曇り。 ― 2026年03月07日 17時09分46秒
いい天気だった。 ― 2026年01月15日 12時48分36秒
雨の一日。 ― 2025年12月24日 09時52分37秒
一日雨が降った。梅雨を思わせるが。 ― 2025年06月10日 21時15分45秒
一日雨が降り続いた。
それも大粒で道行く人は皆傘をさしていた。
信州最後は言わずと知れた松本城。
私の姓も松本だが何かあるのかな。
そういえば春日井は松本姓が多い。
城の入り口に撮影スポットを表示していた。
屋形船かと思ったが浚渫船だった。
築城して500年というが浚渫は今年に入ってから。
どこか止めてしまっているのだろうね。
松本神社。
水がおいしいらしい。
太い木が交差点にある。
熱中症にならないようにしよう。
何か鉢のようなものをこすり音を出していた。
人力車もあった。
城の入り口にあった鎧。
記念撮影。
侍が行く。
槍と刀を持っていた。
私は天守に登らずスズメやハトと遊んでいた。
3層の犬山城で転けそうになったので5層の松本城はパスした。
ハトはなれていた。こんな近くまで来た。
杖が写っている。
降りそうで降らなかった。 ― 2025年06月09日 22時37分14秒
今日は曇っており降りそうで降らなかった。
朝から行きつけのクリニックに行き薬をもらいに行ってきた。
片道30分ほどの距離を歩いた。
帰りはもう2時を過ぎていたが少し雨が降ってきた。
8日の日に国宝を見た後、「田淵行男記念館」に立ち寄った。
この人の本を読んだことがあるのでどうしても行きたかったところである。
思った通りの記念館であった。
それほど大きくはないが良かった。
田淵さんが使っていたカメラ群。
本当は撮影禁止だがカメラならいいだろうか、と思いカシャ!
チョウの細密画もたくさんあった。
下にはチョウの細密画がたくさんあった。
庭に出ると水がメチャクチャ綺麗だった。
なぜだろうとみていると池の中に湧き水が吹き出していた。
水が綺麗な理由がわかった。
ツバメが巣作りをしていた。
その下には紙が敷かれていた。
池の中にはカエルがいた。
久しく見ていないトノサマガエルであった。
この後ワサビの中に逃げ込んだ。
朝食。
信州に来たらそばでしょう。
車で良く汲みに来ていた。
この池にも水が良く湧出していた。
安曇野の水が綺麗な理由がよくわかった。
近くを高瀬川が流れているが、その川はそれほど綺麗ではなかった。
いい天気だったがスッキリしない。 ― 2025年06月07日 22時40分22秒
いい天気だったがスッキリしない。
湿気が多いのかもしれない。
息子と3人で長野の「ちひろ美術館」に行ってきた。
途中の駒ヶ岳SAやコンビニ。
バイクはトライアンフの3気筒。
ちひろ美術館は広い公園の中にあった。
ビオトープもあった。
カエルがよく鳴いていた。
チョウもよく飛んでいた。
中庭がありフジバカマなどが植えられていた。
季節になるとアサキマダラが来そうであった。
ローカの花は生けていた。
突き当たりは喫茶店で4時までだった。
まだ雪の残った峰に日が沈んでいる。
宿の部屋から峰々がよく見えた。
この辺は穀倉地帯だったが放置されているところが多かった。
いい加減に農家を会社組織にし、トラクターやコンバインをシェアしながら安い米を提供してほしい。
JAが物流などを握っているので、それができないでいるが今回の米騒動でどこまで改善できるか。
日本の農業は岐路に立っているように思う。
暑いくらいの一日だった。 ― 2025年04月21日 19時48分24秒
引き続きいい天気。 ― 2025年04月08日 22時01分00秒
串本3日目も引き続きいい天気だった。
実はこの旅の目的は、墓仕舞いだった。
串本のお墓は綺麗な事で有名だったが、ここも例に漏れず過疎化の波を受け墓仕舞いが増えているという。
そういう私もそのひとりであるが、昔は賑わった墓地も閑散としていた。
墓石がすべて撤去され塩がまかれている。
