高速道路入り口2011年03月01日 23時51分59秒

大阪で、高速道路に入るときは緊張しますね。
どういけばいいかわからないからです。
特にジャンクション近くの、入り組んだ交通量の多いところは必死です。

それに道路標識がたくさんありすぎて、アプローチもどうすればいいかわかりません。

これは名古屋近郊の高速入り口ですが、道路にグリーンのガイドがかかれています。

これはいいですね。
自然と高速入り口に入れます。

こういう表示を全国的に増やしてほしいです。
運転するもののストレスが幾分かは緩和されるでしょう。

撮り鉄2011年03月04日 00時26分02秒

特急くろしお
最近駅のホームで三脚をたてて、写真を撮っている人をたくさん見かけます。

この「阪和ライナー」もなくなるのです。

この車両をカメラに納めている人も多いです。

この車両の好きなところは、いかにも特急電車という感じがあるからです。
控えめでありながら結構存在感があって好きですね。
この車両がなくなるのは寂しいです。
振り子式なので、長距離を走ると酔いますが・・。

きのくに線でも、今の新しい特急よりこれの方が好きですね。
和歌山の海岸線にはこの車両の方があっている感じがします。

もっと昔のダックスフンドのような、ディーゼル特急の黒潮が一番好きでした。一番回数乗ったのではないかと思います。

またまた阪和線2011年03月05日 01時09分50秒

今日は阪和ライナーに乗って帰りました。

やっぱりゆったり帰れますね。
体調が悪いときは重宝しますがもうなくなるのですね。

撮り鉄が何人もシャッターを押していました。
彼らのレンズの先を見て、ああ、こういうところを押さえておかなければいけないのだ。とすごく参考になります。

ライトや車種名のプレートなどもきっちり撮っていますね。

私もまねをしてとりあえず押さえました。

阪和ライナー

撮り鉄さんたちは、こういう写真はあまり撮っていないですね。
私は自然とシャッターを押してしまいます。

私は、この駅でふつうに乗り換えです。
阪和ライナー

春が近い感じですが・・2011年03月07日 23時21分13秒

ミツバチ
少し暖かくなったと思ったら、また寒くなってきました。
でも近所の畑には菜の花が満開で、ミツバチがたくさん飛んでいました。

しかし日本の政治家の皆さんは、何を考えているのでしょうか。
外国の政治家は、日本のこの状況をすごく心配しているらしいですね。
それほど日本の状況は危機的状況らしいです。

全く国民不在ですね。
口では「まず国民」、といってはいますが、口ばかりです。
昭和30年代の貧しいけれどなんとなく豊か、という感じが、今、ないですね。

伝統工芸や伝統家具なども、ほぼ全滅に近い感じです。
本物が理解できず、作れなくなっている感じがします。

このあたりのことを、これから折に触れ少しずつ書いていきたいと思っています。

スバル3602011年03月08日 23時41分00秒

スバル360ヤングSS
以前から探していたスバル360SSのミニカー。

オークションで探していたのですがやっと見つかり、買いました。
スバル360懐かしいですね。
なぜこれにこだわるかというと、初めて買った車なのです。
私のはスバル360でも一番馬力の強かったヤングSSという機種で、ソレックスのツィンキャブで36馬力のエンジンが積まれていました。
ふつうのスバル360より足回りも堅くなっており、コーナリングも結構よかったです。
カメラを積んであちこち走り回りました。

16万km走り、まだまだ走れたのですが、奥さんが出産するので急いでいたという同級生とぶつかりスクラップとなってしまいました。

今残っていればお宝です。

リアエンジンリアドライブ。空冷2サイクル2気筒、ソレックスツィンキャブ36馬力/7000rpm、最大トルク3.8kg-m/6400rpm。
車重が425kgしかありません。今の軽四が1トン近くあることを思うと軽かったなーと感心します。
エアコンもないしパワーウィンドウなんていう贅沢装備は一切ありませんでした。

作りも工夫されたすばらしい車でした。

今日本の自動車の勢いを復活させるとすれば、こういうベーシックな車がいいですね。

しかし乗り手がだんだん贅沢になってきているので、付属品が複雑怪奇になり、軽四なのにパワーシートを装備しているのまで出てきました。それらは軽く1トンを超えています。

エアバックと安全装備以外の不要な装備を廃し、走ることに徹した軽くてよく走って強い軽四がほしいですね。

などなど、いろんなことを思いながらミニカーを眺めて楽しんでいます。
この車は世界に誇れるいい車です。

この後が、ホンダライフGSで、これはFFとなりました。
この車もツインキャブでふつうのライフとくらべ馬力が8馬力ほど高いものでした。これも16万km走りました。

今この車のミニカーを探しています。

津波2011年03月12日 00時49分05秒

寒いけれど平穏な日常に、自然の猛威。
大自然のパワーのすごさを見せつけられました。
被害に遭われた方の無念さはいかばかりか・・

ここ紀ノ川周辺でも30年以内に活断層のずれによる地震が起こる確率が高くなっているといいます。

もう一度備蓄品を確認し、倒壊防止策をしておかなくてはなりません。

原発も心配です。

地震2011年03月13日 01時17分23秒

想像以上に広範囲で大規模な被害に驚いています。

繰り返される被害状況の映像を見ながら思いました。

少し大きな木のあるところが残っているのに気がつきました。
ある被災者は、木にしがみついて助かったといっていました。

街の所々に、森があれば、かなりの人が助かったのではないかという気がします。

これから本格的な防災都市を建設するなら、避難道路の両側に強く根の張る木を植栽し、その木々の間を逃げられるようすれば少しは人的被害が少なくなる気がします。

今回の津波はそんな生やさしいものではないとは思いつつも、立ち残っている木々を見ながら思いました。

その避難道路のさきに、安全ないわゆる鎮守の森があればいいですね。

テレビで何度も繰り返される被災の映像を見ながら、必ず起こるこの地方での地震で、サバイバルのためにどう逃げたらいいかを、よく研究するのが必要ではないかと思います。

それよりなにより原子力発電所のメルトダウンが起こったということにはびっくりしました。それもディーゼルエンジンに不具合があり、発電できず冷却できなかったということで、素人目にはきわめて初歩的なトラブルのように思えます。

