夏に酒戻りのような陽気だった。 ― 2020年11月18日 20時25分10秒
今日は夏が戻ったみたいな気温であった。
いろいろ用事がありどこへも行けなかった。明日もいい天気そうなので明日またバードウォッチングでもと思っている。
11月6日に花園に行く途中で立ち寄った。
そのとき大銀杏の葉はまだ緑だったが今頃は黄色に変わっているかもしれない。
銀杏の実がたくさん落ちていて少し拾った。
それにしても立派な銀杏だった。
長谷丹生神社は丹生都比賣命・大黒主の命の二座を、主祭神としている。
弘法大師高野山入山後も、六ヶ七郷を天の大社の社領とし、年中祭礼の料也とある。
七郷の中の長谷村(現伊都郡かつらぎ町新城地区、海草郡紀美野町長谷宮地区)の鎮守社として祀られてきた社であり、現在の社殿は明治30年に改築されたという。
10月10日神幸祭 御旅所まで青年団子供会氏子中で「山車」を先頭に神輿の渡御あるというが見たことはない。
ネンガジョウの季節であるが、⒉,3年前から来年からは出さないというメッセージを書いたのもちらほら来るようになったが、先日話をしているとそういう人に限ってすぐ亡くなっていると言われた。
やっぱり今年も出そう、と例年になく早くにデザインも決め、印刷を始めた。
例年12月末でないと完成しないのだが今年は早くに出せるだろうか。
すっきりしない天気だった。 ― 2020年11月13日 19時33分42秒
朝から定期検診に行ってきた。
途中雨がぱらついたがすぐやんだ。
病院はいつもながら満員であった。無論マスクはしている。
先日参拝した名手八幡神社である。ここは何度がきたことがあるのだが熊野古道のコンテンツとして追加したいのでもう一度見たいと思い、見に行った。
名手八幡神社は、丹生津比売大神が降臨し聖地であり古来から産土神として御奉斎されているという。
神功皇后が三韓征伐(新羅、高麗、百済の三国)の後、筑紫(現、福岡県)より御顗旋の途中、ここを訪れ、筑紫の蚊田(現、福岡県糟屋郡宇見町)で授けられた後の第十五代応神天皇の生誕を報告したとある。
その縁で誉牟田別命(第十五代応神天皇)を主祭神としてしている。
大鳥居の扁額に「八幡神社」と有るが、この額は慶安元年(1648年)子年紀州徳川家初代藩候徳川頼宣侯より奉納されたものであるという。
当神社は皇族方が熊野詣等御行幸啓の折、神功皇后がここに宿泊した古事に依り、御旅所として定められ、第七十七代後白河法皇、第八十二代後鳥羽上皇、第九十六代後醍醐天皇の行幸が有ったという。
熊野古道の旅の途中で宿泊したのである。
南北朝時代後醍醐天皇(1316~1339)が吉野(奈良県)に朝廷を開かれた折も行幸した。
今は絶へて久しいが、祭礼6月晦日には能の奉納が有り、役者は和州天の川(現、奈良県吉野郡天川)より来たり、8月15日には流鏑馬が有り馬数は大抵百騎であったと伝へられている。
流鏑馬にたくさんの馬がきていたと言うが見てみたかった。
今は中学校になっているが、当時は100頭で流鏑馬ができるほどの広さがあったのだ。またお能がかかったりしたと言うが文化度は昔の方が高かった気がする。
調べれば調べるほど和歌山は面白いところである。
徳川頼宣が書いたという扁額。
残念なことに檜皮葺きの屋根を守るためだと思うが、神殿の上に屋根があることで点数がだいぶ下がってしまう。
安高稲荷大明神とある。
歴史ある証に木々が大きい。
ここの灯籠は元の石の上を木の火屋を作っている。
本来の参道だろうがここを歩いて参拝するのは少し危険な気がする。
龍王神社もある。
いい天気だった。「鬼滅の刃」のお寺見学 ― 2020年11月08日 20時18分32秒
今日は昨日と打って変わっていい天気だった。
朝のうちは少し曇っていたが晴れてきた。
今日は「鬼滅の刃」の舞台になったお寺が我が町にあると言うことでミーハーではないが行ってきた。
ストーリーや映画のことは全くシラナイのだが新聞に載っていたので、出かけた。
家から10分ほどのところで、すぐにわかった。
御朱印をもらうときに、
「ブームですね。大変でしょう」と聞くと、
「そうですね。忙しくて本来のおつとめができません」
「それは大変ですね」
「ま、おいでいただくのはありがたいのですが」
「私も在所が違うのでここへ来るのは初めてです。何がどうなるかわからないですね」
ほんとにわからない世の中になってきた。
実は戸板の前でコスプレをして写真を撮り合っているのをカメラにおさめたかったのだが、撮れなかった。
