寂光院2017年10月15日 16時17分46秒

昨日三千院の後参詣した寂光院。

寂光院の本尊は六万体地蔵尊菩薩で鎌倉時代造立の地蔵菩薩立像(重要文化財)でしたが平成12年5月9日未明、放火により、本尊は大きく焼けてしまったということです。これはニュースでも大きく取り上げられたので記憶していました。

新たに小野寺久幸仏師によって、形・大きさともに元通りに復元され、鎌倉時代の制作当時そのままの美しい彩色で新造されたものが、安置されていました。
平成17年(2005年)6月再建されましたが、本尊と同時に徳子と阿波内侍の像も新しく作られ本尊の左右に安置されていました。

地蔵菩薩の本願は、抜苦与楽ということで、それは慈悲の心を表わし、人間の苦しみや辛さ、思い通りにならない現実を救い抜け出させて頂き、願いを叶えて頂ける諸願成就のご利益があるということである、ということですが・・・。


高倉天皇と徳子の稜墓。

寂光院

寂光院の入り口の扉。


三門。

寂光院

秀吉が送った灯籠。

寂光院

「祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。」

平家物語と関わりが深いのがこの寂光院です。

六万体地蔵尊菩薩

寂光院

諸行無常の鐘。つくなと書いていました。

寂光院

三門から入り口を見たところ。

寂光院

茶室入り口の東屋の屋根のコケと落ち葉。
紅葉の頃はきれいな葉がもっと落ちているでしょう。

寂光院

寂光院を出て近くの漬物屋さんの前にあった漬物蓋と石。
石には日付が書いてありました。

寂光院

漬物屋さんの前にはスイス人観光客がたくさん。
売り子のおばさんも英語で何か言っていました。

寂光院

僕はおしっこ。

寂光院

寂光院を出て道を山手に行くと、石段がありそこを登ると墓石がありました。



徳子でしょうか。
かわいい顔をしています。

寂光院

たくさんの石塔がありました。平家一族のお墓でしょうか。

寂光院

寂光院

今日は朝から雨。
少し晴れたら釣りにと思いましたがだめでした。
今日みたいな日の方が釣れるのですけどね。
釣り師は雨でも行かなければいけないのですが・・・

古いネガをスキャンして一日が過ぎました。

三千院・寂光院2017年10月14日 23時13分36秒

京都二日目は三千院。

1974年頃に来て以来で、ほとんど忘れていました。

パンフレットによると、三千院は延暦年間(782‐806)に伝教大師最澄が比叡山東塔南谷(とうとうみなみだに)の山梨の大木の下に一宇を構えたことに始まったそうです。
その後、慈覚大師円仁に引き継がれ、平安後期以降、皇子皇族が住持する宮門跡となり、寺地は時代の流れの中で、比叡山内から近江坂本、そして洛中を幾度か移転し、その都度、寺名も円融房、梨本坊、梨本門跡、梶井宮と変わったようです。

明治4年、法親王還俗にともない、梶井御殿内の持仏堂に掲げられていた霊元天皇御宸筆の勅額により、三千院と称されたということです。
明治維新後、現在の地大原に移り「三千院」として1200年の歴史をつないでいる、ということですが、三千院という名前が明治以降につけられたとは知りませんでした。

三千院のことは、あまりに語り尽くされているので私がとやかく言うこともないのですが、やはり名刹ですね。

たくさんの人が参拝していました。
半数近くが外国の人でしたが・・

三千院

定番のアングル。

三千院

この前で庭を鑑賞している人たちは全員が各国の方たちでした。
この庭を楽しんでくれていました。
いいですね。

三千院

三千院

さりげなくある国宝がうれしいですね。
写真に撮れないのが残念。

三千院

境内の真ん中あたりにあった弁天さん。

三千院

わらべ地蔵があちこちにありました。

三千院

こけに覆われています。

三千院

これは鎌倉時代の地蔵さん。

三千院

楽しげな地蔵さん。

三千院

観音堂。
中にまつられている観音様は作りが何となくシャープでなく、ファイバーっぽい感じでした。
ま、いいか。

三千院

この小さな地蔵さんが観音堂の横に一万体以上並べられていました。

三千院

梅茶やシソ茶を売っていましたが、この方たち英語できちんとやりとりしてました。
立派!

