せた。
昨日は15000歩を超え、今日は11000歩を超えていた。
寺の宝物殿を見学し、靴を履くときも足が思うように動かなくなっていた。
とにかく2020年の正月3日間は、寺めぐりの感じであった。
そういえばゴーン被告がレバノンに行っているとか。
こういうことが許されるのだろうか?
また世界の国からバカにされそうなことが起こった感じがする。
007のような脱出劇である。
ひょっとしてゴルゴ13の出番かもしれない。
世界のマスコミはどういう目でこれを見、どういう報道をするだろうか。
新薬師寺の庫裡では12神将のうちバサラ大将をCGで色の復元する様子をビデオで流していた。なかなか面白かった。
奈良でも人力車がよく走っていた。
ちょうど志賀直哉旧居の前を通りかかったが、やたら難しい志賀直哉論を語りながら引いていた。
すれ違い。
すこし元気のない鹿が一匹。うろうろしていた。
白毫寺はやはり花の寺で、いくつかの椿は花が残っていた。
桜が咲いていた。
青島広志「五つ星クラシック」 ― 2019年12月08日 21時16分48秒
今日は昼前から会社ら万葉ホールであった青島広志の「五つ星クラシック」を聞きに行ってきた。
ホールに着いたがまだ開場前だった。
黒い背広を着た男性が10人ほど扉の中で立っていて女性が二人当日券の販売をしていた。
男性たちは、なんか盛り上がらない感じで立っていたが、見に来た人も少なかった。
いままで青島広志さんのコンサートは人がいっぱいだが、ここは違った。
開場後ホールに入ったが、900人くらい入るホールに、人はまばらで見た感じ200人くらいだった。
青島さんも少し怒ったように、トークを始めたが、この人の集まりの悪さは何だろうと思ったが、やはり取り組みの弱さではないかと思う。
市の職員らしい10人ほどのスタッフに、イベントをして皆さんに聞きに来てもらっているという意気込みが全然見られなかった。
それに腹を立てたのかどうかわからないが、職員らしき人が二人立っていたのを座らせた。
「立たれると演奏家はすごく気になりますので座ってください」
と言われてもなかなか座らなかった。
このあたりは公務員っぽい。
職員が楽しんでなく義務的にイベントを監視している感じだった。
最後に青島さんは、
「これだけに入場者だったら、足が出て大変でしょう」
と言っていたが、まさにその通りで市が主催するとこうなるという見本のような演奏会だった。
演奏そのものは、最小限の楽器で、普通のオーケストラの三分の一くらいの少人数だったが、音がよくフルメンバーにも劣らない、いい演奏だった。
青島さんも一生懸命クラシックの作曲家の裏話や歴史などをわかりやすく話してくれた。
演奏や話の内容がよかっただけに、聴衆の盛り上がりにかけたことが残念だった。
ホールに着いたがまだ開場前だった。
黒い背広を着た男性が10人ほど扉の中で立っていて女性が二人当日券の販売をしていた。
男性たちは、なんか盛り上がらない感じで立っていたが、見に来た人も少なかった。
いままで青島広志さんのコンサートは人がいっぱいだが、ここは違った。
開場後ホールに入ったが、900人くらい入るホールに、人はまばらで見た感じ200人くらいだった。
青島さんも少し怒ったように、トークを始めたが、この人の集まりの悪さは何だろうと思ったが、やはり取り組みの弱さではないかと思う。
市の職員らしい10人ほどのスタッフに、イベントをして皆さんに聞きに来てもらっているという意気込みが全然見られなかった。
それに腹を立てたのかどうかわからないが、職員らしき人が二人立っていたのを座らせた。
「立たれると演奏家はすごく気になりますので座ってください」
と言われてもなかなか座らなかった。
このあたりは公務員っぽい。
職員が楽しんでなく義務的にイベントを監視している感じだった。
最後に青島さんは、
「これだけに入場者だったら、足が出て大変でしょう」
と言っていたが、まさにその通りで市が主催するとこうなるという見本のような演奏会だった。
演奏そのものは、最小限の楽器で、普通のオーケストラの三分の一くらいの少人数だったが、音がよくフルメンバーにも劣らない、いい演奏だった。
青島さんも一生懸命クラシックの作曲家の裏話や歴史などをわかりやすく話してくれた。
演奏や話の内容がよかっただけに、聴衆の盛り上がりにかけたことが残念だった。
平城宮東方官衙地区発掘現地説明会 ― 2019年09月29日 22時09分47秒
今日は久しぶりに奈良平城宮の発掘現場での現場説明会にいった。
平城宮東方官衙地区の発掘調査現場で、たくさんの人が現場を見ていた。
奈良時代の基壇建物で東西29m、南北17mと広い平城宮の建物の中でもトップクラスの大型建物ということである。
出土品から平城宮の中でも格式の高い役所跡だと推定している。
久しぶりの現場説明会だったが、埋もれた中から遺構を見つけ出すのは大変な作業である。
もう9月だのに夏空だった。
朱雀門ではモデル撮影会をしていた。
