紀南ではめちゃくちゃな雨だったらしい2020年09月25日 20時45分31秒

今日は紀南地方に大雨が降ったそうである。
1時間120mmというとてつもない降り方だったそうで、フェイスブックの書き込みでも新宮の国道が川のようになっていた。
天気図を見ても赤い所が紀南を覆っていた。
本当に異常気象が続く。

先日花園村に行ったが、そのとき神社を回った。

最初にいった下花園神社は、有田川の上流に沿う梁瀬橋の南峯山腹にある。
この社は、花園荘梁瀬村と付近の有中、峯手、中越、古向、臼谷、池の窪、敷地の氏神となっているそうである。
境内に八幡宮、稲荷社がある。

毎年正月8日には、若衆男子による豊穣を祈る「花園御田の舞」の行事(国の重要無形民俗文化財指定)があるというがまだ見たことはない。

又、近くに弘法大師開創という遍照寺があり、61年目ごとの閨年10月に法華経の説く女人成仏を劇的に演じる「仏の舞」(県指定無形民俗文化財)があるがこれはずっと以前見た。
小学校や保育園が隣接してあり、運動場からすぐ本殿がある珍しい神社である。

下花園神社

下花園神社

元々の木は枯れてしまったが、枝がたくさん伸びている。楽しみである。

下花園神社

下花園神社

次にいった上花園神社は、平安時代に殖産興業の神として創建されたといわれ、その後、花園荘の氏神として祀られ、とくに南北朝時代の長慶天皇の崇敬が厚かったといいう。ここは高野への道にあるので何度か参詣したことがある。

本殿は一間社春日造で、天保5(1834)年建立ということである。
1月10日に「御田の舞」が行われ、本来は菩薩面、鬼面、鼻高面、等の面、20余面があるが現在は、人口減により鼻高面だけを使うらしいが、まだ見たことはない。
なお面箱に「文保元(1317)年六月十五日、日州住侶再興永禄五年十一月一八日貞宗敬白」とある。
大きな杉に囲まれた社である。

上花園神社

上花園神社

上花園神社

上花園神社

上花園神社

上花園神社

今日もいい天気だった2020年07月02日 22時48分34秒

今日もいい天気。
朝からまた一つホームページを新しくした。
やはり昔時間がなかった頃のは作りが荒く、デザインも悪い。
それに画像が重いのでリサイズしながらページを作り替えているので時間がかかる。
しかし楽しい作業ではある。

あれこれ作りたいのはたくさんあるが、最近のはブログに任せている。
ページの容量が多くなると追加料金を取られるので軽く軽くしている。
あまり軽くすると今度は画質が落ちてみるに耐えないようなものになる。
そのさじ加減が難しい。
今旅のページを作り直しているが、行ったときのことを思い出しながらリニューアルしている。
よくあちこち行ったなと思う。

yahooのニュースを拾い読みしていたら、『米科学誌「プロスワン(PLOS ONE)」に掲載された論文によると、豪ウエスタンオーストラリア(Western Australia)州の遠隔地の沿岸水深約2メートルの海底で、7000年以上前にアボリジニの人々が作製した古代の石器が数百個発見されたという。』という記事があった。すごいね。
これでオーストラリアの原住民の暮らしぶりがわかったらすばらしい。

日本では卑弥呼がどこにいたかというのが未だにわからないが、私は、古事記や日本書紀を作るとき都合悪いから歴史の事実から抹消されたのではないかと思っている。
きっと時の権力を握ったものが、卑弥呼がいたと言うことを後の世に引き継ぎたくなかったからだろう。
もし彼女がいたら天皇家を立ち上げるとき都合が悪いと思う。
秦の始皇帝がやったような焚書に近いことをやったのではないだろうか。

それは現在もある。
大事な公文書を、「それらの文書は廃棄しました」といとも簡単に、廃棄したとのたまう忖度マンがいつの時代にもいる。

写真は、最近“日本のアマルフィ”と呼ばれている雑賀崎の1975年7月のスナップである。急峻な地形に建物が張り付いたような独特の景観は、確かにアマルフィとよく似ているが、1975年当時は町中もクラシックで今より遙かによかった。

