今日一日いい天気だった。2024年02月24日 19時54分16秒

今朝少し危なそうな天気だったが次第にいい天気になり、気温も上がってきた。
一時のように刺すような寒さが緩んできたがまた寒くなると言う。
寒さはもういい。

その昔、中学生の頃「少年サンデー」と「少年マガジン」という二つの子供向け週刊誌があった。今の新潮と文春のような感じだった。
今のようにマンガばかりではなく、見応えのある読み物も結構あり、面白い本であった。
その中の記事でそのうち原子力自動車ができるという風なことが記事にあった。
当時は何も分からずそんな時代が来れば嬉しいな、位の望みしかなかった。
折しも鉄腕アトムの時代だったのでその幻想は果てしなかった。
しかし放射能廃棄物が半減期が10万年と言うことを知っていれば、そんなことが夢物語だというにとどまったはずである。
その夢みたいな事を政府をあげてしようとしている。
懲りない人々がまた自然を壊しにかかっている。
10万年と言えばとてつも長く人類がいるかどうかもわからない。今のままでは人類が絶えるまでビクビクしなければならないのである。
そういえば原子力空母や潜水艦の耐用年数がきたときはどうするのだろうか?
今そんな心配をしている。



当時は戦闘機や軍艦に興味がありプラモデルをたくさん作ったり軍艦の絵をノートに書いたりした。

サンデーもマガジンも今みたいにマンガマンガではなく結構堅い読み物もあり、面白かったのを思いだした。
本を手にすることによりワクワクしたものである。
今のマンガが悪いというのではないが、当時の「紫電改の鷹」等は次号が楽しみであった。


今戦争ばかり、R国もI国もそんなことをしている時ではないけどね。
ちょっとばかり株価が上がったといって手をたたいて喜んでいるが、何か単純に喜べない。

我が国の世界的な足元がきっちりしないので喜べない。

今日も暖かい一日。今にも降りそうだったけど。2024年02月18日 19時32分48秒

今日は今にも雨が降りそうだったが降らず、暖かかった。
手袋が要らなかった。

写真は1980年2月の和歌山は浜の宮の海岸。
この頃はハマグリがいくらでも捕れた。
海苔を養殖していてそれ用の竹がたくさん立っていた。





前の杭一本ずつカモメがとまっているのが面白かった。
時折沖合を大型船が通り過ぎた。











ひとはこの頃から何かをなくしていったね。
今はなくし物に気がついても遅い。
そうならないためにも一生懸命になっているひともいるけどね。
Kさんがまたぞろ原発を作ると言い出しているけれど、10万年も人をおびえさせるのを作らせてはいけない。
地震大国日本に原発などもってのほかである。
あの人は余り民衆の事など気にかけていないね。

やはり日本は潰れる。

今日は曇っていたが暖かだった。2024年02月17日 20時20分49秒

今日は一日曇っていたが手袋が要らないくらいに暖かかった。
それにしても温暖化なのか暖かい日が続く。

写真は1980年2月17日本宮である。
最近はこうした風景も少なくなった。
ほとんどのおかーさんが前に子供を抱くようになった。
まして綿入れを着たのは見たことがない。


後ろに雪が積もっている。
本宮は雪が多かった。
この頃は寒い日が続いた。
でもこの冬も長期予報ではまた寒くなるとか。
しかし暖かかったり寒かったり一定しないね。

風が強く吹いたがポカポカ陽気。2024年02月16日 20時24分23秒

今日は風が時折強く吹いたが概ね一日中いい陽気だった。
大方が温暖化のせいと言っている。
春が早く来そうな感じである。
この陽気で家の角にある草花も模様替えをしている。





特に何もない風景だが、自転車が三台、ハンドルをおなじ向きに並べておいているのが面白くてカシャ!。この家の自転車の遊び方をいろいろ想像する。

悪い子は登ってもいいのだ。子供のころこういう所でよく遊んだのを想い出す。
今の子は何でも制限されてしまっていてかわいそうである。


今日は、メジロ、ヤマガラ、シジュウカラ、ヒヨ等鳥をたくさん見た。
鳥もいるところにはいる。
少し離れた団地の植え込みの山茶花にいろいろ集まっていた。


ツグミがあちこち飛び回っていた。


休憩に立ち寄った公園。あわよくば鳥さんが来ないか少し待ったが来なかった。


今日はAPS-Cのカメラを持ち出した。
ボーエンを持ったので結構な重さになった。
大きいカメラはよく写るが重いしかさばる。

今日は暖かかった。2024年02月13日 19時22分41秒

今日は本格的に暖かかった。
冬にこんな日もある。
手袋をして歩いたけどね。その手袋を忘れてきたがおなじ座ったところにあった。

嬉しかったのはシジュウカラが近くに来たことである。
写真としてはイマイチだが、鳴き声が近くでしたので待っていたら、来た。


手袋を外して写真を撮ったが、その手袋を忘れてきたのである。
そのとき話をしていた高校生がまだ同じ姿勢で話をしていた。


近くの公園の木。
ムクドリがたくさん行き来していた。


夕陽に光っている。


今日も暖かかった。それでも手がかじかんだ。2024年02月10日 20時42分11秒

今日も比較的暖かかったがテクテクの前は手が冷たかった。
大分歩いてからそのかじかみは消えた、がそれでも冬の感じだった。
町をゆく人も寒そうであった。


今日のテクテクはひさしぶりに水路のそばを歩いたがその水路にカルガモが何匹か。
二羽ずつペアで動き回っていたが水路の真ん中に少し休憩できるスペースがあり、いつもそこで羽を休めている。
水路で目につくだけでも10羽ほどいる。
写真撮影しようにもちょうどの高さまで、網を張っているため撮れない。
撮るために工夫が要る。