昔はよくやった。
一次大極殿を建設していた。
完成にはまだかなりかかりそうである。
発掘現場。
こんな建物の基壇ということであった。
出土品。
ススキと朱雀門。マンヨウの気配が漂う。実際はここはメインストリートなのでススキなどはえていなかっただろうが。
家のコルチカムがめちゃ伸びてきた。
水も何もやらないままこれだけ伸びてきた。
奈良県川上村金剛寺 ― 2019年03月17日 21時34分29秒
毎日新聞のコラムで「風景を歩く」というのがあって、行ったこともないような寺社仏閣や地域を紹介している。
今週は川上村の金剛寺というお寺だった。
今週は川上村の金剛寺というお寺だった。
後南朝ゆかりの寺ということもあり、雨模様だったが出かけた。
大滝ダムを左手に見ながら国道169号線を南下し道の駅を少し走ったところにあると思って走ると、道の駅からすぐの高原トンネルが工事中か何かで大滝ダムの対岸の道に迂回させられた。
ダムを右に見ながらの、迂回道路は狭いので片側通行であった。
大きく迂回して再び169号線に入り5キロほど走ったところで左折し、橋を渡ると神之谷(こうのたに)という集落に入る。
細い人気のない山道をしばらく走ると、分かれ道に寺の名前を書いた古びた案内表示があり、表示通り道を下ると、目指すお寺はあった。
ダムを右に見ながらの、迂回道路は狭いので片側通行であった。
大きく迂回して再び169号線に入り5キロほど走ったところで左折し、橋を渡ると神之谷(こうのたに)という集落に入る。
細い人気のない山道をしばらく走ると、分かれ道に寺の名前を書いた古びた案内表示があり、表示通り道を下ると、目指すお寺はあった。
きれいな集会所があり、その上に金剛寺の鐘楼があった。
それほど高くない階段があるがその左手にある木の大きさにびっくりした。
樹齢何年くらいだろう。知識がないので何という木かもわからないが、とにかく長い年月ここに立っていることがわかる。
それほど高くない階段があるがその左手にある木の大きさにびっくりした。
樹齢何年くらいだろう。知識がないので何という木かもわからないが、とにかく長い年月ここに立っていることがわかる。
金剛寺はそれほど大きな寺ではないが、きれいに手入れが行き届き、地元の人々が大事に守っているのがよくわかった。
自天王、忠義王の両宮を祭神として金剛寺の境内に祠がある。
建武の新政後、北朝と南朝という2つの朝廷が存在する南北朝時代があり、室町幕府3代将軍足利義満の時代に、南北朝合一が行われたが南朝の後亀山天皇の時に南北朝合一がなされたが、和解条件に南北朝が交代で天皇を立てるという約束があった。しかし北朝はその約束を守らなかった。
そこで後亀山天皇の皇子・小倉宮は吉野に戻り、南朝復活の思いは後南朝としてその子・尊義王や孫へと受け継がれる。
尊義王が亡くなった後、子の自天王と忠義王は南朝方の忠臣や村人に守られながら暮らしていた。
しかし1457年に赤松家一族により両方の御所が襲われ、若い二人の皇子はあえない最期を遂げたという。
建武の新政後、北朝と南朝という2つの朝廷が存在する南北朝時代があり、室町幕府3代将軍足利義満の時代に、南北朝合一が行われたが南朝の後亀山天皇の時に南北朝合一がなされたが、和解条件に南北朝が交代で天皇を立てるという約束があった。しかし北朝はその約束を守らなかった。
そこで後亀山天皇の皇子・小倉宮は吉野に戻り、南朝復活の思いは後南朝としてその子・尊義王や孫へと受け継がれる。
尊義王が亡くなった後、子の自天王と忠義王は南朝方の忠臣や村人に守られながら暮らしていた。
しかし1457年に赤松家一族により両方の御所が襲われ、若い二人の皇子はあえない最期を遂げたという。
金剛寺の境内には宝物庫があり、自天王が着用していた鎧や兜が保管されている。
その宝物庫には菊のご紋があった
国の重要文化財であるそれらの遺品を見ることができるのが2 月5日の自天王をしのんで行われる朝拝式の時という。
国の重要文化財であるそれらの遺品を見ることができるのが2 月5日の自天王をしのんで行われる朝拝式の時という。
南北朝から後南朝時代の歴史はややこしいのでよくわからない。
寺を見終わり車についた頃、あられが降ってきて、いつしか雨に変わり、山を下って国道に出た頃に大雨になった。
五条の京奈和道路に乗った頃は、夕日が差し込んだ。
変な天気だった。
五条の京奈和道路に乗った頃は、夕日が差し込んだ。
変な天気だった。
巨樹。
妙な空模様。
巨樹の根元のうろにある。
この写真の右にある大峰山、高野山50度登山記念というのは凄い。
天邪鬼かな?
境内の小さな祠にあった仏像群。
お地蔵さん。
そして境内左手に宮内庁管理の自天王の陵がある。
神社と菊のご紋のある宝物庫
石段に咲いていたスミレ。
今日は久しぶりにニコンを下げていった。
少し重いが撮っているという感じになる。
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