久しぶりの串本2017年04月09日 22時06分05秒

百か日の法要があり、ふるさと串本へ。
雨が降っていましたが、法要が過ぎたころから上がりました。


お寺は小さいですが新しいためにきれいでした。
ここははじめてでした。


ソテツと桜。
本州最南端の景色です。


種類はわかりませんが、トビより一回り大きい白い尾羽を持つ鳥でした。
とっさのことでズームを効かすことができずきちんと撮れませんでした。
残念。



近くに青年の家があり、そのロビーに、なんとわっくんがいました。
なつかしい。


青年の家で熟年の皆さんがゲートゴルフ大会をしていました。
300人ほどいると言うことでした。
なかなか面白そうで、皆さん元気にプレーしていました。


近くの公園にいく途中に防空壕がありました。
戦争はまだここに残っていました。


吹き付ける潮風が平凡な看板を芸術にします。


いい天気2017年01月05日 20時43分31秒

ここは串本向かいは大島。
日の出です。
6枚の写真を合成しました。
津波が来てもこの大島と橋杭岩でかなり緩くなります。

東北の地震でも松島当たりの被害が少なかったのも、自然の防波堤が守ってくれたのですね。

とにかく今年のお正月は暖かでよかったです。

私の初日の出

街の片隅の風景。
左の丸いものは貝のふたです。
結構大きい貝でしょうね。
一度こういう大きい貝の身を食べてみたいです。

朽ちた靴と錆びた釘、そして貝のふた。
取り合わせが面白くてついカシャ!


串本からの帰りは平日でもあり、すいすいで2時間半で走ってきました。
その昔、バイクで10時間かかったことがアリエナイ感じの道路になりました。

大島水門まつり 1975年2月2016年11月21日 22時43分40秒

最近古いネガをスキャンしてときどきアップしていますが白黒をシャカリキに撮っていたときのほうが考えて撮っている感じがします。

構図的にもおもしろいのが多く、スキャンをしながら当時のことを思い出し楽しんでいます。

また同じところで結構粘っていい瞬間が来るのを待っています。
撮れなかったらまた別に日に出かけて撮っています。
最近はそんな粘りがないですね。

ところでなぜ白黒のほうがおもしろいのか、いろいろ考えてみますと当時の白黒写真の場合は光と瞬間のおもしろさを狙ってシャッターを押しているのを感じます。

今は色を撮っている感じがします。

デジカメは色に惑わされ、撮るべきシーンへの集中力が足りないと常々反省しています。
そこへメモリーのある限りは撮り続けられる気安さで、ショットそのものへの意気込みが薄いですね。

押せば写るのですからね、それもいい色で。

フィルムは現像するまでどんな写りをしているかわからないし、限られた枚数で自分の表現したいものを撮らなければいけなかったので、ホント、シンケンショウブでした。

アナログのことを言えば、オーディオの世界でもカセットテープがまた復活し、レコードも根強い人気があります。

フィルムというよりアナログ写真がいつか復活しそうな気がします。
その証拠に、インスタント写真の富士フィルムのチェキも白黒用の新製品を出しました。

ただデジカメの進歩は想像以上に早く、画質もどんどん良くなるので当分はそちらに向かうでしょうけど・・

それやこれやで、いろいろ考え、これからはフィルムで撮っている感覚でデジカメで撮影していこうと思っています。

写真は1975年2月11日の大島水門まつりのスナップです。

当時は人も多いしハレの日だからみな着飾っています。


大島水門まつり1975年2月

餅拾い。

大島水門まつり1975年2月

獅子舞。

大島水門まつり1975年2月

廃船の上から祭りを眺めています。

大島水門まつり1975年2月

櫂伝馬競争。

大島水門まつり1975年2月

長い事この祭りを見に行っていませんが最近はどんな祭りになっているのでしょうか?