原子力安全・保安院の記者会見も歯切れが悪く、具体的な安全のための指示をしているふうには見えません。
単に結果だけを報告するだけでは何となく納得できないです。
状況をはっきりつかんでいるようにはみえません。

世界の国も地震のトップニュースは原発の、メルトダウンのことで注目されています。
はやく安全を確立してほしいものです。

高積神社2011年03月14日 00時06分17秒

運動不足解消を兼ねて、近くの高積神社の上の宮に登ってきました。
八丁あるので、片道約900m結構きつい登りでした。

ここは和佐大八郎のお母さんが、息子の弓の成功を祈ってお百度詣りした神社です。
なかなかのもので、参道は苔むして、木漏れ日に輝いていました。
高積神社
途中は竹林や常緑照葉樹の林で、杉などがないので繁っているけれど結構明るい道でした。
ここを毎日登れば健康になるでしょうね。
この大木は道を広げる時にむき出しにされたのでしょうか?
途中の道筋にこうした木が何本かありました。

地震の時、これだけの根を張っている木に登ればまず大丈夫でしょうね。
下手なコンクリの基礎よりこちらの方が数倍強いと思います。
杉はだめです。

鎮守の森の神木にクスノキなどが多いのは、人が昔から木に助けられているからかも知れません。

高積神社

そういえば原発がかなり悪くなってきています。すでに被爆した人も多数出てますからね。はやく何とかしないと大変なことになります。

昨日も書きましたが、記者発表する人の他人事のような話っぷりに腹が立ちました。
「配付した資料の、何ページに書いていますが・・」と訳の分からないことを言っていました。

避難した方々は、ただちに危険があるのかないのか、いつまでに回復するのかという単純なことをきちんと伝えてほしいのですが、訳の分からない説明ばかりをしていましたね。


何がどうなっているのか?2011年03月16日 00時23分20秒

原発はかなり危険な状態になりつつあります。

全てが想定外のことばかりで、何をどうしていいか分からなかったかのでしょうか。

全ての炉での事故が続いていることに恐怖を覚えます。

一刻も早く事故回避の手立てをとらないと大変なことになります。
現場で作業している方々は、非常につらく大変だと思いますが、一踏ん張りをお願いしたいです。

原発事故について2011年03月16日 12時08分52秒

毎日繰り返されるテレビニュースを見ていると、「1000年に1度の巨大地震」と言われていますけれど、そうでしょうか?

三陸や奥尻の津波はどうなのでしょう。
津波で甚大な被害があったのは、つい最近のことです。
原発事故を起こした原因は、津波でした。
正味の揺れは阪神大震災の方が強かったと思います。

原発の事故について「専門家」の方々は、はじめは「安全だ安全だ」とばかりいっていました。しかし現実は最悪の方向に向かっています。

この福島原発は、超老朽化原発ということで日本の原発で最も低い270ガルで建設された、最も耐震性のない原発だそうです。

建設40年経って使用の可否を、あのわけもわからない説明ばかりを繰り返した原子力安全・保安院が東電の言うまま60年利用を認めたということです。3号機は一番危険なプルサーマル燃料でこの放射能は半減期が20000年といいます。


津波前の写真と津波以後の写真を見て、ガソリンタンクと予備エンジンの設置されていたところが海岸の間際ということにびっくりしました。
これは輸送のコストダウンや管理の軽便さを図ったためだと思います。
結果は見事に波にさらわれていました。

また震災直後の原子炉の絵には使用済み核燃料倉庫の絵や燃焼室下のパイプなどの解説は一切なく、トラブルが起こってから表示し出しました。
事ここに及んでも、国民に正確な情報を流さないとは・・・

さらに地震のマグニチュードを再三変更したことは、耐震に対するこれまでの取り組みを想定外にするための方便のような気がします。

規模の正確な把握ができなかったとすれば、今まで地震予知として莫大なお金をかけて作った施設などは、全く無駄な費用となったということです。

「想定外」の言葉は使ってほしくないですね。

想定できなかったと言うことは、専門家=プロではないわけです。
「素人」考えですが、コスト重視の安易な防災対策がこの事態を招いたとしか思えません。

またしばしば「プレートのグループが違うので、この地震によりいきなり東海南海地震は起こらない」と専門家のみなさんはいっていますが、地球はすべてつながっています。
砂浜で砂遊びをしたとき、ひとつが崩れると連鎖的に遠くの地面がくずれます。地震が続いてもおかしくないのが今の状況ではないでしょうか?

地震は続いて起こる可能性があるという前提の元に、情報を正確に伝え、物心ともに国民一人一人が、放射性物質が落ちてきたらどうするか、また再度地震が起こったときはどうサバイバルするか、各自で対策をどう強化したらいいかを具体的に呼びかけるのが専門家ではないのかな、と二転三転し全く要領を得ない報道を見ていて感じています。

とりあえず防災グッズを再確認し、バイクだけ残っても少なくても2,3日は生き延びられるように用意しておきます。車なら1週間ぐらい持ちこたえないとだめですね。

しかし20000年も危険な状態にする、放射能は避けようがないのです・・・・・・