1975年7月田ノ浦漁港

漁をする舟はほとんどすべてが同じ色塗りで、これだけでもかなりインパクトがあった。

1975年7月田ノ浦漁港

1975年7月田ノ浦漁港

1975年7月田ノ浦漁港

今日も快晴。熊野古道を少し散策2020年06月08日 21時59分49秒

今日も快晴だったがハローワークに行かなくてはいけない日だった。
朝早くからの”出社”だったが、その時間設定はテキトーだった。

とにかく処理を済ませ、熊野古道は今どうなっているだろうか、と気になり、山中渓駅まで走った。
山中渓駅でツバメのヒナたちが元気に騒いでいたが先客が一生懸命写真を撮っていたのでパスした。

古道そのものの変わりはないが、所々崩れたのか補修工事を二カ所ほどでやっていた。
大阪府と和歌山県のちょうど境に日本最後の仇討ち現場だという碑がたっている。
1862年に、高野山であった仇討ちが最後というが、これは1857年である。
高野の仇討ちの方が新しく参加者もたくさんいて地元の人たちが双方の死者を丁寧に弔っている。やはり高野の仇討ちの方が最後というのにふさわしい。

熊野古道

今は草に覆われている。少し貫禄が出てきている。


以前の碑で何もなくむき出しの状態である。もう20年以上前の写真である。


ここを境橋という。大阪と和歌山の境である。前を南海が走っている。


和歌山最初の中山王子は、生け垣の木が大きくなり、電柱が目立たなくなっていた。
これはいいね。


以前歩いたときのものだが、電柱がもろに見えている。
これも20数年前の写真である。


坂の途中にかわいい地蔵さんが2体あった。
以前歩いたときあったかどうか記憶が全然ない。
もしあったら写真に撮っていたはずだが・・


日よけがとってつけたようだがユニーク。名前もユニーク。


これは何というお地蔵さんか知らないが、独特なお顔立ちをしている。


少し間を置いてたっている。


和歌山への道の途中に巨大な高速道路の橋脚があるが、なんとなく危なっかしい。
この下には活断層が走っているのだけどね。


次の山口王子も訪ねたが、木が生い茂り万葉和歌も字が読みづらくなっていた。


この写真も中山王子と同じ日に撮影した20数年前のもの。この日はめちゃくちゃ暑かった。



家に帰ると蜂がまた2匹羽化していた。2匹とも逃がしてやったが、よく見るとアメリカジガバチである。
これまで4匹羽化したが、あと何匹残っているのだろうか。
ファーブルなら次のが出るまでずっと待ち続けるのだろうが、私はできない

夕方野菜に水をやったが、キュウリの花が咲いていた。ゴーヤの蔓もだいぶ伸びてきた。楽しみである。

今日は風が強かった。2020年05月07日 16時36分08秒

今日は風が強かった。
郵便局に用事があり、普段はバイクか車で行くところを歩いた。
結構遠いので時間がかかった。
普段は見ることのできない景色があり面白かった。

交差点に地蔵さんがあった。

貴志川町街角

バイパス工事の前は別の所にあったらしいが工事の都合で引っ越してきたようである。
次は地蔵寺。この町に引っ越してきてはじめて中に入った。
小さいがなかなかいい寺だった。

貴志川町街角

貴志川町街角

貴志川町街角

貴志川町街角

貴志川町街角

郵便局のATMを利用する人のために椅子を3脚ほど建物の外に並べていて、おばあさんが一人座って、前の人がお金を下ろしてくるのを待っていた。
事務所の中はビニールシートで覆われている以外は普段と変わりはなかった。
郵便局で用事を済ませちょっと遠回りをした。

近くに古墳があったのを思いだした。
丸山古墳である。
古墳はあった。木が生い茂り、藪になっていた。いわれないと古墳とはわからない。
しかしいろんなものが出てきたようで案内看板に、説明があった。