甘露寺にいったついでに平池公園に行ってきた。
お寺は平池の駐車場からすぐである。お寺にも10台くらいおける駐車場がある。
平池は寒さが厳しくなるにつれて鳥の数も種類も増えてきていた。
黒鳥はまだいる。
たくさんの人が見学?にきていた。
彼女たちはきっとお寺の戸板の前で写真を撮ったはずである。
絵を描いている人がいたが上手だった。若い人が熱心に見ていた。
今日も朝からいい天気 ― 2020年10月13日 09時49分16秒
今朝もいい天気である。
少し寝不足が続いているので体がなんとなく重い。
昨日はいい天気だった。
大和街道のてくてくページをつくってからもう20年以上経つので新しいバージョンにしたいので歩いた。
特に那賀地区や橋本市地区は都市計画で大きく町並みが変わってしまっているのでその変貌ぶりを確かめたかった。
粉河から歩き始めて名手本陣までを歩いた。
大和街道の町並みそのものは大きく変わりはないが、空き家が更地になってしまっていわゆる古街道のイメージの町並みは消えつつある。
JR和歌山線の線路踏切を渡るところがあるが、地図を見ながらいっていると後ろから女性が声をかけてくれて、
「どこまで行くのですか」
「名手本陣までですが」
「でしたらこの道ではなくもう一つ向こうの踏切で、その踏切を渡ってすぐ右にいくと大和街道です。この道をよく間違う人が多いのです」
ということで間違えずにすんだので助かった。間違う人が多いのでレクチャーしてくれたのである。
杏と蔵。このあたりは蔵のあるおうちが多い。
電柱に防火用ホース政党のポスター。うっかりすると見落とす。
電柱が邪魔をしている。
ここは変わっていないが以前歩いたときはこの格子戸はまっさらだった。
高級な柿なのかビニールをかぶせている。
草がうまい事同じ長さで切れているなと思ったら、電車走行でちょん切れた。
名手川で魚を狙うサギ君。
新設の道路なら電柱をなくしてほしかったね。
ここないが変わらないが人の気配はなかった。
郵便局である。
名手本陣も久しぶりに訪れたが、無料になっていてバージョンアップされていた。
女性が一人版をしていた。その女性からお土産にキーホルダーをいただいた。
結構歩いたので10000歩を軽く超えていた。
左側は馬を止めておいたのかな。侍の行き来を想像する。
早速キーホルダーをつけた。軽くていい。
紀南ではめちゃくちゃな雨だったらしい ― 2020年09月25日 20時45分31秒
今日は紀南地方に大雨が降ったそうである。
1時間120mmというとてつもない降り方だったそうで、フェイスブックの書き込みでも新宮の国道が川のようになっていた。
天気図を見ても赤い所が紀南を覆っていた。
本当に異常気象が続く。
先日花園村に行ったが、そのとき神社を回った。
最初にいった下花園神社は、有田川の上流に沿う梁瀬橋の南峯山腹にある。
この社は、花園荘梁瀬村と付近の有中、峯手、中越、古向、臼谷、池の窪、敷地の氏神となっているそうである。
境内に八幡宮、稲荷社がある。
毎年正月8日には、若衆男子による豊穣を祈る「花園御田の舞」の行事(国の重要無形民俗文化財指定)があるというがまだ見たことはない。
又、近くに弘法大師開創という遍照寺があり、61年目ごとの閨年10月に法華経の説く女人成仏を劇的に演じる「仏の舞」(県指定無形民俗文化財)があるがこれはずっと以前見た。
小学校や保育園が隣接してあり、運動場からすぐ本殿がある珍しい神社である。
元々の木は枯れてしまったが、枝がたくさん伸びている。楽しみである。
次にいった上花園神社は、平安時代に殖産興業の神として創建されたといわれ、その後、花園荘の氏神として祀られ、とくに南北朝時代の長慶天皇の崇敬が厚かったといいう。ここは高野への道にあるので何度か参詣したことがある。
本殿は一間社春日造で、天保5(1834)年建立ということである。
1月10日に「御田の舞」が行われ、本来は菩薩面、鬼面、鼻高面、等の面、20余面があるが現在は、人口減により鼻高面だけを使うらしいが、まだ見たことはない。
なお面箱に「文保元(1317)年六月十五日、日州住侶再興永禄五年十一月一八日貞宗敬白」とある。
大きな杉に囲まれた社である。
今日もいい天気だった ― 2020年07月02日 22時48分34秒
今日もいい天気。
朝からまた一つホームページを新しくした。
やはり昔時間がなかった頃のは作りが荒く、デザインも悪い。
それに画像が重いのでリサイズしながらページを作り替えているので時間がかかる。
