縄文人はすごい2017年10月20日 17時56分35秒

先日京都国立博物館でいろんな国宝を見ましたが、他の国宝も素晴らしいものばかりでしたが、衝撃を受けたのはこの埴輪たちでした。
現代美術もこの造形美を超えてないなーと思いました。

日本人としてこの時代にこんな芸術を生み出していたことには、誇りを持てます。

岡本太郎さんが絶賛した理由がわかりました。

素晴らしい。

これが作られた理由を専門家の皆さんはいろいろ理由を考えてくれていますが、私は単純に作りたかったから作ったような気がします。
この自由奔放な造形を見てもそんな気がします。

画家や彫刻家が自然と創作意欲がわき作品を作り出すように自然と作りこんだと思います。
だからいいのでしょうね。

この埴輪を国宝にした人も立派です。
よくぞ残してくれました。

ミュージアムショップで買った栞のコピーです。

これは日本人の永遠の遺産です。

寂光院2017年10月15日 16時17分46秒

昨日三千院の後参詣した寂光院。

寂光院の本尊は六万体地蔵尊菩薩で鎌倉時代造立の地蔵菩薩立像(重要文化財)でしたが平成12年5月9日未明、放火により、本尊は大きく焼けてしまったということです。これはニュースでも大きく取り上げられたので記憶していました。

新たに小野寺久幸仏師によって、形・大きさともに元通りに復元され、鎌倉時代の制作当時そのままの美しい彩色で新造されたものが、安置されていました。
平成17年(2005年)6月再建されましたが、本尊と同時に徳子と阿波内侍の像も新しく作られ本尊の左右に安置されていました。

地蔵菩薩の本願は、抜苦与楽ということで、それは慈悲の心を表わし、人間の苦しみや辛さ、思い通りにならない現実を救い抜け出させて頂き、願いを叶えて頂ける諸願成就のご利益があるということである、ということですが・・・。


高倉天皇と徳子の稜墓。

寂光院

寂光院の入り口の扉。


三門。

寂光院

秀吉が送った灯籠。

寂光院

「祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。」

平家物語と関わりが深いのがこの寂光院です。

六万体地蔵尊菩薩

寂光院

諸行無常の鐘。つくなと書いていました。

寂光院

三門から入り口を見たところ。

寂光院

茶室入り口の東屋の屋根のコケと落ち葉。
紅葉の頃はきれいな葉がもっと落ちているでしょう。

寂光院

寂光院を出て近くの漬物屋さんの前にあった漬物蓋と石。
石には日付が書いてありました。

寂光院

漬物屋さんの前にはスイス人観光客がたくさん。
売り子のおばさんも英語で何か言っていました。

寂光院

僕はおしっこ。

寂光院

寂光院を出て道を山手に行くと、石段がありそこを登ると墓石がありました。



徳子でしょうか。
かわいい顔をしています。

寂光院

たくさんの石塔がありました。平家一族のお墓でしょうか。

寂光院

寂光院

今日は朝から雨。
少し晴れたら釣りにと思いましたがだめでした。
今日みたいな日の方が釣れるのですけどね。
釣り師は雨でも行かなければいけないのですが・・・

古いネガをスキャンして一日が過ぎました。

建部神社2017年10月05日 22時25分46秒

先日東近江にいった折に建部神社に立ち寄りました。

ホテルで東近江の観光地図を見て立ち寄りました。

境内であちこち見ていると宮司さんがおいでて、おうちのなかに招き入れてくれました。
お言葉に甘えて部屋に上がらせていただき中学校の先生をしていたという宮司さんにいろいろお話を聞きました。