三千院

三山院の後は寂光院に参詣しましたが、また明日にします。

とにかく天気予報では雨だったので、時々薄日も差しまずまずの天気でしたのでラッキー!という感じの一日でした。

般若寺そして京都国立博物館2017年10月13日 23時39分59秒

今日は休みをもらって京都国立博物館の国宝展を見に行きました。
京奈和道路を走り奈良を抜け途中にある般若寺に立ち寄りました。
ここのコスモスや冬の水仙は結構有名です。
ちょうど今頃がいいだろう、と立ち寄りました。

ベストシーズンでした。

薄黄色いコスモスのバックに本堂が見えます。

般若寺

巨大な13重の塔。

般若寺

釈迦如来の石像もコスモスに囲まれています。

般若寺

本堂をバックに不動明王。

般若寺

般若寺

般若寺

般若寺

般若寺

そして京都での国宝展。
見応えありました。
素晴らしい一品ばかりでした。

京都国立博物館

今日は8時まで開館していたので見終わって出てきたときは夜でした。
旧館がライトアップされてきれいでした。

京都国立博物館

京都タワーもきれいにライトアップされていました。

京都国立博物館

10月の後半から展示品の入れ替えがあるのでまた来たいと思いました。

建部神社2017年10月05日 22時25分46秒

先日東近江にいった折に建部神社に立ち寄りました。

ホテルで東近江の観光地図を見て立ち寄りました。

境内であちこち見ていると宮司さんがおいでて、おうちのなかに招き入れてくれました。
お言葉に甘えて部屋に上がらせていただき中学校の先生をしていたという宮司さんにいろいろお話を聞きました。

パンフレットもいろいろいただきました。

「建部神社は、十二代景行天皇が御子日本大和武尊の功名を録えるため、武部(後の建部)を定め、大和武尊死去三年後(景行四十六年) 御子稲依別王命(建部君、犬上君の始祖)が神勅により、母君の生国近淡海国神前郡建部郷千草嶽(現在の箕作山)中腹宮立と称する所に父君の霊を祀り、建部大明神と崇め給ふたのが起源である。
その後560年を経て、天武天皇白凰四年に至り、神裔建部安麻呂公が国司の命を奉じ栗太郡瀬田に奉遷し、近江一円の守護神即ち国社としてから約90年後、神護景雲2年再び同地の下の森(現在の場所)に新宮を建て、建部大明神、聖真宮を勧進し四柱の祭神を奉祀し、建部郷十七ケ村の総氏神となる。
かかる縁故を以って古代より毎年瀬田建部大社の春季大祭には当社より、鮎献上の神事が行はれ世界大戦中まで連綿として続けられたのである。
社頭を距てる南五丁の山の神古墳は、祭神稲依別王命の墳墓と伝えられる。
 。              
囚に稲依別王命の母君布多遅比売命(ふたちひめ)は近談海安之国造意富多牟和気王(おふたむわけ)の出で、尊死去後建部郷を賜はり居住して稲依別王命を育てらる。
依てこの地は大和武尊の御名代地と伝えらる。
後裔の建部君、犬上君の両族共に栄え建部大明神の神威も大いに輝き、神埼郡の名も神前のここより出でたりと説がある。
大化の改新により国府が瀬田に置かるやや、所在地に国社奉斎必要上社格高き当社を選び奉遷して近江一の宮とされた所以である。
 当社は新宮とは云えかかる光輝ある古い由緒を有しながら、箕作、建部合戦等屡次の兵災により荒廃し、古文書構築物等凡て烏有に帰し本殿、神輿、燈罷等何れも江戸中期以降の建造に属し之を証するに由なき次第である。
 但し右の事実は瀬田建部大社の古文書等に拠り厳然と証明され、宛も昭和50年を以て奉遷1300年相当の機会に元建部犬明神鎮座趾宮立に石標を建設し之が記念と神威顕彰に資したのである。」

ということでした。
少し難しいですね。


おもしろかったのは、この神社の近くに飛行場があり、記念式典の際に投げ落としたという書筒があったことです。


建部神社武運長久の賓剱守護札もいただきました。
中に入っていた説明書きには、

「建部神社武運長久の賓剱守護札は、昭和9年から昭和20年まで、沐俗斎戒した若手氏子が調整し、久瀋宮家・八日市飛行隊軍人及び帝国軍人に4.600余体配付された。
慎之、莫怠也(慎みて、な怠りそ)……倭延命の教え

『日本書紀』には、日本武尊が西征で熊襲建(クマソタケル)を撃ち、その後、さらに東征をする前に立ち寄った伊勢神宮において、伯母の倭姫命(ヤマトヒメノミコト)から草薙剣とともに授かった教え。