しかし楽しい作業ではある。
あれこれ作りたいのはたくさんあるが、最近のはブログに任せている。
ページの容量が多くなると追加料金を取られるので軽く軽くしている。
あまり軽くすると今度は画質が落ちてみるに耐えないようなものになる。
そのさじ加減が難しい。
今旅のページを作り直しているが、行ったときのことを思い出しながらリニューアルしている。
よくあちこち行ったなと思う。
yahooのニュースを拾い読みしていたら、『米科学誌「プロスワン(PLOS ONE)」に掲載された論文によると、豪ウエスタンオーストラリア(Western Australia)州の遠隔地の沿岸水深約2メートルの海底で、7000年以上前にアボリジニの人々が作製した古代の石器が数百個発見されたという。』という記事があった。すごいね。
これでオーストラリアの原住民の暮らしぶりがわかったらすばらしい。
日本では卑弥呼がどこにいたかというのが未だにわからないが、私は、古事記や日本書紀を作るとき都合悪いから歴史の事実から抹消されたのではないかと思っている。
きっと時の権力を握ったものが、卑弥呼がいたと言うことを後の世に引き継ぎたくなかったからだろう。
もし彼女がいたら天皇家を立ち上げるとき都合が悪いと思う。
秦の始皇帝がやったような焚書に近いことをやったのではないだろうか。
それは現在もある。
大事な公文書を、「それらの文書は廃棄しました」といとも簡単に、廃棄したとのたまう忖度マンがいつの時代にもいる。
写真は、最近“日本のアマルフィ”と呼ばれている雑賀崎の1975年7月のスナップである。急峻な地形に建物が張り付いたような独特の景観は、確かにアマルフィとよく似ているが、1975年当時は町中もクラシックで今より遙かによかった。
漁をする舟はほとんどすべてが同じ色塗りで、これだけでもかなりインパクトがあった。
今日も快晴。熊野古道を少し散策 ― 2020年06月08日 21時59分49秒
今日も快晴だったがハローワークに行かなくてはいけない日だった。
朝早くからの”出社”だったが、その時間設定はテキトーだった。
とにかく処理を済ませ、熊野古道は今どうなっているだろうか、と気になり、山中渓駅まで走った。
山中渓駅でツバメのヒナたちが元気に騒いでいたが先客が一生懸命写真を撮っていたのでパスした。
古道そのものの変わりはないが、所々崩れたのか補修工事を二カ所ほどでやっていた。
大阪府と和歌山県のちょうど境に日本最後の仇討ち現場だという碑がたっている。
1862年に、高野山であった仇討ちが最後というが、これは1857年である。
高野の仇討ちの方が新しく参加者もたくさんいて地元の人たちが双方の死者を丁寧に弔っている。やはり高野の仇討ちの方が最後というのにふさわしい。
今は草に覆われている。少し貫禄が出てきている。
以前の碑で何もなくむき出しの状態である。もう20年以上前の写真である。
ここを境橋という。大阪と和歌山の境である。前を南海が走っている。
和歌山最初の中山王子は、生け垣の木が大きくなり、電柱が目立たなくなっていた。
これはいいね。
以前歩いたときのものだが、電柱がもろに見えている。
これも20数年前の写真である。

坂の途中にかわいい地蔵さんが2体あった。
以前歩いたときあったかどうか記憶が全然ない。
もしあったら写真に撮っていたはずだが・・
日よけがとってつけたようだがユニーク。名前もユニーク。
これは何というお地蔵さんか知らないが、独特なお顔立ちをしている。
少し間を置いてたっている。
和歌山への道の途中に巨大な高速道路の橋脚があるが、なんとなく危なっかしい。
この下には活断層が走っているのだけどね。
次の山口王子も訪ねたが、木が生い茂り万葉和歌も字が読みづらくなっていた。
この写真も中山王子と同じ日に撮影した20数年前のもの。この日はめちゃくちゃ暑かった。

家に帰ると蜂がまた2匹羽化していた。2匹とも逃がしてやったが、よく見るとアメリカジガバチである。
これまで4匹羽化したが、あと何匹残っているのだろうか。
ファーブルなら次のが出るまでずっと待ち続けるのだろうが、私はできない
夕方野菜に水をやったが、キュウリの花が咲いていた。ゴーヤの蔓もだいぶ伸びてきた。楽しみである。
今日は風が強かった。 ― 2020年05月07日 16時36分08秒
今日は風が強かった。
郵便局に用事があり、普段はバイクか車で行くところを歩いた。
結構遠いので時間がかかった。
普段は見ることのできない景色があり面白かった。