プリンターがまた鳴きだした。
紙つまりなのは分かっているがビスがほとんど使われていないため分解して紙を取り除く事ができない。
もう10年以上前の機種なので部品もなくインクも高いため、思い切って取り替えることにした。

今日は天気は良かったが底冷えがした。2024年02月07日 20時18分34秒

今日は天気が良かったがテクテクの手指が痛いほどに冷えた。
図書館まで歩いたが坂道が多いので幾分ぬくもってきた。
それでもそれほど歩いていない。
丸田川往復6000歩位だが、こちらに来て6000歩歩こうとすると、気分的に結構歩かなければいけない。
丸田川は毎日変化に富んでいたがこちらは団地ばかりである。
その違いか。
川淵にでれば変化があるのだろうけど少し遠い。悩むところである。


今日も夕焼けが綺麗であった。


以前からカキコしているがこの一角にホームレスが一人いる。
先日何やら説得していたが今日見ると看板があった。
当の女性は弁当を食べていた。
この寒さの中で寝るのは至難の業である。
しかしお店は居座られるので、たまったものではないだろう。


今の政治家は失言をしても「・・撤回します」で済ませている。
ビジネスの世界では撤回しても済まない。
Aさんがある女性大臣をけなしたり褒めたり、あげくに「・・撤回します」
帽子を見ると映画「ゴッドファーザー」を思い出すが、それもマシンガンで殺されるマフィアがお似合いである。

ああ、日本丸はどこへ行く。沈没する以外ないのかな。

今日は天気が良く暖かい一日。2024年01月30日 19時43分38秒

今日も冬とは思えない天気だった。
近くの道。登り坂になっている。結構長くて時間と体力が要る。
こんな道ばかり。


ニャンコが団地の道を警戒しながら歩いていた。
この白黒ニャンコどこへ行ったのだろうかと思っていたら近くにいた。


夕暮れが綺麗。
雲は冬の雲。


自衛隊機が2機飛んできた。


万博は本当にやるのだろうか?
震災もあったし人手もないし、取りやめにできないなら延ばせばいいけどそれもできない。国の借金が膨らむばかりだ。
そこへ持ってきて国全体の力が落ちている。
Aさんの罪は大きい。

日本は滅びる。

朝から雪。寒かった。2024年01月24日 20時11分44秒

こちらへ来て2回目の大雪になった。
ここ春日井も大分降った。
貴志川なら高野山に走ったところだが、今度の車は2駆でノーマルタイヤで自粛。
雪を見ると単純にワクワクする。
前の小学校の子供達も雪で遊んでいた。いいなー。

能登地方の人は大変だね。
どこが、いつ、大変な事になるか分からないので、備えだけはと思っている。

今日の雪である。


どの車も白くなっている。


気温は氷点下だった。温度計はマイナス2度だった。


前の小学校も雪景色。


校庭では子供達が遊んでいる。


タフト君も雪をかぶってしまった。


帰りの車が轍の跡を残して走る。


駐車場から出たのが良くわかる。


今朝はベランダのなかまで雪がきた。


エレベーターの前まで雪がきた。すべるのではないかとおっかなびっくり。


カブちゃんのバッテリを外して充電した。寒い中を外したが、これでこの冬はここでバッテリの保管をしよう。


朝から昼まで雨が降ったが昼から少し雲が晴れてきた。2024年01月21日 18時45分50秒

元旦に地震が起こって既に20日以上経ったが、復興は進まない。
夕方少しテクテクをしたが雲はあついが夕陽は綺麗だった。


J党がドタバタしていて地震どころではないのかも知れないが、やるべき事がたくさんあるはずだが手をつけてない。

今回の地震が神戸のそれとよく似ているので昔の写真を見てみた。
会社として派遣され災害復旧をした。
合間に写真を撮った。
そのときと能登の地震がよく似ている。


これは置き去りにされたニャンコ。


2階の下敷きになった乗用車、仰向けになった軽四。



そしてほとんど1階が潰れている町並み。





このことからも分かるように1階は危ない。
2階建ての家は2階に逃げる方がいい。
しかしこの時バブルの終わりの時期だったのでほとんどの家が普請が悪かった。
それで潰れる家も多かった。
和歌山も耐震構造にしているおうちが少なく、地震が起こればこうした潰れ方をするおうちが多いと思う。
気をつけなくてはいけない。

それにしてもJ党の議員さんがたの自己中な動きには腹が立つ。
こうした地震の事をそっちのけで自身の保身に躍起である。

やはり日本は潰れる。