慎之、莫怠也(慎みて、な怠りそ)
『日本書紀巻第七大足彦忍代別天皇(荒行天皇)』という言葉が記録されている。
原文】景行天皇40年(庚戌110)冬十月壬子朔契丑(二目)。日本武尊発路之。
同月十月戊午(七日)戊午。
柱道拝伊勢神宮。イ乃辞于倭姫命日。今被天皇之命。而東征将誅諸叛者。故辞之。於是倭姫命取草薙剣。授日本武尊目。慎之莫怠也。
【文意】岩波文庫「日本書紀(二)」94頁より(西国制覇から帰還し十二年後)の十月二日、日本武尊は東十二道制覇の旅に出立。十月七日、伊勢神宮に参拝し倭姫命に言うには「今般、天皇の命で、東征し諸々の反逆者を誅します」と。別れに際し倭姫命は草薙剣を取り出し、日本武尊に授け、慎重に油断することなきようという。
「物事を謙虚に受け止めて奢らず、身を慎めば心が清らかになり、自分の為すべきことが見えて来る。そのときは勇気をもって誠実に、怠ることなく精進を重ねて為すべきことをやり遂げなさい。」

ということが書かれていました。

建部神社

建部神社

建部神社

建部神社

日本武尊の肖像画が飾られていました。

建部神社

建部神社

建部神社

建部神社

建部神社

頂いた神符。

建部神社

建部神社

稲依別王命の墓ではないかと伝わる古墳

建部神社

栗の実が供えてありました。

建部神社


明日香村岡寺ライトアップ2017年09月26日 17時39分01秒

稲淵でお会いしたカメラマンさんとの会話の中で、今の時期あちこちでライトアップしていると聞き、稲淵を見た後、岡寺に向かいました。

6時からライトアップを始めるということでしたが、岡寺に着いたのは5時半頃でした。
少し時間があったのですが、3脚が林立して場所取りが大変だとも聞いていたので登りました。

明日香村岡寺ライトアップ

参道はちょうどカップの中のローソクに火をつけて回っているところでした。

明日香村岡寺ライトアップ

なんとなんとめちゃくちゃ人が並んでいました。
近くのカメラマンに、

「何か行事があるのですか?」

と聞くと、

「いや何もありません。3重の塔のライトアップを撮るだけです」

ということでした。
私も隅に座って夕暮れを待ちました。

明日香村岡寺ライトアップ

少し暗くなり、カップのぼんぼりがきれいになってきました。

明日香村岡寺ライトアップ

そして3重の塔もライトが点灯されました。
これだったのですね。
いいポジションをとるために皆さんがんばっていたのです。

明日香村岡寺ライトアップ

陽が落ち、三日月もきれいに見えました。
3脚がなく手持ちなので微妙にぶれているのですが、何とか撮れました。
ASA1600にしても3分の1秒でした。
 
明日香村岡寺ライトアップ

本堂前。

観音様も公開していました。
初めて見る仏像もあり普段は暗くて見えないところも、ライトが付いているのでディティールがはっきりしよくわかりました。

明日香村岡寺ライトアップ

たくさんのカメラマンやお参りする人がいました。

明日香村岡寺ライトアップ

絵の描いた和傘を裏から照らしていますが、いいアクセントになってきれいでした。

明日香村岡寺ライトアップ

熊野古道もどこか王子社でやってほしいと思いました。
古杉を照らし、古道道際にこんな傘を並べれば、絵になるところがあります。

南海高野線細川駅&八坂神社2017年09月20日 11時44分37秒

先日の続き。

高野下駅からスマホのナビ通りに370号線を走ったのですが、ディスプレイを暗くしていたので画面が見えず、曲がらなければいけないところをやり過ごしてしまい、矢立の三差路まで走ってしまいました。

