今日は寒かった。鼻がグスグス。2020年12月03日 19時15分19秒

今日は寒かった。
そのせいかどうかは知らないけれどくしゃみと鼻水がずるずる。
買ってきていた風邪薬を飲んだ。

熊野観光開発株式会社のウォータージェット船が今年いっぱいで休止すると言うニュースがあった。
さみしい。
ウォータージェット船はあまり乗ったことはないが、プロペラ船の時代は親父のところに行くのによく乗った。
畳敷きで確か村々でとまったと思う。
プロペラの音が半端なく大きかったのを覚えている。

串本大島間の巡航船もなくなって久しく、今度また瀞峡観光の目玉もなくなる。
熊野で育ったものとして様々な景色を含め観光資源が次第に記憶の中だけになるのはさみしい。
写真は1980年5月。

瀞峡観光ウォータージェット船

瀞峡観光ウォータージェット船

瀞峡観光ウォータージェット船

瀞峡観光ウォータージェット船

瀞峡観光ウォータージェット船

瀞峡観光ウォータージェット船

瀞峡観光ウォータージェット船

瀞峡観光ウォータージェット船

瀞峡観光ウォータージェット船

今日も夏日。きていたスェットを脱いだ2020年11月20日 20時00分35秒

今日も暑かった。
朝から医者に薬をもらいに行ってきた。
お年寄りが大勢きていた。みな一様に書類を持ってきていた。高齢者の検診のようであった。
おばあさんお名前が呼ばれた。
「**さん検診の前に体重と身長測ります」
「はい」
「146センチですね}
「ええ、私そんなに小さくないで」
「あのね。身長は小さくなります。大きくなりません。体重は増えるけどね」
「・・・」
待合室にいた人がマスクの顔を見合わせていた。
話をしたいけれどマスクが邪魔をして皆無言であったが目は笑っていた。
私も年々身長が下がっている。
人ごとではない。一ヶ月で4センチ背が伸びたのは中学生の頃だった。

クリニックの帰りに平池に少し立ち寄った。
PENに500mmのミラーレンズをつけたのでどんな写りをするかテストをしたかった。
500mmは35mm換算1000mmの超望遠となる。


カメラに比べてレンズはかなり大きい。


古いレンズだがなんとか写っていた。


ジョロウグモもかなり離れていたが撮れていた。
ミラーレンズ特有のリングボケの出る所を探したがなかった。
しかしこれでカワセミを撮るための段取りができた。なんとか使える。


これは普通3脚を立てて撮るべきだろうが手持ちで立って撮った。
息を詰めてぶれないように撮るが、昔はシャッターを押しきるまで息を止められたが、今は続かない。それに撮り終わった後ふらふらと体がそよぐ。
山に登る中高年が遭難するのもこんな時ではなかろうか。


フェイスブックで仲間が丹生長谷神社の銀杏の葉が黄葉していたのをカキコしていたので今日ぐらい散るだろうと思い走った。
やはり盛大に散っていた。
木に葉はほとんど残っていなかった。



銀杏が今にも落ちようとぶら下がっていた。



地面にもかなり大量に実が落ちていた。


だるま石渓谷。そういえば中心の石をよく見ればだるまさん。



せっかく晴れたのに大雨が降ってきた。


東屋が見当たらなかったので山肌に車を止めてティータイム。


夏に酒戻りのような陽気だった。2020年11月18日 20時25分10秒

今日は夏が戻ったみたいな気温であった。
いろいろ用事がありどこへも行けなかった。明日もいい天気そうなので明日またバードウォッチングでもと思っている。

11月6日に花園に行く途中で立ち寄った。
そのとき大銀杏の葉はまだ緑だったが今頃は黄色に変わっているかもしれない。

銀杏の実がたくさん落ちていて少し拾った。
それにしても立派な銀杏だった。

長谷丹生神社は丹生都比賣命・大黒主の命の二座を、主祭神としている。
弘法大師高野山入山後も、六ヶ七郷を天の大社の社領とし、年中祭礼の料也とある。
七郷の中の長谷村(現伊都郡かつらぎ町新城地区、海草郡紀美野町長谷宮地区)の鎮守社として祀られてきた社であり、現在の社殿は明治30年に改築されたという。
10月10日神幸祭 御旅所まで青年団子供会氏子中で「山車」を先頭に神輿の渡御あるというが見たことはない。