パンフレットもいろいろいただきました。

「建部神社は、十二代景行天皇が御子日本大和武尊の功名を録えるため、武部(後の建部)を定め、大和武尊死去三年後(景行四十六年) 御子稲依別王命(建部君、犬上君の始祖)が神勅により、母君の生国近淡海国神前郡建部郷千草嶽(現在の箕作山)中腹宮立と称する所に父君の霊を祀り、建部大明神と崇め給ふたのが起源である。
その後560年を経て、天武天皇白凰四年に至り、神裔建部安麻呂公が国司の命を奉じ栗太郡瀬田に奉遷し、近江一円の守護神即ち国社としてから約90年後、神護景雲2年再び同地の下の森(現在の場所)に新宮を建て、建部大明神、聖真宮を勧進し四柱の祭神を奉祀し、建部郷十七ケ村の総氏神となる。
かかる縁故を以って古代より毎年瀬田建部大社の春季大祭には当社より、鮎献上の神事が行はれ世界大戦中まで連綿として続けられたのである。
社頭を距てる南五丁の山の神古墳は、祭神稲依別王命の墳墓と伝えられる。
 。              
囚に稲依別王命の母君布多遅比売命(ふたちひめ)は近談海安之国造意富多牟和気王(おふたむわけ)の出で、尊死去後建部郷を賜はり居住して稲依別王命を育てらる。
依てこの地は大和武尊の御名代地と伝えらる。
後裔の建部君、犬上君の両族共に栄え建部大明神の神威も大いに輝き、神埼郡の名も神前のここより出でたりと説がある。
大化の改新により国府が瀬田に置かるやや、所在地に国社奉斎必要上社格高き当社を選び奉遷して近江一の宮とされた所以である。
 当社は新宮とは云えかかる光輝ある古い由緒を有しながら、箕作、建部合戦等屡次の兵災により荒廃し、古文書構築物等凡て烏有に帰し本殿、神輿、燈罷等何れも江戸中期以降の建造に属し之を証するに由なき次第である。
 但し右の事実は瀬田建部大社の古文書等に拠り厳然と証明され、宛も昭和50年を以て奉遷1300年相当の機会に元建部犬明神鎮座趾宮立に石標を建設し之が記念と神威顕彰に資したのである。」

ということでした。
少し難しいですね。


おもしろかったのは、この神社の近くに飛行場があり、記念式典の際に投げ落としたという書筒があったことです。


建部神社武運長久の賓剱守護札もいただきました。
中に入っていた説明書きには、

「建部神社武運長久の賓剱守護札は、昭和9年から昭和20年まで、沐俗斎戒した若手氏子が調整し、久瀋宮家・八日市飛行隊軍人及び帝国軍人に4.600余体配付された。
慎之、莫怠也(慎みて、な怠りそ)……倭延命の教え

『日本書紀』には、日本武尊が西征で熊襲建(クマソタケル)を撃ち、その後、さらに東征をする前に立ち寄った伊勢神宮において、伯母の倭姫命(ヤマトヒメノミコト)から草薙剣とともに授かった教え。

慎之、莫怠也(慎みて、な怠りそ)
『日本書紀巻第七大足彦忍代別天皇(荒行天皇)』という言葉が記録されている。
原文】景行天皇40年(庚戌110)冬十月壬子朔契丑(二目)。日本武尊発路之。
同月十月戊午(七日)戊午。
柱道拝伊勢神宮。イ乃辞于倭姫命日。今被天皇之命。而東征将誅諸叛者。故辞之。於是倭姫命取草薙剣。授日本武尊目。慎之莫怠也。
【文意】岩波文庫「日本書紀(二)」94頁より(西国制覇から帰還し十二年後)の十月二日、日本武尊は東十二道制覇の旅に出立。十月七日、伊勢神宮に参拝し倭姫命に言うには「今般、天皇の命で、東征し諸々の反逆者を誅します」と。別れに際し倭姫命は草薙剣を取り出し、日本武尊に授け、慎重に油断することなきようという。
「物事を謙虚に受け止めて奢らず、身を慎めば心が清らかになり、自分の為すべきことが見えて来る。そのときは勇気をもって誠実に、怠ることなく精進を重ねて為すべきことをやり遂げなさい。」

ということが書かれていました。

建部神社

建部神社

建部神社

建部神社

日本武尊の肖像画が飾られていました。

建部神社

建部神社

建部神社

建部神社

建部神社

頂いた神符。

建部神社

建部神社

稲依別王命の墓ではないかと伝わる古墳

建部神社

栗の実が供えてありました。

建部神社


明日香村岡寺ライトアップ2017年09月26日 17時39分01秒

稲淵でお会いしたカメラマンさんとの会話の中で、今の時期あちこちでライトアップしていると聞き、稲淵を見た後、岡寺に向かいました。

6時からライトアップを始めるということでしたが、岡寺に着いたのは5時半頃でした。
少し時間があったのですが、3脚が林立して場所取りが大変だとも聞いていたので登りました。

