どことなく春めいてきた。まだ寒いが。2026年02月11日 21時56分51秒

なんとなく春めいてきた。
春の近さを感じるがまだ朝晩は寒い。
写真は1973年2月11日のものである。
この日は大島のカイ伝馬競争があり、写真を撮りに毎年仲間といった。





どこのカメラ屋が呼んだのか田舎の祭りには余り似つかわしくないモデルさんがいろんなポーズをしてくれた。



傘は要らなかった。空の重い一日。2025年10月10日 10時02分47秒

今日は雨が降りそうで降らなかった。
今日はボールペン例会であった。
オオタニサンの試合があったのでスマホで見ていた。
意外な幕切れであったがドシャースはとにかく地区優勝をした。

クリニックが近かったので痛み止めをもらおうと夕方の部の診察開始まで待っていた。
その間22年生まれの方が色々話を仕掛けてきた。
ふたりで「昔はよかった」という結論になった。
4時半が午後の部なので他にも色々話をして別れた。

写真は1973年10月10日のものである。








しかしTさんの組閣を見てあのマフィアを気取っている老害が再びよみがえった。
これではK党もいやになるだろう。
ま、政治の世界はわからないことだらけだけどTさんの手腕を女性ということで楽しみにしていたけど、組閣を見てこれはこれはと思った。
Tさんはにっこりしなくてもいいところでしなを作る。
とにかくこれでは前のIさんの方がよかった。

まだ暑い一日だった。2025年09月18日 18時27分58秒

まだ暑い一日だった。
バスであちこちした。
最近のヘッドフォンは音漏れしない。
バスでは車内放送で「隣の方の迷惑に・・・」と言っているが昔のようにシャカシャカと音漏れしなくなった。
ヘッドフォンも進化しているのだ
私がしていると補聴器と思われるが。

写真は昨日書いた中村カメラマンといった川湯の一コマである。
中村カメラマン朝日ソノラマでは縦位置でのせていたけどね。


私も何枚か撮ったがその一枚。
もうこんなおおらかな川湯温泉は見ることができない。

もう秋だというのに暑い日が続く。2025年09月17日 17時53分56秒

昨日も書いたがもう秋だというの日中はクーラーがいる。
しかしさすがに夜には少し気温が下がる。

写真は1974年9月のものである。






この日私はオリンパスの中村カメラマン(プロ)を案内して熊野をあちこちした。
中村カメラマンは朝日ソノラマにこの時撮った写真をいくつか載せた。
それから3年後くらいに病気になりなくなってしまった。
残念である。
夕飯は新宮の居酒屋で一杯やりながらだったが、撮影ノウハウをいろいろ聞いた。
忘れられない。

今日も暑かった。2025年09月02日 23時14分54秒

暑い日が続く。
今日は少し古い写真である。
1972年9月のものである。


もうここには船を上げていないだろう。


磯の写真は今でも撮れる。


この辺は稲刈りが早い。



私の子供の頃はここに造船所があり時々船がドックに入っていた。
今はこの位置にたべものやができてこの写真はもう撮れない。



いい天気だった。2025年08月14日 19時07分51秒

正常な夏らしいい天気だった。
その代わり暑かった。

写真は2010年8月14日である。
串本に里帰りした時のものである。


盆踊りだ。
串本では、その年の初盆のいえの人が踊りに参加する。


私が子供の頃はもっと賑わっていた感じがする。
この当時でも人影はまばらである。


美術のM先生の指導の元に作られた「笛吹き童子」
私も含め、3人で作った。
高校の頃はこの場所ではなくもっと東にあり後ろにコンクリだが、滝があった。
この像だけが壊すに壊せなかったのだろう。
今は2025年、この写真を撮ってすでに15年経つ、今はどうなっているのだろう。


オオタニサンが投げて打ったが試合には負けた。
結局2位に転落してしまった。
ドジャースの決定的な押さえがないのが響いている。

今日も暑かった。2025年08月05日 19時05分24秒

今日も暑い。
全国もどこかで新記録の暑さだろう。
気候がどうもおかしくなっている。
フェーン現象というが昔はこんなことは余り言わなかった。

写真は少し古く1991年の8月5日である。
この頃からカラーポジを使い出した。
それでも余り進歩が見られないね。
それでも昔のカラーポジフィルムは結構ポテンシャルがあるね。



