いい天気が続く。 ― 2026年08月19日 10時45分01秒
一日雨だった。 ― 2026年06月26日 10時27分56秒
どことなく春めいてきた。まだ寒いが。 ― 2026年02月11日 21時56分51秒
傘は要らなかった。空の重い一日。 ― 2025年10月10日 10時02分47秒
今日は雨が降りそうで降らなかった。
今日はボールペン例会であった。
オオタニサンの試合があったのでスマホで見ていた。
意外な幕切れであったがドシャースはとにかく地区優勝をした。
クリニックが近かったので痛み止めをもらおうと夕方の部の診察開始まで待っていた。
その間22年生まれの方が色々話を仕掛けてきた。
ふたりで「昔はよかった」という結論になった。
4時半が午後の部なので他にも色々話をして別れた。
写真は1973年10月10日のものである。
しかしTさんの組閣を見てあのマフィアを気取っている老害が再びよみがえった。
これではK党もいやになるだろう。
ま、政治の世界はわからないことだらけだけどTさんの手腕を女性ということで楽しみにしていたけど、組閣を見てこれはこれはと思った。
Tさんはにっこりしなくてもいいところでしなを作る。
とにかくこれでは前のIさんの方がよかった。
まだ暑い一日だった。 ― 2025年09月18日 18時27分58秒
もう秋だというのに暑い日が続く。 ― 2025年09月17日 17時53分56秒
今日も暑かった。 ― 2025年09月02日 23時14分54秒
いい天気だった。 ― 2025年08月14日 19時07分51秒
正常な夏らしいい天気だった。
その代わり暑かった。
写真は2010年8月14日である。
串本に里帰りした時のものである。
盆踊りだ。
串本では、その年の初盆のいえの人が踊りに参加する。
私が子供の頃はもっと賑わっていた感じがする。
この当時でも人影はまばらである。
美術のM先生の指導の元に作られた「笛吹き童子」
私も含め、3人で作った。
高校の頃はこの場所ではなくもっと東にあり後ろにコンクリだが、滝があった。
この像だけが壊すに壊せなかったのだろう。
今は2025年、この写真を撮ってすでに15年経つ、今はどうなっているのだろう。
オオタニサンが投げて打ったが試合には負けた。
結局2位に転落してしまった。
ドジャースの決定的な押さえがないのが響いている。
今日も暑かった。 ― 2025年08月05日 19時05分24秒
引き続きいい天気。 ― 2025年04月08日 22時01分00秒
串本3日目も引き続きいい天気だった。
実はこの旅の目的は、墓仕舞いだった。
串本のお墓は綺麗な事で有名だったが、ここも例に漏れず過疎化の波を受け墓仕舞いが増えているという。
そういう私もそのひとりであるが、昔は賑わった墓地も閑散としていた。
墓石がすべて撤去され塩がまかれている。
もう先祖もここにいなくなった。
骨はここに埋められている。
般若心経が一面に書かれたお堂に収められている。
はじめは一文字一文字が子供達が書いたと思っていた。
よく見ると同級生の名前があった。
この納骨堂にたずさわった人達が書いたようである。
私が6年間通った小学校の裏門。
当然私の時分は木造だった。
串本では町長と町会議員の選挙が行われていた。
13日が投票日らしい。
町会議員立候補した人は知らない人ばかりだった。
駅にあるビルフィッシュトーナメントで釣れたカジキの模型。
泳いでいるときこんなのに出合ったらビックリするだろうね。
駅の待合室。
トルコの事がよく紹介されているが今こそアメリカとのつながりを強調すべきだと思う。
みどりの窓口がなくなりリモートで特急券を発行してくれた。
はじめは駅員さんが発行をしてくれると思ったが、大阪あたりで受付をしている感じである。
だから窓口はなくなり駅員さんもひとりである。
一時間近くまつ普通列車。
確かに近いうちにこの路線そのものの存続が危ぶまれる。
串本の街中を走ると昔小さい頃は広く感じた道もずいぶん狭く感じるようになった。
過疎が言われて久しいがこれを抜け出すいい手立てがないかいつも考える。
これは日本だけの問題ではない。
かと行っても世界ではまだまだ人口が増え続ている国もある。
むずかしい問題である。
帰りは揺れを避けてシンカンセンを使った。
費用もかかったがやはり快適だった。































































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