一日雨が降った。2025年11月13日 21時56分39秒

一日雨が降った。

写真は1972年11月のものである。
何年か後にいったがこんなにハトはいなかったように思う。
当時は糞害も大変だっただろう。






今日も寒くて暑くての一日。2024年10月14日 21時40分42秒

今日も朝少し肌寒く昼は少し暑かった。
夜明けも遅くなってきた。
日の暮も早くなってきた。季節は確実に進んでいる。

写真は2017年10月14日のものである。
この日は三千院に苔を見に行ったのである。











今日はオオタニサンがタイムリーを打った。
投手がダメと言われながらこれまで0点に押さえている。
もう何イニングだろう。

わからないといえばここで誰が衆議院選挙に立つかハッキリしない。
和歌山は2名をのぞいてはよくわからない。
愛知県の候補者の人となりを調べておこう。

明日告示日である。

今日も暑かった。夕方遠くで雷がなっていた。2023年07月27日 21時08分04秒

今日も暑かった。
やはり梅雨明けの夏。セミだけが元気がいい。
セミ時雨とはよくいったものである。

子供の頃毎年一人くらい海で命を落としていたが今も痛ましいニュースが入る。
私が、今水に落ちればすぐダメになるだろう。
昔のように泳げるか心配である。


写真は1973年の京都である。
もっと撮っているが手近にない。
昔は京都の西陣辺りは風情があったが、今は家が建て変わり車の駐車場を確保するためにセットバックされ昔の面影が少なくなってしまった。


この竹をどうするのか聞き忘れたが、今ではチェンソーがありすぐに切れてしまうがのこぎりにこだわっているのかも。
今もこの景色はあるのだろうか。


ローソクに色つけをしている。
これも西陣で撮った記憶がある。
今もこのお店は残っているだろうか。


そして石仏。


ハトが丸くなって子供と遊んでいるのが面白くカシャ!
なんとなく当時はのんびりしていたね。


今朝は比較的暖かかったがそのままだった2023年04月23日 23時25分53秒

今朝は比較的暖かだったが一日中そのままの気温だったような気がする。
風も強かった。
花粉の飛びが少なくなったのか鼻をかむ回数が減った。

写真は先日行った東福寺である。
沿革はHPがあるので省くが、我が故郷の無量寺の本山で,今の住職もここのお寺の采配である。



私の靴は左である。
私も小さくはなく26.5センチだが軽く抜かれている。


仏前結婚式をしたのかな。
写真をたくさん撮っていた。


日本人の美意識はすごい。









青春18切符で京都まで行ってきた。いい天気。2023年04月09日 21時57分22秒

今日は10度ギリギリであった。
空は雲一つないいい天気だった。

串本の無量寺は東福寺派で、檀家であるわが家にも年忌やなくなった人の通知が来る。その中にいつも東福寺の拝観圏が入っている。
今日は青春18切符で行ってきた。
明日で終わりだから今日しかなかった。

庭では花が咲きだした。
今までは少ししか咲いていなかったが今朝はたくさん咲いていた。


オオテマリも花が白くなってきた。これは東の角。


これは玄関先。


今日は下井阪から乗った。
案内板がハゲチョロになっていた。


単線だが電車が入ってきた。


次に阪和線で、大阪まで乗った。
大阪までこの小学生らしき男子が電車の車掌やメーターを見続けた。
電車が好きなのだろうね。



大阪。



そして京都。


駅で軽く食べたがその間ハト君が周りをうろうろしていた。
私がこぼした昼ご飯をたべてくれた。



東福寺の事は明日に回すが、日本人より外国の人の方が多い印象だった。
誰もが熱心に見ていた。
日本人はさっと見るだけだった。

朝はそれほど暑くなかったが・・2022年06月27日 20時42分13秒

京都は車が多かった。26日は電車ばかりだった。
また京都国立近代美術館へも地下鉄を使った。
地下鉄で動くのも初めてなので乗り換えがどうかと地名とが合わなかった。
駅案内所で聞いてもすぐ忘れてしまい苦労する。
しかし何とか迷わずにいけたが地下鉄駅から目的地まで歩いたが、やっぱり歩くのは新しい発見があっていい。
歩き始めてすぐに三谷稲荷があった。
ネットで見ると創祀、由緒等は不明とう言うことであるが、燈明立てに猪目(ハート)が入り、隠れた恋愛スポットになっているとか。
それを知っていればもっと詳しく見るべきだった。

稲荷からすぐに竹中精麦所があった。
これはウキペディアで書いていた。

「この水路は琵琶湖疏水が明治23年に完成し、同年に水車用水使用申請第2号として明治24年に第1号・2号同時に許可された水路である。 1917年(大正6年)、竹中精麦所の竹中亀吉が4代目の所有者となり、精麦所の直径5m近い大水車を回すために用いられた。三条通からも臨めた水車の巨大さに、通称「水車の竹中」と呼ばれ親しまれていたという。商標は「司麦」を用いていた。琵琶湖疏水と白川の分水点下流近くに位置しているが、水の取り入れは白川ではなく琵琶湖疏水から直接行われている。

