銀杏の黄葉がきれい2019年12月07日 21時18分13秒

朝早くから歯医者に行ったが、行く途中昨日見た銀杏の木を撮ろうと決めた。
昨日はRAV4で病院に行ったので撮ることができなかったが、今日は和歌山の歯医者までカブで走った。

そして帰りに銀杏の木の下でカシャ!

カブの黄色と銀杏の黄色がよくマッチしている。
しかし今年は葉っぱの大きさがいまいちで、いつもはもう一回り大きい。
この銀杏の木のある所からほど近い、小さな祠のある広っぱでコーヒータイム。

昼前なのでコーヒーだけにした。
かなり遅くなったがきれいに黄葉してくれた。

もう一か所このあたりの名物銀杏があるので見に行った。
かつらぎ町にある、丹生酒殿神社ご神木の大銀杏である。
樹齢は800年といわれている。
ここもいつもよりは遅い黄葉で、葉もやはり小さかった。
たくさんの人が見に来ていた。

世界遺産の三谷坂はこの神社を抜けていく。
近くには使い古した鎌が太い神木にたくさん刺さっている鎌神社がある。

クロスカブ110

昨日は、雲間からの光がちょうどスポットライトを当てたように輝いていたけど今日は曇天で、いまいちすっきりしない。
写真は、撮りたいとき、撮るべき時に撮らなければいけないと思った。

クロスカブ110

クロスカブ110

クロスカブ110

クロスカブ110

クロスカブ110

丹生酒殿神社の大銀杏

丹生酒殿神社の大銀杏

丹生酒殿神社の大銀杏

丹生酒殿神社の大銀杏

丹生酒殿神社の大銀杏

丹生酒殿神社の大銀杏

久しぶりの毛見海岸、浜の宮2019年07月17日 22時21分55秒

朝から用事をしてそれが終わったのは2時過ぎであった。
まだ昼食をとっていなかったので涼しいところをと思い、何年ぶりかで浜の宮の駐車場で食事をし、何十年ぶりかでお参りをした。

少しも変わっていないのだが、何やら大きなものができていた。

浜の宮

浜の宮

天皇陛下の即位記念で、かなり大きなものだった。
率直な感想として少し重々しさに欠ける。

浜の宮

西行の歌も側面に刻まれていたが、何か関係あるのだろうか。
一度調べておく必要がある。
絵もいらないような気もするのだが。


石碑の下には亀が旗を持っていた。
できればウミガメをモチーフにしてほしかったね。
これはどう見てもイシガメっぽい。

浜の宮

境内は蝉の鳴き声がうるさかった。

浜の宮

浜の宮

珍しく野良犬。女子中学生が逃げていった先を心配そうに見ていた。

浜の宮

インコ見つかってほしいね。


毛見海岸。ここで何年か前にカヌーをこいだ。
女子高生らしき集団が泳いでいた。波は結構高かった。


カニがいた。昔この浜はハマグリがたくさん採れた。
今はどうだろうか?
もういないだろうね。
久しぶりに海の匂いを嗅いだ。

今日の持ち出しカメラはニコンD40x。気がつけばマニュアルモードで撮っていたが何とか写っていた。

葛城天神社護摩焚き2019年05月06日 18時06分29秒

昨日大和葛城山に登ったが、ロープウェイの山上駅を降りてすぐのところにある葛城天神社で、護摩焚きが行われていた。

これまで見た護摩焚きはお坊さんが読経をしてから火をつけたが、昨日のは長い長い口上のやりとりをし、弓を放し、刀で振り払い、まさかりで切るような所作をし、それから火をつけた。

何となくこれが正統な修験のスタイルだろうと思う。



ちょうどいいところに巡り合わせた。
面白かった。

修験道とは、縄文時代から受け継がれてきた日本古来の自然崇拝のとりわけ巨岩や山などの崇拝などの漠然とした宗教心を、主に仏教の思想体系を取り入れ、さらにその他中国の宗教である道教や儒教なども取り入れて形作られた日本独自の宗教であるのかもしれない。

護摩焚きはもともとインドが発祥で、密教の行事である。。
「供物」「供物をささげること」「犠牲」「いけにえ」を意味するサンスクリットのホーマ(homa)を音訳して書き写した語であるらしいが、それもうまく取り込み自然崇拝と組合わせている。

