一日雨が降った。今日の雨は粒が大きかった。 ― 2024年02月21日 20時45分41秒
今日は一日雨が降った。
ジャケットが濡れた。
今古い写真を整理している。
まず串本の家。
これは大分後の年代である。私が子供の頃は塀の前の道がむき出しで、イトミミズがたくさいた。金魚などの餌にした。
たまに上流からご飯粒が流れてきた。
塀のひび割れは地震の時ときく。
串本の家はどの家も塀が高かったり頑丈だったりした。
波と風に負けないように作られていた。
今はこの土地も売ってしまい、4階建てビルに変わっている。
これは1967年出雲の村の写真である。
多分能登の村もこんな感じで海と山に囲まれているのではないかと思う。
大きな津波が来ればひとたまりもない。
船着き場でここでよくウナギを釣った。
魚市場でサンマ(串本ではサエラ)が捨てるほど大量に獲れている。
今は昔。
その魚市場の遠景。
チリ津波の時学校をサボって津波を見に行った。
沖の船が横たわるように腹を見せ、それからこの市場に津波が押し寄せた。
センモンカのいうように10mの津波が来れば串本の町などひとたまりもない。
私の家は2度も浸かっているらしい。
戦争中と南海地震であり、戦争中は軍部が隠した。
それから90年近い。いつ来てもおかしくない月日が過ぎている。
心しておくべきである。
一日雨が降った。 ― 2024年02月19日 19時56分07秒
今日は一日雨が降った。その分暖かだった。
昔新聞配達をしていたときこんな暖かい雨の日は嬉しかった。
とにかく暖かかった。
そんな雨の日に写真の整理をしていたらNTTのビルが建つ前の写真があった。
この荒れ地が今のNTTのビルになった。
向こうの道が国道42号線になった。
ビルが建つ前は昆虫や生き物の宝庫だったが今はビル。
右手に網を干していた「ナル」の写真がある。
沖合が左からミョウガジマとツヤジマで津波の際には天然の防波堤になることがよくわかる。東海沖からの津波はわからないが、原発があれば被害は必至。
あのとき原発を誘致しなくて正解だった。
私が育った串本の家は道を隔てた所にあり電話(2年待った)をつけるとき声かけるくらいに近かった。
今はNTTもほとんど人がなくなったが、地域の防災ビルになった。
NTTビルは頑丈にできているので安心である。
天気は良かったが寒かった。 ― 2024年01月12日 20時48分17秒
天気は良かったが手がかじかんだ。
血の流れが悪いのか手が冷たくなってくる。
手袋が離せなくなってきた。100均で買った手袋の指袋を三本ほど切って使っている。
今日はそれでも寒かった。
底冷えがした。
写真は1976年1月15日成人の日であるが、今はもう少し早く終わっている。
お的も撮っているのだがなかった。
その年に成人したものが弓を引く。
当時はずいぶんなニギワイだったので露天店もたくさんでた。
お的の後は餅まきがあった。
後ろの建物は名門串本高校である。私が三年間いた学校である。
試験中にここの神社に呪い釘を打つ人があってそれを見に来たことがある。
ふと見るとたくさん見物にきていた。
それにしても日本の政治家のみなさんはレベルが低いね。
派閥をなくすことが必要なのにASさんの一声で派閥を残したり。
茶番も甚だしい。
日本は潰れる。
朝晴れていたのに急に雨が降り風も強くなった。 ― 2023年11月28日 21時02分41秒
雨が一日降った。 ― 2023年11月10日 19時45分33秒
今日は一日雨の日だった。
どこへも行けなかった。毎朝「今日はこんなことをしよう」と布団の中で考えている。
今日は朝からHPを作る用事があった。
それが終わったのは昼前だった。
写真は1991年の11月。
昨日より一年経っているが、街はそれほど変わっていない。
今ではこんな危険な乗船はさせないだろう。
当時はこれで通った。
朝の漁港。
子供の頃は毎朝これを見ていた。
とにかく魚がよく釣れた。
当時ルアー釣りを知っていたら釣りがさらに面白かっただろう。
リニア新幹線の工事があちこちで盛んである。
静岡県知事が遅らせていると言うが、そもそもリニア新幹線が本当にいるのかどうか議論無しに工事が先走っている。
電力線工事で貴重なブナ林が壊れてしまっている。
リニア新幹線は得るものよりなくすものの方が多いように感じる。
今日は曇ったり晴れたり ― 2023年11月09日 19時29分32秒
今日は晴れたり曇ったりでハッキリしない天気だった。
こうして段々寒くなるのかな。
だといいけど今年はお米の格付けも余り良くないとか。
全体にいよいよ末期症状が出だしているけど、中央の人達は知らず、自分の保身にばかり走っている。
なんとかしないとダメだけどね。
写真は1990年の11月の串本大島巡航船そよかぜのスナップ。
なんとなくまったりしている。この時辺りが串本や大島にとって一番いい時だったように思う。
まだ橋は架かっていない。景色の良さ。
オオタニサンのFAを巡っていろいろ言われている。
私としてはエンジェルスに残った方がいいのじゃないかなと思う。
そして来年こそはエンゼルスが優勝すれば面白いな。
監督も替わるしちょうどいいかもしれない。
それにしてもあちらの契約金は桁違いだね。
さてどこの球団に行くかな?