明日香村岡寺ライトアップ

参道はちょうどカップの中のローソクに火をつけて回っているところでした。

明日香村岡寺ライトアップ

なんとなんとめちゃくちゃ人が並んでいました。
近くのカメラマンに、

「何か行事があるのですか?」

と聞くと、

「いや何もありません。3重の塔のライトアップを撮るだけです」

ということでした。
私も隅に座って夕暮れを待ちました。

明日香村岡寺ライトアップ

少し暗くなり、カップのぼんぼりがきれいになってきました。

明日香村岡寺ライトアップ

そして3重の塔もライトが点灯されました。
これだったのですね。
いいポジションをとるために皆さんがんばっていたのです。

明日香村岡寺ライトアップ

陽が落ち、三日月もきれいに見えました。
3脚がなく手持ちなので微妙にぶれているのですが、何とか撮れました。
ASA1600にしても3分の1秒でした。
 
明日香村岡寺ライトアップ

本堂前。

観音様も公開していました。
初めて見る仏像もあり普段は暗くて見えないところも、ライトが付いているのでディティールがはっきりしよくわかりました。

明日香村岡寺ライトアップ

たくさんのカメラマンやお参りする人がいました。

明日香村岡寺ライトアップ

絵の描いた和傘を裏から照らしていますが、いいアクセントになってきれいでした。

明日香村岡寺ライトアップ

熊野古道もどこか王子社でやってほしいと思いました。
古杉を照らし、古道道際にこんな傘を並べれば、絵になるところがあります。

明日香村稻淵かかし祭り2017年09月25日 21時07分29秒

昨日の明日香村の続きです。

たくさんのかかしがありましたが、写真に収めたということは、インパクトがあったのかなと思います。

普通のかかしではなくいろいろ工夫して作り上げているのがわかり、楽しいですね。
かかしを見ながら歩くとストーリーが感じられます。

明日香村稻淵かかし祭り

このかかし、2mくらいありました。
こうなるとかかしらしさを超えている感じです。
左手にはドクロが置かれていました。

明日香村稻淵かかし祭り

かかしの学校。

明日香村稻淵かかし祭り

ミニヨンというのですか、USJ帰りの中国の方がよく持っています。
表情がかわいいですね。

明日香村稻淵かかし祭り

このかかし群にはクイズがあって俵の上に乗っているかかしは他のかかしと違うところが7つありますというものでした。

バックの田んぼがいかにも里山らしい雰囲気を醸し出しています。

明日香村稻淵かかし祭り

少し情けない表情ですが、かかしらしいかかしですね。

明日香村稻淵かかし祭り

これも賑やか。

明日香村稻淵かかし祭り

アートのようなかかしです。

明日香村稻淵かかし祭り

スタイルがいいですね。

明日香村稻淵かかし祭り

国会解散したのですね。

いろいろな問題は多大の時間を費やして、片一方は出過ぎるほど出て、片一方がとうとう顔を出さずじまいで、結局うやむやになるのでしょうか。
環境問題など持ち出しても票にはならないと思って亜あまり出してこないかもしれませんが今こそ偉い方々の環境に関する意見と公約をきちん聞きたいです。

今度こそ国民は賢くならなければいけないと思います。

南海高野線細川駅&八坂神社2017年09月20日 11時44分37秒

先日の続き。

高野下駅からスマホのナビ通りに370号線を走ったのですが、ディスプレイを暗くしていたので画面が見えず、曲がらなければいけないところをやり過ごしてしまい、矢立の三差路まで走ってしまいました。

ディスプレイの明るさを最大にし、目的の細川駅に向かいました。
細川駅上り口から少しの走ったところにきれいな神社がありました。
八坂神社です。

八坂神社

ここは高野山への道の一つになります。
掲示板に由緒がありました。

八坂神社

八坂神社

神木は巨大なイチョウで、これが黄葉すれば見事だと思います。
秋に来たいと思いました。

八坂神社

川面に垂れる葉の先にはたくさんの銀杏が付いていました。
境内にもたくさん落ちていました。

八坂神社

しめ縄の上に小さなカタツムリがじっとしていました。

八坂神社

彼岸花が咲きかけていました。
やはり彼岸の中日頃が一番きれいでしょう。

八坂神社

我がCBちゃん。
カバンを取り払ったのですっきり。

CB400SS

細川駅は後ろの山の中腹にあります。

CB400SS

細川駅は急な上り坂の上にあります。
下で荷物を担いだおばさんに、道を聞くために声を掛けましたが、

「最近古道歩きに来る外人さんが多くて言葉が通じなくて困る」

と言っていました。

南海高野線紀伊細川駅

山肌にあった住宅を集合した感じの共同住宅が細川駅の上から見えます。

CB400SS

近代化産業遺産になっています。

南海高野線紀伊細川駅

電車が入ってきました。

駅員さんが深々と挨拶。
この駅員さん、今夜は宿直ということでした。
3人交代で宿直しているということですが、やはり山深いところの路線はコストがかかります。

南海高野線紀伊細川駅

駅には猫がたくさん。
誰かが餌を上げるのか鳥の骨が転がっていました。

猫たちは、もっと友好的かなと思いましたが結構シャイで、一定以上近づくと逃げてしまいました。

南海高野線紀伊細川駅

南海高野線紀伊細川駅

南海高野線紀伊細川駅

帰り道、廃屋にスズメバチの巣がありました。結構大きい。


CB400SS

会社のあるビルの地下に郵便局があるのですが、そこの受付カウンターに「乳がん触診モデル」ということで、おっぱいが置いてあります。

少しびっくり。

乳がん発見用のもので、これを触ってしこりがどんなものかを見るらしいのですが、こうした窓口に置いてあるのを見るのは初めてです。

ちょっと触ってみたい気もしましたがやめました(^^)