解体工場にて 1975年2016年11月14日 22時16分44秒

残ったワイパーがツンと突きだして、触角のようです。
みなしごハッチを思い出しました。

今みたいにプレス機が少なかったころは、廃車は解体して鉄くずになりました。

潮風が吹き荒れるこの地方は、車もすぐに錆びてボロボロになりました。

解体工場にて 1975年

「釣」という文字を見るだけで、この車の元気な時はどんな活躍をしてたかわかります。

解体工場にて 1975年

なぜか屋根を切られている車が多かったのが印象的ですが、このハイエース、何となくカマキリに似ています。

解体工場にて 1975年

工場の人も小休止かな。
皮手袋が何となく物悲しい感じがします。

解体工場にて 1975年

そういえば最近80歳を超えた方の交通事故が多いです。
もし家族がいるのなら、大事にならないうちに鍵を取り上げるべきでしょうね。

映画などでも時々ありますが、認知症は急に起こっています。
80歳を超えると気を付けなくてはいけません。
本人が不調を気づかないことが多いので、周囲が見守らなくてはいけませんね。

早く自動運転システムがうまくできて、せめて暴走を食い止めるとか、リカバリーのシステムを作り上げてほしいと思います。

コンビニに突っ込むのを防ぐのは割と簡単にできるでしょうから、今度は人の異常を感知して安全な方法で停止するようにしてほしいですね。

車の宣伝を見ているとかなりのところまで来ているのを感じます。
もう一息ですね。

あっという間に秋から冬へ2016年11月10日 23時34分42秒

この前まで夏の匂いがぷんぷんしていたのにもう秋も深まって、銀杏も色づいてきました。

昔は夏の暑さとさんざめきが好きでしたが、年を重ねるにつれて秋から冬の景色が心情にぴったりするようになってきました。

秋冬の寒さも、昔は単に寒いとだけしか思わなかったのですが、微妙な色合いを感じるようになりました。

今日もCBで駅まで走りました。

気温は10℃を切っていましたがそれほどの寒さは感じませんでした。
今の防寒素材はすごいものがあります。

写真は1975年の廃屋となった鶏小屋です。
見た感じ生活のあとがあるのですが無人になってからかなり時間が経っているのがわかります。

夜逃げしたのかなと思ったりしました。

廃屋

ケージの間に雑誌が風に揺れていました。

廃屋

自転車も走りたそうですが、乗り手がないので寂しそうです。

廃屋

洗濯機も退屈そうです。

廃屋

ついさっきまで料理をしていた感じですが、あたふたとここを離れた感じがします。

廃屋

ここでたくさんの鳥たちがえさをついばんでいたのでしょう。

廃屋

廃屋

現代のちまたではトランプ旋風が吹き荒れています。
彼は、政治の素人だといわれていますが、これまでにないようないい政治をしてイメージを覆してほしいですね。

それが世界の平和につながりますね。


懐かしの姫駅 1975年2016年11月02日 12時27分26秒

昨夜スキャンしたフィルムの中にありました。
懐かしの姫駅です。

下の写真はこれまでも何回かブログにアップしましたが、それは紙焼きをスキャンしたものでしたが、これはフィルムから起こしたものです。

画像はやはりすっきりシャープに出ています。

懐かしの姫駅

今でも残念に思うのは、SLの時代にこの角度で撮っておきたかったということです。
架線がないのはほんと、すっきりしてます。

春先には田んぼに蓮華が咲きますが、鉄道写真家の中井さんの絶好の被写体になるかと思います。

懐かしの姫駅

木造駅舎。
味があります。今はコンクリで何の変哲もない駅舎に変わっています。

懐かしの姫駅

列車を待つ人。

懐かしの姫駅

懐かしの姫駅

降りた人。

このころは乗客もたくさんいました。
いつだったか忘れましたが、そう遠くない年に、台風か何かで電車が止まったとき、ニュースが、

「乗客2名が足止めをされました」

とか何とかいっていましたが、そのときの乗客は高校生がたった二人だけだったのですね。

懐かしの姫駅

木造の駅舎だと待つ間も何となくゆったりとしていそうな、そんな感じがあります。
これから旅行に行った折りなどは、木造駅舎必撮です。