こうした自然と一体となる信仰の人ばかりであったなら、日本の国土もこれほど壊されていないだろう。


動画を少し撮った。
https://youtu.be/HD3oOetEJHc





護摩の周り四隅を回りながら矢を射る。


この女性は刀で祈祷した。


今度はまさかり。


護摩の種火。


火がつけられた。


時間が少なかったので最後まで見なかったが。途中で振り返ると護摩の煙が見えた。



上阿田木神社の祭礼に行ってきた。2019年04月29日 22時16分32秒

連休3日目の今日は、コラム「風景を歩く」で紹介されていた、日高町初湯川の上阿田木神社の祭礼に行ってきた。

本来は今日ではなかったと思うが、人が少なくなった集落の祭りは休みの日に変更している。神社の境内は杉の巨木が多かった。
祭礼はまず集落の字毎の大きな幟が担がれてやってきた。
そしてそれを祭礼の間立てておき神楽のような踊りが一通り終わってから、再び立杭から取り外して立て参道をゆっくりと運んだ。

幟を立てるのにはすごく力がいりそうであった。

歌舞は、古式が残され笛と太鼓で子供たちが交代で、といっても三人しか踊り手はいなかったが、何度か踊った。
少し練習不足なのかいまいちメリハリのない踊りが続いた。

久しぶりの露店もでた本格的な祭礼の撮影で面白かった。
カメラマンが多かった。
かなりベテランらしいカメラマンが多かった。
ちょうど集落の入り口にある藤の名所でも「藤祭り」があったが行かなかった。

上阿田木神社の祭礼

上阿田木神社の祭礼

上阿田木神社の祭礼

上阿田木神社の祭礼

上阿田木神社の祭礼

上阿田木神社の祭礼

幟の先の花、幟には武者絵が描かれていた。

上阿田木神社の祭礼

上阿田木神社の祭礼

踊りに参加した子。

上阿田木神社の祭礼

上阿田木神社の祭礼

上阿田木神社の祭礼

そういえば天皇の玉座にも鳳凰がある。

上阿田木神社の祭礼

この神輿をもうちょっとでになった落としてしまいそうだった。

上阿田木神社の祭礼

上阿田木神社の祭礼

天狗がいた。

上阿田木神社の祭礼

なぜか鎧兜の衣装。
この人は口上をすっかり忘れてしまってかなり長い間無言であった。
「おい忘れてしまった。なんて言うんだった」
「人の台詞なんか知るもんか。思い出せ」

上阿田木神社の祭礼

上阿田木神社の祭礼

上阿田木神社の祭礼

上阿田木神社の祭礼

藤祭りの女性が参加していた。

上阿田木神社の祭礼

立ち上がったら一斉に拍手。

上阿田木神社の祭礼

上阿田木神社の祭礼

幟はかなり重そうである。

上阿田木神社の祭礼

大きな杉の間の参道をいく。
写真が多くなったのでこの辺で。
また書きたい。




桜見に行ってきた2019年04月07日 21時34分17秒

春爛漫。
かなり暖かくなってきた。
朝方が少し冷えっとしていたので、セーターを着たが、昼過ぎからは暑く感じた。
庭を見ると、チューリップが咲き出した。

いつもは黄色のも咲くのだが今年のは赤い。

チューリップ



鳥も相変わらず鳴きかっている。
先日又吉さんのテレビを見ていると、鳥も会話をしている、と研究をしている東大だったかの先生がいることの紹介があった。
鳥たちは会話をしているのだろうか。
「会話は人間だけのものではありません」とその先生は言っていたが、そう思って鳥の鳴き声を聞いていると、何か会話をしている感じに聞こえる。
いや確かに会話をしている。
人間は自分たちだけが高等動物だと思っているけど、鳥たちもある意味もっとすごいかもしれない。

花を撮っているとシジュウカラが庭に飛んできて、昨年作ってぶら下げた巣箱を偵察に来た。
巣作りをしてくれたらうれしいけどね。

シジュウカラ

上の写真はニッコール70-300mm。下は2倍のテレコンをつけて撮った。

シジュウカラ

昼から堀河ダム堰堤にサクラを見に行ってきた。
まだつぼみが大分あるので満開ではなかったが、人もたくさん来ていた。
ダムではバサーが何人かルアーを打ち込んでいた。
大減水をしているのでポイントが絞りやすくなっているけれど、上から見る限りでは岸辺近くには魚影がなかった。