厳島神社と地蔵寺2017年09月19日 22時42分23秒

厳島神社と地蔵寺は、高野下駅の左の鉄橋の下をくぐり小さな坂を登るとあります。
厳島神社は朱のきれいないい神社でした。

ここは椎出の鬼の舞があるところです。
一度みたいと思っていますがまだ見たことはありません

神事「鬼の舞」は県指定無形民俗文化財で8月16日に奉納されるということです。
起源は南北朝時代にさかのぼると伝わり、五穀豊穣や雨乞い、悪疫払いなどを祈願するということです。
鬼に息を吹きかけてもらうと、幼児の疳(かん)の虫が治まるともいわれます。

神事は午後5時に始まり、「十人衆」と呼ばれる男衆が締め太鼓を打ち鳴らす中、木の面をかぶって赤い髪を振り乱した鬼が姿を見せ、長さ約2メートルの棒を振りかざして豪快な舞を披露するというものです。

見たいですね。

厳島神社


厳島神社

厳島神社

彫刻もきれいに色づけされています。

厳島神社

神木はナナメに傾いている檜でした。
しめ縄にビニールがかぶせられているのは愛嬌ですね。

厳島神社

壁面にはいろんな絵が描かれていました。

厳島神社

鳥居の間から電車が見えています。
少し小さいですが・・

厳島神社

そして地蔵寺。
お寺の左手にかわいい地蔵さんが祀られており、壁に由来が書いてありました。
駅の掲示板にこのお寺に龍の天井画があると書かれていました。

境内に行くと誰もいないので入るのをためらっていましたが、犬が大きな声で鳴いてくれ家の中からお寺の方が出てきて、部屋にあげてくれ、天井画を見せてくれました。

地蔵寺

地蔵寺

地蔵寺

絵の善し悪しは別にしてこういう試みはいいですね。
名物になります。
地蔵さんがライトでスポットが当たっていました。

地蔵寺

またぺーじにしてみたいと思います。

台風一過いい天気・・バイク&撮り鉄2017年09月18日 21時23分08秒

台風一過。
朝からいい天気でした。
昨夜の風で、カヌーを吊っていたロープが切れて、カヌー本体がCB400SSの上に落ちていました。

「しまった」

と思ってカヌーを取り除いてみると、どこもダメージはありませんでした。
バイクカバーを掛けていたのもよかったのかもしれません。

反対側のロープが切れていたらRAV4のルーフに当たるのでへこんでいたかもしれません。

ラッキー。

すぐにロープを前後とも取り替えました。
もう22年経ったので老朽劣化です。
使用人もかなりへたっていますが・・・。

いい天気なので以前から行きたかった南海高野線の高野下駅と細川駅に、昼過ぎからバイクで走りました。

まず高野下駅に行き、駅や駅の上にある、厳島神社と地蔵寺に行きました。

高野下駅

高野下駅はクラシックな感じがいいです。
近代化産業遺産に登録されています。
あと何十年かするとこの路線の各駅が重要文化財になるかもしれません。

高野下駅

単線なので、この駅ですれ違いをするらしく高野号が停車していました。

高野下駅

程なく難波行きがやってきて入れ替わりに発車しました。
改札口と電車が近いので迫力がありました。

高野下駅

いいたたずまいの駅舎です。

高野下駅

「高野下駅」の書き方が右始まりというのもいいですね。
それと「驛」という字がいかしています。

高野下駅

真田カラーの電車が入ってきました。

高野下駅

駅を出るとすぐにカーブがあり、鉄橋があります。

高野下駅

窓か国道を見ています。
窓ガラスの汚れもいかにも昭和っぽくてうれしいです。

高野下駅

階段もアンチックで素敵です。
下ではCBちゃんが待っています。

高野下駅

橋を渡ってきました。

高野下駅

高野下駅

このあと、地蔵寺や厳島神社に参拝したのですが、それは明日にします。

総選挙がありそうです。
民進党に打撃を与え、勝つと踏んだのでしょうかね。


大和街道橋本市真土2017年09月12日 15時49分31秒


橋本市真土大和街道

磨崖仏を見た後、大和街道のルートである真土の町中を歩きました。

橋本の古くからの町が都市計画で全滅したので、橋本市内に残る貴重なところです。
その昔、伊勢から和歌山に旅した人はここを通って歩いたところです。

土壁が残り虫窓も健在です。