長谷丹生神社

長谷丹生神社

長谷丹生神社

長谷丹生神社

長谷丹生神社

長谷丹生神社

長谷丹生神社

長谷丹生神社

長谷丹生神社

ネンガジョウの季節であるが、⒉,3年前から来年からは出さないというメッセージを書いたのもちらほら来るようになったが、先日話をしているとそういう人に限ってすぐ亡くなっていると言われた。

やっぱり今年も出そう、と例年になく早くにデザインも決め、印刷を始めた。
例年12月末でないと完成しないのだが今年は早くに出せるだろうか。

和歌山浜の宮海岸20年前2020年11月16日 21時21分52秒

今日もいい天気だった。
ミサゴがいないか昼前に昨日撮ったところに行ってみたが一羽が飛んでいただけだった。それもすぐに姿を消した。

どこかへ行きたいけれどコロナ患者が近くでたくさん出ているので自粛した。

先日来古い写真を見直しているが今日は和歌山浜の宮の海苔養殖の光景で、当時はのどかな漁村風景が広がっていた。
以前にも同じ光景をアップしたと思うがネガが違っている。

海苔が養殖できるということは海が綺麗な証拠で、確かに当時は綺麗だった。
この頃はハマグリもたくさんとれた。
今ではお金を払ってもハマグリは採れないのじゃないかと思う。

今は昔である。

和歌山浜の宮海岸1980年

杭すべてにカモメがとまっている。

和歌山浜の宮海岸1980年

和歌山浜の宮海岸1980年

漁船がたくさんあった。

和歌山浜の宮海岸1980年

採ってきた海苔を降ろす。

和歌山浜の宮海岸1980年

和歌山浜の宮海岸1980年

和歌山浜の宮海岸1980年

和歌山浜の宮海岸1980年

何年ぶりかの風土記の丘。2020年11月14日 20時19分15秒

いい天気で、オレンジの太陽光線で目が覚めた。

今日は朝からウンドーのため紀伊風土記の丘に歩きに行ってきた。
コロナのせいかどこへも行けずにいる人たちが多いのかどうかはわからないがたくさんの人が来ていた。家族連れやお年寄りが散歩を楽しんでいた。

古墳も今まで行っていないところを見て回った。といってもほとんど見ていなかったことに気がついた。

将軍古墳からショートカットして山を下ったら登山で下山している感じでデンジャラスな道だった。

ウンドー不足解消にはうってつけのエリアである。
古墳の写真もたくさん撮ったがまたまとめて整理したいと思う。

紀伊風土記の丘

巨大で古い楠。古墳時代のものである。

紀伊風土記の丘

風土記に丘で焼いた埴輪かな?

紀伊風土記の丘

移築した民家が何棟かある。

紀伊風土記の丘

紀伊風土記の丘

紀伊風土記の丘

紀伊風土記の丘

紀伊風土記の丘

和歌山市内遠望。

紀伊風土記の丘

コンデジではこのくらいかな。

紀伊風土記の丘

今日の持ち出しレンズはフォクトレンダーのカラースコパー35mmf2.5で、このレンズもフィルムの時代はよく使った。作りがいいので気に入っている。
下の8枚はそのカラースコパーで撮ったものである。

紀伊風土記の丘

紀伊風土記の丘

紀伊風土記の丘

紀伊風土記の丘

紀伊風土記の丘

紀伊風土記の丘

紀伊風土記の丘

紀伊風土記の丘


ブロッコリーもだいぶ大きくなってきた。手入れもしないのによく育ってくれる。

すっきりしない天気だった。2020年11月13日 19時33分42秒

朝から定期検診に行ってきた。
途中雨がぱらついたがすぐやんだ。
病院はいつもながら満員であった。無論マスクはしている。

先日参拝した名手八幡神社である。ここは何度がきたことがあるのだが熊野古道のコンテンツとして追加したいのでもう一度見たいと思い、見に行った。

名手八幡神社は、丹生津比売大神が降臨し聖地であり古来から産土神として御奉斎されているという。

神功皇后が三韓征伐(新羅、高麗、百済の三国)の後、筑紫(現、福岡県)より御顗旋の途中、ここを訪れ、筑紫の蚊田(現、福岡県糟屋郡宇見町)で授けられた後の第十五代応神天皇の生誕を報告したとある。