貴志川町街角

いい加減に案内板を更新してほしいね。

貴志川町街角

貴志川町街角

竹藪にしか見えない。

道は古墳を巻くように続いている。
まるた川に沿って歩いた。
ここは少し前までバスなども泳いでいたが、今は鯉だけが見えていた。
少し気になったがフナの群れがいないことで、いま時分は群れをなして泳いでいないとだめなのだが、全国的に少なくなっている感じである。

貴志川町街角

川は思った以上に長かった。

貴志川町街角

一昔前には家などなく田ばかりであったが、もう住宅地になってきている。
川は草が生い茂りなかなかいい環境のように見えた。
少なくとも川床をコンクリートで覆っていないところがいい。
大きな車道に出たが結構車が多く歩道が切れたり細かったりで危ないので脇道に入った。

貴志川町街角

しばらく歩くと神社に突き当たるが、ここは地域の氏神である。
ここまでの道も、一昔前はいい町並みであったが今は真新しいおしゃれな家が多くなっていた。
神社にあった自動販売機でジュースの小さいのを買った。

貴志川町街角

この神社がどういうものかはわからない。

貴志川町街角

神社の神木。

貴志川町街角

多羅乳女神社本殿。

貴志川町街角

護国神社もある。

結構暑かったが、風が強かったのでそれほど汗はかかなかった。
家に帰ると12000歩を超えて歩いていた。

久しぶりの法隆寺2020年02月24日 22時37分43秒

昨日NHKの番組で法隆寺のことをやっていた。
いきたがりは法隆寺に行きたくなり、昼前に家を出た。

法隆寺はいつも通り堂々としていた。
境内をウロウロ見ていると、法隆寺の職員さんらしい人が、
「NHKでテレビ放映すると人がやってくる。凄い影響力です」
といいながらいろいろ説明してくれた。

法隆寺

実は法隆寺に来たかったわけは、番組中で金堂の扉の格子は継いだものではなく一本の木を切り抜いて作っているといっていたのでそれを見たかった。
なるほど格子に継ぎ目はなかった。

法隆寺

金堂の屋根を指さして、
「あの屋根の途中で瓦が何枚か重ねて並んでいるのが見えますが、なぜかわかりますか?」
と問われた。
「いえわかりません」
「あれは上の屋根からの雨だれを直接下たの屋根に落ちないように工夫されているのです」
なるほど。
「もうひとつ、五重の塔の水煙に鎌が4本あるのをご存じですか?」
「いいえ」
「あれは法隆寺の不思議の一つでなぜ鎌なのかわかりませんが4本あります」
そういえば鎌らしきものが見える。

法隆寺

法隆寺

法隆寺

法隆寺

法隆寺

法隆寺

法隆寺


久しぶりに百済観音も見たが、明日から東京での展示のために運び出すということで、今日はラッキーだったのである。

コロナウィルスの影響かいつになく人が少なかった。
久しぶりの法隆寺だったがゆっくりと落ち着いてみることができた。


せっかくの休みが雨2020年02月16日 20時57分47秒

今日は貴重な休みなのに雨。
それも一日降り続いた。暑いのか寒いのかわからない天気だった。
テレビはコロナウィルスのことばかり。
近くの国も、この国も対応が悪いね。

世界から馬鹿にされそうなことばかり。
すべてが後手後手。
観光客をどんどん入れといて、市中感染が始まったら、感染経路が不明だと。
当然である。潜伏期間中に日本でまき散らされたのではないだろうか。
和歌山でいえば、マリーナシティなんかも外国の方が多い。
その人たちとクロスすればひとたまりもない。
特効薬もまだできていない今度の新型肺炎。
終息はまだ見えていないので、間近に迫るオリンピックはどうなるのだろうか?