以前にも書きましたが、今観光客の多いところは古い街並みが残るところです。

橋本市に限らず和歌山の町は、やたら都会に近づけようと平凡などこにでもあるような町つくりをしています。
もちろん古い建物のを維持しようとするとコストがかかりますが、新築をしてもきれいな街並みを壊さないような景観規制をするべきですね。
そうした意味で和歌山県下では湯浅町を注目していきたいと思います。

さて真土の町は国道24号線を五条向いて橋本の街並みが切れるところを左に入ります。
町の入り口に大和街道を示す石碑があります。

橋本市真土大和街道

大和街道を示す石碑。飛び越し岩はここからすぐです。

橋本市真土大和街道

坂道に町ができているのでいい雰囲気です。
ほとんどのおうちに虫窓があります。

橋本市真土大和街道

橋本市真土大和街道

ブロックでないとろがいい。

橋本市真土大和街道

蔵がたくさんあります。

橋本市真土大和街道

坂道に家があるので石垣の上に建てているところがあります。
石垣の石がこの地方に多くある緑砂泥岩で、しっとりと優しい感じがします。

橋本市真土大和街道

橋本市真土大和街道

家並みは、坂道に逆らわず家を建っているので、趣のある、いかにも街道筋の町という感じがします。
こうした街並みが和歌山から五条まで続いていればよかったのにと思います。

町の東に橋があり下を落合川が流れています。
その上流2キロメートルほど上流に落合不動さんがあります。

落合川の流れはきれいで、じゃこがたくさん群れて泳いでいました。

橋本市真土大和街道

落合不動と摩崖仏2017年09月11日 12時48分27秒

毎日新聞の記事を頼りに、摩崖仏が落合川流域にあるということで探しましたがわかりませんでした。

飛び越え岩の古民家を改造した休憩所の中に、橋本市発行の観光ガイドパンフがあり、それによると、飛び越え岩のある所から国道を渡り、反対方向と分かりました。

カーナビに適当な場所をポイントセットし、走りました。

ナビはいったん五条までガイドし、くねくねとたどる道を落合川にナビしました。

実はここ摩崖仏はずっと以前、大和街道を自転車で橋本から五条まで抜けたとき、一度見たことがあるのです。
でもホーコーオンチなので入り口を忘れてしまい、ドタバタしてしまいました。

現地近くに行ってもわからず、農家の前で仕事していた方に、

「不動岩はこちらですか?」

と聞くと、

「不動岩は来すぎています。この道をバックすると三差路があるので、そこを左に走るとあります」

と丁寧に教えてくれました。
ちょうど通りかかった軽四のおじさんにも確かめていただきました。

教えられて通りに走ると摩崖仏は、ありました。
巨石がいくつも川の中に転げたようにあり、そのいくつかに、天女や不動明王の線刻があり、詩文や読めないですがいろいろ文字が書かれてありました。

どれかの石に、応永2年(1395年)と彫られているとのことです。

おそらく修験者によって刻まれたと思いますが、その大岩に霊的なものを感じ、彫らずにいられなかったのかもしれません。

「江戸中期にまとめられた観光ガイドブック「紀伊国名所図会」には、「川中に不動岩とて、不動を彫り付けたる大石あり」。近ごろは祈願に訪れるものが多いと書かれている」とあり、続けて「さらにそこから望むと、「東西北の三面、連岨屹立(れんそきつりつ)して」「奇勝の地なり」とされている。ちょっと大げさなような気もするが、当時の旅人の目にはそう映ったのかもしれない」

とコラムには書いてありました。

往年の旅人が、細い山道をたどり歩いてこの大岩を見たとき、びっくりしたことは容易に想像できます。

現地に着いたのは夕刻であり、山陰の暗いところなので影がフラットになり、線刻がいまいちはっきり写せませんでした。

晴れた午前中がいいと思いました。

落合不動摩崖仏

梵字が見えます。

落合不動摩崖仏

巨大な岩がいくつも転がっています。

落合不動摩崖仏

不動明王が彫られています。
暗いので少しぶれました。

落合不動摩崖仏

落合不動の祠。

落合不動摩崖仏

その左手にある岩の中の仏像?

落合不動摩崖仏

近くにある地蔵様。
川向の土手は奈良県です。