ダム湖は減水しても足場が悪いので竿を出すエリアが限られてくる。
そういう意味からすると、今日はそれほどいいコンディションではなかった、と思う。


普段は木の生え際まで水がある。


とうとうウグイスを撮ったが、遠くて動きが素早く枝が邪魔して難しかった。
何よりも体の色が、木と同じなので見つけにくい。
マニュアルフォーカスにしてなんとか撮った1枚。

ウグイス

スズメバチの巣が4つほど残っている。






どちらが落書きかわからなくなっている壁画の前のサクラ。


鵜がいた。


ダムの帰りに根来寺の大門に立ち寄った。
ここも綺麗にサクラが咲いていて、たくさんに人が見に来ていた。
でもマナーの悪い見物人が多かった。
平気で大門の前に車を止めたり、いつまでも同じ場所で写真を撮ったり。
その昔、フィルム写真の時代は、いいポジションは限られているときなど、まだ撮りたくても後ろの人に気を遣い、場所を変わったものだが、最近はそれがない。

根来寺

根来寺

観心寺・・その22019年03月24日 17時14分30秒

観心寺には、後村上天皇陵がある。

後村上天皇は、嘉暦3年(1328年)に京都で生まれ、正平23年(1368)になくなっている。
後醍醐天皇の皇子である。
延元4年 (39年) 後醍醐天皇のあとをうけ吉野を皇居としたが、賀名生 (あのう) に移った。
足利尊氏の帰順で一時入京したが、まもなく尊氏の謀反により賀名生に帰り、その後摂津住吉に移った。京都を回復してもすぐ奪回されて京都に還幸することができず、苦難の多い悲劇的な生涯であった。

楠木正成のことは知っていても、後村上天皇のことははっきり知らなかった。
今回の訪問で御陵を見た。
余り大きくはないがよく手入れがされていた。

観心寺

観心寺

観心寺

観心寺で目についたのが、境内にある石仏で、アンコールワットの彫刻を思い出した。
どの石仏も官能的な姿態と表情がいい。

観心寺

観心寺

観心寺

今朝も鳥がいい声で鳴いていた。イソヒヨドリだった。
遠くの方で、この鳥の鳴き声に呼応して鳴いているのがいた。

ニコンに70-300mmとケンコーのテレプラスをつけ撮ってみた。
まずまずの写りをする。

イソヒヨドリ

イソヒヨドリ

長保持2019年03月23日 20時14分59秒

今朝は昨日と打って変わって寒い朝だった。
お天気ニュースでも西高東低の気圧配置だと行っていた。
寒いはずである。

朝から医者へ行き普段の薬とカフンショーの薬をもらってきた。

昼から、「風景を歩く」で紹介されていた長保寺に行った。
長保寺はこれまでも何度か参詣したが、今日は丹念に見た。

今日の持ち出しレンズは、AFニッコール24-50mmと70-300mm、そしてマイクロニッコール50mm。

いきなり国宝が迎えてくれる。

長保寺



長保寺

長保寺は、平安時代中期の長保2年(1000年)、一条天皇の勅願により、性空によって創建され、年号から「長保寺」と号したという。
創建時は現在地より西方にあったが、鎌倉時代末期に現在地に移り、伽藍も整えられた。

寛文6年(1666年)、当地を訪れた紀州藩初代藩主徳川頼宣は、長保寺を紀州徳川家の菩提寺に定めた。
境内東斜面には広大な藩主廟所があり、頼宣以降の歴代藩主が眠っている。
その廟所は、台風で樹木が倒れているため、入ることができなかった。
鎌倉時代から南北朝時代建築の、本堂・多宝塔・大門の3棟が国宝に指定されている。

長保寺

本尊は釈迦如来座像。鎌倉時代のものという。

長保寺

この多宝塔も国宝。

長保寺

多宝塔の中にある、大日如来。

長保寺

本堂と多宝塔の間の小径を登ったところにある一間社流造、檜皮葺の小さな社殿であるが、道が通行止めだったので近くで見ることができなかった。

長保寺

この地蔵様誰かに似ている。

長保寺

さすが花の寺。いろんな花が咲いていた。

長保寺

長保寺

長保寺

長保寺

ぼけの花がよく咲いていたが、その花にミツバチが群がっていた。
おみくじが結ばれているのがいい。

長保寺

ゆったりとひなたぼっこのにゃんこ。これは70-300mm。

長保寺

かわいがられているせいか、人なつっこいにゃんこで、なでてやるとゴロゴロ。


長保寺

長保寺

頼宣は熊野の異文化に手を焼いていたが、籠で和歌山に帰る途中、この地が気に入りここを紀州徳川家の墓所にしたという。
その墓所を見たかったが台風の影響で倒木があり、いけなかった。
寺の建物も二棟が修復中で、数棟まだ屋根にブルーシートが掛けられていた。