懐かしの姫駅

この駅から少し西に行ったところに熊野古道の大辺路が延びています。
古道は東に延びて、古座川方面に向かいます。

巡航船待合所1975年2016年10月24日 12時20分45秒

引き続き1975年のネガをスキャンしています。

これはオリンパスOM-1で、ズイコー21mmf3.5を買って初めて撮った写真だったと思います。

21mmというワイドアングルで撮るのは、うれしかったですが難しさも感じました。

写真は大島巡航船の待合所としておかれていた廃バスです。

いまでは考えられないことですが、こういうリユースは日常的だった当時はどこでも普通の光景でした。

巡航船待合所1975年

21mmということで28mmの角形フードをかなり削って使いましたが、まだ少しけられています。

巡航船待合所1975年

乗客?は一人。いまならスマホをやっているでしょうが・・。
何ともいえない味のある椅子です。

巡航船待合所1975年

黒潮国体というステッカーが貼られています。

巡航船待合所1975年

草むらのヒーローとしてときどき廃車を撮りますが、これはさしずめ海辺のカムバックヒーローでしょうか。

小さな港町にベストマッチですが、今はもうありません。

串本大島フェリー2016年09月05日 18時25分09秒

串本フェリーは、1972年7月に串本と大島港間に就航しました。
串本大橋が開通した1999年9月に27年間の役目を終えました。

私は巡航船の方が多く使い、いろいろな思い出を作りました。

フェリーが就航した当時は勤務地が新宮でしたので、休み以外は乗る機会もありませんでした。

でもちょっと大島に用事があるときなど、車が載せられるので結構便利でした。

串本大島フェリー

串本ー大島フェリー

串本大島フェリー

橋が出来たら廃止も仕方ないですね。

瀬戸内も島から島へ橋がどんどん架かってなくなったフェリーもたくさんあるでしょうね。こうした船があるために成り立っていた商売もなくなり、それをカバーする新しい仕事というのはなかなか出来にくいですね。

観光振興をすると言いますが、言うのは簡単ですが過疎になりつつある地方には、美辞麗句にしか聞こえません。
観光振興といって箱物施設を作って、残っている施設はほとんどありません。

普段から私は、熊野は今ある自然を大事にして、むしろ人が来にくくするといいといっています。
人間の心理というのは、そういう自然の昔ながらの雰囲気を求めたがるものなので、特に熊野地方は世界が認めた地域ですから、人は来てくれるようになると思います。

現に熊野古道を歩きに世界中から来てくれています。
ジオパークや古道歩きのガイドをしている私の友達も、最近は外国人の古道歩きが増えて、日本人より多いときがある、といっています。

串本ー大島フェリー1997年

串本大島も、自然を大事にして、自然とふれあえる仕組み作りを地道に続けていくことで、人も来てくれるようになると信じています。

地質的にも熊野は面白いところですので、その辺りも町ぐるみで積極的に発信し誘客につなげて欲しいと思います。

これからの観光振興は、ソフトの時代ですね。


JR阪和線は今朝も遅れました。
信号機の確認ということですが詳細は、わかりません。

とにかく月曜日に遅れることが多いですね。
朝会のある月曜、また会議に遅れました。

ここは串本向かいは大島2016年09月04日 16時30分33秒

「ここは串本 向かいは大島 仲を取り持つ巡航船・・・」
と歌われた巡航船。

串本から大島まで短い間でしたが島の人々の行き来を支えていました。
橋ができたのでもうすぐ廃止ということで、乗りに行った時のものです。

巡行船の行き来は今見るとロマンチックな雰囲気が漂い、さらに生活感も感じられます。

高校のころは、台風になると島から通っている連中は、公休になりましたがそれがうらやましかったです。

就航以来たくさんの人を運んできたのですが、橋ができて必要がなくなり廃航となってしまいました。

「歴史と自然に包まれた観光の島づくり」を目指すためにという目的で平成11年に橋が架かりました。しかし町の賑わいとしたら、橋のかかる前のほうが元気があったような気がしてしょうがありません。