稼働していた当時は水量もあり、その水車動力を用いて精麦、精白の臼を24時間稼働でついていた。麦は精麦後俵詰めされ、卸す問屋も営んでおり、脚気予防に注目した陸軍省等も顧客としていた。工場からの積み出しは、初期には荷馬車、後期は三輪トラックが用いられた。

食料管理令の強化等を理由として1940年(昭和15年)に工場は閉鎖された。

往事、周辺の岡崎、夷川一帯には、同様の疎水を利用した水車及び水路は数多くあったが、ほぼ全て暗渠となり、原型をとどめる水車水路としては唯一のものとなっている。町工場による疏水の水力利用の歴史を伝えるものとして、産業遺跡としての保存運動が行われている。」

ということらしい。



釣りの仕掛けを作っていた人がいた。足元のたまりでジャコかフナが釣れるのだろうね。


いかにも京都らしい風景。お寿司屋さんと地蔵さんが同居している。


そして都市としての京都。地下鉄が思った以上に延びていた。
乗ってみないとわからない。


京都駅ビルは、東大卒の原広司さんの設計で、国際文化観光都市・京都の玄関口として、駅、ホテル、商業施設、文化施設、駐車場、広場を備えたターミナルビルとなっている。
京都駅ビルは「京都は歴史への門である」という設計主旨から、平安京の都市の特徴である条坊制(碁盤の目)を取り入れ、玄関口としての象徴である「門」を烏丸通と室町通に配している。
また、中央コンコースを谷に見立てた段丘を東西に延ばし、中央部はガラスと金属でカバーされたアトリウム。空を映し出した壮大な内部空間と空に溶け込む外観を作り出している。
かなり大きい建物だが人が一杯であった。大阪とは違う賑やかさがある。



そして京都タワー。これが出来て大分経つね。


今日はMLBの放送は朝早くからだったので、少し眠かったが5時にそのままテレビを見ていたがはじまってすぐ乱闘があった。
オオタニサンがどうするだろうかとみていたが、一応輪の中にはいっていた手手はださなかったし,手出しも来なかった。
ノーヒットだったが試合は勝った。

京都に行ってきた2021年03月26日 23時12分10秒

朝は少し寒かった。おまけに霧が立ちこめていた。
太陽は輪郭だけで世界が真っ白だった。

朝早くに西京極に向かった。
コロナ以来京都に行くのは初めてである。

日根野から快速に乗ったが座れた。
前に女子大生らしい感じの女性が二人座った。
アルバイトにコンビニの店員をしているのか商品の受け渡しの時の話をしていた。
漏れ聞こえてくるのは、しょうもない話であった。
「あのさあ(このさあという言葉はいつ頃から使い始めたのだろうか)買い物袋を持ってきてくれるのはいいけどそれに商品を入れてくれと言う客がいるのよ。ムカつくわなー」
「そうだね。小さい商品でもいれてくれという客がおんのムカつくわなー」
などいろんな客の悪さ加減を日根野から大阪まで話し続けた。
マスクをしていたが、だんだん大きな声になってきた。これではコロナはなくならないね。

西京極では関西六大学準硬式野球の試合を見て写真を撮った。
久しぶりの生野球は面白かった。

三試合目がまだ終わらないうちに帰ってきたが家に着いたのは9時前であった。
和歌山から京都は遠い。
大阪駅は人でごった返していた、さすがに今はマスクをしていない人はいなくなったが、こうして電車に乗ったら2週間ほどは感染していないか心配である。
えらい世の中になった。

帰りの電車で、前の人がコードレスのイヤホンの左側を耳に刺すときに落としてしまい、それがどこに行ったのか全くわからなくなった。人ごとながらどこに行ったのか謎であった。


大阪大学の応援団と選手。大阪大学は負けた。


整地しているが今日は風が強くて砂埃が立ち水をまいた。



西京極のわかさ野球場はなかなか立派なグラウンドであった。


西京極駅の桜。


夕日に光っているのはスマホである。



梅田にあがった月。向こうは観覧車。


丸ビルもほかのビルの陰になってしまった。初めて海外旅行でタイに行ったとき宿泊した。当時は1ドル360円であった。

今日は底冷えしたね2020年01月07日 21時04分50秒

今日はお休み。
バイクで釣りに走ろうと思って楽しみにしていたが、あいにくの雨で寒かった。
伊吹山も冠雪したそうである。
高野山も降ったかもしれない。
明日が日曜なら走ったらいいのだが、ウィークデーである。
仕方なく家の片づけや、ネガのスキャンをした。

気になるニュースでは、ソニーが、電気自動車(EV)のコンセプトモデル「VISION-S」を発表したということである。
デザインもごてごてしていないのでいい。
ソニーはCCDも作っているのでイメージセンサーやセンシング技術を投入し、他のメーカーを引っ張っていってほしいね。
テスラの前例もあるので、ぜひ自動車メーカーとして名乗りを上げてほしい。
オーディオが得意だから、車内の音響など実現すれば楽しみである。

