1973年4月2016年09月20日 12時36分01秒

よくもまあこんなに空に水滴がたまってられるものだと、感心するくらいにたくさんの雨が降ります。
毎回毎回、記録的大雨、という言葉が言われます。
来年はどうなることでしょう。

雨が降ったせいでどこにも行けず、仕方なく机周辺を片づけたり、オークションに出品したりで、休みでどこにも行けなくても結構忙しい3連休でした。

昨日まで1973年のネガをスキャンしました。
新宮の奥の村々がすきで時々車を走らせました。

そのころ撮った写真ですが、もうこれらの景色は見ることが出来ません。
でもそのころの景色の方が癒されますね。

牛による田カキも、当時はどこでもやっていましたが、今はほとんどないですね。
古座の奥では、牛による田カキの競争イベントがありました。

十津川村1973年

さりげなくスバル360を撮っていました。

かわいらしいですね。

いまこのスタイルをリファインして新しい車を出して欲しいですね。
フォルクスワーゲンはカブトムシを出して結構な存在感があります。

コガネムシとして出す企業の余裕はないのでしょうか?
モーターショーではプロトタイプが出ていて楽しみにしていたのですけどね。
技術者は作りたいでしょう。

道は舗装されてなく、スバルで走るダートは面白かったです。
リアを滑らしながらカウンターステアでカーブを曲がる快感。
とにかく楽しかったです。

十津川村1973年

当時は道も少なくあってもこういう吊り橋が多く、それに続く道も細く危ないところばかりでした。

この吊り橋も途中で床が割れ、穴が開いています。向こうに続く道も狭く危険ですね。
吊っているワイヤも何となく頼りないです。

十津川村1973年

ある集落。

川原には渡し船が見えます。
橋がないので、渡し船で川の対岸に渡りました。
私が働きはじめた頃は、渡し船があちこちにあり、電話機や電話線を担いで対岸から、

「おーい、渡して欲しいなー」

と叫ぶと、

「よっしゃ待っててなー」

といいながら船を寄せてくれました。
橋がたくさん架かった今は渡し船は、もうありません。

このころお客様の家に仕事に行き、

「**さん宅はどちらですか?」

と聞くと、

「うん、隣だから、この道をちょこっと行ったとこや」

といわれて、歩くと5,6分で着くと思っていたおうちが、30分ほどかかったりすることがしばしばで、隣のおうちに行くまで一山越える必要がありました。

十津川村1973年

ここも今はアスファルト舗装の道が出来ていると思います。

このころは猪や鹿はかなりの数棲息していたはずですが、今ほどの被害は出てませんでした。
やっぱり山にそうした動物を育むための力があったのでしょうね。

今はそれがなくなり、動物たちも手軽に餌が食べられる里山に降りてくるのだと思います。

何か大事なものをなくしてしまい、バランスを崩しているような気がしてなりません。