今日は一日ホッコリしない寒い日 ― 2023年10月14日 17時56分55秒
今日は一日降ったり止んだり。
テクテクも行かなかった。
写真は1979年の串本でまだ大島まで橋が架かっていない。
しかし浅海ができている。
ここでグレをよく釣った。
串本の海。
のどか。
ドッグで今巡航船が一隻入っている。この堤防は当時よく釣れたのでよく竿を持ってでかけた。惜しむらくは当時ルアー釣りを知っていればもっと面白かったと思う。
今は魚種も少なくなり余り釣れなくなったと聞く。
須江の巡航船。
大島の巡航船を待つ人。
灯台から潮岬を見ている。
潮岬は和いでる日も白波が立っている。
これがたまらずいい。
この頃は観光客もたくさんいて専用の写真撮りもいた。
今は皆がスマホで撮りっこする。しかしこれの方がいかにも写真という感じがする。
橋杭でのスナップ。
ゆで卵売りのおばさん。これで生計を立てていたのか長いことここで卵を売っていた。
また買う人もたくさんいた。
いい加減に涼しくなってほしいね。 ― 2023年09月19日 20時26分23秒
もう9月も後半になるがこの暑さ。
今年の冬は反対に大寒・大雪になるのではないかと思ってしまう。
夕方少し涼しくなったかな。
日本の天候も四季ではなくて三季あるいは二季になってしまうかも。
生態系も狂ってしまいそうな長い夏になった。
俳句歳時記も当てはまりそうにない。
暑い。
写真は1978年9月の獅子舞の練習風景で、この日は天狗の役をする小学生も呼んで街の長老にその練習の成果と指摘を受けている。
その後は一杯をするのが習わしである。
私は屋台を担ぐしか能がないので見ているだけ。当時は喰ってのむだけ。
当時お年寄りは、うんちくとほかのものの生き様をいろいろコーチしてくれた。
いまでも心に残っている言葉がある。
そうした意味でも当時の寄り集まりは意義がある。
最近はこういう所が少なくなって来ているし集まらなくなってきているね。
司馬さんが各地の、若者ばかり集まった場所にこだわっていたが、こういう集会所が今、必要に思う。
朝気温が大分下がっているように感じる。 ― 2023年09月03日 21時37分48秒
えらいもので9月の声を聞くといっきに温度が下がってきた。
台風は来ているけどね。
今日はどこへもテクテクをしなかった。
夕日が毎日綺麗であるが、丸田川のように川面にその光を映さない。
それが少し残念である。
写真は1975年の串本のどこかの海岸である。
そういえばこのハコフグを内臓は食べなかったけど肉を食べたことがある。
かんてきで焼いて食べたが美味しかったのをおぼえている。
こうして棄てられてしまうと生きて繁殖できなくなる。
せめて食べてしまうのが本来だと思うけど、食品ロスは日本が半端ないと言うことである。スーパーやコンビニの期限切れを食べてまだ当たったことはない。
賞味期限がいかにいい加減なものか。
今日もオオタニサンは四球を2つ受けたけど試合は負けた。
本当どうなるやろね。
蒸し蒸し暑暑の一日だった。 ― 2023年08月18日 21時36分52秒
今日は蒸し蒸しした。
気温も上がったままであった。
写真は1980年8月串本のウインドウサーフィン大会の模様である。
次の年くらいに死亡者が出てイベントがなくなってしまったが、続ければ面白い大会になっていたと思う。
橋杭岩がすぐそこである。
選手が集まっている。
のどかな大会でもある。
さあ競技が始まる。
一斉に沖に行く。
優勝。
ニュースでウクライナ捕虜のことをやっていた。
ロシアの捕虜できちんと自分のことを言っていた。
本音の部分がたくさんあると思うがPさんはなんと言っているのかな。
幾分泥沼化してきているが、ゴルゴ13みたいな人がいる。
マイナンバーカードでワイワイしていては世界中から笑われる。
もっと真面目に国民を考えてほしいね。
じっくり考えればウクライナ情勢もPさんのこともマイナカードことも分かるだろう。
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