観心寺2019年03月22日 12時26分33秒

昨日は朝から雨で、奈良であったラジオウォークなどもいいなと思っていたが、雨なのでパスした。
しかし昼から晴れてきたので、「風景を歩く」に載っていた観心寺に行くことにした。

家から1時間余りで着くので、昼からでも十分に間に合う。ケータイのナビ通りに、1時間余りで観心寺についた。

山門の前に桜がすでに咲いていた。

観心寺

楠木正成ゆかりの寺ということは、奈良検定学習で知っていたが、現物を見るとまた違った感じで見ることができた。

祖父が昔話が好きで、楠木正成の話をするとき、決まってこの歌を歌っていたので、いまだに覚えていて、歌える。

「青葉茂れる桜井の  里のわたりの夕まぐれ
  木の下陰に駒とめて  世の行く末をつくづくと
  忍ぶよろいの袖のえに  散るは涙かはた露か」

「正成涙を打ち払い  我が子まさつら呼び寄せて
  父は兵庫に赴かん ・・・」

2番はここまでしか思い出せない。15番まであるらしい。 

観心寺

観心寺は、西暦701年に修験道の開祖・役行者が開創し、 後に弘法大師空海が真言宗の道場とした寺院という。
やはり空海が出てきた。

境内には弘法大師の筆頭弟子道興大師実恵の墓、南北朝の英雄楠木正成の首塚、
第九十七代後村上天皇の御陵などがある。

観心寺

鎮守堂

観心寺

金堂。
金堂の紹介看板だが、腐った木枠はいただけない。

観心寺

金堂の前にある水鉢。手前のヤカンがおもしろい。

観心寺

牛滝堂。

観心寺

恩賜講堂。昭和の建物だが重要文化財。

観心寺

金堂前の灯篭。鉄製。

観心寺

阿弥陀堂の中の阿弥陀如来様。

観心寺

阿弥陀堂。

観心寺

阿弥陀堂裏。木組みがいい。

観心寺

鐘楼。

観心寺

修行大師像。

観心寺

四国お砂ふみ道場。

観心寺

弘法大師?

観心寺

御影堂の前の線香鉢。マイクロニッコール50㎜f2.8で撮った。

観心寺

開山堂。ここからの写真は、ニッコール28㎜f2.8で撮った。
このレンズも十分に使える。もう50年使っている。

観心寺

金堂前のおみくじかけ。

観心寺

ピンクの椿の花びらがたくさん落ちていた。

観心寺

後白河天皇の御陵や石仏など面白いのがあったが、それはまた明日にしよう。

奈良県川上村金剛寺2019年03月17日 21時34分29秒

毎日新聞のコラムで「風景を歩く」というのがあって、行ったこともないような寺社仏閣や地域を紹介している。
今週は川上村の金剛寺というお寺だった。

後南朝ゆかりの寺ということもあり、雨模様だったが出かけた。

大滝ダムを左手に見ながら国道169号線を南下し道の駅を少し走ったところにあると思って走ると、道の駅からすぐの高原トンネルが工事中か何かで大滝ダムの対岸の道に迂回させられた。
ダムを右に見ながらの、迂回道路は狭いので片側通行であった。
大きく迂回して再び169号線に入り5キロほど走ったところで左折し、橋を渡ると神之谷(こうのたに)という集落に入る。
細い人気のない山道をしばらく走ると、分かれ道に寺の名前を書いた古びた案内表示があり、表示通り道を下ると、目指すお寺はあった。

きれいな集会所があり、その上に金剛寺の鐘楼があった。
それほど高くない階段があるがその左手にある木の大きさにびっくりした。
樹齢何年くらいだろう。知識がないので何という木かもわからないが、とにかく長い年月ここに立っていることがわかる。