その縁で誉牟田別命(第十五代応神天皇)を主祭神としてしている。

大鳥居の扁額に「八幡神社」と有るが、この額は慶安元年(1648年)子年紀州徳川家初代藩候徳川頼宣侯より奉納されたものであるという。

当神社は皇族方が熊野詣等御行幸啓の折、神功皇后がここに宿泊した古事に依り、御旅所として定められ、第七十七代後白河法皇、第八十二代後鳥羽上皇、第九十六代後醍醐天皇の行幸が有ったという。

熊野古道の旅の途中で宿泊したのである。
南北朝時代後醍醐天皇(1316~1339)が吉野(奈良県)に朝廷を開かれた折も行幸した。

今は絶へて久しいが、祭礼6月晦日には能の奉納が有り、役者は和州天の川(現、奈良県吉野郡天川)より来たり、8月15日には流鏑馬が有り馬数は大抵百騎であったと伝へられている。

流鏑馬にたくさんの馬がきていたと言うが見てみたかった。
今は中学校になっているが、当時は100頭で流鏑馬ができるほどの広さがあったのだ。またお能がかかったりしたと言うが文化度は昔の方が高かった気がする。

調べれば調べるほど和歌山は面白いところである。

名手八幡神社

名手八幡神社

徳川頼宣が書いたという扁額。

名手八幡神社

名手八幡神社

名手八幡神社

名手八幡神社

残念なことに檜皮葺きの屋根を守るためだと思うが、神殿の上に屋根があることで点数がだいぶ下がってしまう。

名手八幡神社

名手八幡神社

安高稲荷大明神とある。

名手八幡神社

歴史ある証に木々が大きい。

名手八幡神社

ここの灯籠は元の石の上を木の火屋を作っている。

名手八幡神社

本来の参道だろうがここを歩いて参拝するのは少し危険な気がする。

名手八幡神社

龍王神社もある。


いい天気だった。「鬼滅の刃」のお寺見学2020年11月08日 20時18分32秒

今日は昨日と打って変わっていい天気だった。
朝のうちは少し曇っていたが晴れてきた。

今日は「鬼滅の刃」の舞台になったお寺が我が町にあると言うことでミーハーではないが行ってきた。
ストーリーや映画のことは全くシラナイのだが新聞に載っていたので、出かけた。
家から10分ほどのところで、すぐにわかった。

御朱印をもらうときに、
「ブームですね。大変でしょう」と聞くと、
「そうですね。忙しくて本来のおつとめができません」
「それは大変ですね」
「ま、おいでいただくのはありがたいのですが」
「私も在所が違うのでここへ来るのは初めてです。何がどうなるかわからないですね」


ほんとにわからない世の中になってきた。
実は戸板の前でコスプレをして写真を撮り合っているのをカメラにおさめたかったのだが、撮れなかった。
甘露寺にいったついでに平池公園に行ってきた。
お寺は平池の駐車場からすぐである。お寺にも10台くらいおける駐車場がある。
平池は寒さが厳しくなるにつれて鳥の数も種類も増えてきていた。
黒鳥はまだいる。

「鬼滅の刃」のお寺甘露寺

たくさんの人が見学?にきていた。

「鬼滅の刃」のお寺甘露寺

「鬼滅の刃」のお寺甘露寺

「鬼滅の刃」のお寺甘露寺

「鬼滅の刃」のお寺甘露寺

「鬼滅の刃」のお寺甘露寺

「鬼滅の刃」のお寺甘露寺

彼女たちはきっとお寺の戸板の前で写真を撮ったはずである。









絵を描いている人がいたが上手だった。若い人が熱心に見ていた。

少し雨は降ったが晴れてきた。2020年11月06日 20時50分51秒

今日もいい天気。
打ち合わせで花園に行ってきた。
途中の花園梁瀬へのT字路に長谷宮があって立ち寄った。
銀杏の葉はまだ緑だったが実がずいぶん落ちていた。少し拾ってきた。

