カヌーという言葉 ― 2012年07月16日 18時35分40秒
ある本を読んでいて、「カヌー」という言葉が、古今東西若干発音が違っても「カヌー」であるということをはじめて知りました。
カヌーイストの内田正洋さんが書いていました。
そのなかで、カヌーという言葉が書かれている一番古い文献が、なんと日本の文献にあるといいいます。
そしてその文献が、古事記や日本書紀であるというからまたびっくりです。
その中に何度か舟をカヌーと書いたところが出てくるというのでさっそく探しました。
見つけにくかったのですが、ありました。
仁徳天皇の項の六番、枯野という舟。
この御世に,免寸川の西に一つの高樹ありき。その樹の影、旦日
(あさひ)に當れば,淡道島(あわぢ)に逮び(および)、夕日に當れ
ば高安山(大阪府河内)を越えき。
故、この樹を切りて船を作りしに、甚捷く(いとはやく)行く船なりき。
時にその船を號けて(なずけて)枯野と謂ひき。
故、この船をもちて旦夕(あさゆう)淡道島の寒泉(しみず)を酌み
て大御水獻りき。・・・
とあります。
文中の「枯野」が「カノー」ですね。
天皇のための飲料水「大御水」を淡路島までカヌーで汲みに行ったのでしょう。
「いとはやく」というところがにくいですね。
カヌーは速いですからね。淡路島へはすぐでしょう。
これを書きながら、言葉が同じということは、やはり当時もダイナミックに交流をしており、国を超えてカヌーで行き来していたのを再確認しました。
カヌーであちこちしていたのは、我が串本の弥生時代の集落の笠島遺跡からも丸太切り出しのカヌーが出土したことでもわかります。
カヌーの記述はまだあるらしいので、記紀をもう一度調べてみたいと思います。
ちなみにコロンブスがカリブ海アラワク諸島に停泊した折、現地の船に囲まれましたが、その現地の舟が「カノー」と呼ばれていたそうで、それをコロンブスが日記に書き、それが西洋における最初の記述になります。
スペイン語ではCANOA、フランス語はCANOT、オランダ語ではKANO、でカヌーよりカノ-に近い発音です。
英語CANOEとドイツ語のKANUが、今のカヌーになったようです。
古事記などはコロンブスをさかのぼること800年ですからすごいことですね。
写真は和歌浦湾を漕ぎ進む「枯野(カノー)」です。
少し前の写真ですが、海は大荒れですが「枯野」は簡単に乗り切ります。
カヌーイストの内田正洋さんが書いていました。
そのなかで、カヌーという言葉が書かれている一番古い文献が、なんと日本の文献にあるといいいます。
そしてその文献が、古事記や日本書紀であるというからまたびっくりです。
その中に何度か舟をカヌーと書いたところが出てくるというのでさっそく探しました。
見つけにくかったのですが、ありました。
仁徳天皇の項の六番、枯野という舟。
この御世に,免寸川の西に一つの高樹ありき。その樹の影、旦日
(あさひ)に當れば,淡道島(あわぢ)に逮び(および)、夕日に當れ
ば高安山(大阪府河内)を越えき。
故、この樹を切りて船を作りしに、甚捷く(いとはやく)行く船なりき。
時にその船を號けて(なずけて)枯野と謂ひき。
故、この船をもちて旦夕(あさゆう)淡道島の寒泉(しみず)を酌み
て大御水獻りき。・・・
とあります。
文中の「枯野」が「カノー」ですね。
天皇のための飲料水「大御水」を淡路島までカヌーで汲みに行ったのでしょう。
「いとはやく」というところがにくいですね。
カヌーは速いですからね。淡路島へはすぐでしょう。
これを書きながら、言葉が同じということは、やはり当時もダイナミックに交流をしており、国を超えてカヌーで行き来していたのを再確認しました。
カヌーであちこちしていたのは、我が串本の弥生時代の集落の笠島遺跡からも丸太切り出しのカヌーが出土したことでもわかります。
カヌーの記述はまだあるらしいので、記紀をもう一度調べてみたいと思います。
ちなみにコロンブスがカリブ海アラワク諸島に停泊した折、現地の船に囲まれましたが、その現地の舟が「カノー」と呼ばれていたそうで、それをコロンブスが日記に書き、それが西洋における最初の記述になります。
スペイン語ではCANOA、フランス語はCANOT、オランダ語ではKANO、でカヌーよりカノ-に近い発音です。
英語CANOEとドイツ語のKANUが、今のカヌーになったようです。
古事記などはコロンブスをさかのぼること800年ですからすごいことですね。
写真は和歌浦湾を漕ぎ進む「枯野(カノー)」です。
少し前の写真ですが、海は大荒れですが「枯野」は簡単に乗り切ります。
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