交差点に地蔵さんがあった。
バイパス工事の前は別の所にあったらしいが工事の都合で引っ越してきたようである。
次は地蔵寺。この町に引っ越してきてはじめて中に入った。
小さいがなかなかいい寺だった。
郵便局のATMを利用する人のために椅子を3脚ほど建物の外に並べていて、おばあさんが一人座って、前の人がお金を下ろしてくるのを待っていた。
事務所の中はビニールシートで覆われている以外は普段と変わりはなかった。
郵便局で用事を済ませちょっと遠回りをした。
近くに古墳があったのを思いだした。
丸山古墳である。
古墳はあった。木が生い茂り、藪になっていた。いわれないと古墳とはわからない。
しかしいろんなものが出てきたようで案内看板に、説明があった。
いい加減に案内板を更新してほしいね。
竹藪にしか見えない。
道は古墳を巻くように続いている。
まるた川に沿って歩いた。
ここは少し前までバスなども泳いでいたが、今は鯉だけが見えていた。
少し気になったがフナの群れがいないことで、いま時分は群れをなして泳いでいないとだめなのだが、全国的に少なくなっている感じである。
川は思った以上に長かった。
一昔前には家などなく田ばかりであったが、もう住宅地になってきている。
川は草が生い茂りなかなかいい環境のように見えた。
少なくとも川床をコンクリートで覆っていないところがいい。
大きな車道に出たが結構車が多く歩道が切れたり細かったりで危ないので脇道に入った。
しばらく歩くと神社に突き当たるが、ここは地域の氏神である。
ここまでの道も、一昔前はいい町並みであったが今は真新しいおしゃれな家が多くなっていた。
神社にあった自動販売機でジュースの小さいのを買った。
この神社がどういうものかはわからない。
神社の神木。
多羅乳女神社本殿。
護国神社もある。
結構暑かったが、風が強かったのでそれほど汗はかかなかった。
家に帰ると12000歩を超えて歩いていた。
久しぶりの法隆寺 ― 2020年02月24日 22時37分43秒
昨日NHKの番組で法隆寺のことをやっていた。
いきたがりは法隆寺に行きたくなり、昼前に家を出た。
法隆寺はいつも通り堂々としていた。
境内をウロウロ見ていると、法隆寺の職員さんらしい人が、
「NHKでテレビ放映すると人がやってくる。凄い影響力です」
といいながらいろいろ説明してくれた。
実は法隆寺に来たかったわけは、番組中で金堂の扉の格子は継いだものではなく一本の木を切り抜いて作っているといっていたのでそれを見たかった。
なるほど格子に継ぎ目はなかった。
金堂の屋根を指さして、
「あの屋根の途中で瓦が何枚か重ねて並んでいるのが見えますが、なぜかわかりますか?」
と問われた。
「いえわかりません」
「あれは上の屋根からの雨だれを直接下たの屋根に落ちないように工夫されているのです」
なるほど。
「もうひとつ、五重の塔の水煙に鎌が4本あるのをご存じですか?」
「いいえ」
「あれは法隆寺の不思議の一つでなぜ鎌なのかわかりませんが4本あります」
そういえば鎌らしきものが見える。
久しぶりに百済観音も見たが、明日から東京での展示のために運び出すということで、今日はラッキーだったのである。
コロナウィルスの影響かいつになく人が少なかった。
久しぶりの法隆寺だったがゆっくりと落ち着いてみることができた。
せっかくの休みが雨 ― 2020年02月16日 20時57分47秒
今日は貴重な休みなのに雨。
それも一日降り続いた。暑いのか寒いのかわからない天気だった。
テレビはコロナウィルスのことばかり。
近くの国も、この国も対応が悪いね。
世界から馬鹿にされそうなことばかり。
すべてが後手後手。
観光客をどんどん入れといて、市中感染が始まったら、感染経路が不明だと。
当然である。潜伏期間中に日本でまき散らされたのではないだろうか。
和歌山でいえば、マリーナシティなんかも外国の方が多い。
その人たちとクロスすればひとたまりもない。
特効薬もまだできていない今度の新型肺炎。
終息はまだ見えていないので、間近に迫るオリンピックはどうなるのだろうか?
国会での議論を聞いていても、野党の質問もその答えも面白みのない議論ばかりで
いやになる。ウィットのまったくない議論は聞いていても退屈なだけである。
写真は昨日博物館に行った帰りに少し寄った。
熊野古道のホームページをリニューアルしなければいけない。
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