大島港で巡航船待ちをする間、食堂で食事をしたり地元の人との交流ができたのですけど今はどうでしょうか。

もともとは、大島港は大阪と江戸を結ぶ廻船の停泊地として栄えたところです。
アメリカからペリーがくる62年も前に通商目的で訪れたところでもあります。
今は訪れる人もまばらな、小さな漁港となってしまいましたが、今では想像もつかない活況を呈していたといいます。
昔から大阪を出た船は、この港に留まり、風待ちや潮待ちをし、再び江戸に向け乗り出して行ったのです。
島には、そんな船乗り相手の遊郭も栄えていました。
串本節には、「障子あくれば 大島ひと目 なぜに佐吉は山のかげ・・」と唄われましたが、佐吉とは、人の名前ではなく、佐吉楼という遊郭のことでした。

「海難1890」の映画で、かたせ梨乃さんの遊女が、裸になって遭難したひとを助けましたね。

串本ー大島巡航船1997年

船の向こうに橋が見えます。

串本ー大島巡航船1997年

串本ー大島巡航船1997年

串本ー大島巡航船1997年

船の後ろ姿というのは何となく哀愁が漂います。

串本ー大島巡航船1997年

この当時から、車が積めるフェリーが並走していたので、巡航船はあまり乗る人もなくなっていました。フェリーが就航していないときはデッキまで人が乗っていたっときもありました。

串本ー大島巡航船1997年

時代といえばそれまでですが、こうして当時の写真をスキャンして改めて、これでいいのか、と疑問がわきます。

この巡行船そのものは、現在、和歌山の加太から友ヶ島の定期観光船に使われています。

1982年1月串本2016年08月30日 17時42分47秒

家に早く帰ったときは、古い年度のネガを引き続きスキャンしています。
昨日は1982年でした。

串本は橋杭のスナップでした。
作品として出さなかったので記憶に残っていませんが、なにやらあちこち撮っていました。

冬の海水浴場です。
何となくもの悲しさが漂っています。

1982年串本

スルメイカ。これがまたおいしいのです。

1982年串本

寒い中でのスケッチ。

この橋杭岩は、砂や泥が海底に堆積してできた堆積岩中の割れ目に、マグマが貫入して冷え固まったものだそうで、その後、隆起し、柔らかい堆積岩は海の波により侵食され、硬い火成岩の部分が断続的に取り残されて、橋脚が並んだような地形となったと言うことです。

気の遠くなる時間でこうなったと思いますが、台風の時はこの岩に波が砕けて迫力があります。

朝焼けの立岩は写真家の間でも人気です。
私は近くにいながら決定的瞬間は撮ったことがありません。

1982年串本

ツーリングに来ていた二台。
右は当時欲しいと思っていたホンダシルクロード。
向こうはカワサキの750かな。

当時はフリースの服があったかどうか忘れましたが、もしあったとしてもずいぶん高価だった気がします。

私も冬は風の通り抜ける寒い防寒着で走り回りました。

今着ている防寒服はほとんど寒さを感じません。

素材がすごく進歩しています。

当時のスタイルとしても、この人は防寒対策ばっちりですね。

1982年串本

これから出発です。

1982年串本

このシルクロードのようなバイクはめっきり少なくなりました。
KLEの調子がいまいちなので、こんなスタイルの400ccくらいが欲しいのですけどね。

今朝通勤電車は、やっぱり遅れました。
天王寺駅手前でもかなりの時間ストップしたままとなり、会社に着いたのは始業時間の3分前でした。

ギリギリセーフ。

天候のせいだから仕方ないですね。