今朝は0度だった2020年03月17日 23時10分11秒

今朝は思ったより寒かった。
玄関の温度計は0度だった。
同じ温度でも真冬と今とではなんとなく違い、めちゃくちゃ寒いという感じではなかった。やはり太陽が顔を出した時のパワーが違うのかなと思ったりする。
それでも峠では路面がシャーベット状に凍っていた。

今日のyahooニュースでイタリアのベニスの運河の水が、透明になり魚の泳いでいるのが見えているというのがあった。
イタリアはコロナ禍で日本よりも大変なことになっているが、観光客が減れば別の顔になるというのが分かった。
きれいになったわけではなく船の行き来が減り、水底の泥が巻き上がらなくなっただけとは言うが、底の見える海というのはなんとなく清涼感と安心感がある。

コロナウィルスにはサッカー協会の偉い人もかかってしまったが、熱を出したお相撲取りは陰性だったとか、不幸中の幸い。
スポーツが軒並みアウトの時、せめて野球と相撲ぐらいは観客がいなくても見せてほしいね。

いずれにしろ今度のコロナ禍は経済はどうあるべきか、結局は自国で完結する方法を考えなさい、という啓示かわからない。

写真は1976年3月の街角。

1976年3月街角

1976年3月街角

1976年3月街角

1976年3月街角

1976年3月街角

大雨のち晴れ2020年03月08日 22時22分49秒

今朝目覚めると雨音が大きかった。
天気予報通りの雨だった。
どこへも行けない。

仕方ないので頼まれていたホームページを作り替えた。

最近あまり根を積めたページ作りをしていないので時間がかかった。
まだ終わっていないが切り上げた。

夕方洗面台の蛇口からの水漏れがひどくなってきたので直しにかかったのだが、どうしても外れないホースがあり修理を断念し、新品を買いに行った。
展示品のみというのが安くなっていたので買った。

ホコリがたくさん残っていたのでさらに負けてもらった。
それでも結構な値段であった。

写真は1976年3月の古座の海岸での芽海苔とりである。
今もこういう風景は見ることができるだろうか。
結構小遣い稼ぎになるのでやっているかわからない。
でもこの写真に写っている人はもうやっていないと思う。

芽海苔取り

芽海苔取り

芽海苔取り


芽海苔取り

芽海苔取り

ここは串本向かいは大島2019年12月04日 21時26分46秒

今朝は3度だった。
本格的な寒さの日が続く。

以前からスキャンしているフィルムのなかには年度が違っても巡行船の写真も多い。
写真は1990年12月。
この緩い感じがよかった。
橋ができてから何となくざらついている。

今この船は加太で活躍している。

巡行船

よく乗った。台風が来ると欠航し、大島から通っていた高校生は喜んだ。

巡行船

巡行船

巡行船

乗る人も少なくなった。

巡行船

もうすぐなくなるので記念撮影か?

巡行船

串本の町が遠ざかる。

巡行船

大島に着いた。

本格的に寒くなってきた2019年11月20日 18時07分46秒

今日会議の後昼食をしたが、上司が若いころ串本にいたということで話が弾んだ。

魚がいくらでも捕れたことや竿で魚を釣らず、ヤス(串本ではチョッキといった)で突い
たり、タコやクエなどを釣った話をした。
私の中学生から高校の間に串本に来ていたということで、串本のいい時代の最後にいたのかもしれない。
そのころ道ですれ違ったかわからないねと言って笑いあった。

そういえば最近は魚もいい話がない。

ただし、今日、ラインで日高の沖で130㎝のクエを釣ったと書き込みがあった。
これを一人で上げたとなるとすごい。130㎝のクエだとかなり格闘したのではないかと思う。

友人は周参見の港でクエらしきものをかけたのだが、竿が見事に折れてしまい逃がしたという。それから病みつきになってかなり通ったといっていた。

それほどに紀南の海は楽しいところだったのだが、今は「魚が減った」というさみしい話ばかりである。

ダムができ、埋め立てがあちこちやられて、生態系が変わりおかしくなった気がする。
話の中で震災で津波が来た東北の海岸で、高い堤防を延々と築いている話にも及んだが、もしそんな堤防を串本に作られたら耐えられないだろうと思う。

昨日も書いたが、自然を知らない人が防災構想を考えるとろくなことがない。
串本も埋め立てをしてからろくなことがない。

写真は1990年11月の大島街角である。
ゆるい空気が何とも言えずいい。

大島

大島

大島


大島

ウミガメのことなど2019年09月28日 20時47分32秒

串本は土地も狭く田も少なく牧場もないため、海からの恵みで生きてきた。
鯨や亀は、貴重なタンパク源であった。
それがいつの頃からかウミガメの生息数が減り、絶滅危惧種の保護動物になってしまった。
鯨はいろいろとややこしい問題を抱えながら、漁をしている。
牛肉を食べるのには抵抗がないくせに、野生動物が殺され食卓に上がるとかわいそうだという人たちがいるが、どこかおかしい。