もう先祖もここにいなくなった。
骨はここに埋められている。
般若心経が一面に書かれたお堂に収められている。
はじめは一文字一文字が子供達が書いたと思っていた。
よく見ると同級生の名前があった。
この納骨堂にたずさわった人達が書いたようである。
私が6年間通った小学校の裏門。
当然私の時分は木造だった。
串本では町長と町会議員の選挙が行われていた。
13日が投票日らしい。
町会議員立候補した人は知らない人ばかりだった。
駅にあるビルフィッシュトーナメントで釣れたカジキの模型。
泳いでいるときこんなのに出合ったらビックリするだろうね。
駅の待合室。
トルコの事がよく紹介されているが今こそアメリカとのつながりを強調すべきだと思う。
みどりの窓口がなくなりリモートで特急券を発行してくれた。
はじめは駅員さんが発行をしてくれると思ったが、大阪あたりで受付をしている感じである。
だから窓口はなくなり駅員さんもひとりである。
一時間近くまつ普通列車。
確かに近いうちにこの路線そのものの存続が危ぶまれる。
串本の街中を走ると昔小さい頃は広く感じた道もずいぶん狭く感じるようになった。
過疎が言われて久しいがこれを抜け出すいい手立てがないかいつも考える。
これは日本だけの問題ではない。
かと行っても世界ではまだまだ人口が増え続ている国もある。
むずかしい問題である。
帰りは揺れを避けてシンカンセンを使った。
費用もかかったがやはり快適だった。
寒い。雪は少ない。 ― 2025年02月06日 17時36分33秒
朝から寒かったが、余り待たずにバスが来た。
和歌山駅が終点だった。
それに乗った。
朝モーニングを食べたが前の壁に万博のポスターがあった。
万博の前売り券の売れ行きが思うように進まないのか大阪も国も躍起になっているが売れなさそうである。
会場は鳥たちのサンクチャリで渡りをする鳥たちが羽を休めるのに絶好の場所だったが、今は何やら建っている。
あの円形のテーマ館を残しておいて鳥見の場所にするのだったらいいがそうでもないらしい。もう万博やオリンピックが儲かる時代は過ぎている。
頭の固い人々が仕切っていては無理が生じる。
小さい子が改札でカードを通していた。
昔はこんな時先生が切符をまとめて買っていたが今はひとりずつカードを通していた。
社会勉強にいいだろうが・・・。
今日乗ったクロシオ。
パンダの顔をしていた。
それにしても外国の人が多い。
JRも専属の通訳さんを配置しているが改札などは違う国に来たみたいだ。
昨日などはみどりの窓口にはスーツケースを下げた人でいっぱいで整理券を出していた一般人は無理だった。
伊吹山は当然ながら雪をかぶっていた。
記録的な寒さだという事で・・・ ― 2025年02月05日 22時19分37秒
記録的な寒さと言うことで、躊躇したがえいままよという感じで出かけた。
二日続けて和歌山に用事があった。
仕方なく出かけた。
雪は思ったほどではなかった。
この駅から12年、大阪に通った。
今は椅子が変わっているだけ。
珍しくピアノを弾いている人がいたが時々間違っていた。
決して上手とは言えないが弾くことに意義がある。
手がかじかむのか手をこすりながら弾いていた。
夕食に太刀魚のフライを食べた。
これでご飯の米がもっとおいしければ言うこと無し。
5人ほどが入っていたが安くたくさん食べられるのでファンかもしれない。
久しぶりに夜のブラクリチョウを歩いたが、一人も歩いてなかった。
若い人がひとりおいぬいていっただけである。
もっと暖かければ川ペリを歩きたかったが何せ寒く、早々にホテルに戻った。
ホテルは風呂やトイレへの段差が大きく年寄りにこたえた。




















































































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