藤白神社

藤白神社

藤白神社

藤白神社

藤白神社

藤白神社

藤白神社

藤白神社

国会での議論を聞いていても、野党の質問もその答えも面白みのない議論ばかりで
いやになる。ウィットのまったくない議論は聞いていても退屈なだけである。

写真は昨日博物館に行った帰りに少し寄った。
熊野古道のホームページをリニューアルしなければいけない。

紀の川市中津川熊野神社2020年01月11日 22時28分17秒

紀北地方は古くから京都の寺社の荘園だったので、歴史ある寺社が多い。
今日はそんな神社を探した。
熊野神社というのが市報に紹介されていた。
それを見に行くことにした。

熊野神社は細い道を登って山の中腹にあった。
たぶんこの道は葛城参詣を越え京都へつながっていたのだと思う。
軽4がやっと通れるくらいの道が上に伸びていた。
あまりに狭いので運転には気を使った。
普通車では苦しい道幅である。
道案内が十分ではなく到着できるかどうか若干の不安があったが、何とかたどり着いた。

紀の川市中津川熊野神社

熊野神社はきれいないい雰囲気の神社だった。
市の説明書によると、この神社は寛政9年(1797年)京都聖護院が造営したようである。
石灯籠が2対ほどあったがそのうちの低いほうの一対が正平二十四年(1369年)建立とある。
もう600年をこえてここに立っているわけである。

紀の川市中津川熊野神社

紀の川市中津川熊野神社

紀の川市中津川熊野神社

とにかく山深い人里離れたところにこんな立派な神社があるということが面白い。
修験と熊野とは切っても切れないつながりがあるのでこの神社も熊野になったのかもしれない。

葛城修験の行場として土地、中津川の人々の産土神社として守られているという。

紀の川市中津川熊野神社

正平二十四年(1369年)建立されたということが刻まれている。古い。

紀の川市中津川熊野神社

少し年代が新しい灯篭に鳥の巣があった。

紀の川市中津川熊野神社

太い杉の木があったが根っこに穴が開いていた。しかし元気な枝を伸ばしていた。

紀の川市中津川熊野神社

本殿が二棟。

紀の川市中津川熊野神社

福田美術館2020年01月05日 21時20分28秒

京都は嵐山、渡月橋にほど近いところに福田美術館がある。

今回チケットをいただいたので正月2日に行ってきたが、100年持続するような美術館を目指すというだけあって、展示品もバラエティに富んでよかった。
そして何よりも、フラッシュをたかなければ写真が自由に撮れるというのがよかった。

撮影禁止のマークがなかったので、館員の女性に、

「写真を撮ってもよろしいのですか?」

と聞いた。

「はい、フラッシュをたかなければご自由にどうぞ」

ということであった。

これはうれしいね。

名画の筆使いや色合いを記憶にとどめたい時があるが、すぐ忘れてしまう。
写真で記録しておけば、思い出す。
ニューヨークのメトロポリタン美術館でも写真を撮ったり、長い脚立を立てて複写している人がかなりいた。
さすがにこの美術館では、複写はせまいので難しいが写真なら、撮ってすぐに次の人に場所を譲れる。

3階まであり、絵と絵の間隔は他の美術館と比べると狭いが、そのほうが移動時間が短く一点当たりに長く濃密な気分で鑑賞できる。

3階にあったシャガール、モネ、ローランサンなどの絵は撮影禁止で、係員が見守っていた。
その奥に喫茶コーナーがあったが、正月で食材が届かずメニューも売り切れたので一種類しかなく時間がかかった。
かなり待たされて昼食を食べたのは2時を回っていた。

しかし多彩な展示品と眺めのいい喫茶コーナーで「見た!」という感じの美術館であった。



言わずと知れた竹久夢二。3枚あった。


これは長澤芦雪。迫力があった。


これは葛飾北斎の「大天狗図」素晴らしかった。


これも北斎かなと思ったら、蹄斎北馬という北斎の弟子が書いたもの。
ほかにも伊藤若冲、狩野永徳、大観などいろんな人の絵があった。
喫茶室からは渡月橋がよく見える。観光客の行き来がおもしろかった。


今朝のニュースでアメリカがイランの将校を殺害したと言っていた。
少し物騒になってきた。
Tさんはイランが攻撃してくれば反撃すると言っているが、目には目をの世界になってくると泥沼化してくる。

さて日本はどうするのだろう。

今日は奈良2020年01月03日 22時19分01秒

正月3日目は草津で目が覚めた。
昨夜急きょネットで検索したところ一部屋だけ開いていた。
年末に捜したところ空きがなかったのだが、キャンセルが出て空いたのかもしれない。
何とか泊まれることができ、昨夜走ってきたのである。
しかし草津にはあまり見たいところがなかったので奈良まで走ることにした。