金剛寺はそれほど大きな寺ではないが、きれいに手入れが行き届き、地元の人々が大事に守っているのがよくわかった。

自天王、忠義王の両宮を祭神として金剛寺の境内に祠がある。
建武の新政後、北朝と南朝という2つの朝廷が存在する南北朝時代があり、室町幕府3代将軍足利義満の時代に、南北朝合一が行われたが南朝の後亀山天皇の時に南北朝合一がなされたが、和解条件に南北朝が交代で天皇を立てるという約束があった。しかし北朝はその約束を守らなかった。
そこで後亀山天皇の皇子・小倉宮は吉野に戻り、南朝復活の思いは後南朝としてその子・尊義王や孫へと受け継がれる。
尊義王が亡くなった後、子の自天王と忠義王は南朝方の忠臣や村人に守られながら暮らしていた。
しかし1457年に赤松家一族により両方の御所が襲われ、若い二人の皇子はあえない最期を遂げたという。

金剛寺の境内には宝物庫があり、自天王が着用していた鎧や兜が保管されている。
その宝物庫には菊のご紋があった
国の重要文化財であるそれらの遺品を見ることができるのが2 月5日の自天王をしのんで行われる朝拝式の時という。

南北朝から後南朝時代の歴史はややこしいのでよくわからない。

寺を見終わり車についた頃、あられが降ってきて、いつしか雨に変わり、山を下って国道に出た頃に大雨になった。
五条の京奈和道路に乗った頃は、夕日が差し込んだ。
変な天気だった。

奈良県川上村金剛寺

巨樹。

奈良県川上村金剛寺

妙な空模様。

奈良県川上村金剛寺

巨樹の根元のうろにある。

奈良県川上村金剛寺

奈良県川上村金剛寺

奈良県川上村金剛寺

この写真の右にある大峰山、高野山50度登山記念というのは凄い。

奈良県川上村金剛寺

天邪鬼かな?

奈良県川上村金剛寺

境内の小さな祠にあった仏像群。

奈良県川上村金剛寺

お地蔵さん。
そして境内左手に宮内庁管理の自天王の陵がある。

奈良県川上村金剛寺

奈良県川上村金剛寺


神社と菊のご紋のある宝物庫

奈良県川上村金剛寺

石段に咲いていたスミレ。

奈良県川上村金剛寺

今日は久しぶりにニコンを下げていった。
少し重いが撮っているという感じになる。

新宮市 丹鶴小学校跡 縄文遺跡2019年02月26日 18時21分31秒

今朝は6℃だった。
今日はバイクで走ったが、寒くなかった。
同じ6℃でも、感覚として春の6℃は温い。
困ったことに、電車の中でくしゃみばかりした。

先週テレビをにぎわしていた、ミミズクが死んでいたとのニュースが入った。
かわいそうだ。
網などで追い回されたストレスでかえる方向を見失い、死んだと思うのだが、そっとしてやっていれば、飼い主の元に戻ったのではないかと、フクロウファンの私にとって残念である。
特に人間に危害を加える鳥でもないので、「あ、やってきた」と自然体で接していたなら死ななくてもすんだ感じがする。
人に飼われていたのがわかっているので、近くに来たらそっと餌をあげたりすれば普段見られないミミズクの観察が可能であっただろう。
大事に飼われていたのなら、時間がたてば腹が減り、飼い主の近くに戻ったのではないかと思う。

めったに見ない動物に過剰反応したのが人間で、ミミズクはその被害者であると思う。
自動車事故らしいが、飼い主もつらいだろう。
最近はあらゆることに過剰反応している感じがする。
それに輪をかけているのがSNS等の書き込みである。
時々フェイクニュースもあるので判断に苦しむときがある。
あふれる情報をきちんと判断する能力が必要となる。

もうひとつ、フェイスブックで新宮のお友達が新宮の丹鶴小学校跡遺跡の紹介してくれた。
拡散希望ということなので写真を持ってきた。
なぜ拡散希望かというと、ここに公共施設ができる予定になっているからで、もしここを残せば熊野古道と合わせて文化的な遺跡が加わるのでうれしいが、市側は施設を建てるらしい。


新宮市観光協会は市長に対し、市が進める文化複合施設建設に伴う発掘調査で出土した縄文〜江戸時代の遺構を、観光資源として活用するよう求める要望書を提出したという。

この3月2日(土)午前9時30分~午後4時に現地説明会がある。