写真は1973年の我が串本でのウミガメの解体風景である。
私の子供の頃は時々こうした風景があった。
亀が上がると近所が集まって大きな鍋で亀の肉をゆで、皆でつついた。
味はすっぽん料理の匂いをきつくした感じだが、おいしい。
栄養たっぷりの感じがする。当時は醤油だけで食べた。

私が子供の頃の記憶からすると、年間捕獲した亀はせいぜい50頭くらいだったと思うが、それぐらい捕獲しても減ることは無い。
小笠原では現在も130頭程度捕獲が許可されているそうである。

私は亀が減った理由は、産卵場所を減らしてしまったためだと考える。
大事な砂浜や渚を不必要な埋め立てや護岸工事をして、彼らの産卵場所を狭めてしまったためである。

人間の経済活動が彼らを存続の危機に陥らせ、少なくなってきたから保護しようといっても、もう遅い。

ウミガメ

解体している所も昔は砂浜だった。

砂浜が昔のまま残っていたなら、何百匹いやもっとたくさんの亀が生まれたはずである。亀は生まれた浜に産卵しに戻るが、産もうした砂浜が、コンクリートで覆われていたら産卵場所が無くなる。この浜もすでにコンクリートで覆われている。
亀の産卵は不可能である。

ここが元の砂浜なら少なくとも10頭の産卵場所はある。
1頭200個ほど産卵するとして、2000頭がこの浜を巣立つ。
成体になるのはそのうちの一割にも満たないと言うが、10頭ほど戻れば以前の親亀も合わせ総数は増えても減りはしない。
この単純な計算を狂わせたのが、人間の経済活動であると言うことをわかってほしいのである。

写真はもっとたくさん撮ったのだが、少し刺激が強いシーンがあるので2枚にした。

彼らが産卵できる砂浜がもっとたくさんほしいが、かなり絶望的である。
それに加えて最近ではプラスチックの問題でも深刻な影響があるとニュースでよく出る。そのうち絶滅してしまうのでは無いかと心配している。

ウミガメ

串本の我が家・・今はもうない2019年09月25日 12時41分09秒

今日もさわやかな朝であったが、また電車が延着した。
環状線へあちこちの路線が乗り込んでいるので、ひとつの路線が遅れると全部が遅れる。
朝の気合いをそがれる。

まして今朝のように立ちっぱなしだとつらいものがある。
昨夜も大幅に遅れていた。案内の放送がまちまちで、乗っているものにはつらいものがある。

写真はスキャンしたものの中にあった、串本の我が家である。
塀のひび割れは地震の時のものらしい。

子供の頃はこの塀にボールを投げてよく遊んだ。
道のすぐ向こうは浜でイワシの丸干しなどをよく干していた。
今はこの場所に4階建てのアパートが建っている。




だいぶ涼しくなってきた2019年09月24日 13時20分11秒

朝晩だいぶ涼しくなってきた。
ヒガンバナもだいぶ出てきた。
来週ぐらいは写真に撮るのにいいだろう。

わがふるさと串本は潮風が強く、車もエンジンより先にボディがいかれて寿命も短かった。最近のクルマは防錆がしっかりしているのであまりひどい錆は出てこないが、当時は新車から錆びだす車もあった。

結果、こうしてスクラップが増える。最近のスクラップ工場の廃車は今にも走り出しそうなものばかりである。

私が当時乗っていたスバル360もホンダライフもボロボロだった。
パテをもって何とか修理していた。

写真は1973年のスクラップ工場で、ここは今はない。




釣りが盛んなところがよくわかる。



キリギリスみたいになっている。

やっと雨が降ってちょっと涼しくなった2019年09月13日 12時15分02秒

朝からショックなことがあった。
オオタニサンがひざの手術をし、今シーズンの出場は絶望だとか。
彼が出る試合はスマホで時々チェックしていたが、楽しみがなくなる。
早く治って万全の態勢で次のシーズンを迎えてほしい。

昨夜は涼しい風が吹いて夜も暑くなかった。
このまま暑くならないでほしいね。
お月さんがきれいだった。
そういえばお月見も近い。

写真はカラーが1975年、白黒が1979年のもので、白い大きな建物はNTTビルである。
この建物は災害時避難場所になっている。10mの津波が来るとこの建物でもやばいが、NTTの建物は必要以上に強度があるので大丈夫だと思う。
NTTビルの西側の道を隔てて私の家があった。