10時に草津を出たが、奈良の入口には11時だった。
そこから奈良公園に行くのに1時間以上かかってしまった。
車がやたら多く、どの駐車場も満車であった。
こちらは市内の駐車場ではなく春日山のふもとに置こうとしたが、そこまでなかなか行くことができなかった。
とにかく車が多く大渋滞であった。

やっと車をとめたときはすでに昼を過ぎていた。
車の中で軽く食事を済ませ、新薬師寺に向かった。
新薬師寺の12神将を見たかった。
新薬師寺を出た後写真美術館に行ったが休館だった。
春日大社に一時は向かったが、志賀直哉旧居を過ぎたあたりから引き返した。

車のところに行くまでに白毫寺に参拝した。
椿は終わっており、早くも桜が咲いていた。
境内から奈良の町がよく見渡せた。

昨日は15000歩を超え、今日は11000歩を超えていた。
寺の宝物殿を見学し、靴を履くときも足が思うように動かなくなっていた。

とにかく2020年の正月3日間は、寺めぐりの感じであった。

そういえばゴーン被告がレバノンに行っているとか。
こういうことが許されるのだろうか?
また世界の国からバカにされそうなことが起こった感じがする。

007のような脱出劇である。
ひょっとしてゴルゴ13の出番かもしれない。
世界のマスコミはどういう目でこれを見、どういう報道をするだろうか。

奈良新薬師寺

奈良新薬師寺


新薬師寺の庫裡では12神将のうちバサラ大将をCGで色の復元する様子をビデオで流していた。なかなか面白かった。

奈良新薬師寺

奈良でも人力車がよく走っていた。
ちょうど志賀直哉旧居の前を通りかかったが、やたら難しい志賀直哉論を語りながら引いていた。


すれ違い。


すこし元気のない鹿が一匹。うろうろしていた。


奈良百毫寺

白毫寺はやはり花の寺で、いくつかの椿は花が残っていた。

奈良百毫寺

桜が咲いていた。

奈良百毫寺

奈良百毫寺

奈良百毫寺

奈良百毫寺

奈良百毫寺

京都二日目2020年01月02日 22時33分06秒

京都二日目。

京都の朝は冷たかった。
車のガラスは厚く霜が降りていた。

まず仁和寺に向かった。
大勢の人がいた。
ここはこれまで二回ほど来たことがあるが、時間がなかったりでほとんど記憶になかった。
今日はゆっくりと回った。
詳細はまたアップしていきたい。
というのもカメラは3台持ってきたのだが、そのうち2台のメモリーカードがXCタイプで、持ってきたカードリーダーでは読めなかった。
だからワイドで撮った写真だけである。
リーダーをのバージョンを上げなければいけない。

京都仁和寺

京都仁和寺

京都仁和寺





京都仁和寺

京都仁和寺

次は嵐電に乗り嵐山に向かった。
暮れにチケットをもらっていた福田美術館に行った。
この美術館小さいがなかなかのものだった。
うれしかったのはフラッシュをたかなかったら撮影OKだったことである。
だから気に入った絵はすべて写真に撮った。

最初に展示していたのは狩野永徳の龍図だったが素晴らしかった。
ほかにも北斎の肉筆画だったり夢二の美人画だったりで飽きなかった。
館内に喫茶室があるが、これがやたら待たされてそして売れすぎてメニューが一つになってしまった。
喫茶室からは渡月橋がよく見えた。

福田美術館

福田美術館



美術館を出た後、清凉寺に向かった。
清凉寺は渡月橋からの道をまっすぐ歩くとある。
この寺もよかった。



清凉寺を見終わり再び嵐電に乗り今度は車折神社に向かったが、人があふれるように並んでいた。
警備のおじさんが話しているのを聞いていると250人以上が御朱印をいただくのに並んでいるということで、ここでの御朱印はあきらめた。



宇多野駅に戻り、とめていたペンションの駐車場から草津に向かって車を走らせた。
草津には7時ころに着いた。