ディスプレイの明るさを最大にし、目的の細川駅に向かいました。
細川駅上り口から少しの走ったところにきれいな神社がありました。
八坂神社です。

八坂神社

ここは高野山への道の一つになります。
掲示板に由緒がありました。

八坂神社

八坂神社

神木は巨大なイチョウで、これが黄葉すれば見事だと思います。
秋に来たいと思いました。

八坂神社

川面に垂れる葉の先にはたくさんの銀杏が付いていました。
境内にもたくさん落ちていました。

八坂神社

しめ縄の上に小さなカタツムリがじっとしていました。

八坂神社

彼岸花が咲きかけていました。
やはり彼岸の中日頃が一番きれいでしょう。

八坂神社

我がCBちゃん。
カバンを取り払ったのですっきり。

CB400SS

細川駅は後ろの山の中腹にあります。

CB400SS

細川駅は急な上り坂の上にあります。
下で荷物を担いだおばさんに、道を聞くために声を掛けましたが、

「最近古道歩きに来る外人さんが多くて言葉が通じなくて困る」

と言っていました。

南海高野線紀伊細川駅

山肌にあった住宅を集合した感じの共同住宅が細川駅の上から見えます。

CB400SS

近代化産業遺産になっています。

南海高野線紀伊細川駅

電車が入ってきました。

駅員さんが深々と挨拶。
この駅員さん、今夜は宿直ということでした。
3人交代で宿直しているということですが、やはり山深いところの路線はコストがかかります。

南海高野線紀伊細川駅

駅には猫がたくさん。
誰かが餌を上げるのか鳥の骨が転がっていました。

猫たちは、もっと友好的かなと思いましたが結構シャイで、一定以上近づくと逃げてしまいました。

南海高野線紀伊細川駅

南海高野線紀伊細川駅

南海高野線紀伊細川駅

帰り道、廃屋にスズメバチの巣がありました。結構大きい。


CB400SS

会社のあるビルの地下に郵便局があるのですが、そこの受付カウンターに「乳がん触診モデル」ということで、おっぱいが置いてあります。

少しびっくり。

乳がん発見用のもので、これを触ってしこりがどんなものかを見るらしいのですが、こうした窓口に置いてあるのを見るのは初めてです。

ちょっと触ってみたい気もしましたがやめました(^^)


厳島神社と地蔵寺2017年09月19日 22時42分23秒

厳島神社と地蔵寺は、高野下駅の左の鉄橋の下をくぐり小さな坂を登るとあります。
厳島神社は朱のきれいないい神社でした。

ここは椎出の鬼の舞があるところです。
一度みたいと思っていますがまだ見たことはありません

神事「鬼の舞」は県指定無形民俗文化財で8月16日に奉納されるということです。
起源は南北朝時代にさかのぼると伝わり、五穀豊穣や雨乞い、悪疫払いなどを祈願するということです。
鬼に息を吹きかけてもらうと、幼児の疳(かん)の虫が治まるともいわれます。

神事は午後5時に始まり、「十人衆」と呼ばれる男衆が締め太鼓を打ち鳴らす中、木の面をかぶって赤い髪を振り乱した鬼が姿を見せ、長さ約2メートルの棒を振りかざして豪快な舞を披露するというものです。

見たいですね。

厳島神社


厳島神社

厳島神社

彫刻もきれいに色づけされています。

厳島神社

神木はナナメに傾いている檜でした。
しめ縄にビニールがかぶせられているのは愛嬌ですね。

厳島神社

壁面にはいろんな絵が描かれていました。

厳島神社

鳥居の間から電車が見えています。
少し小さいですが・・

厳島神社

そして地蔵寺。
お寺の左手にかわいい地蔵さんが祀られており、壁に由来が書いてありました。
駅の掲示板にこのお寺に龍の天井画があると書かれていました。

境内に行くと誰もいないので入るのをためらっていましたが、犬が大きな声で鳴いてくれ家の中からお寺の方が出てきて、部屋にあげてくれ、天井画を見せてくれました。

地蔵寺

地蔵寺

地蔵寺

絵の善し悪しは別にしてこういう試みはいいですね。
名物になります。
地蔵さんがライトでスポットが当たっていました。

地蔵寺

またぺーじにしてみたいと思います。

落合不動と摩崖仏2017年09月11日 12時48分27秒

毎日新聞の記事を頼りに、摩崖仏が落合川流域にあるということで探しましたがわかりませんでした。

飛び越え岩の古民家を改造した休憩所の中に、橋本市発行の観光ガイドパンフがあり、それによると、飛び越え岩のある所から国道を渡り、反対方向と分かりました。

カーナビに適当な場所をポイントセットし、走りました。

ナビはいったん五条までガイドし、くねくねとたどる道を落合川にナビしました。

実はここ摩崖仏はずっと以前、大和街道を自転車で橋本から五条まで抜けたとき、一度見たことがあるのです。
でもホーコーオンチなので入り口を忘れてしまい、ドタバタしてしまいました。

現地近くに行ってもわからず、農家の前で仕事していた方に、

「不動岩はこちらですか?」

と聞くと、

「不動岩は来すぎています。この道をバックすると三差路があるので、そこを左に走るとあります」

と丁寧に教えてくれました。
ちょうど通りかかった軽四のおじさんにも確かめていただきました。

教えられて通りに走ると摩崖仏は、ありました。
巨石がいくつも川の中に転げたようにあり、そのいくつかに、天女や不動明王の線刻があり、詩文や読めないですがいろいろ文字が書かれてありました。