花園では小水力発電所を建設中である。
こんな水力発電所を町々に作れば長い送電線もいらないし災害にも強い。
電気自動車が普及しすれば1週間くらいは車から電力を受け取ることができ、最低限の生活はできる。
政府も妙なところにお金を使わず、国民の生活を守るような施策を打ってほしいね。
それも世界に先駆けた取り組みをしてほしい。
それが日本の生き残る道だと思うけどね。

アメリカ大統領選挙は接戦が続いているがTさんは5日、民主党が不正投票で「当選を盗もうとしている」とだだをこねているらしい。
もし私が投票用紙をカウントする立場の人間であれば「オコルデー」となるだろう。
選挙投票は民主主義の基本だから不正があっちゃならない。

Tさんを見ていると、聞き分けのないいじめっ子みたいに思えてきた。
いじめっ子は割と気の弱いのが多かった。
さて決着はどうつくのだろうか?


冬が近くなり滝も寒そうに落ちていた。


建設中の水力発電所。水車の下を水が流れ発電機が座る予定である。今は掘削しているところ。


野猿があるが今は使っていない。夏には動かすだろう。


ドラゴンが見張っている。


グリーンパークの入り口にある恐竜。



かわいい大きなワンちゃんがいる。


休憩所の屋根は恐竜。


椅子は骨。いいアイデアだね。

今日は割と暖かだったが雨が降りそうだった2020年10月22日 20時19分54秒

今日は昼から雨が降ってくると言うので家でホームページを作ったりしたが、結局は一日中降らなかった。これだったらバイクに乗れた。
残念だが仕方ないね。

外に行けないときは古い写真を見直す。
これは美浜町のアメリカ村1982年の写真である。
ここはカナダやアメリカに移住した人が多く、海外から帰ってきた人も多く、家の建て方もちょっと変わっているおうちが多かった。

美浜町 アメリカ村 1982年

煙樹ヶ浜に捨てられているソファー。煙樹ヶ浜はいい浜である。

美浜町 アメリカ村 1982年

うち捨てられた売店。

美浜町 アメリカ村 1982年

美浜町 アメリカ村 1982年

すこし疲れたニャンコ。のらで、腹が減っている感じであった。

美浜町 アメリカ村 1982年

ゲートボールのクラブが人が集まるのを待っていた。

美浜町 アメリカ村 1982年

美浜町 アメリカ村 1982年

テトラポットに捨てられた本。

美浜町 アメリカ村 1982年

美浜町 アメリカ村 1982年

宿。ポスターもローカル。こういう景色好きだなー

美浜町 アメリカ村 1982年

水道か?検針するの大変そう。ノーエチという薬。今は聞かない。

美浜町 アメリカ村 1982年

クリスマスプレゼントに本当のピストルを送られたと、海岸で将棋を指すおじさんが笑って語ってくれた。
そんなおじさん方の服装はアメリカ映画で見るジャンパーが多かった。

美浜町 アメリカ村 1982年

今はこれらの景色はどうなったのだろう。
もう一度訪ねてみたいところの一つである。

いい天気が続く。2020年10月15日 20時54分39秒

今日もいい天気だった。
ありがたい。
そういえば10月と言えば各地で祭りのある月である。
稲刈りがすみ、村が総出で収穫を祝ったり、昔の言い伝えの祭礼を執り行ったりする。

写真は那智勝浦町下里の祭礼で、1977年10月のものである。
今年はコロナのせいで各地の祭りが中止または縮小している。

リタイアしての楽しみの一つは全国各地の祭礼を見て回ることも楽しみだったが、出鼻をくじかれた。

ただ昔の各地の祭礼は人が多く出てニギワイがあったが今はどうだろうか。
そのギャップも見てみたい、と思ったのである。
しかし今年は叶わない。

いずれにしろ祭りはハレの日であり、無礼講だった。
今の祭りはどうだろうか?
そして今年中止になった祭り、来年はどうだろうか?

この祭りも人出はどうなんだろうか?

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り

下里神社祭り