家の電話をつけるときこのビルから直接、
「おい、電話工事終わったか?」
と声が掛けられた。
それくらいの距離にあった。

漁港を守る各堤防の周りは、魚が豊富で、自宅に帰った折にはガシラやハタ類をよく釣りに行った。
外道でウツボがよくかかった。

今でも帰ればルアー釣りで竿を出すが、昔ほどは釣れない。
しかしボウズはないから、さすが串本である。

カラーの写真を撮った場所は、山の上にあった畑まで登る途中の道で、「コエタゴ」(人糞をいれたおけ)を天秤棒で担いで畑までかついでよく登った。
下手に担ぐと桶がゆれ中で人糞がはねて服に引っかかった。

カラー白黒ともに今では景色も変わり、同じ位置からは写真を撮れないのではないかと思う。

今ではレストランなどもできて、このいかにも漁港という感じは薄れてきている。

串本漁港1975年

串本漁港1979年

写真を見る限りでは、10m級の津波が来たらひとたまりもないことがよくわかる。
祖父は津波の時はこちら側の山ではなく、津波を背にして向こうの山に逃げよとよく言っていた。こちらの山に逃げようとすると、逃げている間に海から波が来るという。
正論である。

ちょっとは涼しくなるかな?2019年09月12日 12時16分22秒

北から涼しい気団が下りてきそうな感じで、少しは涼しくなるかな。
このまま涼しくなってほしいね。
千葉のほうの災害復旧は進んでいないということで、これは予想していた。
わかいころ私の前の会社では台風の毎に災害復旧をやったが、当時の上司は指示が的確でまだぺいぺいの私もいい勉強をさせてもらったが、東京のほうは大きな台風が来ないからそういうノウハウを持った人がいないので復旧がおくれるのじゃないかと思っていた。

それはあたった。

一日でも早く回復させないとこの暑さで、また事故が起こる。
頑張ってほしいね。

写真は1975年。大島巡行船の待合室?風景で、廃車のバスを使っていた。
当時はたくさんの乗客がありこの待合室は重宝されていた。

巡行船待合所

巡行船

巡行船待合所

巡行船待合所

巡行船待合所

巡行船待合所


何とものどかな風景である。
最近は巡行船もなく、人も少なくなって、この桟橋もさみしくなった。
大島までの道路もついてさらにさみしくなった感じである。
道がつくと生活が変わる。
へき地対策でいい道をつけると、町にひっこす人が増えて以前よりも僻地になったところもたくさんある。

これで高速道路が新宮まで伸びると、串本は素通りされさらに訪問客が少なくなるような気がする。

原発建設に反対した頃2019年08月23日 22時56分23秒

前の会社の組合でいろいろなデモやストを経験したが、この原発反対闘争は今でも意義があったと思う。
連日地域の人たちと反対運動をしたが、もし紀南に原発が出来ていたらと思うとぞっとする。

東南海地震では3分後に10mの津波が来ると言うが、もし原発が出来ていたらそれらは福島ぐらいの被害は覚悟しなくてはいけないだろう。

よくぞ断念させたと思う。

最近は日本ジオパークとして自然の成り立ちなどの、証拠の景観がクローズアップされている。
この貴重な自然のあふれるところに原発を建設しようという、その発想がおぞましい。
辺野古などどれだけ自然を壊せば気が済むのか、なぜそっとしておいてくれないのか。

オリンピック会場でもあるお台場の海は下水が流れ込むので大腸菌が基準の数倍以上あり、トライアスロンで泳いだ選手が何人も腹痛を訴えたという.
下水処理を別ルートにせず雨が降ればそのまま海に流すという中途半端な施設を作っているのでこうなる。
そんな下水道はだめだと当時反対したのは、確か、K党だけだったと記憶する。

大腸菌うじゃうじゃな海を作っておいて、誰も責任をとらないし改修計画もない。
フィルターでフェンスをしてその場しのぎのことをする。
真夏のオリンピックトライアスロン競技のスイムはどうするのだろう。

さみしいね。

写真は1978年6月原発反対闘争で盛り上がった日のもの。

最近その予定地近くにロケット打ち上げ基地が出来るという。
それの方がはるかに夢があり雇用も増えるのではなかろうか。

原発反対闘争の頃

原発反対闘争の頃

原発反対闘争の頃

原発反対闘争の頃

原発反対闘争の頃

原発反対闘争の頃

原発反対闘争の頃

昨日はツンドラの氷が溶けていると書いたが今朝のBSニュースではアマゾンの山火事は大変なことになっているとか、アマゾンが砂漠になれば、もう人類は生きていけないだろう。
早くなんとかしないと地球上の生物が生きていけなくなってしまう。