どれかの石に、応永2年(1395年)と彫られているとのことです。

おそらく修験者によって刻まれたと思いますが、その大岩に霊的なものを感じ、彫らずにいられなかったのかもしれません。

「江戸中期にまとめられた観光ガイドブック「紀伊国名所図会」には、「川中に不動岩とて、不動を彫り付けたる大石あり」。近ごろは祈願に訪れるものが多いと書かれている」とあり、続けて「さらにそこから望むと、「東西北の三面、連岨屹立(れんそきつりつ)して」「奇勝の地なり」とされている。ちょっと大げさなような気もするが、当時の旅人の目にはそう映ったのかもしれない」

とコラムには書いてありました。

往年の旅人が、細い山道をたどり歩いてこの大岩を見たとき、びっくりしたことは容易に想像できます。

現地に着いたのは夕刻であり、山陰の暗いところなので影がフラットになり、線刻がいまいちはっきり写せませんでした。

晴れた午前中がいいと思いました。

落合不動摩崖仏

梵字が見えます。

落合不動摩崖仏

巨大な岩がいくつも転がっています。

落合不動摩崖仏

不動明王が彫られています。
暗いので少しぶれました。

落合不動摩崖仏

落合不動の祠。

落合不動摩崖仏

その左手にある岩の中の仏像?

落合不動摩崖仏

近くにある地蔵様。
川向の土手は奈良県です。

西国三十三所槙尾山施福寺2017年07月23日 21時10分21秒

今日は昼から西国三十三所の第4番、槙尾山施福寺に参詣しました。

途中京奈和高速の道の駅のトイレの入り口でツバメが子育てをしていました。
もうすぐにでも巣立ちしそうな感じの子ツバメが元気に鳴いていました。
親鳥も人を恐れる風もなく子供を見守っていました。

手が届きそうなところに巣をしているので、ツバメ君たちも慣れてきているのでしょうか。

施福寺は13年ぶりですが坂道は相変わらずきついままでした。




周りの木が幾分背が高くなり、景色が少し変わりました。


宿坊の屋根にスズメバチが巣をしていました。
スズメバチが盛んに飛び回っていましたが、左の二つはほとんど出入りが見えず、ひょうっとしてその役目を終え、一番右の巣を大きくしている感じです。


この石段の坂が結構きついのです。


坂の途中から大阪が見えます。


まだアジサイもきれいに咲いていました。


そして槙尾山施福寺本堂。

御朱印をいただいた後、本堂内を特別開帳しているということで、入りました。

まず、本堂右側には馬頭観音坐像が安置されています。

この馬頭観音坐像は赤ん坊が座るようにして、両方の足の裏をこちらに向けている仏像で全国唯一の珍しい形式だとお寺の方が説明してくれました。

本尊は秀吉の息子秀頼が、父秀吉の七回忌に奉納したという、弥勒菩薩坐像で左に千手観音菩薩立像で右に文殊菩薩立像を従えています。

本堂左には、方違観音坐像」でこの観音様も特別開帳らしく、背後には阿弥陀如来と金剛式大日如来と白馬が安置されていました。本尊のうしろには25菩薩や大黒天が壁にありその前には、弘法大師と最澄の座像もありました。
本尊の真裏には涅槃仏などが安置されていました。

涅槃仏の頭をなでて、「ぼけないように」とささやいておきました。

槙尾山施福寺

今日の参詣の詳細は別の日に書くことにします。

参道は結構蒸し暑く久しぶりに大汗をかきました。

滋賀 琵琶湖 いろいろ2017年05月01日 20時47分09秒

花の季節ですね。
ホテルの駐車場のハナミズキ。


最初はカヌーをしようと思ったのですが、雨が降ってきたのでパスし、琵琶湖博物館に向かったのですが月曜日で休み。
仕方なく観光パンフレットに載っていた三大神社へ藤の花を見に行きました。

駐車場のおじさんが、

「今年は桜も遅かったので、藤も遅れています。いつもならもっと伸びているんでけれどね」

ということでした。



本殿はそれほど大きくないですがきれいで重厚な作りでした。


そして藤。
きれいの一言。



おやつに藤の絵のあるまんじゅう。
ほどよい甘さの餡が絶品のまんじゅうでした。


晴れてきたので、近江八幡に行きいつものところから船をおろしましたがまた雨が降ってき風が強くなってきたので一回りしたあと早々に片付けました。



カシオを取り付けたのですが・・・


時間があったので八幡堀から八幡山に向かいました。
頂上か船を下ろしたところがよく見えました。
向こうは西の湖です。


八幡山のロープウェイ待合所に張ってあった琵琶湖の古地図です。
島も入り江もたくさんあり今よりいい湖だったのがよくわかります。

このときのままだったら最近のニュースで言ってたように鮎の漁獲量が例年の一割しか捕れないと言うことはないでしょう。

残念です。