楽しみがないのは国の政治家さんたちで、口ではSDGsをいいながら、新年会でも環境に関する発言がほとんどないのは寂しい。
Aさんなんかはいつもながらの言語明快だがどうするかさっぱりわからないことばかりを得意げにしゃべっていた。
子供たちの間でもばかにされているのを知らないのかな。

写真は嵐電。

嵐電

都会の電車という感じがしないのがいい。

嵐電

着物で足を組んでスマホを見ている。時代やね。

嵐電

この中国人らしき観光客。身を乗り出してかなり近づくまで撮影していた。電車は大きく警笛を鳴らした。


こういう景色いいなー。


パトカーモチーフ車両。

嵐電

車折神社はすぐ近くに鳥居が見える。有名である。

福田美術館2020年01月05日 21時20分28秒

京都は嵐山、渡月橋にほど近いところに福田美術館がある。

今回チケットをいただいたので正月2日に行ってきたが、100年持続するような美術館を目指すというだけあって、展示品もバラエティに富んでよかった。
そして何よりも、フラッシュをたかなければ写真が自由に撮れるというのがよかった。

撮影禁止のマークがなかったので、館員の女性に、

「写真を撮ってもよろしいのですか?」

と聞いた。

「はい、フラッシュをたかなければご自由にどうぞ」

ということであった。

これはうれしいね。

名画の筆使いや色合いを記憶にとどめたい時があるが、すぐ忘れてしまう。
写真で記録しておけば、思い出す。
ニューヨークのメトロポリタン美術館でも写真を撮ったり、長い脚立を立てて複写している人がかなりいた。
さすがにこの美術館では、複写はせまいので難しいが写真なら、撮ってすぐに次の人に場所を譲れる。

3階まであり、絵と絵の間隔は他の美術館と比べると狭いが、そのほうが移動時間が短く一点当たりに長く濃密な気分で鑑賞できる。

3階にあったシャガール、モネ、ローランサンなどの絵は撮影禁止で、係員が見守っていた。
その奥に喫茶コーナーがあったが、正月で食材が届かずメニューも売り切れたので一種類しかなく時間がかかった。
かなり待たされて昼食を食べたのは2時を回っていた。

しかし多彩な展示品と眺めのいい喫茶コーナーで「見た!」という感じの美術館であった。



言わずと知れた竹久夢二。3枚あった。


これは長澤芦雪。迫力があった。


これは葛飾北斎の「大天狗図」素晴らしかった。


これも北斎かなと思ったら、蹄斎北馬という北斎の弟子が書いたもの。
ほかにも伊藤若冲、狩野永徳、大観などいろんな人の絵があった。
喫茶室からは渡月橋がよく見える。観光客の行き来がおもしろかった。


今朝のニュースでアメリカがイランの将校を殺害したと言っていた。
少し物騒になってきた。
Tさんはイランが攻撃してくれば反撃すると言っているが、目には目をの世界になってくると泥沼化してくる。

さて日本はどうするのだろう。

京都二日目2020年01月02日 22時33分06秒

京都二日目。

京都の朝は冷たかった。
車のガラスは厚く霜が降りていた。

まず仁和寺に向かった。
大勢の人がいた。
ここはこれまで二回ほど来たことがあるが、時間がなかったりでほとんど記憶になかった。
今日はゆっくりと回った。
詳細はまたアップしていきたい。
というのもカメラは3台持ってきたのだが、そのうち2台のメモリーカードがXCタイプで、持ってきたカードリーダーでは読めなかった。
だからワイドで撮った写真だけである。
リーダーをのバージョンを上げなければいけない。

京都仁和寺

京都仁和寺

京都仁和寺





京都仁和寺

京都仁和寺

次は嵐電に乗り嵐山に向かった。
暮れにチケットをもらっていた福田美術館に行った。
この美術館小さいがなかなかのものだった。
うれしかったのはフラッシュをたかなかったら撮影OKだったことである。
だから気に入った絵はすべて写真に撮った。

最初に展示していたのは狩野永徳の龍図だったが素晴らしかった。
ほかにも北斎の肉筆画だったり夢二の美人画だったりで飽きなかった。
館内に喫茶室があるが、これがやたら待たされてそして売れすぎてメニューが一つになってしまった。
喫茶室からは渡月橋がよく見えた。

福田美術館

福田美術館



美術館を出た後、清凉寺に向かった。
清凉寺は渡月橋からの道をまっすぐ歩くとある。
この寺もよかった。



清凉寺を見終わり再び嵐電に乗り今度は車折神社に向かったが、人があふれるように並んでいた。
警備のおじさんが話しているのを聞いていると250人以上が御朱印をいただくのに並んでいるということで、ここでの御朱印はあきらめた。



宇多野駅に戻り、とめていたペンションの駐車場から草津に向かって車を走らせた。
草津には7時ころに着いた。