サンマを干しているが最近はどうだろうか。


ここではスルメを干している。
炎天下でよく乾くだろう。






引き続きいい天気。2025年04月08日 22時01分00秒

串本3日目も引き続きいい天気だった。

実はこの旅の目的は、墓仕舞いだった。
串本のお墓は綺麗な事で有名だったが、ここも例に漏れず過疎化の波を受け墓仕舞いが増えているという。
そういう私もそのひとりであるが、昔は賑わった墓地も閑散としていた。


墓石がすべて撤去され塩がまかれている。
もう先祖もここにいなくなった。



骨はここに埋められている。
般若心経が一面に書かれたお堂に収められている。
はじめは一文字一文字が子供達が書いたと思っていた。


よく見ると同級生の名前があった。
この納骨堂にたずさわった人達が書いたようである。


私が6年間通った小学校の裏門。
当然私の時分は木造だった。


串本では町長と町会議員の選挙が行われていた。
13日が投票日らしい。


町会議員立候補した人は知らない人ばかりだった。


駅にあるビルフィッシュトーナメントで釣れたカジキの模型。
泳いでいるときこんなのに出合ったらビックリするだろうね。


駅の待合室。
トルコの事がよく紹介されているが今こそアメリカとのつながりを強調すべきだと思う。
みどりの窓口がなくなりリモートで特急券を発行してくれた。
はじめは駅員さんが発行をしてくれると思ったが、大阪あたりで受付をしている感じである。
だから窓口はなくなり駅員さんもひとりである。


一時間近くまつ普通列車。
確かに近いうちにこの路線そのものの存続が危ぶまれる。


串本の街中を走ると昔小さい頃は広く感じた道もずいぶん狭く感じるようになった。
過疎が言われて久しいがこれを抜け出すいい手立てがないかいつも考える。
これは日本だけの問題ではない。
かと行っても世界ではまだまだ人口が増え続ている国もある。
むずかしい問題である。

帰りは揺れを避けてシンカンセンを使った。
費用もかかったがやはり快適だった。

雨のち曇り、そして晴れ2025年04月06日 20時12分29秒

朝は雨が降っていた。
こちらは電車ばかりなので余り濡れなかった。
名古屋駅に着いてビックリ。
あの広い名古屋駅が外国人で一杯。
駅員さんが「特急券をお持ちの方は駅員にお知らせ下さい」と大声で言っていた。
聞けば鈴鹿でF1グランプリがあるという。
それで外国人がそれもひいきのチームの帽子やTシャツを着ている。
臨時列車もだしたと言うがとてもひと電車でまかなえる人数ではなかった。
特急に乗ろうとしたら自由席は満員で乗れなかった。
駅員が一つ前の車両をガイドしてくれて兎に角乗った。
しかしそのまま1時間ほど通路に立ったまま。
鈴鹿サーキットのあるところに来ると乗っていた人がほとんど降りていった。
それからは座れた。
しかし線路が悪いのか揺れがひどかった。

ここは電化されていないので車両はハイブリッド車だった。
前の電光掲示板に電気の流れが表示されていた。
やはり下り坂になると回生電流が流れて充電をしている。
この路線は普通列車でゆっくり行くのがいいみたいである。

兎に角揺れた。


南に下るほど晴れてき終点近くではいい天気になってきた。
串本まで行くには、勝浦で1時間近く待たなければいけなかったが姪が迎えに来てくれていた。
その車に乗り込み串本まで向かった。
途中、昔住んでいたところなどを回ってもらった。


黒島の前を走ったが、その昔カヌーでここまで漕いだのを思い出していた。



食事までのあいだ近所を歩いた。
潮の匂いが懐かしかった。


尾鷲を過ぎる当たりから海が見え出すが太平洋を見るのは、1年以上なのでよかった。風も吹いていなかったのでカヌーには絶好だなと思いながら窓から見える海を眺めていた。

秋には違いないがまだ暑い。朝晩は寒いくらい涼しい。2024年10月12日 22時06分51秒

今日は本当に秋らしい一日だった。
朝晩は冷たいくらい涼しいが日中は暑いくらいだった。
暑いと行っても湿度が低いのですごしやすい。

写真は1973年10月12日のものである。


古座川の川口であるが今でも青のりを取っているのだろうか。


津波が来ればこんな防波堤はひとたまりもない。


古座はフカヒレが多い。


そして橋杭。


よく遊びに行ったところだが、今でもこうして天日に干しているのだろうか。



漬物用のだいこんをたくさん干している。この風景は今ではもうないかも。 


秋の空が広がっている。



各地で祭りが行われている。祭りの写真も多く撮っている。

今日はオオタニサンはホームランどころヒットも打てなかったがドジャースは勝った。
これでまた明後日からが楽しみである。